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2013/06/17 06:54
爆サイ.com 沖縄版

神道・仏教





NO.6435625

「神道」について教えてください
#2012013/06/04 06:35
 「大道頽れて仁義あり」とは中国の言葉です。これは左記の消息をよく伝えています。 
仁義とは儒教が教える人間として守るべき最も尊い道徳です。
人間精神の究極の原理である言霊の大道が隠没し、頽れたために、儒教の仁義が興ったのです。
孔子は尭・舜の治世を渇仰した人でした。覇道権力の政治の期間が三千年続いた現代に至って、そ
の仁義の道徳も見えなくなるほど人類社会の精神的荒廃はひどくなりました。
人類の存続さえ危惧される時代です。
この問題に処していくに現代の宗教や道徳は蟷?の斧ほどの力しかないでしょう。

 この時三千年の暗黒を破って、まさに不死鳥のごとく言霊の原理が蘇ってきたのです。
確固とした方策として三千年の権力闘争を基調とした物質文明を産み、
各宗教を創成した「言霊」が、神というベールを脱いで私達の手の届く所に顕れてきました。
西暦二千年を控えた一九八六年とはこういう時代なのです。

 以上言霊の発見から現代までの変遷の歴史をごく大雑把に書いてみました。
たぶん大部分の識者は荒唐無稽の空想事と笑い飛ばすことでしょう。無理もありません。
この世の中のことに処して一本の筋を通すことほど難しいことはないと覚えるのが物知りの常識となった、
この三千年の来の暗闇に浸りきってしまっている現代人なのですから。
しかしこれから説明する「言霊」の原理を、一点の妥協も許さずご自分の心の中に分け入って探求していただくならば、
その空想と笑ったことが直ちにいとも厳粛な”事実”となって一つひとつ心の底から焼きつくごとく認識されてくるでしょう。

 さあ、これから言霊の紹介と説明に入ることにしましょう。

[匿名さん]

#2022013/06/04 07:06
 人間が考えたり、しゃべったり、やったりする時、全て言葉によっています。
言葉に出さずただ考えている時でさえ、実は頭の中を無言の言葉がかけめぐっています。
言葉がない時、人間の精神活動は全く無為です。
言葉なくして人間の分化も文明もありません。
言葉はそれぞれ究極的には五十個の単音の組み合わせで成り立っています。
とすると、その五十個の単音の一つひとつは何なのでしょうか。
一見その一音一音には何の意味もなくただ人間の口が偶然に出し得る発音でしかないように思われます。
そしてその個々の組合せでできている種々の言葉、
事物の名前等も偶然と習慣で決定された社会の約束事ぐらいにしか思われてないかもしれません。

 しかし、事実はどうなのでしょうか。

[匿名さん]

#2032013/06/04 07:14
 科学者は長い年月をかけて物質世界の謎の解明に挑み、物とは何であるのか、を解明してきました。
そしてわたしたちが手に触れ、目で見える物質の、これ以上分割できない究極要素として
水素とか酸素とかの元素を発見し、それぞれに名をつけました。
さらに近代の原子物理学はそれら元素の内容に踏み入り、その先天構造内容である
電子、原子核またその内容である陽子、中性子等々の諸核子を発見しました。
物質の根本構造が完全に解明される日もそう遠いことではないでしょう。

[匿名さん]

#2042013/06/04 07:26
 今、人間が、以上の物質科学とは正反対の方向、
すなわち考える人間の精神の主体のほうこうにどこまでもどこまでも顧み踏み入って、
もうこれ以上分析することのできない根底のところまで進んだらどうでしょうか。
その時人間はその究極点に至ってちょうど五十個の人間精神の根源要素に逢着します。
人間が人間である限りその生命現象はこの五十個の根本要素の範疇領域をはみ出すこともなく、
またこの五十個以下であることも決してあり得ません。

[匿名さん]

#2052013/06/04 07:50
 遠い昔、日本人の祖先はこのことを発見し、
この五十個の根源要素に五十の清音の単音を当てはめて命名しました。
れぞれの根源要素は人間生命活動そのものであり、霊(タマ)であります。
それに言葉としての単音を名付けましたので、これを言霊=コトタマと申します。
現代の言語学者がいう言霊が、言葉の魂、すなわち言の霊であるのに対して、
ここで取り上げる言霊はあくまで言と霊の一体となったもの、すなわちコトタマであります。

 日本の昔からある言葉すなわち大和言葉は、
一つひとつの事実の実相をこの生命の本源の言霊を結合し表現することによって制定されたのでした。
例えば科学において、水が水素二原子と酸素一原子の化合によって成り立っているためH2O 
の記号で示されるのと同じように、一つひとつの事物の実相を、言霊の結び合わせによって名を付けました。

[匿名さん]

#2062013/06/04 08:37
 言霊の一つひとつが精神生命現象の確定した明白な部分部分でありますので、
その結合である事物の名前は、何らの議論の余地なくその事物の実相そのままを表現します。

すべての事物の名前を付ける基本の言葉でありますゆえ、
言霊のことを「言葉の言葉」ということができます。
また人間精神とは五十個の言霊の総合でありますので、
その五十個の言霊を順序よく並べることによって人間精神の全構造を表示することができます。
アイウエオ五十音図とは五十個の言霊の配列によって示された人間精神の構造図なのであります。

[匿名さん]

#2072013/06/04 08:40
 五十音言霊はどのような構造で精神生命を構成しているのでしょうか。
まず生命を構成している根源の内容によって五十音を区別します。
母音、半母音、父韻、(親韻)、子音ならびに ン 音です。
母音はアイウエオの五母音、
半母音はワヰウヱヲ、
父韻はキシチニヒミイリの八音、
その他に子音三十二が加わります。
( ン 音については後の項で半母音の中のウとの関連とあわせて説明することにします。)

 この内母音、半母音、父韻の計十七音が生命の先天部分です。
すなわち頭脳の中で確かに何かの発想が動いてはいるが、
まだ精神的実際現象としては現れていない間の構造と機能です。

