1000
2021/06/28 18:50
爆サイ.com 北陸版

神道・仏教





NO.7046355

日蓮正宗法華講員の者です。
#2012019/10/15 12:49
>>198
顕正会の法務部に連絡しときますね。

[匿名さん]

#2022019/10/16 17:21
>>196
それは無いだろう
戒律がないから原始仏教

[匿名さん]

#2032019/10/16 17:45
そうなんだ〜。

釈尊が色んな経典を説いた流れとは、合わないけど。

[匿名さん]

#2042019/10/16 18:46
>>202
釈尊が経典を説いてないと
言いたいのかな?

[匿名さん]

#2052019/10/16 18:46
あまりにアホ過ぎて

[匿名さん]

#2062019/10/16 19:18
釈尊は始めに華厳経、阿含経などの権大乗の経典を説き、その後の様々な小乗経を説いたんでしょ。その過程で戒律ももうけた。

何で不要な戒律を設ける必要があったんですか?

[匿名さん]

#2072019/10/16 20:58
五時八教を言いたいのかな?

[匿名さん]

#2082019/10/16 21:20
>>207
そう言うんでしょう。そこは分からんのですが、

原始仏教的に、戒律(戒・律)が不要であるとの理由を話してもらえれば、それに難癖つける気はないですよ。

[匿名さん]

#2092019/10/17 01:54
>>208
戒律は必要です
それがなかったら仏になれないからです

[匿名さん]

#2102019/10/17 02:01
原始仏教とはあくまでも

「各個人の自己修行による自己救済」なのであり

各個人が戒律を守り、修練して、四聖諦を自得して

八正道を実践して、俗人を離れ、俗塵を離れて、僧院に籠り、難解なアビダルマ哲学を研鑽して、あの偉大な聖人であるブッダのような清らかな悟りに至る、
そういうことが最終目標なのです。

[匿名さん]

#2112019/10/17 02:04
また
大乗仏教の涅槃に説かれる
法灯明
自灯明

これが釈尊の言いたかったことに
繋がるのです

[匿名さん]

#2122019/10/17 21:55
>>210
わざわざ有難うございました。正直自分の話せる事もなくなって来てるので、失礼のないようここからは発言を控えておきます。

とは言え、随分失礼な発言があった事お詫びして<(_ _*)>有難うございました。

[匿名さん]

#2132019/10/20 12:42
女にフラれた知人の法華講員が悩乱しているとしか思えない。
女にフラれたことが罰だ罪障だと騒いでは迷惑な押し売り勧誘に勤しみ
台風で登山中止になれば魔だの諸天だの妨害されたと騒いでいる。
事ある事象に大げさに右往左往してリアクションしている様はすごく痛々しい
こういう人に限って、気は小さく、人に依存しやすく、何かあれば人をすぐ責める自己中が多い
普段は穏やかでいい人なのに、なにかあれば面倒くさい人間になる
同じ法華講員から見ればこの人は信心しているのかと疑いたくなる
この人から信心を勧められる人から見れば信心に力あるのかと疑われるだけだろう

[匿名さん]

#2142019/10/20 15:02
>>213
おまえがな

[匿名さん]

#2152019/10/21 18:51
馬鹿の集まり
日蓮患者達

[匿名さん]

#2162019/10/21 19:14
何回か
会合みたいなの
出たことあるが
邪教池田学会だの
悪しき日顕だの

クソみたいな集まりで
教義もインチキ
金騙し取りだのしかない

人の金集めて
生活してる奴ら

[匿名さん]

#2172019/10/21 21:55
「原始仏教」といわれると、現在の日本に伝わる色々の宗派の仏教より、
お釈迦さまが説かれたそのままの仏教に近いと思いがちですが、
今日では、そうではないことが知られています。

よく「原始仏教」と誤解されているものは、スリランカや東南アジアの植民地化に伴い、
19世紀頃にヨーロッパで研究されたパーリ仏典を、
お釈迦さまの当時の原始仏教と信じたものです。
パーリ仏典を原始経典と言っている人まであります。
ところが実際には、スリランカのパーリ仏典は、
お釈迦さまがお亡くなりになって1000年後にある人に編集されたもので、
上座部の中の「分別説部(ふんべつせつぶ)」というある1つの宗派の教えです。
現在この宗派は、上座部仏教という意味の「テーラワーダ仏教」を名乗り、
日本でも布教しています。
そして今日では、パーリ仏典より漢訳の阿含経のほうが古いと推定されることが多くあります。テーラワーダ仏教は、まったく原始仏教ではありません。
1つの仏教の宗派です。

