酒南なんて似たり寄ったりのいい投手たくさんいるだろうからな。
ひと冬越えて化ける子とかもいるだろうから
[匿名さん]
一番期待されてる一年生の怪物くんが一番不安定なピッチングなんだもんな
[匿名さん]
確かに個々の力は酒南が抜けているのは認めるけどね。
バントできなくても守備下手でも多少打撃よくて監督に気に入られればレギュラー。それでは勝てるわけない!
人だけたくさん集めてもただの資金集め!日大はいろいろ言われても結果残してる!悔しいなら酒南も結果残すしかない!
[匿名さん]
もう卒業したから言えるけど俺の時代、野球部チンピラvsサッカー部チンピラの乱闘と2年生の野球部員が3年生の女子生徒を犯したことがあったな。西原監督が引退してから規律がなくなったな
[匿名さん]
強くなるには厳しさは必要なんだよね
時代は変わったからとかいって選手に自由にやらせるような指導をやってるうちは甲子園は無理だろう
西原監督の鬼のような厳しさはすごかった
甲子園連続出場の明徳や聖光とか見てみろ
指導は緻密だし、厳しさハンパないぞ
[匿名さん]
ここは無理だろ。
ここのエースの態度みてみろよ。教育なんてまったくしてないだろ。野球教えてるだけ。
[匿名さん]
酒田南もナメられたもんだな。
弱いからしょうがないけど。春は勝って期待させて大事な夏は負けて甲子園行けない毎年のお決まりパターン!
あの程度でレギュラーなれるんだもな笑
監督変わらない限り甲子園はない!
[匿名さん]
一応、甲子園連覇出場時代の卒業生だけど学年に一人くらいは練習がハード過ぎで野球部の寮から脱走する部員がいたくらいだな。今はわかんないけど。
[匿名さん]
練習がハードで厳しいから甲子園連続出場できたんだよ
選手に任せて自由にやらせろとか愚の骨頂
[匿名さん]
2年連続甲子園を決めた時は、中学が地元の選手と大阪の中学出身の選手とがコラボをしているような感じで強い良いチームでした。甲子園では大阪出身の選手だけでなく、4番、7番の両佐藤を始め、地元の選手も活躍しました。選手の動きは良かったですが、特に、ショートのきびきびした動き、無駄のないボールの追い方、矢のような送球を見ると相当に鍛えられているなあ、という印象でした。当時の監督さんは鬼のような声で叱咤して追い込んだ練習をしていたようですが、その頃、橋本大阪市長や桑田解説者から出てきた「生徒の自主性を重んじた指導」という考え方が流布し、高野連からも「無理やりきつい練習させるな」みたいな話があり、それまでやってきたことを否定されたような気持になったのか、当時の監督さんはお辞めになりました。そのへんが難しいところなのでしょうね。
[匿名さん]
学校や野球部OB会、父兄からの支持さえあれば辞める訳無いじゃん。
[匿名さん]
高野連や学校は勿論、OB会や父兄も世論には弱いからね。
[匿名さん]
その頃の酒南の山形っ子は我慢強かったんだな。
昔 羽黒の竹内って監督は神奈川のボーイズの監督やってて、羽黒に就任直後ボーイズ時代の練習したら、あっさり山形県人は辞めていったんだと…
で山形県民だけでは甲子園行けないと考えてブラジル人入れたら今度はスタンドから大ブーイング…(-.-)
[匿名さん]
ねつ造はよくないな
朝日新聞みたいなことはやめとけ
[匿名さん]
竹内さんの後の監督さんの時も、羽黒の選手は全て県外の選手だったね。
酒田南は、今でも県内の子たちは頑張っているよ。
ただ、厳しい練習をかいくぐってきた先輩たちから見れば、物足りないかもしれないが。
[匿名さん]