それに対して、初めて現実相として現象した後天の最小要素が三十二個の子音であります。

 以下それぞれの音の生命の内容を簡単に説明しましょう。

[匿名さん]

#2082013/06/04 14:15
晴れた日の夜空をじっと見上げていると沢山の星が瞬いているのが見えます。
さらに見上げていますと、それらの星が浮かんでいる広い広い考えも及ばないほど
広い宇宙が眼に迫っていて畏怖の念にうたれることでしょう。
これが物質的な外界の宇宙です。

今度はその場で目を閉じて思いを自分の心の中に向けてみましょう。
ここにもいろいろな思い、意識、欲望、記憶、感嘆、道徳観等々が、ちょうど夜空に星が浮かんでいるように
現れては消えて行く心の内面の広い広い宇宙が存在していることに気付かれることでしょう。
これが精神的宇宙です。

[匿名さん]

#2092013/06/04 14:18
さらにこの心の宇宙に起こる自分の精神現象を見つめていきますと、
この精神宇宙というのは単純な唯一の領域の構造ではなく、
五つの別個の拡がりの積み重なりであることと、
そしてその重なり方が単に五つの段階の並列と言うのではなく、
一つの段階が完結した時、その点から次の段階が始まり、またその段階が完結した時点で次の段階が始まる、
というように各次元段階の五層の重層という構造を持っていることが分かってきます。

このような心の宇宙を母音で表し、また五つつのそれぞれの次元空間をウオアエイの五母音で表します。

 五母音を実際に発音してみて下さい。どの音も息の続く限り同じ音が続き、変わることがありません。
もちろんこの五つの宇宙は、そこからそれぞれの空間特有の精神現象が現れてきますが、
その宇宙自体は決して現象とはならない先天性の永劫不変の実存です。

 しからば五つの母音で表される宇宙とはそれぞれどんな空間なのでしょうか。

[匿名さん]

#2102013/06/04 14:21
人間が母親の胎内から生まれ出て産声を上げ次にすることはお乳を呑むことです。
赤ちゃんは教えられることなく乳房をすいます。
これは生来人間に備わった欲望本能です。
これは人間の最も幼稚な機能であると同時に最も初発的な働きでもあります。

この欲望の根拠ともなっている根源の宇宙を言霊 ウ といいます。

眼耳鼻舌身と仏教でいう五感認識も結局この次元に入りましょう。
赤ん坊が次第に成長して大人となり、美味なものがほしい、肩書がほしい、
大臣になりたいと思うその欲望も言霊 ウ次元のものです。

この次元の内容をよく表現する漢字を挙げますと、生、有、産等が考えられます。
産業活動はこの次元に属します。

[匿名さん]

#2112013/06/04 14:24
赤ん坊から次第に成長し、物心かついてくると、人間は自分のしたこと、見たことを振り返って考えて、
それはどんなものをどんな順序で繰り返せば同じような結果を
手にすることができるのかを記憶するようになります。

この記憶とその整理の働きの根本宇宙を言霊 オ というのです。

この機能の高度に発達したものが一般に学問科学といわれているものです。
抽象的概念による経験事項の把握表現の世界です。
この言霊オの意味を漢字で拾うと、尾、緒、等が挙げられましょう。

 「余韻か尾を引く」、とか「生命の玉の緒」などの言葉があります。
過ぎ去ったものの記憶の働きとか関連とかいう意味です。

[匿名さん]

#2122013/06/04 14:27
人間は喜怒哀楽の感情を繊細に表現します。

 この感情の世界は、欲望の世界とも記憶の世界とも様相を異にした世界です。

この根源の宇宙を言霊 ア といいます。

 「ああ」は感嘆の言葉であり、阿弥陀、アーメン、アラー等のアは国際的にも共通した感情音です。

 この言霊アの次元から宗教、芸術活動が出てくるのです。

[匿名さん]

#2132013/06/04 14:30
以上の三つの宇宙から現れる心の現象は、それぞれ勝手に自己主張をします。
欲望、記憶、感情は時には相剋し、時には協調します。
心の葛藤が起こります。

この時、この葛藤しているものをどのようにまとまった行動にするかの選択に迫られます。
感情の赴くままにするか、純粋に過去の記憶の通りに動くか、欲望を先にするか、

その按配をどうするかの選択の機能の根源宇宙が言霊エであります。

 ”エ”らぶ現象がでてくる根源の世界です。

 ともするとこの機能は言霊オである記憶・整理の世界と混同しがちでありますのでご注意下さい。

 言霊エの世界は社会的に見れば道徳とか政治の根本機能が発言する宇宙であります。

[匿名さん]

#2142013/06/04 14:33
この次元は他の四つの次元(言霊ウ、オ、ア、エ)に根底において力動を与え、
統合し、その現象を言葉にして表現する人間意志の根本宇宙です。

人間生命の根源である創造意志の実体となる世界です。

この言霊イ次元は最も理解がむずかしいところでありますがのちほどもっと詳しく説明されるでしょう。
人間に生きる根源意志があって初めて他の四次元が現象を産むのであります。
この言霊イに漢字を当てはめると、生、胃、位、居、意等が適当でしょう。

 以上で母音の五つの次元を最も幼稚な次元から高位な次元へとその内容を感嘆に説明しました。
この五つの宇宙がそれぞれに特有の無言、無音の力動で充満し、しかもそれ自体は決して現象として現れることのない実在です。

人間の精神機能はこの五つのせかいにおいて働き、この五つ以外の世界は存在しません。
人間の心はこのウオアエイ五次元の重畳を住家とします。
それゆえ人の住む所を大和言葉で五重(いえ)、すなわち、家、というわけです。

[匿名さん]

#2152013/06/04 14:42
ウオアエイ五母音が精神宇宙の主観方面の極限に自覚される純粋の主体であるのに対し、
ウヲワヱヰの半母音は同じく精神宇宙において客観の方面に局限された純粋の客体ということができます。
母音も半母音も精神の先天的なもので、
現象を現象足らしめながら自体は決して現象界に現れることはありません。