正しい意味での「原始仏教」とか「初期仏教」と言われるものは、
明治時代より前にはなく、新たに作られた言葉であり、教えなのです。

そしてそれは、インド・中国・日本で、伝統的に二千年以上の研究と実践が行われ、
数多くの人が救われてきた教えよりも、
はるかに仏教研究の歴史の浅く、実践もしない西洋のキリスト教徒のやっている仏教の歴史学の要素が濃くなっています。

一体どういうことなのでしょうか?

[匿名さん]

#2182019/10/21 22:21
いくら拝んでも無駄
無駄
無駄

[匿名さん]

#2192019/10/21 22:23
パーリ語経典を
日蓮は知らず

仏陀の真理とは

説明してみせな

仏教の真髄だから

[匿名さん]

#2202019/10/21 22:24
実践とは
釈迦は
法華経を読めとも
題目を唱えろ
とも言ってない

[匿名さん]

#2212019/10/21 23:34
別に原始仏教を否定しませんよ。

仏教入門サイトの中立的な評価。そんなに目くじら立てるなよ。

[匿名さん]

#2222019/10/22 02:58
意味がわからん

日蓮患者さん

[匿名さん]

#2232019/10/22 03:03
仏の境地に辿り着くのが
仏教なわけで
仏になった理由は

禅定なのか?
はたまた
真言密教なのか?
念仏を唱えてなのか?

戒律を重んじる律なのか?
法華経を唱え題目を唱える法華なのか?

[匿名さん]

#2242019/10/22 06:27
>>217
ガウタマ・ブッダとイエス・キリストの間には、そして仏教とキリスト教の間には類似点が見いだせるため、両者の間に関係があるかどうかが考察されている。両者間の類似は、ヘレニズム世界とインド亜大陸の文化的交流に起因すると推測されている。

[匿名さん]

#2252019/10/22 06:44
大乗非仏論

 さて、この大乗仏教について、
「大乗仏教はシャカ自身の教えではない」
 と言う「大乗非仏(だいじょうひぶつ)論」が、広く学者の間で論議されています。実際、大乗仏教の教えを検討してみるならば、シャカの直説とは言えない教えが数々混入していることは明らかです。
 シャカは、長い苦行の末に「悟り」を開き、一切のものは空(無我)であると説いた人でした。彼は、この世界も、苦も、生も、死も、すべては空であり、実体のないものであると説いたのです。彼の思想は、もともと無神論で、神、あるいは神的存在者に関する思想は持っていませんでした。



 ところが大乗仏教になると、「大日如来」(大ビルシャナ仏)とか「阿弥陀仏」とかいうような"神的存在者"が出てきます。
「大日如来」とは、「光明があまねく一切を照らす」という意味で、宇宙の実相を霊化した存在者です。また「阿弥陀仏」とは、極楽浄土に住むとされる神的存在者で、この仏を信じ「南無阿弥陀仏」と唱えれば、どんな人でも極楽に往生できる、と説かれたのです。



 また大乗仏教には、「浄土」とか「仏国土」という思想があります。「浄土」(仏国土)は、キリスト教で言えば「天国」です。「浄土」の思想は、もともとシャカの教え、すなわち原始仏教にはなかったものです。
 また、小乗仏教においては、この世界の事物は「空」(無我)であり「無常」であるという世界観にほとんど終始していたのに対し、大乗仏教になると、変化きわまりない「無常」の世界の奥に、さらに「常住なるもの」(変わりなく存在するもの)を捉えようとします。すなわち大乗仏教になると、移り変わる物事の奥に、"永遠的なもの"を探ろうとするのです。



 また、大乗仏教の一派である浄土宗などになると、もともと原始仏教にはなかった「罪」の概念が、盛んに言われるようになります。例えば、親鸞は人間の持つ「罪」というものを強く意識した人ですし、寺の中にも「懺悔滅罪(ざんげめつざい)寺」と呼ばれるものが現われました。

[匿名さん]

