1000
2013/06/17 06:54
爆サイ.com 沖縄版

神道・仏教





NO.6435625

「神道」について教えてください
#4012013/06/07 21:06
古事記神代の巻の意訳

・父韻

【 意富斗能地(おほとのぢ)の神。 言霊シ。

 直訳・・『大いなる(意富)量り(斗)のはたらき(能)の地。
大きな識別(斗)の働き(能)が土台と成るように静まること。』

 意訳・・「こころの働きの内、これからのことを決定実行し選択する大いなるこころの動韻の事で、
押し開く行く手の戸(斗)を選択する智恵の識別する働きの地盤を固める。
量りを用いて開く戸を選択し、こころの落ち着く地盤を相手対象と共に固める。」


855 :古事記のこころの原理の概略:2013/05/30(木) 07:12:12.06 ID:j/BsnCL9!
冒頭では神の名がずらずらと出てきました、それはこころの先天構造となりました。
 先天構造が働くとき働きが載りあらわれる実態が必要となりオノコロ島が出来ました。
 そこで今度はオノコロ島が・こころが働くときにこころの載って現れる場が必要となります。
 そしてこころの載った場・島が動くとき表現・言葉に載ります。
 表現・言葉の単位要素が働くときには、動きの基準・規範が必要です。
  動きの基準・規範が動くときには、動きが載る過去の事物・過去概念記憶が必要です。黄泉の国。
 そうするとそこで黄泉の国が載った場が動くときには、表現の所有・価値が必要です。みそぎ五神。
  表現の所有・価値が 働くときには、動きの基準・規範となる理想的な正しいみそぎが必要となります。
 こうして、三種の神器たる三貴子を手にします。
 ここまでにちょうど百神が登場してきて、古事記の原理は終ります。

[匿名さん]

#4022013/06/07 21:21
古事記神代の巻の意訳

・父韻 

【 意富斗能地(おほとのぢ)の神。 言霊シ。
 ・こころの中に意識が全面的に浮かび出て(チ)、出てきたものを自分のほうに掻き寄せ(キ)、
ここで引き寄せたものを選択し受け入れ(シ)、最後に納得了解します(ヒ)。
 ・その妹背の働きは、
 ・意識に出てきたものがあり続け(イ)、出てきたものを自分のものとし(ミ)、
ここで自分のものとしたものが意識の元で発展拡張し(り)、
最期に了解煮詰まって事が成ります(ニ)。

[匿名さん]

#4032013/06/07 21:31
古事記神代の巻の意訳

・父韻 

【 妹大斗(おほとのべ)の神。 言霊り。
 直訳・・『大いなる量り(大斗)のわきまえ(弁え)によって述べ拡大する(乃弁)。』
 意訳・・「広がり拡大するのはその行為ではなく、行為の内容で、
主体側の行為を伸展広げるのではなく主体側行為の内容と成っている客体側で鎮め統一しようとします。」


 ・両者は今ここでその過去(の記憶)を今現在(言霊オヲの世界)を選択置こうとして、
今現在から未来への流れを実体化する(地とする)か、実体化するはたらき(のべる)かの、
按配選択配分次元の言霊エの性格を持っています。

[匿名さん]

#4042013/06/07 21:34
古事記神代の巻の意訳

・父韻 

【 於母陀流(おもだる)の神。 言霊ヒ。
 直訳・・『 於母 (おも)はこころに思うことの面、表面で、
陀流 (だる)は足るで充足、表れ完成すること。
こころに思ったことを表現として表面に輝かせ完成し納得する韻の働きをする実体。 』
 意訳・・「こころに現われ出てきてこころに結び付き邇部に引き寄せてそれを表面に押し出して完成する。」

[匿名さん]

#4052013/06/07 21:53
磐戸はこれだろうね。

資料。リンク。参考サイト。
『ことたま学ブログ』
『あめつちの言霊学』
『言霊 言霊学 コトタマノマナビ』
『言霊百神』

言霊百神と自分のブログ以外をリンク先に貼れるようになれば大きな進歩だけど
自分がいつも正しい人には難しいかな?

[匿名さん]

#4062013/06/07 22:09
「汝人間モーセ、汝一人がそのまま神なのであり、
それ以外に神はないのだ」と。
人間の心の宇宙が究極に於て五十個の言霊で構成されていることを
確認することが出来た聖(霊知り)天皇にして初めて明言することが出来る真理なのだ。

I am that I am. とは初めの
I am の私はとはエホバ神自身のことであり、
that I am の私はモーゼのことを意味している。

「神とはモーゼがモーゼであること(モーゼがモーゼたらしめているもの)である。」

[風の旅人◆AnE6/hHU]

#4072013/06/07 22:19
昔の禅宗の本を読みましても、「無」になれ、「無」になれ、なんて書いているものは何処にもありません。
「無」と言うのは経験知の「俺が」が出てきたら、それを「無」とする。