母音と半母音とは自と他、主体と客体、出発点と目的点、吾と汝という関係です。
例えば アとワ とは吾と我(古代大和言葉では吾をア、我をワと呼びました)、
そして二者の交渉で種々の現象を産み出しますが、
吾も汝も共に純粋の主体と純粋の客体として自らは決して現れないのです。

 あまり概念的説明に傾くと理解が難しくなります。例を引きましょう。
朝が来て目が覚めた時を創造して下さい。
初めは目が覚めて明るさを感じるものの、眠りの気分が半分残っている状態です。
意識の内部でぼーっとしながも何かが目覚め出したといった状態、
何かが”ある”、または何かが動くといった状態、これが言霊ウであるといったらよいでしょう。

[匿名さん]

#2162013/06/04 14:45
目が覚めた瞬間は何もない状態、その次に何か心の奥で動き出した状態、
この流れを図で示しますと左のように書くことができましょう。(図は省略。以下同じ。)
それゆえ、ウの字に漢字を当てはめるとすると、有、生、産、動などが適当でしょう。(図2) ○→○にチョン


 京都の大徳寺の一室に「梅花破雪香」(梅花雪を破って香ばし)の軸が
掛かっていくのを感心して見たことがあります。
冬の白雪一面何も見えないところに春の息吹の初発の気であるウの芽まは目として咲く花、
その花を大和と言葉ではウメと名付けました。

 心の奥に何かが動きしたとう状態から意識がさらに目覚めてきます。
すると前に何やらあるなぁ、と感じてきます。
前に何かあると感じると同時にそれを見ている自分の存在に気が付きます。
前にあるものがまだなんであるかは分からない。けれど何かがある。
と同時にそれを見ている自分の存在に気が付く状態となります。
心の中に何やら動くものが、ここで主と客に分裂するのです。
この間の消息は次のように図に描くことができましょう。(図3) ○にチョン→○の中にア・ワ

[匿名さん]

#2172013/06/04 14:48
はっきりしたわけではないけれど、一つのウという心の宇宙が見るものと見られるものに分かれた時、
見る側が言霊アであり、見られる方が言霊ワであります。
このようにそこに何かあると思う時、事物は必ず主体と客体に分かれます。これが人間の宿命です。
このことは全く当たり前のようにおもわれるかも知れませんが、
実は人間生命の創造活動の最初の重要な法則であるのです。
事物が主と客とに”分かれる”ということは、それが何であるかが”わかる”
すなわち人間が理解することと同じ意味であるかです。

 中国の老子の言葉はこの消息を「一二を生じ、二三を生じ、三万物を生ず」と数理で示しています。

 再び大徳寺の話に戻りましょう。
「梅花破雪香」の軸の掛かった部屋の隣の部屋に
それと同じ書体で「余座聴松風」の軸が掛けてありました。
また関心しました。「余座に松風を聴く」とは何を表徴した詩なのでしょうか。
「余座」とは次の座ということです。何に体して次というのかというと、
心の宇宙に何かあると感じる初め、言霊ウの次ということで、それは主と客に分かれる時のことです。

[匿名さん]

#2182013/06/04 18:40
松の葉は根元から二つに分かれています。松葉の形です。
「松風を聴く」とはこの主と客に分かれていることを極めて詩的に表現したのです。
いつの時代にか大徳寺に偉い坊さんが居て、
座禅によって人間生命が創造を始める最初の精神構造を悟って、それを詩の文章に表現したのでしょう。

 意識の目覚めがさらに進んだとしましょう。はて前にあるものはいったい何であろう、と考えます。
この時記憶が呼び覚まされるのです。この記憶を呼ぶ主体が言霊オであり、
その結果「ああ、あれでよかったのか」と呼び覚まされた対象が言霊ヲであります。
次にきょう起きてから何をしようかなと考えてきます。
いろいろなことが実行可能です。そのうち、きょうは、よし、これをすることにするか、の選択的決定をします。
 この選択の主体が言霊エであり、選択される純粋客体が言霊ヱであります。

以上で母音ウオアエと半母音ヲワヱが出揃いました。これまでのことを図で示しますと次のようになります。
人間の意識の目覚めはこの順で行なわれます。(図4) ○→ウ→アワ→オエ・ヱヲ
 


>「ラリルレロ」には軽やかで、しかも、まろやかな音調がある!

そうですね。音調、音韻、響きなどいろいろな角度から見ていけます。
軽やかでまろやかな心の動きが、心のら行になるのを捉えようとしています。

[匿名さん]

#2192013/06/04 18:55
母音・半母音のうち残ったのは言霊イとヰです。
前にも言霊イ・ヰの理解はなかなか難しいと申しました。
なぜなら、これが、「現象が起こる」ということが実際にはどういうことなのか、という事実認識の根本に関係しているからです。
誇張でも何でもなく、過去数千年の間、各宗教、哲学その他種々の精神探求が真理の究極の目標とし、
しかもいまだ解明することができないでいる、人間精神の最終の命題であるからなのです。
いまその課題を言霊イ・ヰの立場から説明していきましょう。

 ここに一本の木が立っています。この立っている、ということはどういうことなのでしょうか。
立っていると見ている人がいなければ立っているか否かが分かりません。
また木が物として存在しなければ見ることができません。
現象があるというのはこのように見る主体と見られる客体双方に関係します。
現象の認識は単に物があることを見る、五感認識言霊ウばかりとは限りません。
体験認識の体系化である言霊オの次元、感情界のアの次元、
事物の選択に関する道徳、政治等々の高度の次元にも起こります。

[匿名さん]

#2202013/06/04 19:00
これら全ての現象において純粋の主体であるアオウエと純粋き客体であるワヲウヱはどういう経緯で現象を産むのでしょうか。

 例えばここに鐘があります。棒で突きます。鐘が振動して空気を震わせます。
空気中に波動が起こります。しかしこの波動自体がゴーンという音を立てているわけではありません。
その波動が人間の耳に入った時、初めてゴーンという音に聞こえるわけです。
鐘自体は無言の波動を出しているだけです。
客体である鐘の発生する波動と、主体である人間の認識知性の波動とがぶつかって、
双方の波動の波長がある調和を得た時、すなわち感応した時、初めて人間は鐘がゴーンと鳴ったのだと認識するのです。

