「力道山の闘う遺伝子を受け継いだのは馬場ではなくこの私だ。力道山の事を「力さん」と呼び、一回も殴られた事がないと自慢していた馬場が受け継いだ物はあの葉巻だけだ。」
アントニオ猪木
[匿名さん]
人間的になにひとつ良いところがなかった。
ジャイアント馬場
[匿名さん]
馬場がNWA世界王者バディ・ロジャースに何度も挑戦した事に嫉妬して国内での報道を止めさせた
[匿名さん]
現在に至るまで、力道山は「日本プロレスの父」として認識されている。しかし、力道山は日本初のレスラー(ソラキチ・マツダが1883年にアメリカでデビュー)でもなければ初めて日本でプロレス興行をやったわけでもなく(1953年7月、山口利夫の全日本プロレス(ジャイアント馬場が創立し現在まで続く団体とは別団体)が開催[3])、力道山組vsシャープ兄弟が初めてテレビ中継された試合でもない(1954年2月6日、山口の試合が大阪〜静岡にかけて中継)。
[匿名さん]
何と言ってもインパクトが凄かった❗️
力道山、木村政彦vsシャープ兄弟……アナウンサーは「アメリカ人は巨大であります❗️」
あの街頭テレビに群がった人々……力道山のプロレス中継がテレビの普及率に大きく貢献し、後の高度経済成長の足場を固めたのは事実。
戦後日本の三大カリスマの一人、力道山はプロレス界だけでなく、日本社会に大きく影響を与えたスーパースターだったのは間違いない。
[匿名さん]
力さんはマスコミの前で、カネやんに野球のバットで上半身を叩かせ、プロレスラーの強靭さをアピールしていた。
[匿名さん]
酔っぱらってコップをバリバリかじって食べる芸を披露してたってホントかね
口内や食道が血だらけになりそう
[匿名さん]
力さんはプロレスをやらせたら馬場が一番。レスリングなら猪木、喧嘩なら大木金太郎…と言っていた。
[匿名さん]
柔道の木村との対戦で八百長引き分けがあらかじめ決まっていたのに
木村の金的蹴りポーズに激怒したフリしていきなり本気で襲い掛かり
ボコボコにして「勝った勝ったアピール」 ただのクズな卑怯者
[匿名さん]
vs木村政彦をYouTubeで見るとシロクロで妙な迫力があり気味悪い。
木村政彦って相当強かったんでしょう?
[匿名さん]
1982年頃、力道山懐古ブームが起こってマスコミがこぞって取り上げた記憶
[匿名さん]
力道山は木村にビビり過ぎてたから、金的に偶然当たってパニクっただけ。
[匿名さん]
木村は晩年、念力でリキを殺したとかわけのわかんないこと言ってた
[匿名さん]
力道山の体は既にボロボロでどっちにしろ長生きは出来なかったらしい。
[匿名さん]
当時全米一のスターレスラー、ショーマンシップ丸出しのゴージャス・ジョージの日本での報道を控えさせ
同時期の日本プロレス草創期に試合は真剣勝負だとアピール
[匿名さん]
浅草の「鮒忠」には力道山が来店した時の写真が飾ってある
[匿名さん]
木村政彦にブック破りをして凄惨な試合になったが、デストロイヤー戦もきっとブック破りだと思う。つまり、力道山は4の字でギブアップ負けするブックだったのになかなかギブアップしようとせず、時間が経つにつれて2人の足が複雑に絡み合い外れなくなってしまったって真相だろう。
まぁどちらにせよ力道山伝説を作るには十分過ぎるだけのブック破りにはなったが。
[匿名さん]
柔道の木村との対戦で八百長引き分けがあらかじめ決まっていたのに木村の金的蹴りポーズに激怒したフリしていきなり本気で襲い掛かり ボコボコにして「勝った勝ったアピール」
ただの卑怯者のゲスだと思うがw
[匿名さん]
相撲時代の後輩である豊登や芳の里らにトレーニング時、ヒンズースクワットをさせなかった
理由は自分より強くなられては困るから
[匿名さん]
プロレスラーに強い弱いは関係ない。客受けするかどうか?強そうに見えるか?だけだ。
[匿名さん]