ケネディが狙撃された時に傍にいたジャクリーン夫人が瞬間的に「NO!=ダメ!」と叫んだ、
その「NO!」が「無」です。
その経験知は必要なものではあるけれど、それは自分自身ではないのであって、
自分自身が集めた心の衣なんです。

ということに気がつきますと、何もなくなってしまう。その経験知が自我だと思っているから。
経験知が自我を形成していることをお考えになったこともない。

「今」って何だと申しますと、経験知の綜合体、

最後の経験知に「NO」と否定した時に、自我意識がスーッと消える。
消える前まではとても心細いことだったですが、消える瞬間には何の意識もない。



実は、上記は、引用文なのですが、引用しているわたしも分かりません。

分からないところが良いなという感じです。、、

「分かったガッテン」、と坊主の頭を叩いて、笑って終わり、
後は気にしないで忘れてしまうことより

このまま分からないだろう、分かることもないだろうと、
思っているほうがまだ先があり、そんな気をもんでいる状態です。

[風の旅人◆AnE6/hHU]

#4082013/06/07 22:25
何方でも行ける境地ですが、ただそういう意味で今の宗教書に罪がある。
阿弥陀様を遠くから偶像崇拝して「南無阿弥陀仏」と死に際になると唱える。
普通なら阿弥陀様を感じることはありません。

遠くにいる仏様のために祈る、そうすれば救われると教えているわけですから、「あんな人にはなれない」と思う。
お釈迦様は素晴らしい人で普通の人には到底なれない、超人間、スーパーマン、そのように教えられている。

だから拝む、救ってくれる人は阿弥陀様と言ったり、イエスキリストと言ったりします。
けれど、阿弥陀様だって、屁をたれたり、腹が減ったら飯も喰う、眠たくなったら寝て、寝言だって言うだろう。


誰だってそうなんです。阿弥陀様は崇め拝む先にいるんじゃない。
誰もが言霊アの境地に至れば阿弥陀様なんです。
要するに感情が発露した時、「あぁ、楽しい」、「あぁ、悲しい」、「あぁ、喜ばし」と言っているのは阿弥陀様が言っている。

アの主宰仏が阿弥陀様。
他にいない、いるという時は、戦国時代のようなこの世の安心がない時代、死ねば極楽浄土へ行ける、
キリスト教も人類の罪を一人で被って磔になったんだ、
だからイエスキリストの名において祈れば、天国へ行けるというのがローマ教会の教義ですから。

[匿名さん]

#4092013/06/07 22:29
一番大切な掟、だけどそんな立派なイエス様なんていない。
竹内文献によればイエスキリストは
「俺は死ぬのがいやだ、もっと生きたい、もっと他の仕事をしたい」と言って逃げてしまって、弟が身代わりになって磔にされた。

本当かどうかは知りません。ですが、そんな理想的な人は決していない。
理想的な行為を時々するのが人間なんです。
ピンからキリまで理想的な人なんていないんです。

[匿名さん]

#4102013/06/07 22:33
自己の心の中に踏み入ると申しましても別に特別な方法によるのではありません。
数千年の歴史を持つ神道、儒教、仏教、キリスト教等の宗教に明示しているそれぞれの反省、修行をそのまま踏襲して、
その上で各宗教が奥義としてきた内部にまで妥協することなく突き進んで頂ければこと足りるのです。

[匿名さん]

#4112013/06/07 22:37
 以上の五十神に続く五十神の神名は、先にお話ししましたごとく前出の五十音言霊を
いかように運用操作したら人間の理想的行為の規範を実現し得るかの操作法であります。
 また伊耶那美の神の後に十数個の島の名が出てきますが、これは言霊のそれぞれが、
またその操作法が、精神宇宙のどの位置にあり、どのような意義を持っているかの呪示であります。

 「成りませる神の名は天の御中主の神」。

 成りませるとは生まれてくることであり同時に”鳴りませる”として
言葉として現れてくることでもあります。
生まれてくることとそれが名をもつこととは不可分の人間文明創造の根元です。
言と霊と同一であること、すなわち言霊です。
 何もない宇宙に初めて手ボャーと生まれる根元の意識、
それは「我在り」の起源となる意識です。○チョンの図の中の一点です。
 宇宙は広いものです。だから、その中の一点といえばどこをとっても中心です。
漫然としながらもこの中心に在りとする意識の始まり−−
この存在を天の御中主の神という名前で呪示したわけです。
そしてその存在は言霊ウです。

[匿名さん]

#4122013/06/07 22:48
 「次に高御産巣日の神、次に神産巣日の神、・・・・・」。

 とは、全純粋主観である言霊アと全純粋客観である言霊ワです。
 ○チョンである言霊ウから、ア・ワの主観・客観が剖れたことを示します。

 「独り神に成りまして身を隠したまいき」。

 ウ・ア・ワと呼ばれる世界は、示されたとき、他の何ものにもよることなく
それ自体独立した一つの宇宙でありますので、それを、独り神というのです。
またそれぞれの実在は決して現象とはならず、先天の宇宙でありますゆえに、
”身を隠したまいき”と申します。