同じように大空の虹はそれ自体七色を発しているわけではなく、七種の光の波動を出しているだけです。
その波動が人間の知性の主体波動とシンクロナイズする時、七つの色の虹として主体の側において認識されるのです。

[匿名さん]

#2212013/06/04 19:24
このように、アとワ、オとヲ、ウとウ、エとヱ、イとヰがシンクロナイズしてそれぞれに現象を産むためには、
それぞれを結びつける懸け橋となるものが必要です。
この役目をするのがキシチニヒミイリの八つの父韻なのです。
純粋な主体と客体を結び付ける人間知性の根本韻律はこの八つより他にはありません。
客体から発する波動は科学的に計測される波長を持った波動エネルギーです。
それとシンクロナイズして、あらゆる現象を産み、認識する人間の主体側の原律が八つの父韻です。

 先に五母音の説明のところで、言霊ウの世界から次第に次元の重畳を登り詰めて
最後は言霊イに至る時この世界が生命創造意志であることをお話ししました。
ここで自分の心の中を考えて見ますと、
この生命創造意志の世界が他の四つの次元ウオアエの世界の現象を産む原動力であることが理解されます。
欲望の世界である言霊ウも、経験知の世界の言霊オも、言霊アの人間感情も、
言霊エの選択や道徳の世界も、生命の創造意志が働かない限り、何の現象も萌すことはないでしょう。

[匿名さん]

#2222013/06/04 19:29
欲望が起こるのも生きる意志があってです。
経験を成り立たせる好奇心も、哀しいうれしいの感情も、いまここでいかなる道に進むかの選択も、
すべて創造意志が縁の下の力持ちとして働いて初めて出てくるものです。

 言霊イは他の四つの次元の基礎であり、原動力です。
このすべての現象を起こす原動力である創造意志言霊イの実際の働きである八つの父韻が、
それぞれどんな韻律で働くかは後程生命されるでしょう。

それにまた”現象が産まれた”ということは実際にはどういうことなのでしょう。
「赤い花が咲いた」というのは現象です。この時そのことを認識する人間が存在しなかったら、
それは現象であったかどうか分かりません。
また見る主体としての人間がいてもそのことに「赤い」「花」「咲いた」というそれぞれの事物に名前がつけられないならば、
ただ「アーアー」というばかりで現象にはなり得ません。創造とは名を付けることです。

[匿名さん]

#2232013/06/04 19:34
以上の三つのこと、すなわち、

一、現象としては現れない純粋主観と純粋客観との間の懸け橋として、
母音ウオアエ、半母音ウヲワヱを結ぶ
父韻キシチニヒミイリと展相して現象である子音を産み、

二、五つの母音の長として他の四音を統轄する働きをし、

三、同時に、それに名前を付ける根本の名(名の名)としての役目を果たす、

それが言霊イと言霊ヰであります。
この三つの作用こそ人類文明創造の根本原動意志であります。
であるからこそ、母音・半母音であり、また、父韻キシチニヒミイリとして展相する実体
でもある言霊イ・ヰを、五母音のなかで特に親音と呼ぶのです。
人類文明の創造主なのであります。

[匿名さん]

#2242013/06/04 19:37
 以上で母音・半母音・父韻・親韻と出揃っていよいよ言霊子音の誕生となるのですが、
今までに人間の意識がだんだん目覚めて行く過程で説明した音の図形は次のようになるでありましょう。

図5。     

 人間が眠りから目覚めて、何だか分からないが、何かが発生し動きだしたなという漠然とした意識から始まって、
頭の中で形にはならない先天部分の各段階の経緯を経て、
人間知性の原律である八父韻の働きかけがあり、
最後に人間生命の創造意志が最底部で発動して、
初めて心の現実の現象の最小要素である言霊子音が誕生する経過は以上のようなものであります。

[匿名さん]

#2252013/06/04 20:17
 この図形の原理が、大昔、中国に興った易経によって数理に置き換えられ、
人生における現象の予知とそれに対する心構えが説かれました。
それを左に示します。
原理の交流の経緯やその歴史的意義などついてはのちほど詳しく説くことにいたします。

図6。7。(ここに八卦図。太極図。)

 ついで大和言葉命名の面白い例を申し上げましょう。
先の意識の目覚めの図形で、言霊ウからア、ワ・・・・と始まり、十六番目の言霊イに至って初めて、
人間創造の意志が働き現象を産みます「イザ」と意思が加わります。
十六番目でイザです。それゆえ十六夜をイザヨイと呼ぶのであります。

[匿名さん]

#2262013/06/04 20:21
朝、目が覚めてまだ夢うつつの状態から次第に意識が
はっきりしてくるけれどまだ現実には何々と行動が起こらない期間、
すなわち頭の奥で目覚めの活動が何やら活発に始まろうとする先天の部分、
それが言霊ウからア・ワ・オ・ヲ・エ・ヱ・、キ・シ・チ・ニ・ヒ・ミ・イ・リ・、イ・ヰ・、
という十七の言霊で示されました。

そこで十六番目と十七番目のイ、ヰ の親韻の協同作業によって
イザと現象創造意思が具体化されてきます。
親は子を産む事となります。
現実には、父である八つの父韻と、母である母音のうち言霊イを除いた
ウオアエ四母音の相乗で、8×4=32 の子音が生まれ出ることになります。

例えば父韻チ×母音アは チア ですが、
ちちいんはあくまで実在でなく知性の律韻でありますから英語アルファベットの T で現すとよく理解できます。
すなわち TxA=Ta となります。

[匿名さん]

#2272013/06/04 20:28
同様に父韻ミ×母音オは MxO=Mo で子音モが生れます。
こうして生れた三十二の子音はその一つ一つの子音が父と母の性質を共に受け継ぎながら、
しかも父とも母とも違った独立した実相を備えています。

