新型コロナウイルス 世界 感染者数78,704,434人 死者1,730、663人 2020.12.24 15:00
[匿名さん]
新型コロナウイルス タイプRNA 発生年 2019年 発生場所中国・武漢 BSL-3 潜伏期間1~10日 致死率2,2% 感染経路 咳・飛沫・接触・空気(WHO警戒:空気中で3時間存在)・尿・便 症状 頭痛・発熱・臭覚・味覚異常・強い脱力感・下痢・日和見感染有り・間質性肺炎・DIC・敗血症・サイトカインストーム・心筋梗塞・脳梗塞 性質 不顕性感染・ステルス性 後遺症 慢性腎不全・脳梗塞・あらゆる後遺症の可能性有り
[匿名さん]
軽症・無症状でも時間の経過とともに症状が変動しあらゆる器官に影響を及ぼす可能性がある。
[匿名さん]
★歓迎されていなかった消毒 1847年、イグナ-ツ・ゼンメルワイスはベルの音を聞くたびに、頭がおかしくなるほど落ち込んでいた。彼はウイ-ンにある産科病院の、出産第1病棟の監督者だった。この病棟では入院する女性の10人に1人が亡くなっている。死を迎えた患者に、司祭がベルを鳴らして最後の儀式をとり行なう。その音が聞こえてくると、人生には価値などないかと思えてくるのだった。 気分を一新しようと、ゼンメルワイスはべネチアへ旅行したが、その間にウイ-ンで同僚が亡くなったという突然の悲報を受けた。それをきっかけに、彼は人々の命を救う道を模索し始めた。当時の医学界が彼の研究結果を素直に受け入れていれば,何千人もの命が救われていたはずだった。
[匿名さん]
★産褥熱 イグナ-ツ・ゼンメルワイスは1844年に医師となり、ウイーンの無料の産科病院で働き始めた。病院には出産病棟が2つあった。第1病棟は医学生とその教師たちが、第2病棟は助産師たちが看護していた。第1病棟では産婦の10人に1人が亡くなっていたが、第2病棟で亡くなるのは50人から100人に1人という割合だった。 産褥熱は出産後だけではなく、出産前にかかる場合もあり、また、産婦だけでなく新生児がかかる場合もある。リンパ管や血管が炎症を起こし、やがて肺、心臓、腹部へと炎症が広がり、じきに死にいたる。原因がわからないだけに、予防のしかたもわからなかった。 第1病棟の死亡率が高いことについてはさまざまな説があった。
[匿名さん]
「毒気」、病室の混みぐあい、妊娠時のストレス、出産時の姿勢、便秘など。このほかにも、産婦が男性医師に性器を見られて受けたショック、死者が多いと評判の第1病棟に入れられた不安、妊娠によって血中になにか変化がおこったためなどともいわれていた。このような説では、打つ手がなかったのも不思議ではない。ひとりの患者が亡くなるたびに、新たな説が考案され、母子ともに亡くなった場合は、それぞれに異なる理由がつけられるしまつだった。
[匿名さん]
1846年にゼンメルワイスが病棟の責任者となったとき、産褥熱についてはっきりしているのは、「理由がわからない」ということだけだった。この病気の犠牲となった患者を何百人と見てきた彼は、こう結論づけた。死因についていろいろいわれているが、実際の病因とおぼしきものはひとつもないと思われる、と。だが、これでは説明にはならない。新たな死者がでるたびに、彼は悩みぬいた。どうも医師側の落ち度のような気がしてならない。これだけ死者がでるのは、自分にとっても、第1病棟にとっても不名誉なことだった。
[匿名さん]
★死をまねく粒子 第1病棟の評判が悪いため、自宅出産を選択し、産後のケアのためだけに病院に行く妊婦が大勢いた。そういう人たちは産褥熱にかからなかった。ゼンメルワイスには、それがなぜなのか、まったくわからなかった。
[匿名さん]
彼は短い休暇をとり、気分転換にべネチアへ行った。だが、旅行中に同僚の法医学教授ヤコブ・コレチカが急逝してしまった。亡くなるまでの経緯を聞くと、コレチカが死体解剖を行っていたとき、医学生に誤ってメスで指を切られるというアクシデントがあったという。その後間もなく彼は発熱し、亡くなったのだ。のだ。彼の遺体を解剖したところ、リンパ管も血管も炎症を起こし、炎症はさらに肺、心臓、腹部までおよんでいた。そのほかの症状も含め、産褥熱とまったく同じであった。