このようにして次々に宇宙が剖判して生まれてくる神々すなわち意識の
それぞれの根元要素に五十音をあてはめてゆき、
母音・半母音・父韻・親韻・子音と言霊ンを確認しました。全部で五十音です。

 高御産巣日と神産巣日とは高御産巣日の方の頭にタの一字がある以外は同一です。
タとは田んぼのことで、人は田を耕して米を作ります。
精神的に言葉の田である五十音言霊図を耕して、
結合した物事の名前を作っていくことすなわち文明創造の主体行動を意味します。

 アである吾の側に創造の主体性があり、ワである汝の側は
あくまで主体の呼びかけに応えるだけで受け身の立場です。
ですからタカミムスビに対してタがないカミムスビなのです。

[匿名さん]

#4132013/06/07 22:52
 三十一文字の和歌の道のことを、昔、言の葉の誠の道、または敷島の道と申しました。
敷島とは元五十城島と書きました。五十音が住む城の意味で、
少なくとも古今集までの時代には、言霊の原理は伝統として世に知られており、
和歌の道とは情感を三十一文字に表現しながら、
同時に言霊の原理をその中に折り込むことによって実際に言霊を体得する修行の方法の一つであったのです。

 奈良時代にはまだ社会的に完全に埋もれてはいなかった言霊五十音の意義を後世に残そうとして
制定された書が古事記です。
言霊の一つ一つの生命全体に占める位置・意味・機能等々を、後世、
それを指月の指として自己の内面をみる顧思するならば、
明らかに言霊五十音に到達できるように、その時代、人口に膾炙されていた神名、
人名を抜き出して神話の形で構成して書き残したのが古事記の神代の巻なのです。

 言霊ウの意味を把握した時、古事記の天の御中主の神とうい神名はその実体を何とよく示しているかと驚かされます。
古事記を書いた太安万侶という人は確かに言霊の原理を知っていたのだなあとつくづく思われるのです。
その他、時がくれば言霊の音の一つひとつが明らかに溶けるように、
古事記の神名と言霊の五十音とを照合し易いように、
和歌の道の奥義書となるものが皇室の中に秘蔵されたのです。
その場所を賢所と申します。
文字通り世界中で最も賢いところであったわけです。

[匿名さん]

#4142013/06/08 01:32
 昭和二十年の第二次世界大戦の敗北まで、日本天皇の皇統の証明物として三種の神器が尊ばれていました。
八咫の鏡、八尺の勾玉、草薙の剣です。
この三種の神器を持っている人が正統の天皇であるということで、
ある時代にはこの神器の帰属をめぐって戦いがありました。
またその神器の真偽の論争が起こったこともありました。
 
 けれども言霊の原理の立場から考えますと、
三種の神器についての争いなどまことに笑止のことにおもわれます。
なぜなら神器とは物質的器物です。
器物とは精神的原理の象徴物に他なりません。
大昔には哲学概念の言葉がありませんでしたので精神的なものは器物で表徴しました。

 鏡とは言霊エを主眼とした理想的精神構造の図すなわち先に述べた天津太祝詞音図のことです。
この音図に照らし合わせれば、
すべての人間行為の善悪、可否は正確に判断されます。

 勾玉とは言霊五十音を一つ一つ粘土板に書いて焼いた勾玉の形を連ねたネックレスのこと。
この五十の要素以外に精神医宇宙には何もないことを示しています。

 剣とは縦に空間をアイウエオの五次元に、
横に時間をカサタナハマヤラと八つの展相に断ち切って判断する精神的判断力のことに他なりません。

[匿名さん]

#4152013/06/08 01:37
 たてに五つの次元を切ると、この人はどの次元に立って行動を起こしているかが判ります。
五つに”分ける”から”分かる”のです。

 横に八父韻の相を判断すると、その人は目的に向って正しい手順を踏んで物事を進めているかどうかが明瞭に分かります。

 この精神的審判の理想構造と、それを構成している五十音の要素の認識と、
それによる精神の明確な判断力を持っていることが為政者の、
大昔にあっては天皇としての、資格であったわけです。

 日本書紀に「是の時に天照大神手に宝鏡を持ちたまひて、・・・
『吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を見るがごとくすべし。
ともに床を同くし殿をひとつにして、斎鏡・いわいのかがみ・とすべし』とのたまふ」とあります。

 このことから推察して日本の大昔に言霊の原理に則り政治が行われ
平和な精神文化の花が咲いていた時代があったことが推察されます。

 「床を同くし殿を共にして斎鏡とする」ことを鏡と天皇との共床共殿の政治といって、
言霊原理が実際に政治に生きていたことを物語っています。

[匿名さん]

