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「時」とは、「終わりの時」のことです。じゃ、「終わりの時」ってのは、いつだい?ってなりますね。説明します。まず、神さまが天地を創造されました。旧約聖書の「創世記」のはじめにある話。そして、人間をお造りになりました。そこから「旧約時代」が始まります。ようするに紀元前のことです。そしてイエス・キリストが降誕された時を境に…「旧約時代」が終わり「新約時代」が始まります。新約聖書に書いてある時代です。この紀元後とかA.D.とか呼ばれるようになった時から「今の私たちの通りすぎて」未来の「キリストの再臨」まで続くひとつながりが「新約時代」と考えることができます。
「新約時代」が始まって間もなく、ヨハネがこの黙示録の幻を見ました。それが黙示録における「現在」です。おそらく西暦90年代だろうと言われています。それから後のことは、黙示録の中ではすべて「未来」です。
さて、現在の私たちから見ても「未来」に属することの中に「終わりの時」という、ひとくくりの時期があります。厳密には聖書は「新約時代」自体を既に「終わりの時」と呼ぶ箇所もありますが、しかし黙示録では特に明らかにされているのは、「新約時代」のそのまた最後の最後に…ある一連の「究極の終わりの時プログラム」が定められている、ということです。
「究極の終わりの時プログラム」はこれから起こる「携挙けいきょ」をもってスタートします。そしてキリストの再臨があり 千年王国があり新しい天地創造がおこる直前の「最後の審判」「最後の裁き」までが、「究極の終わりの時プログラム」つまり「終わりの時」なのです。 つまり「携挙けいきょ」から「最後の審判」までのことだとご理解ください。つまり、「終わりの時」は始まってもいないのです。今は「終わりの時」前兆期 準備期間なのです。マタイ24章 「戦争の騒ぎや噂を聞くが慌てないように…まだ終わりではない。…これらはすべて産みの苦しみの始まりである。」