#2262019/10/22 06:47
さらに大乗仏教には、末法思想と呼ばれる歴史観、および「弥勒」と呼ばれる未来の救い主に対する信仰があります。この思想によると、シャカの死後長くたった現代は"末法の世"で、シャカの教えが実行されず、世も乱れる時代であるとされています。けれども将来、「弥勒」と呼ばれる仏がこの世に現れて、シャカの教えに漏れた人々を救う、という信仰があるのです。
 これは言わば、"救い主が将来この世に現れて、人々を救う"という信仰です。このような思想は、もともと原始仏教にはなかったものなのに、いったいどこからきたのでしょうか。


そこにはキリスト教等の影響が……

 このように大乗仏教には、「大日如来」や「阿弥陀仏」というような神的存在者の思想、「浄土」の思想、「常住なるもの」の思想、、「罪」の思想、「弥勒菩薩」の思想など、もともと原始仏教にはなかった思想が、数々混入しています。
 これらの思想は、キリスト教の知識を持っている人ならだれでもすぐわかるように、キリスト教の思想に、あまりによく似ています。実際、仏教史学の権威エリザベス・ゴードン女史は、例えば弥勒菩薩について、その語源を調べた結果、



「(弥勒の原語である)インドのマイトレィアは、中国ではミレフ、日本ではミロクで、これはヘブル語のメシア、ギリシャ語のキリストである」
 と結論しています。ヘブル語の「メシア」が、インドでは「マイトレィア」、中国では「ミレフ」、日本では「ミロク」となったのです。
 また阿弥陀仏についても、仏教史学の権威アルティ氏は、
「阿弥陀仏の教義は……インドでつくられたものではない。中国仏教は、カシュミールやネパールから伝来したもので、阿弥陀仏は、当時この地方に影響を与えたペルシャのゾロアスター教とキリスト教に起因する」
 と述べています。
 また聖書には、
「見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづく」(コリント人への手紙第二、四・一八)
 とあり、変化きわまりない世界の奥に、永遠なるものを見ています。大乗仏教が「常住なるもの」を強調するようになった背景にも、こうした聖書の思想の影響があったに違いありません。

[匿名さん]

#2272019/10/22 06:53
仏教は混合宗教

 では、歴史的にはどのようにして、キリスト教の思想が大乗仏教の思想の中に混入していったのでしょうか。
 紀元一世紀に、イエス・キリストの十二弟子の一人トマスは、キリストの昇天後、中国およびインド地方に伝道に行き、インドで殉教したと伝えられています。実際インドでは、すでに二世紀にはキリスト教徒の数もかなりのものになり、三世紀にはキリスト教の団体もありました。
 したがって、大乗仏教「八宗の祖」と言われるインドの「龍樹(りゅうじゅ)」(紀元一五〇〜二五〇年頃)が、キリスト教思想に触れたことは、確実とみられます。
 彼は「龍宮」で法華経を授けられ、その後「南天の鉄塔中で、金剛薩た(「た」の漢字は「土へん+垂」)(こんごうさった)から大日如来に関する経典「大日経」を授かったと主張しています。
 しかし龍樹は、その「龍宮」や「南天の鉄塔」がどこにあるかを語らないし、また、いかにしてそのような神秘的な経典授与がなされたかについても語りません。また『神道と仏教とをただす』(ニューライフ出版社)の著者・森山諭師が述べているように、龍樹が授かったとする大日経も、その内容は太陽崇拝、バラモン教、キリスト教、ゾロアスター教などの影響を受けた混合宗教であることが、歴然としています。
 したがってこれらの経典が、誰から授けられたにしても、あるいは龍樹自身の創作によるものであったにしても、彼以後、仏教思想は大きく変貌したのです。
 また龍樹は経典を授けられた際、金剛薩た(「た」は「土へん+垂」)から「潅頂」(かんじょう)を受けたとされていますが、これは頭に水をかける儀式で、彼以前の仏教にはなかったものです。龍樹は、おそらくキリスト教の洗礼をまねて、こうした儀式を取り入れたのでしょう。
 その後も、"他の宗教思想の影響を受けて常に変化していく"という仏教の混合宗教としての性格は引き継がれていきました。

[匿名さん]