#4162013/06/08 01:41
 現代人の大きな迷信の一つをご存じでしょうか。
それは現在の物質文明の繁栄に酔うのあまり、
その物質文明の未発達であった大昔が野蛮時代であったと思い込んでいることです。
確かに数千年以前には今のごとき物質機械文明は存在しなかったでありましょう。
けれども精神の分野においては、現代人が夢にも見ることができぬほどに
立派な文化の華が咲いていたことは確かであったようです。

 そのなによりの証拠は大和言葉の存在と、その言葉を創造する根本原理である
言霊の原理の存在がここに明らかにされたことであります。
日本における古事記・日本書紀の神話ばかりでなく、
世界の神話すなわちギリシャ・エジプト・北欧等々の神話は
すべて過去に真善美の精神文明の華咲いた時代があったことを明記しています。
これらは決しておとぎ話ではなく実話であることを、
この書を手にした読者ご自身が言霊の原理に深く踏み行って
大和言葉の内容を明らかにされるなら、さもありなんとうなずかれることでしょう。
と同時にこれらの神話は全て隆盛を極めた精神文明が、
ある時代を画して隠没し姿を消してしまったことをも記しています。

[匿名さん]

#4172013/06/08 01:48
日本においても日本書紀に神倭朝十代崇神天皇の時代の次のごとき事件について報じた一文が載っています。
「是より先に、天照大神、倭大国魂二の神を、天皇の大殿の内に並祀る。
然して其の神の勢いを畏りて、ともに住みたまふに安からず。
故、天照大神を以ては、豊鋤入姫命に託けまつりて、倭の笠縫巴に祀る・・」

 右の事件は神倭朝の同床同殿の廃止という、それまで天皇が言霊の表徴である三種の神器と共に居り、
その原理に則って政治を行っていた事を廃止して、
この人間の究極原理を人間が拝む対象としての神と祀ってしまったことを意味します。
すなわち人間最高の精神文明の隠没となるわけです。

[匿名さん]

#4182013/06/08 01:56
ちなみに言霊の原理から見て人間が神に対する態度も二種類あることを説明しておきましょう。
第一は神を斎く立場であり、第二は神を拝む態度です。
斎くとは五作を意味し、神である宇宙の五つのじげんアイウエオの順を心に確認し、
神と一体となることであり、
拝むとは神である宇宙次元の内容を自覚せず自ら傀儡に成り下がり、ひたすら
神を畏怖する態度であります。
拝む(おろがむ)と愚か(おろか)とは同じ語源より発します。

[匿名さん]

#4192013/06/08 01:59
心って一般に言われている心とは違う?
身体(ミ)の部分部分にそれぞれ心がありその総体としての心?
イメージ的に身体の中心に心があるというのは認識的には違うのかな?と思った。
右手が疼くときと左手が疼くときがあるよ。


あめつち

ア眼つち

つち 土 +− バランス 調和

スレタイに合致してるかな?


結局さ 一 ヒ 火 日 ひ とかいろいろあるけど

イメージ的に火の燃えているところというかそのものをイメージしちゃえば
いいんだと思うんだよ。火の燃える色は太陽の燃え盛る色に似てるし
火を付けるという意味でははじめ 燃え盛る火の玉は魂?

三 み 水 道というのも 水が流れるのが道だし 
水そのものをイメージしちゃえばいいのかなぁ・・
と最近思ってるよ。

92(クニ)についても 国 つち? 土? 身? 

あめつちで身魂なんかな??

[風の旅人◆AnE6/hHU]

#4202013/06/08 02:06
身体の色に注目してみる。

黒・・眼 髪 毛
白・・眼
赤・・血 動脈
青・・静脈
黄・・肌色

[風の旅人◆AnE6/hHU]

#4212013/06/08 02:09
心の空間で発生した何か(ウ)を数値で表し100とすると、
(ア)主体側60 (ワ)客体側40 等に別れ人は物事を判断しているのかな。

例えば己中心でしか物事を判断できない人は主体90 客体10、
更に相手側が(ヲ)記憶5 (ヱ)知恵5 に分けられ、己から見れば更に小さな発想しかできなくなるとか。


概念的な突飛な思いつきとしてなら面白い話になりそうですが、フトマニ言霊学とは関係はありません。
自己中を90対10でみる判定基準がどこかになければなりませんが、
やはり思いつきのお気に入り概念が基準となりますので、十人十色となります。

出発点から到着点までを100として、その途中は無数の100 関数で示されますが、
どこの地点にいようと、その人にとってはどの地点も100です。
90地点のまで離れたという100、後もう少し10しか残っていないという100 です。
それらに相対感を与えるのは、通過してきた記憶のせいです。
当人にはそれでいていつでも100ですから、周りの意見など聞きません。