父母の先天から子として後天が生れたわけです。
この子音は生れたばかりで無垢な赤ん坊のようなものです。
後天現象の最小要素または元素です。
これが複雑に結合して実際の心的現象すなわち言葉が作られていくわけです。
言葉の元の単位の言葉を言霊と呼ぶのです。

意識が目覚めていく自然の様子を母音の順に記しますと、ウアオエイとなります。
これを縦に書き、父韻キシチニヒミイリを横にとって五十音図を書いてみると、
母音、半母音、父韻、親韻、子音の意義が比較的容易に理解できますので、
見なれないかもしれませんが下に一つの五十音図を掲げます。

図8。

[匿名さん]

#2282013/06/04 20:56
主体と客体とを結びつけて現象を生む人間知性の原律である父韻には八つの種類キシチニヒミイリが
あることを先にお話しました。この知性の原律とはどのようなものなのでしょうか。
八父韻は二つずつ組み合わさって陰陽または正反をなし、それが四組あります。
チイ・キミ・シリ・ヒニであります。
しからばそれぞれはどんな働きをするのでしょうか。

実はこれを表現し理解していただくことは非常に困難なことなのです。なぜなら父韻の
原律とは人間の心の最も深い所で創造意志が四つの母音に働きかける一瞬の力動なのですから。
本当に理解し体得するには、自分自身の心の中で、実体験で確認するより方法はないわけです。
そうはいっても何も参考になることが無くてただ把握せよといっても無理ですから、
参考例を次に掲げておきましょう。

チ・精神宇宙全体がそのまつ現象発現に向って動き出す端緒の力動韻。
イ・動き出した力動が持続する韻。
ミ・精神宇宙の中に己にある自己の体験内容に思いが結びつこうとする力動韻。
キ・反対に体験内容を自我の方向に掻き寄せようとする力動韻。
シ・精神宇宙にある精神内容が螺旋形の中心に静まり収まる力動韻。
リ・シとは反対にある精神内容が宇宙の拡がりに向ってらせん状に発展拡大していく力動韻。
ヒ・精神内容表現が精神宇宙球の表面に完成する韻。
ニ・その反対に物事の現象の種が精神宇宙の中核に煮詰まり成る韻。

[匿名さん]

#2292013/06/04 21:19
さらにこの八つの父韻について参考にして頂くために、私の言語学の師であった小笠原孝次氏
ならびにそのまたしであった山腰明将氏(共に故人)の八父韻説明を付け加えておきましょう。
・・小笠原氏・山腰氏
チ・創造・・・陽出力
イ・繁栄・・・飛至力
キ・収納・・・陰?力
ミ・整理・・・旋回力
シ・調和・・・透刺力
リ・滲透・・・螺婁力
ヒ・開顕・・・開発力
ニ・成熟・・・吸引力

以上八父韻それぞれについて説明を加えましたが、どれをとってもやはり概念的説明に留まってしまいます。
これ以上の立ち入った説明は、どうしたら言霊の理解を深め、体得することが出来るかの方法を
申し上げるところで詳しくお話しすることにしましょう。

[匿名さん]

#2302013/06/04 21:44
商人と学者が、または学者と芸術家が、社会的な事件などについて口角泡をとばして
議論をしている光景を時々見かけます。いつまで経っても意見はすれ違ってしまい、
まとまることがありません。これはどちらかが正しくて一方が間違っているためというよりか、
双方の意見のよってたつ次元が異なるための場合が多いようです。

商人はウ言霊の次元に、学者はオ次元に、芸術家はア次元に、、立っていて、
お互いに相手の立つ次元を理解しかねているのです。

このように、住む母音の次元を異にしますと、考え方がそして使用する言葉自体が、違ってきます。
この相違を言霊からみるとどいうことになるのでしょうか。

住む母音の世界が異なりますと同時にその意見き発想目的ばかりでなく議論の進め方まで違ってきます。

この場発想の根元は母音に、目的は半母音に、あたります。
そして発想から目的に至る経過が懸け橋である八父韻で現されます。

[匿名さん]

#2312013/06/04 21:49
母音に働きかけて現象を生む人間創造意志がどのような韻律の順序で
発動されるかによって現されるのです。

そして母音の各次元にはそれぞれ特有の父韻の配列を持って表される目的追求の方法のリズムが具わっています。
その内容の詳しい説明は後に譲ることとして、その次元特有のリズムである父韻の配列を書きますと、
次のようになります。

ウ 欲望の次元 キシチニヒミイリ (かさたなはまやら)
オ 経験知次元 キチミヒシニイリ (かたまはさなやら)
ア 感情の次元 チキリヒシニイミ (たからはさなやま)
エ 選択の次元 チキミヒリニイシ (たかまはらなやさ)

[匿名さん]

#2322013/06/04 22:10
五十音図といいますと一般には小学校のときから教えられたアイウエオが唯一のものと思われていました。
なぜ縦にアイウエオと並び、横にアカサタナハマヤラワと並べるのか、
ただ教えられたからそう覚えて使っているだけです。

そもそも音図とは何なのでしょうか。巻頭序の書き出しの答は次の通りです。
先にお話ししてきましたように人間の精神は全部で五十個の最小単位の要素から成立しています。

五母音、五半母音、八父韻、三十二子音です。
これで全部ですし、これ以上でもこれ以下でもありません。
大昔、日本人の祖先はこのことを探求解明し、同時に、この五十音をどう配列したら、
言い換えますと、人間がどのような心の持ち方、どのような精神構造であったら、
理想なのであろうかということを解明したものが五十音図なのです。

この場合、心の住む次元、すなわち母音を右側に配列します。
そして人間の最も行動の眼目となる次元を五母音の中心に位置させます。

例えば、商売行為の眼目には欲望であり言霊ウです。
しかし商人の世界が欲望、言霊ウであるとはいっても、
商人に経験知、感情、道徳心等々がないわけではありません。

[匿名さん]

#2332013/06/04 22:19
ただ商人は商売をする時、言霊ウ以外の次元はウ次元の目的を達成するための道具に使うことにとなります。
その道具に使う他の四次元の中で大切な道具ほど仲側から配列して行きます。