#2282019/10/22 06:57
中国では唐の時代に、「景教(けいきょう)」(ネストリウス派キリスト教)が伝えられ、その信仰が広まっていました。六三五年に、ネストリウス派キリスト教徒アラボンは、二一人の信徒を率いて中国に渡り、聖書や教理を漢文に訳して、唐の皇帝(太宋)に献納しました。皇帝は、それを読んで感激し、
「これほどの真理は儒教にも仏教にもない。朕(私)自ら信じるから、全国民よ、朕に学べ」
 と命じました。このネストリウス派キリスト教が「景教」で、景教は七世紀から一二世紀にかけて、中国で栄えました。

[匿名さん]

#2292019/10/22 07:06
日本に景教が正式に伝えられたのは八世紀で、この時より朝廷の記録に、景教の用語である「景福」という言葉が出てくるようになります。またこの時より、もともと仏教にはない「滅罪」思想がうたわれた「懺悔滅罪寺」が現れます。これは、キリスト教の影響でしょう。
 今も毎年宮中で演奏される雅楽の「越天楽」(えてんらく)は、「ペルシャから伝わった景教の音楽です」と日本雅楽会会長・押田久一氏は断言しています。
 さて、九世紀に「空海」は、中国(唐)へ渡って真言密教を学びましたが、この「真言密教」は、当時中国に影響を与えていた様々な宗教の混合宗教でした。真言密教の立宗者(不空三蔵)のいた中国の首都・長安では、当時、景教寺院、仏教寺院、ゾロアスター教寺院、道教寺院などが、軒を並べて建っていたのです。

[匿名さん]

#2302019/10/22 07:11
真言密教の内容は、明らかに仏教とは異なるもので、そこにはゾロアスター教や、景教、バラモン教などの影響が歴然としています。
 空海自身、中国にいたときに、景教に触れる機会がありました。空海は、景教徒の般若三蔵(はんにゃさんぞう)という人物に会い、景教の知識を吸収しました。般若三蔵は、「大秦寺」(だいしんじ)という景教の教会を営んでいた人物です(大秦とはローマ帝国のこと)。
 詳細は省きますが、空海は彼とかなりの議論をしました。とくに絶対者をめぐっての論争です。さらに、実在する救い主は誰かという論になったとき、空海は、
「それは仏陀だ」
 と言いました。それに対し般若三蔵は、
「違う、イエスだ」
 と反論しました。こうして空海は、キリスト教についてかなりの知識を吸収したのです。
 もしこのとき、般若三蔵の個人伝道が成功していたら、日本の歴史は変わっていたかも知れません。しかし彼のキリスト教伝道は成功せず、空海はクリスチャンにはなりませんでした。
 というのは、残念なことに般若三蔵は、純粋なキリスト教的考えの持ち主ではなかったのです。彼は、旧約聖書は般若心経と同根の経典だという考えを持っていました。混合宗教的な面が彼自身にあったのです。
 般若三蔵は、空海にそのことも述べました。これを聞いた空海は、表向きにはキリスト教徒になりませんでしたが、以来、空海の思想の中には、キリスト教的なものが混合するようになりました。
 また空海は、般若三蔵に紹介されて、すぐ近くに住んでいた景教の僧「景浄」にも会ったに違いないことは、ほとんどの学者の間で意見が一致しています。空海は中国で「マタイの福音書」や十戒、その他キリスト教文書を得たであろう、という学者もいます。
 さらに空海は「潅頂」(キリスト教で言う洗礼)を受けましたが、彼には「遍照金剛」という潅頂名が与えられました。「遍照」とは"広く照らす"の意味で、これは聖書「マタイの福音書」五章一六節の、
「あなたがたの光を人々の前で輝かせ」
 の漢語から取ったものだと言われています。
 また、空海の開いた真言宗の本山である高野山で、多数の聖書が読まれたことも、明らかにされています。しかし、空海は、日本の稲荷神社さえ信じた混合宗教者であったため、キリスト教の教えさえも純粋な形では伝えられなかったのです。

[匿名さん]