例えばGJVA氏にしても私にしても、文章を書いているときには、60:4090:105:5といった相対感は無く、
それぞれはりきって自分の100 を書いています。
誰でも自己中で書くのが普通です。
ところが誰かが読み出すとたちまち相対化され、
また自分で反省し出せばやはりたちまち100 が分解されていきます。

[匿名さん]

#4222013/06/08 02:13
まだよく理解していませんが、アイウエオ5次元毎で異なるのではないかと今は考えておきます。

先天構造8子音其々の考え方をクリアしても、、
禊払いにある上中底・筒の男まで行くと恐ろしい事になりますね・・・・

言霊学は自分にとっても相手にとっても、始めも100、終りも100、途中も100である方法を述べたものです。
自分にとってなら100というのは日常的に分かりますが、それが相手にとっても100となることができないのです。
これを世界人類史上最大の謎として、それを解明したのがフトマニ言霊学です。


人類の最大の謎とは、喋った言葉が相手に分かるということです。
動物次元では、物理作用と反作用の交換で了解していくわけですが、
人間の場合はそれが空気振動である言葉を了解し合っていることです。

意識の間に物理空間が介在して、その流れの構造にある、
意識の両端である私とあなたとそこを行き交う力動を、いままでは神と読んでいました。

[匿名さん]

#4232013/06/08 02:17
>人と動物の意志疎通とかも言葉学で現わされる?
>もっとあらわれさんと絡みたいんだけどなあ・・


もし飼犬がいれば、犬の食事を用意して、
日月神示を音読して聞かせてみてください。
意志疎通の条件反射か
意志疎通の学習反応か
意思疎通の了解か
意思疎通の返答行為か
意思疎通はあったのか

頓智と機智にたけたひつく主さんへ

[匿名さん]

#4242013/06/08 02:23
すまん・・
猫しかいないんだけど。。
音読して聞かせたことはあるよ
一時期音読をせがんできたけどねw
音読終わると移動して戻ったりしたから
条件反射 了承 返答行為 みたいなのはあった
あくまで主観w

動物に限らず
いいタイミングで日が差してきたり
雨が降ってきたり
そういうのがあるのよ
言霊学はそういうのまで拡張できるんじゃないかと
みつぐ主さんへ でいいのかな?

[風の旅人◆AnE6/hHU]

#4252013/06/08 02:27
>>「そういうのがあるのよ」「あくまで主観w」

自分の主観でしか証明も説明もできないのを、
でんぐり返ししようというのがひつく神示なのに、

「あくまで主観w」「そういうものがあるのよ」で
留まっているのでは、、、
日月神示って読んだこと無いでしょう。


以下は引用です。

 深層心理に起こること
私は昔、深層心理学というのを柄にもなく勉強いたしまして、
有名なユンクのお弟子さんでイギリス人の女のお医者さんに会ったことがございます。
そのお医者さんから聞いたところ、素晴らしいので今でも覚えています。

「人間の精神に関する治療学の第一原則です」と教わった。
「人間の心の表面意識がちぢに乱れた時、右に行くべきか、左に行くべきか、
もしくは、右か、中央か、左か、完全に分からなくなってしまって、
意識が錯乱した度合いが強くなれば強くなるほど、
実は人間の心の奥底ではその意識を統一しようとする力はどんどん強くなる。」

「その急進的な統一しようとするその力の意味・内容、
これを早く読み取ってそれを意識の上に上せること、
それでその対策を立てることが、その人が死ぬか、
または精神病になってしまうかを救うただ一つの鍵なんです。」

「必ず、どんなに精神錯乱の状態でもその奥にそれを逃れる、回避する、正常に戻り、
健康になろうとする意識が完全に育っている、人間と言うものは。
それをどう読み取るかが医者としての勤めです。」

ここまで引用。

[匿名さん]

#4262013/06/08 02:30
深層心理というからこれは心理学のお話しにしてしまうことでしょう
しかし、
日月神示を読んでいる方には、これが〇チョンであり、
古事記を読んでいる方には、これが御中主の神であり、
日常普通に生きている人達には、これが生きる力である、
ことを知るでしょう。


近年やっと、深層心理学は心のそこにあるものを探るようになりましたが、
古代大和では既に数千年前に体系化され、
それによって言語を創造して、社会組織を運用してきました。
それが日本語であり、ひのもと日本です。

古事記の冒頭は、神代の巻はその人類の秘宝である極意を述べています。
ttp:\/\/www.futomani.jp/kototama_ver.1/

[匿名さん]

#4272013/06/08 05:22
言戸(ことど)の渡し…心は心で判断する
Q: 先程の「心は心で判断する」というお話は、基本は以前お話のあった
「言戸(ことど)の渡し」精神と物質をはっきり分離したのだという事が原点だ
という風に理解して良いですか。

A: そうです。実際のものとしては絶対に一緒にならない。
相似形にはなります、裏表にはなりますが、イコールにはならない決してならない。
もしなったとしたら人間の思考が全部破壊される。