そうしますとウ言霊中心に生きる人の心の母音体系は、上より、アイウエオと並びます。
そしてウ次元の欲望を達成するための意志の運び方、すなわち母音と半母音とを結ぶ懸け橋である八つの父韻のの配列は、
先に述べましたようにキシチニヒミイリであります。

以上のことを総合して五十音図を作製しますと下図のごとく私達が常に使っている五十音図を得ることになります。


言霊 ウ
アカサタナハマヤラワ
イキシチニヒミリヰ
ウクスツヌフムユルウ
エケセテネヘメエレヱ
オコソトノホモヨロヲ

しかしながら右の道理をそのまま進展させますと、この音図のほかにさらに四つの音図がある勘定になりましょう。
すなわち言霊オ、ア、エ、イを主眼目にした心構えを表す精神構造の音図です。詳しく言えば、

言霊オである経験知、一般に科学的探求に必要な心構えの音図、
言霊アである芸術宗教に備わった感情構造の音図、
言霊ウオアの次元の事象をどのように選択していくかという、一般に道徳、政治に必要な言霊エである心構えの音図、
さらに言霊イである、精神の深奥にあって他の四つのの次元の原動力となる人間意志そのものの音図、

これらの四種があるはずです。

[匿名さん]

#2342013/06/04 22:27
この四種類の音図を簡単に書くと40頁の図15〜図18のようになります。

言霊 オ
アカタマハサナヤラワ
イキチミヒシニイリヰ
オコトモホソノヨロヲ
ウクツムフスヌユルウ
エケテメヘセネエレヱ

言霊 ア
イチキリヒシニイミヰ
エテケレヘセネエメヱ
アタカラハサナヤマワ
オトコロホソノヨモヲ
ウツクルフスヌユムウ

言霊 エ
アタカマハラナヤサワ
イチキミヒリニイシヰ
エテケメヘレネエセヱ
オトコモホロノヨソヲ
ウツクムフルヌユスウ

言霊 イ
ア・・・・・・・・ワ
オ・・・・・・・・ヲ
ウ・・・・・・・・ウ
エ・・・・・・・・・ヱ
イ・・八父韻・・・・ヰ

[匿名さん]

#2352013/06/04 22:38
昔の日本人は右に図示した音図のうち、言霊オを中心としたものを赤珠音図(ア段が横にアカタマと続くため)、
言霊アを中心としたものを宝音図(ア段の二番梅からタカラと配列されるため)、
言霊エを中心眼目としたものを天津太祝詞音図(アマツフトノリトオンズ)、
言霊イのものを天津菅麻音図(アマツスガソオンズ)、と呼んでいました。

また先に掲げた言霊ウが中心となった音図を天津金木音図(アマツカナキオンズ)と申します。
現在はなぜ言霊ウを中心とした天津金木音図のみが一般に伝わり教えられているのでしょうか。

それはここ二千年ほどの間、世界の歴史は人間が持つ五つの性能の内で第一に言霊ウが独走する時代であったからです。

[匿名さん]

#2362013/06/04 22:45
それはここ二千年ほどの間、世界の歴史は人間が持つ五つの性能の内で
第一に言霊ウが独走する時代であったからです。

言霊ウが他の次元の人間性能と調和が保たれない時、
招来する社会国家の世相は弱肉強食の権力思想に塗りつぶされてしまうこととなります。
言霊ウを眼目とする音図こそ現代社会にとって最もぴったりした音図ということができるでしょう。

なお言霊イ中心の天津菅麻音図のみは、縦の母音、横の父韻とも、
その配列が先に述べた配列法則と異なります。
それは言霊イ、すなわち人間の根本意志は他の性能の底に働いて現象を生起させますが、
意志自体は現象としては現われないからです。
そのため母音配列と八父韻の順序は定まりません。

生れたばかりの素朴な状態の意味で
スガスガシイ麻または衣と名付けられたわけです

[匿名さん]

#2372013/06/04 22:56
五つの母音、五つの半母音、八つの父韻(以上先天)、ならびに三十二の子音(後天要素)が確定しました。
ということは人間の精神生命宇宙の構造が解明され、さらにその宇宙のそれ以上分解することのできない最小要素それぞれに
一音一音に名が付けられたということです。

この最小要素とその名前が一体となって宇宙の全ての事象が文明として創造されるわけです。

その要素とは名であり、なとは存在それ自体です。
霊である言、言である霊であります。
この五十音を言霊というわけです。

精神宇宙は究極的にこの五十個の言霊によって成立していてそれ以上のものは存在せず、
それ以下であることもないわけです。

[匿名さん]

#2382013/06/04 23:15
そしてこの五十個の存在要素の意味を駆使して宇宙全体の事物に名を付けました。
古代大和言葉の創造です。

命名の基本である五十音は、宇宙の構成要素としてその一音一音に意義と帰納が確定されたものでありますから、
その五十音それぞれを組み合わして付けられた名前は完全純粋にその事物の真実の姿を表現しています。

名前がすべてでその他に注釈を加えたり、その意義に議論をする必要がないものです。
この間の消息を昔の人は 「この日本は惟神言挙げせぬ国」 などと称えました。

それは、この大和言葉は惟神(カミナガラ)、すなわち人間思惟の先天ならびに後天の最小要素によって名付けられた言葉であって、
その言葉自体が事物の実相を現しているから、その上のくどくどしい概念的説明は必要としないのだという意味です。

[匿名さん]

#2392013/06/04 23:20
それを言葉の意義を忘却した為政者が、「お上の命令にはただハイハイト黙従していけば決して誤りなく正義が行なわれる国なのだ」
などと暴言を履く仕儀にまでなってしまったのでした。

例えば次のようなことを挙げることができます。
聖徳太子の十七条の憲法に、「和を以て貴しとなす」とあります。なにげなく読めば、仲良しは大切だ、ぐらいにしか考えられません。
しかし、これが言霊の立場から捉えますと決定的完結的な意味がでてきます。

