文殊師利菩薩・阿難尊者、三會八年の間の佛語、之を挙げて妙法蓮華經と題し、次下に領解して云く、 如是我聞…。) また言われます。 (問ふ、其の義を知らざる人、ただ南無妙法蓮華經と唱へて、解義の功徳を具するや否や。答ふ、小児乳を含むに、其の味を知らざれども自然に身を益す。耆婆が妙薬誰が辨へて之を服せん。水心無けれども火を消し、火物を焼く、豈覚あらんや。龍樹・天台皆此の意なり。) また言われます。 (問ふ、何が故ぞ題目に萬法を含むや。 答ふ、章安大師の云く 「蓋し序王とは經の玄意を叙す。玄意は文心を述す。文心は迹本に過ぎたるは莫し。」 妙楽大師の云く 「法華の文心を出して、諸教の所以を辨ず」 日蓮聖人これらを解釈されるには、(濁水心無けれども、月を得て自ら清めり。草木雨を得て豈覚あって花咲くならんや。 妙法蓮華經の五字は經文に非ず其の義に非ず、唯一部の意のみ、初心の行者其の心を知らざれども、而も之を行ずるに自然に意に當るなり。) 3p完→