[匿名さん]
ゼンメルワイスは気づいた。母親も新生児も、そしてコレチカも、死因はみな同じだったのではないだろうか。コレチカが発病した状況から、決定的な手がかりが得られたのだ。「死をまねく粒子」のようなものが血中に入ったにちがいない。
[匿名さん]
産褥熱についてさまざまな原因が指摘されてきたが、ようやく答えが見え始めた。医師や医学生は第1病棟と死体解剖室を行き来している。死体解剖室には産褥熱で亡くなった者の遺体もある。たとえ手を洗っても、死体の匂いは残っているだろう。医師たちが「死をまねく粒子」を死体から別の患者へと運んでいるのではないかと彼は考えた。患者を助けるべき医師たちこそが、患者を殺してしまっているのだ。そこで彼は医師たちに、現代では家庭用漂白剤として知られているもので、自分の手や体を徹底的に消毒するよう指導した。その結果、死亡率は急激に減少した。
[匿名さん]
第1病棟では死者がまったくでない日が何か月もつづき、やがて産褥熱による死亡率は2つの病棟に差がなくなった。この発見によってゼンメルワイスはヒーローになるべきだった。
[匿名さん]
しかし かれを まっていたのは ひれつな ほうふく だった
[匿名さん]
だが、医学界は病因に関する彼の見解を受け入れなかった。それどころか、患者の死を医師の責任にしていると彼を糾弾したのだ。長年にわたり観察眼を養ってきたゼンメルワイスは、思いがけない現象に正しく対応することができた。また、この問題をなんとか解決したいという思いも強かった。しかし、彼の意欲は同僚や先輩の医師たちに受け入れられず、彼は病因から追い出され、彼が導入した消毒方法も廃止された。再び第1病棟の死亡率は上昇したが、なんの対応策もとられなかった。
[匿名さん]
ゼンメルは ウィーン医師会で荒らし認定を受け ついにはキチガイ扱いされてしまったのだ
[匿名さん]
ゼンメルワイスがもし「死をまねく粒子」といったあいまいな表現ではなく、もっとはっきり説明ができていたら、このような状況にはならなかっただろう。だが、この時代にはまだ病原菌という概念がなかったのだ。
[匿名さん]
ゼンメルワイスの死後、細菌が原因となることを証明するため、多大な貢献をしたイギリスの医師ジョセフ・リスターはこう述べている。「彼がいなければ、私は何の業績も得られなかった」。人間を介して汚染物質が運ばれるという考えを打ち出したのは、ゼンメルワイスがはじめてではなかったが、彼が自説の正しさを証明しようとして用いた手法には、反論の余地がない。彼は母親と新生児両方の死亡率を調べ上げ、新たな手順の導入によって死亡率が変化したことを実証した。
[匿名さん]
だが、病気がいかにして伝染するかという根本的な説明がなされていなかったため、彼の考えは説得力をもちえなかった。
[匿名さん]
イグナーツ・ゼンメルワイスは47歳で亡くなった。彼の最後は精神病院のベッドの上だった。彼は闘い続けてきた産褥熱にとてもよく似た感染症で亡くなったという。
[匿名さん]
★ゼンメルワイス説を支持した人びと なんらかの汚染物質が医療に携わる者によって伝染しているのではないかと考えたのは、ゼンメルワイスがはじめてではない。イギリスの医学部教授トーマス・ワトソンは、産褥熱が発生したとき、医療従事者が「こまめな洗浄」を行なうことを提唱していた。 産褥熱が医師によって患者から患者へとうつることを報告したのは、ボストンの医師オリバー・ウェンデル・ホームズだ。ゼンメルワイスと同様に彼は医学界から激しく非難され、次のように言われたという。「自尊心のある医師は紳士であり、紳士の手はきれいなのだ」
[匿名さん]
※旅行や出張に行く場合は・・・新幹線や飛行機を利用する人は旅行パックの中にPCR検査、または抗原検査(定量法は40分で結果が出る。定性法は10~15分)を組み入れ 陰性の人は出発する仕組みができたらなあ。PCR検査もかかりつけ医でやる。アビガンが有効になる。
[匿名さん]