#2312019/10/22 07:15
空海は、死に就こうとするとき、弟子たちに次のように語りました。
「悲嘆するなかれ。われは……弥勒菩薩(みろくぼさつ)のそばに侍するために、入定(死ぬ)するが、五六億七〇〇〇万年ののち、弥勒と共にふたたび地上にまみえん」(仏教では、弥勒が現われるのは五六億七〇〇〇万年の未来とされている)
 将来人々を救いに来るという「弥勒」の来臨の時に、自分も復活するというこの信仰は、まさに、"キリストが再来するときにクリスチャンは復活する"というキリスト教信仰と同じものです。
 さらに、一〇世紀になると「称名念仏」の信仰が広まり始め、一二世紀には、法然や親鸞が「南無阿弥陀仏」の念仏を大衆化しました。
 「南無」とは、「帰依する」とか「信仰する」という意味で、「南無阿弥陀仏」とは、「阿弥陀仏を信じます」とか「阿弥陀仏に帰依します」という意味です。法然や親鸞は、この念仏を唱えるならば、誰でも浄土(キリスト教でいう天国)に生まれることができ、救われると説いたのです。
 こうして仏教思想が、"神的存在者(阿弥陀仏)の名を唱え、信仰を表明するならば、誰でも救われる"というかたちになっていったのは、聖書「使徒の働き」二章二一節の、
「主の御名を呼び求める者は、誰でも救われる」
 というキリスト教信仰が、様々なプロセスを経て、仏教思想に影響を及ぼしていった結果にほかなりません。
 仏教思想は、その他さまざまな人物、状況を通して変貌していきました。
 もともと「無我」(無霊魂)を標榜して立っていた仏教は、いつのまにか「我」(霊魂)を認めるようになり、しかも有神論と未来的生命を唱え出し、「自力」を改めて「他力」となし、「未来往生成仏説」を説くようになったのです。
 このように仏教は、明らかに
様々な宗教が混合して出来たものと
断定できます。

次に日蓮聖人について書いていきます

[匿名さん]

#2322019/10/22 08:53
日蓮聖人が
究極とする
法華経28品 前品無量義経 結に涅槃経
法華経を具現化した髭曼荼羅

この髭の部分は種字と言って
梵字の崩した文字で書かれています

書いてあるのは
真言密教の
不動明王
愛染明王
です

これ法華講員や
創価学会の方
知ってる人居ましたか?

[匿名さん]

#2332019/10/22 10:12
「原始仏教」とは、このお釈迦さまが説かれてから、
お亡くなりになって100年くらいまでの間の仏教を指します。
「初期仏教」も同じものを指します。
「原始仏教」はオリジナルに重きをおいた名づけ方で、
「初期仏教」は、時代が早いというイメージの名づけ方です。
さらにこの原始仏教(初期仏教)の中でも、お釈迦さまから直接教えを受けた、
直弟子までの教えを「根本仏教」と呼ぶ人もあります。

お釈迦さまが亡くなられてから100年ほど後に、仏教を伝える人々は、
大衆部と上座部という2つの部派(宗派)に分裂し、
やがて分裂をくり返して、約20ほどの部派に分かれたと推定して、
これらを部派仏教(小乗仏教)と言い、
そこからまたしばらくして大乗仏教が起こったと推定しています。

このような仮説の上で、現存する仏教の経典は、大乗仏教の漢訳経典と、
部派仏教では2つの部派のみですが、それらの
様々な経典から最大公約数をとって、西洋系の仏教学者たちが
推定、再構築しようとしているのが原始仏教(初期仏教)であり、根本仏教です。
その上、自分たちが考えた原始仏教(初期仏教)こそ、
本当の釈迦の教えで、現存するお経は、釈迦が説かれたものではないと主張しているのです。

しかしながら実際には、お釈迦さまが亡くなられてから500年くらい口頭で伝えられ、
その後から書き残され始めた現存の経典から、原始仏教を判別したり、
根本仏教とその後の原始仏教を判断することは不可能です。
書き残された時代が古いほうが、正しく伝えられているという根拠もありません。
原始仏教(初期仏教)というのは、近代の仏教学者の頭の中のみに存在する架空のものです。
西洋では、キリスト教の研究ですでに、そのようなことは原理的に不可能で、
不毛な努力だと結論されて終わってしまった研究に由来しているものなのです。

その上、最大公約数をとっているので、
あたりさわりのない漠然とした内容になっています。

この白人尊重の明治時代の仏教研究がいまだに影響を残しており、
現代人に混乱を与えてしまっているわけです。

[匿名さん]