和はワです。また輪○です。
ある点から二つの反対方向に別れてやがて究極にまた一致することです。
また、ワは純粋客観であり結論です。
ここに二人の仲のよい友達がいました。
ある時二人の間に利害の対立する問題が起こりました。
ふたりはとことん議論しました。意見はどうしても噛み合いません。もう絶望です。
その時友情が蘇ったのです。二人の見つめ合った目と目とに笑いがこぼれたのです。
それからの話し合いはスムーズでした。どうしたらお互いによいかの結論はすぐ出ました。
友情の輪は以前にもましてかたく結ばれたのです。
始まりからいったん別れて結果として結ばれる輪の完成です。

[匿名さん]

#2402013/06/04 23:24
この意味での輪が真の「和」であります。
この意味で言霊ワを知った人は常に和でいられるわけです。
ある主義者が主張する「われわれは平和を闘いとろう」などという言葉が
いかに空虚で平和の心からかけ離れたものであるか、お分かり頂けると思います。

和を知っている人は、心は出発から和で始まるのです。
常に和なのです。それが言霊ワの一音の意義であります。

以上のように一音が決定的な意味を持ち、それぞれの音が物事の真実の姿に合うように組み合わされて
名がつけられていきます。
事物の名付けの限りない発展とその伝承が文明にほかなりません。

[匿名さん]

#2412013/06/04 23:28
初めまして。言霊学を調べている最中に気づいた事で2つ質問があります。

1.天津磐境の八父韻の並びが、島田正路氏の言霊学の本と
コトタマ学会報バックナンバーで若干違うのですが理由があるのでしょうか?

島田氏の本
 ヲ    ヱ    エ   オ
/\  /\  /\  /\
リ イ  ミ ヒ ニ チ  シ キ
\     /  \     /
  \  /     \  /
   ヰ         イ

コトタマ学会報
 ヱ    ヲ    エ   オ
/\  /\  /\  /\
ニ リ  ミ イ ヒ シ  キ チ
\     /  \     /
  \  /     \  /
   ヰ         イ

2.言霊オ次元 母音の並びが異なります。

島田氏の本  「アイオウエ」
コトタマ学会報「アイオエウ」



「若干違うのですが理由があるのでしょうか?」
若干ではなく、根本的に違うのです。
分かりやすい言葉で言えば、次元が違う、になります。


私も当初は分かりませんでした。
配列の違いを見て、間違いを見つけた気にさえなりました。
今はそんな知識を持つことの恥ずかしさがあります。

はっきり言って私にも分かりません。
ボヤァーっという見当は付くといったところです。


アイウエオの配置図が幾つもあります。
( 現在の五十音図はその内の一つを現わしたもの。
学校で教わらなかった、どこの文献にも、どの学者も言っていない、
などと言う事は心配しないでください。
フトマニ言霊学は全世界のどんでん返しが相手です。)

古代大和のスメラミコト達が数世代の努力を重ねて完成したものです。
気付いただけの疑問が解決すれば、いいと言うだけのものではありません。
私など分からないところがじっくりたくさん増えていくのが、楽しみなくらいです。


#2422013/06/05 05:09
以上言霊五十音を順に母、半母、父、親、子に分けて
それぞれが人間精神宇宙の中で占める構造位置とその生命上の意味について説明してきました。

まことに大雑把ではありましたが、日頃私達が無意識に使っているアイウエオ五十音図も、
ただ何の深い意味もなく覚えやすいように並べてあるのではなく、
それぞれの一音一音が他とは替えることのできない決定的な意味を持ち、
また五十の集合によってそれぞれ次元の相違する心の構造を表現するものであることを
了解して頂けたものと思います。


88 :言霊による宇宙とは。:2011/11/05(土) 08:35:08.80 ID:gkZEyTZG
最初にお話しましたように、眼を開けてみる物質的客観宇宙は、目の前のミクロの世界から、遠い、遠い、
膨張し続けるといわれる宇宙すなわちマクロの宇宙まで続いています。

そして今私達が地上から真上に真直ぐに飛び出して超高速に限りなく飛び続ければ、
ちょうど飛び出す時と反対の方向から元の場所に帰って来てしまうということがよくいわれます。
宇宙は無限ということの概念的神秘がここに考えられるでしょう。

それとは全く逆の方向に、眼を閉じて内なる主観的精神宇宙について言えばどうでしょうか。
この広大な主観的精神宇宙も極めて具体的に要約して考えてみれば、

人間の意識が何も起こらない時、すなわち空なる宇宙そのものの中に、
初めて現われる意識の萌芽であるウに始まり、
アワ、オエヲヱ、ヒチシキミリイニ、イヰ の先天部分が頭脳の中で働き、

[匿名さん]

#2432013/06/05 05:32
最初にお話しましたように、眼を開けてみる物質的客観宇宙は、目の前のミクロの世界から、遠い、遠い、
膨張し続けるといわれる宇宙すなわちマクロの宇宙まで続いています。

そして今私達が地上から真上に真直ぐに飛び出して超高速に限りなく飛び続ければ、
ちょうど飛び出す時と反対の方向から元の場所に帰って来てしまうということがよくいわれます。
宇宙は無限ということの概念的神秘がここに考えられるでしょう。

それとは全く逆の方向に、眼を閉じて内なる主観的精神宇宙について言えばどうでしょうか。
この広大な主観的精神宇宙も極めて具体的に要約して考えてみれば、

人間の意識が何も起こらない時、すなわち空なる宇宙そのものの中に、
初めて現われる意識の萌芽であるウに始まり、
アワ、オエヲヱ、ヒチシキミリイニ、イヰ の先天部分が頭脳の中で働き、

[匿名さん]

#2442013/06/05 05:50
それが後天として具体的形となり言葉として発音され、
その音が空中を飛んで自分または他人の耳に入り、
また頭脳の中に進入して再検討され了解されて先天の宇宙に帰り、
記憶として頭脳内に印画されます。