SIR=感染予備軍(Susceptibe) 感染者(Intected) 感染症から回復した人(Recovered)
[匿名さん]
★新型コロナウイルスの主なワクチン 開発者 米・ファイザー 独・ビオンテック タイプ 新型コロナの遺伝物質を人工合成してカプセルに包む「RNAワクチン」 接種方法 筋肉注射1人2回 有効性95% 保管温度ー70℃ 接種費用 約30ドル(約2,000円)
[匿名さん]
★新型コロナウイルスの主なワクチン 開発者 米・モデルナ タイプ 新型コロナの遺伝物質を人工合成してカプセルに包む「RNAワクチン」 接種方法 筋肉注射1人2回 有効性94,1% 保管温度ー20℃ 接種費用 約33ドル(約3,300円)
[匿名さん]
★新型コロナウイルスの主なワクチン 開発者 英・アストロゼネカ オックスフォード大学(共同開発) タイプ 別のウイルスに新型コロナの遺伝子を入れる『ウイルスベクターワクチン』 接種方法 筋肉注射1人2回 有効性 62~90% 保管温度2~8℃ 接種費用 約4ドル(約400円)
[匿名さん]
★新型コロナウイルスの主なワクチン 開発者 露・国立ガマレヤ研究所 タイプ 別のウイルスに新型コロナの遺伝子を入れる『ウイルスベクターワクチン』 接種方法 筋肉注射1人2回 有効性91,4% 保管温度2~8℃ 接種費用 約10ドル(約1,000円)
[匿名さん]
横やりいれてすまんかったよ。ゼンメルがキチガイ扱いされたことは知ってたから書いてしまったわ
[匿名さん]
むかし、京都に一人の若い侍がおり、主家の没落のため生活に窮してきたので、家をはなれて、遠国の国守に仕えることになった。都を去るまえに、この侍は、妻を離縁した。 善良な美しい女だったが、別の縁組によって、もっと出世をしようと考えたのである。それから彼は、かなりの家柄の娘と結婚して、自分の任地へ連れて行った。 しかし、この侍が、愛情の価値もわからずにこうもあっさりと捨て去ったのは、まだ思慮の足りない若年の頃のことで、身を切るような貧乏にあえいでいるときであった。彼の第2の結婚は幸福なものではなかった。新しい妻の性格が、冷酷でわがままだったのである。やがて彼は、折にふれて京都のころを悲しく思い出すようになった。それから、自分がまだ最初の妻を愛していることに・・・・・第二の妻よりもずっと、彼女を愛していることに気づいた。
[匿名さん]
そして、自分がいかに不当で恩知らずであったかを感じるようになった。しだいに、彼は後悔のあまり自責の念に駆られて、心の平静を失った。あのひどい目にあわせた女の記憶が・・・・・あのやさしい話しっぷり、微笑、上品な、愛らしい仕草、非の打ちどころのない忍耐が・・・・・たえず彼の頭からはなれなかった。ときには夢のなかで、彼は彼女が、あの窮乏のころ、夜となく昼となく精を出して彼を助けてくれたときのように、機(はた)を織っているのを見た。が、もっとしばしば見たのは、自分が置き去りにしてきたあの荒れた小部屋に、ひとり坐って、あわれにも破れた袖で、涙をかくしている彼女の姿であった。務めのあいだにも、彼の心はつい彼女のほうへさまよって行った。そして、彼女がどう暮らし、何をしているのか、胸に問うてみた。
[匿名さん]
どこか心のなかでは、ふたたび夫を持つはずはないし、自分をゆるしてくれないこともなかろう、と思われた。そこで、彼はひそかに京都に帰れるようになったらすぐ彼女をさがし出し・・・・・それから、彼女のゆるしを乞い、連れもどして、罪滅ぼしに、できるだけのことをしてやろうと決心した。しかし歳月は過ぎた。
[匿名さん]
ついに国守の任期も終わり、この侍は自由になった。「さあ、彼女(あれ)のところへもどるのだ」彼は誓うように言った。「ああ、彼女(あれ)を離縁するなんて、なんという残酷な・・・・・なんという愚かなことをしたものだろう!」彼は第二の妻を親元へかえした(彼女に子供がなかったのである)。そして京都へ急ぎ、ただちに・・・旅装をあらあめる暇も惜しんで・・・・・かっての配偶(つれあい)をさがしに出かけた。
[匿名さん]