#2342019/10/22 10:15
このように根拠が薄いにもかかわらず、西洋の歴史学的な研究は、
主観的に自分の説を正しいと主張して、
現存のお経を釈迦の説かれたものではないと否定し始めるため、
仏教に何が教えられているのか、
どうしたら仏教によって人生の苦悩から救われるのか、結局分からないのです。

そのため、原始仏教で本当の幸せになった人は、一人もいません。
知的好奇心で知識ばかり増やしても、救われなくなってしまったら、
どんなに後悔しても後悔しきれません。恐ろしいことです。
「仏教は学べば学ぶほど分からなくなる」
と言われるのも、このためかもしれません。

原始仏教(初期仏教)というのは、明治時代の文明開化の名残ですから、
西洋崇拝の時代遅れの仏教学です。

もちろん最近の仏教学者は、そんなことは知っています。
東京大学の馬場教授の『初期仏教』という本には、こうあります。
「初期仏教では口頭で仏典が伝承されていた以上、
歴史上の人物としてのブッダの思想を文献研究によって復元するのは、
不可能である」
口頭伝承に対して文献学は手も足も出ませんから、
昔の仏教学者たちが追及していた、文献による初期仏教の復元は不可能なのです。

ヨーロッパの仏教学者たちは、すでにパーリ仏典よりも、
もっと古くて深遠な漢訳仏典に注目しています。

[匿名さん]

#2352019/10/22 10:18
ですから、仏教の歴史学を学びたい人は、西洋系の研究を学ばれたらいいですし、
仏教の教えによって本当の幸せになりたい人は、インド、中国、日本の伝統にもとづいて
仏法を聞かれたほうがいいでしょう。

[匿名さん]

#2362019/10/22 10:30
>>235
邪教など
信じるに値しません

根拠は偽である
釈迦仏教と無縁の仏教であるのは明白です

現に
池田創価学会や
悪しき日顕宗など双方を呼び合い
破廉恥新聞沙汰で
裁判を繰り返し
何のメリットもない
集めた金で巨大な建物を建て壊し
争いばかりの宗教は民衆を救えない
金づるにして信者集めをしているのは
明白です

[匿名さん]

#2372019/10/22 10:33
>>234
大乗仏教が西洋思想を元に出来上がった
根拠を示していますが

おわかりになりませんか?

[匿名さん]

#2382019/10/22 10:37
いくら信じても
根本的に
苦悩から解放される事は無い

苦悩から解放される事は即ち


[匿名さん]

#2392019/10/22 10:39
釈迦は
王の産まれなのに

一切を捨て

禅定にふけった

悟りとは苦悩から抜け出すことなのか?

[匿名さん]

#2402019/10/22 10:42
>>235
歴史ではなく
悟りの根本

大乗仏教は西洋思想が入り混じっている
根拠を示していますが
おわかりになりませんか?

[匿名さん]

#2412019/10/22 12:31
いくら日蓮聖人の仏法とやらを
信じ
実践しても
幸せにはなれないのです

異論ある方

論破してみてください

[匿名さん]

#2422019/10/22 14:41
声の、大きい、 無意味に、
考えずに。 長話しも
しゃべる、いやなやつ 。エラくナイね、
自慢が、汚い。声、www

[082??]

#2432019/10/22 14:43
声の、大きい、 無意味に、
考えずに。 長話しするやつ、きらわれても平気?
長くしゃべる、いやなやつ 。エラくナイね、
わらい、
、アイドルになりたいは、へんだわ

[匿名さん]

#2442019/10/22 14:55
ヒロシマ、?仁義、関係??の
、しゅうきょう、全部無し。

[匿名さん]

#2452019/10/22 14:58
人は、みんな。

おもしろいじゃんだめ

[0829?]

#2462019/10/22 15:45
>>245
いいよ

[匿名さん]

#2472019/10/22 15:48
>>241
※あくまでも個人の感想です。選ぶのは個人の自由、

だから否定はしませんよ。

[匿名さん]

#2482019/10/22 15:52
解説してる通りの主張で面白い

[匿名さん]

#2492019/10/22 16:54
>>247
堕地獄へ

[匿名さん]

#2502019/10/22 18:11
堕地獄へ

[匿名さん]

このスレッドは1000件に達しました。これ以上書き込み出来ません。




HOT!オススメ! ⇒ 宗教総合/ 創価学会/ キリスト教/ 幸福の科学/

🌐このスレッドのURL