   いわゆる、人間は合理的に住めない事になっちゃう、
生きられない事になっちゃう。
その為に古事記は大前提として伊耶那岐の命が黄泉国に行って
伊耶那美の命の黄泉国の文化を見て恐れおののいて帰って来て、
ここからこっちは高天原、こっちは黄泉国と、
その中の道に向かい合ってそして言戸を渡す、
つまり離婚をするという格好で示されております。

[匿名さん]

#4282013/06/08 05:30
 離婚をするという事は、絶対に一緒にはならないんだよと言う宣言なんです。
本当は一体のものなんですよ。心と体は一体のものです。
だけど人間の思考のこの構造が両方一緒にしては考えられない様に
ちゃんと作られちゃってるんです。
思考が作られていますからそれを可能にする道は決して無いんです。

   ただ禅ではこの一体になっていることを一枚というのです。
そしてあなたとわたしという思考が主体と客体に分かれているのを二枚といいます。
ですが「一枚」は言葉を絶するんです。

   だから言わない。言えないのです。それで「真如」と申します。
如にして来る(きたる)。仏は如にして来る。
一枚という事は言葉を絶しているから人間の能力ではこれを表現する事が出来ない。

( また引用でした。)

[匿名さん]

#4292013/06/08 05:44
永平寺で蕎麦とゴマ豆腐食べてきたら
この返しw

やっぱあらわれさんいいわ〜w
比較対象がないと良さというのは分からないものなのですね。
ネタの離婚届が目の前に飛び込んできたときはびっくりしたよw

[風の旅人◆AnE6/hHU]

#4302013/06/08 06:45
突如こんなサイトに出会いました。

言霊(コトタマ)学の入門書で、世直しにご縁のある方たちの必読書です。

丸一冊無料で読めます。
コトタマの話 —日本人と日本語の原点— (島田正路著)

ttp:\/\/www.portal-so.jp/Bookview/bodyframe/bookID/53

[風の旅人◆AnE6/hHU]

#4312013/06/08 06:57
断片でしか読んだ事が無かったので凄く勉強になります。


こんな事をあらわれさんに聞くのは、
お門違いだというのを重々承知の上で質問させていただきます。

古事記(神代の巻)が言霊原理の教科書であるというのは、探求なされた方々の研究成果として理解できるとしても、
なぜ言霊学は竹内文書肯定を前提としているのでしょうか?
世界各地にある伝説・風習・宗教・書物等と照らし合わせると、言霊学と結びつき辻褄が合うからでしょうか。

崇神天皇の頃より精神文明から物質文明へ一旦移行させ、
極まる所で精神文明を再度呼び戻し第三文明を幕開けさせるシナリオは、聞こえが良いものでとても夢のあるお話です。
しかし言霊学関連でそう記述してあるから、はいそうですかと納得出来るものでもありません。

これからの歴史研究成果を待つ必要がありますし、超古代の話ですから誰も証明できないでしょう。
そんなこんなな状況で申し訳ありませんが、宜しくお願いします。

[匿名さん]

#4322013/06/08 11:45
>なぜ言霊学は竹内文書肯定を前提としているのでしょうか?
>超古代の話ですから誰も証明できないでしょう。

わたしも確認したいのでどのへんで「前提」していますか。

「証明できない」けれど確認はできます。
超古代以前の超超古代、人は海から上がった生物によって進化してきた、
というのは血液、汗の塩分量から、人は敵に襲われれば逃げるというのも、
人の通過してきた生物たちの習性から、確認はできるでしょう。
自分はどの親から産まれたか証明はできなくても、親から産まれてきたことは確認できます。

超古代の歴史時代もいつか証明されないとも限りません。

[匿名さん]

#4332013/06/08 11:54
言霊学は竹内文書を前提とする必要もないはずですが、関連性まで否定することもないのです。
これもいつか証明されるでしょう。
証明されなくとも確認はしたいということになりますが、これは日々日常的なことで確認できるはずです。
取り敢えずはどのような前提であるのか、その場所を知らせてもらえれば助かります。私も探してみます。

人間のやることやったことなら史実や資料がなくて証明できなくとも、
確認できるのが言霊学のいいところと思います。
(言霊学という命名は私は好きではありませんが。)

なぜ史実事跡がなくて確認できるのかといえば、
言霊学というのは人の行なう心からでる行動と考え方の原理だからです。

[匿名さん]

#4342013/06/08 12:02
例えば。
>崇神天皇の頃より精神文明から物質文明へ一旦移行させ、
とおっしゃいますが、「一旦移行させ」は、「夢のあるお話し」というのではなく、
こうして書くこと、口で話すことも、考えた意識を、ドットの光点にしたり、
空気の濃淡に変換して、「一旦移行させた」物質の形をとるから次に伝達進歩していけます。
第三文明の話も同様です。

[匿名さん]

