>>960
お前が言ってる事をそっくり返すぞ!
鍛治舎就任の契約内容を調べて話せよ!
学校は指導者育成が一番の目的だったんだよ、当初学校が提示した条件は長期無期限だった、しかし鍛治舎の方から、とりあえず5年を提示し了承された、しかし何故か学校は1年事の更新に切り替えた、これが鍛治舎の言う口約束てやっだよ、この頃から学校と軋轢を生みはじめている、鍛治舎は契約年、九鬼、松尾、2年目木本、廣部を秀岳館に入学させたが、3年目に予定していた小園、神頭、小寺を急遽、進学変更させている、つまり、鍛治舎は学校との強化方針が違ってきた3年目の春選抜ベスト4の終了時点で秀岳館を見切っているんだよ、その為、夏終了時点で一度は辞任を決意している、しかし、廣部、木本らを呼んだ責任もあり17年夏まで監督をやったんだよ。
何故行き違いになったのか?一つの理由として、学校内や野球部関係内で予想以上の反発があったからだよ、
同時の主将の監督にはついていけない発言や山○元部長との指導方針の対立、久木田氏との確執など、その為久木田部長はベンチに入らなかった、鍛治舎からすれば指導者育成の責任も有るため、山口氏を後任として勉強させ、指導していった、それが鍛治舎が辞任の時に言った「若い指導者も育って来たし同じ野球が出来る」だった。