精神宇宙を言霊の立場から最小限に要約すると
上記以外のものではないことが明かに理解されます。

大昔の日本人は言霊の原理に到達して、
この最小限要約の宇宙に起こる精神現象の機能順序を言霊によって表現することに成功しています。
詳しい説明は後に譲りますが、今はその作用を現す言霊の順序を示すことにしましょう。

[匿名さん]

#2452013/06/05 05:53
(先天十七)
ウ・・
アワ・・
エオヲヱ・・
ヒチシキミリイニ・・
イヰ・・

( 後天三十三)
− タトヨツテヤユエケメ
− クムスルソセホヘ
− フモハヌ・ラサロレノネカマナコ
− ン

(計五十)

[匿名さん]

#2462013/06/05 06:22
人間精神の究極の原理としての言霊の学問はいったいいつ頃発見確立されたのでしょうか。

詳しいことは今後の研究、立証を待つより他はありません。
けれども少なくとも現代の歴史学者や言語学者が日本の歴史について主張しているよりは
遥か以前の出来事であったことは間違いないようにおもわれます。

なぜなら現在私達が日常使っている日本語の内の大和言葉というのはすべて五十音言霊の原理によって
決定され命名された言葉であることが、その明かな証明でありましょう。
言霊の原理を理解し、その原理の観点に立って現行の歴史学や考古学を再検討するならば、
日本のれきしの起源は現在の常識より遥か遠い昔に遡ることが明瞭となります。

と同時に日本のみならず、世界各地の神話、宗教書等に示され、
今の学者にはどうしても説明することができない多くの事柄が、
この言霊の原理から考えると、いともすらすらと解釈することができるという事実にもよります。
これよりその大略をお話しいたしましょう。

[匿名さん]

#2472013/06/05 06:31
先に「言霊の発見と変遷」のところでお話しましたごとく、紀元前数千年の昔、言霊の原理が発見され、
その後この日本列島においてその原理に基図いて人間社会の文化の創造、政治国家が建設され繁栄して時代が続きました。

言霊原理は遠く全世界に流布施行されるようになりました。
いわゆる神話の時代です。
ところがこの精神原理が人間のもう一つの性能面である物質文明の発展促進のために隠没される時がきました。
約三千年前の出来事です。

原理の隠没とは消滅ではありません。
一定期間を経て物質文化がある程度に進展した時、再び人間の脳裏から甦り、
物質文明と車の両輪をなす精神文化の原理とならねばなりません。

そのために原理を隠滅する事業と平行して、その甦りの時の用意に、
種々の方策が取られたのでした。

その第一は言霊の原理をあからさまではなく謎として呪示する神話の制定です。
各民族の神話の原型はすべて言霊原理を表徴しています。

[匿名さん]

#2482013/06/05 06:40
第二に世界的宗教の創生です。
その目的は、言霊原理の韻没に続いて当然招来される人類の精神暗黒時代に生きる人類の心のよたどころとし、
また、言霊原理が甦る時に備えて、その原理を受け入れ易くすくための人間精神の修練とするためです。

と同時に、言霊を各宗教書の中に表徴てきに暗示するためでもあります。

第三は、言霊の原理を形の上で表徴する各種の建造物を遺しました。
例えば日本では伊勢の内外宮の本殿の作り方、仏教の多宝塔、五重塔、方丈等々がそれであります。


94 :言霊原理の発見、隠没、復活。:2011/11/05(土) 11:18:03.62 ID:gkZEyTZG
以上のような歴史的な記述は、今までの常識の枠をはみ出していますので
首肯しかねる方が多いことと思います。
けれども、今後この本の説明する道筋に則ってご自分の心の構造に踏み入って頂くならば、
否定のしようのない事実としてなるほどとうなずかれることとなりましょう。

自己の心の中に踏み入ると申しましても別に特別な方法によるのではありません。
数千年の歴史を持つ神道、儒教、仏教、キリスト教等の宗教に明示している
それぞれの反省、修行をそのまま踏襲して、
その上で各宗教が奥義としてきた内部にまで妥協することなく突き進んで頂ければこと足りるのです。

前置きはこのぐらいにして、
言霊の原理はその隠没の時代にどのように呪示として遺されたのかを数例を挙げて説明してみましょう。

[匿名さん]

#2492013/06/05 07:05
以上のような歴史的な記述は、今までの常識の枠をはみ出していますので
首肯しかねる方が多いことと思います。
けれども、今後この本の説明する道筋に則ってご自分の心の構造に踏み入って頂くならば、
否定のしようのない事実としてなるほどとうなずかれることとなりましょう。

自己の心の中に踏み入ると申しましても別に特別な方法によるのではありません。
数千年の歴史を持つ神道、儒教、仏教、キリスト教等の宗教に明示している
それぞれの反省、修行をそのまま踏襲して、
その上で各宗教が奥義としてきた内部にまで妥協することなく突き進んで頂ければこと足りるのです。

前置きはこのぐらいにして、
言霊の原理はその隠没の時代にどのように呪示として遺されたのかを数例を挙げて説明してみましょう。

[匿名さん]

#2502013/06/05 07:09
古事記が、特にその神代の巻が、言霊の原理の手引書であるといったらどなたも驚かれることでしょう。

現に今の歴史学者の中には「奈良時代に到って 日本の中央集権化に成功したその時の権力者が、
その統治に権威あらしめる目的ででっちあげたのが
古事記、日本書紀である」として両所は架空の創作書と称える人が多いようです。

そしてその主張の根拠の第一が古事記の神代の巻です。
古事記をただ漫然と歴史書として読む人にとってはそのように思うことも無理からぬことでありまましょう。
しかしそれは全くの見当違いなのです。

古事記と日本書紀の神代の巻は、言霊原理の隠没した時代の末に、
再び日本人が潜在意識のそこからその原理を甦らすために用意された
神話の形をとった言霊の教科書なのです。

古事記神代の巻きの最初に登場する神名天の御中主神より建速須佐之男の命まで
ちょうど百個の神名が挙げられています。

古事記は神話の形をとって書かれた人間精神の根本構造を明示し呪示した
言霊原理の指導書なのです。

[匿名さん]

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