#4352013/06/08 12:06
尺度の取り方、現象の現れの状態が様々なので迷うだけです。

疑問を出すという形も同じで、時間の流れの中で、過去概念知識によって
作られた疑問を、表出して、顕在化して、疑問が解ける解けないは別にして、
疑問への結果が得られれば、一サイクルが終了して、また元の過去概念知識と
なって、次の疑問の出所元となります。

この一サイクルが言霊学で、人間の関わること全てに共通というのが言霊学です。

[匿名さん]

#4362013/06/08 12:10
言霊五十音+五十運用法箇所を否定しているのではありません。
小笠原孝次氏、島田正路氏の言霊関連には竹内文書に関する箇所が出てきます。
それと言霊原理とどう関係するのかということでした。

言霊、あるいは呪詛という概念は、有り体に言えば、或るものの見立て方に基づく
心理操作だと言い切って良い。すなわち、この世界は自分の思惑と他人の思惑、
双方が入り混じった心の状態としてあり、両者の根本には共通する要素が二つある。
ひとつは心の土台たる人間の性情ないし人たる種ゆえの想いであり、もうひとつは
それを現実に投影仮体させるための表現方法たる言葉である。

ここでもし、自身信じ疑うことのない思いや願いと周囲の期待が寸分違わず
合一するなら、おそらく我が思惑は通じ叶うのである。逆にそこに不一致、不合一
しかないなら、それは叶わないか遅かれ早かれ挫折させられる。

ではこの一致不一致、合一不合一の別れ目は何であるのか?
それは自身と他人、その双方に向けて語られる処の言葉、その用い方にある。

言葉は、自身の願い思いと、周囲の期待感情を、ともに同じ場所へと導くための
船であり橋である。そのための適切な用い方を知るなら、その言葉は、自分に
強い信念や勇気を与え、周囲に好意と支援を呼び起こす。
そこに一致をもたらし、一致した心のままに現実を置き変えることができる。

逆に不適切な用い方を意図的にせよ、意図的でないにせよ、するなら、その時は、
我か彼か、あるいはその双方を運命の水底深く沈める働きをなす。

[匿名さん]

#4372013/06/08 12:29
ではその適切、不適切は何故に決まるか?
おおよそ物事が動き始めるときには、一定の兆しと言う物が伴う。
それは人が動くのに連れて影が動くのと同じことである。

ある定まった方向に運命が動く時、それに伴う兆しは、表面上の表れ方にさえ
惑わされぬなら、常に同じ性質を有するものでしかないことが判る。
つまり物事の変化する方向と兆しの在り方は常に一定の組み合わせとして
あるものなのである。だから兆しに応じ、その兆しをさらに適切に導き顕現を
もたらすための言葉の選び方用い方というものが各々あるのだ。

易経が解く処は、道理において観られるこの兆しに関する記述であるに他ならない。
ゆえに古の賢者は、易を知らば道を誤らずと述べている。
しかし物事の根幹を理解せぬ童蒙の如き馬鹿者共は、それを占いだと勘違いし
埒もない戯言遊びに用い延々無益な時間を浪費するだけに終わる。

おそらく、物事の道理に通暁するには天賦の優れた資質と絶え間ない久しい
世間の観察が必要になるが、それは私欲追求に慌ただしい普通の人間には
難しいことであり、また道理に契当することなしに物事の兆しを見切ることは出来ず、
ゆえに言霊と呼べるような顕著な働きを言葉によってもたらせる人間も少ない。

[匿名さん]

#4382013/06/08 12:34
>天皇は象徴として日本に存続し、定期的に国民と世界平和のために
>神道式の儀式にてお祈りをしております。
>バチカンのローマ法王のような感じでしょうか。

なでしこキャプテンを女子サッカーの象徴などと言ったらボールをぶつけられるでしょう。
血の出るような訓練と練習は象徴などではありません。
遠くから眺めているから、象徴などと呑気なことがいえるのです。

[匿名さん]

#4392013/06/08 12:37
醜か・・ありがと
自分の経験だと
悪醜と言われるような行為を本心からできてしまうことがある。
ふと我に返ったとき何であんな「こと」したんだろう?と思う
「渦」ができていることに気が付く
省みるための神による大いなる恵みだと気が付く。

敬宮 愛子内親王 御印章の五葉つつじ(五葉躑躅・シロヤシオ・マツハダ)は意味を込めて付けたのかな?

[風の旅人◆AnE6/hHU]

#4402013/06/08 12:41
基本的に皇室は、数霊と関わって縁起担ぎなどする次元にないのですが、
古事記の言霊学が開示されるまでは、数と象徴縁起にこだわることもあるでしょう。


シロ

シオ
マツ
それぞれ愛子さんの将来を暗示するものとしてとらえようとすれば、
関連づけはできますが、
五葉つつじの選択が、古事記の霊統からのものか、単なるお気に入りからのものかは
分かりませんから、その辺は何ともいえません。
例え知らず知らずの内に選んだものとしても、
霊威によって選ばされた、ともいえるかもしれません。

[匿名さん]

#4412013/06/08 12:48
俺が、もし中島知子の友達だったら、一刻も早くかの霊能者から引き離そうとしただろうなぁ。
中島知子は、偽りの中で、それなりに幸せに浸っていたかもしれない。
でも、今は財産をスッカラカンにされて、そして、洗脳が解けた時、かなり後悔するに違いない。
偽りではダメなんだよ。やがて大きな崩壊が来るから。騙された人間が悪いという話もあるが、
やはり騙そうとする人間の方が悪いし、そういう人間(詐欺師)が裁かれないなら、世の中がどんどんおかしくなる。[詐欺師の天国で、詐欺師に金を奪われた人間が貧乏で苦しむだけになる。]

このような事を書かなければいけなくなるとは思わなかったな。

[風の旅人◆AnE6/hHU]

#4422013/06/08 12:52
コトタマノマナビの
コピペばっかりだとちょっとつまんないかも。。
まあ似たようなこと俺もしてますけど。
スメラミコト達の時代にネットも本もいまみたいに大量になかった。
なのに気が付けた。ここが大事だと思うのです。
紙の発明すら2世紀なのに。

…八十禍津日の神と大禍津日の神のあいを受けたよ〜っと。
kamiの裏に母のaiあり !!!

[匿名さん]

#4432013/06/08 12:55
菊理姫(くくりひめのかみ)くくりしよみは惟神の道 
神と共に歩くよ。
ttp:\/\/ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8A%E7%90%86%E5%AA%9B%E7%A5%9E

[風の旅人◆AnE6/hHU]

#4442013/06/09 02:12
少なくとも現代の薬の主作用は平均して6割位の人にしか効かず、副作用は
全員にあり得ることは、医療の内部告発(ゲノム創薬の学術論文)からオープンに
なってきておりますことは、過去ログで度々紹介して参りました。

理由はシンプルで遺伝子の個人差(一塩基多型)によるからです。
因って将来の医療はまず個人のゲノムを調べて、主作用の効かない患者には処方
しないという方向になるかと存じます。

また細胞分裂の際にゲノムコピーにおけるエラーが癌等の原因になっておりますが、
放射能、タバコ、食品添加物、悪い想念(怒り、妬み、執着、他)はエラーを引き起こす
要因になりますので、将来のある若い人ほど注意を要します。

医療も空にて万能ではなく日々進歩しております。

以上、自称医学にお詳しいご隠居(他称)ならば、認識済みかと思料しますが。

[匿名さん]

#4452013/06/09 02:15
八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)

ヘブル語のヤハウェの頭文字ヨッド「? 」(英語のY)に勾玉の形が似ている。
また、「ヤサカ(弥栄)」は、古代ヘブル語で、「ヤハウェは偉大なり。」となる。

成功継続&保守!

マイナスの神拝むことがイシヤと手を組むことなんかな?
ついでにヤハウェ

んで渦作る。→現象化。

[匿名さん]

#4462013/06/09 02:18
標準モデルの素粒子 17種類

アップクォーク チャームクォーク トップクォーク
ダウンクォーク ストレンジクォーク ボトムクォーク
電子ニュートリノ ミューニュートリノ タウニュートリノ
電子 ミュー粒子 タウ粒子
光子 ウィークボソン グルーオン 重力子(未発見)
ヒッグス粒子

先天17だとヒッグス粒子はどれに相当するのかな・・・??

[匿名さん]

#447
この投稿は削除されました

#4482013/06/09 02:25
不可知の雲は論理の風によって吹き払わねばならない。
さもなくば直観はたわごとに過ぎない。
まず神世七代と素粒子との相応を論証すべし。
それにはクロトナの賢者の伝統をも援用せよ。

「チイキミシリヒニ」 の意味、取り扱いが分かり次第書き込みます。
暫くお待ちを。

[匿名さん]

#4492013/06/09 02:28
やはり縁起から来るものですか。
世間の古事記解釈に変化がある様子は見られませんし、まだまだ先は長そうですね。

返答ありがとうございます。

[風の旅人◆AnE6/hHU]

#4502013/06/09 02:31
ちなみに、霊的世界では、言葉は基本的に『テレパシー』で行われる。
だから、相手がどんな時代のどの国の人間であっても、自分が理解できるような言葉になって伝わってくる。
(翻訳されて伝わってくる。)
言葉が頭に入ってくるような感じだった。
だから、霊的世界の言葉が日本語のように感じたのも、やはり、俺が日本人だったからかもしれない。その代わり、小さい時だから、そんなにボキャブラリーがなかったはずなんだが・・・う〜ん。

[風の旅人◆AnE6/hHU]

このスレッドは1000件に達しました。これ以上書き込み出来ません。




HOT!オススメ! ⇒ 宗教総合/ 創価学会/ キリスト教/ 幸福の科学/

🌐このスレッドのURL