1000
2017/12/12 13:59
爆サイ.com 関西版

神道・仏教





NO.5771424

日蓮系始め仏教系へ質問します③
合計:
報告 閲覧数 751 レス数 1000

#2512017/09/26 17:10
>>244
有り難うございました。m(__)m
五輪塔には東西南北に梵字を
彫るのですがその意味あいが
自分で彫っていて分からなかったので
質問させて頂きました。
仏教的に東西南北とは何なのでしょうか?
また梵字を刻む意味をお教え願えれば
さいわいです。

[匿名さん]

#2522017/09/26 18:10
>>251

詳しくは知らないのですが
五輪塔は本来、正面がなく四方正面です。

東を発心門といい、梵字は『キャ・カ・ラ・バ・ア』

南は修行門といい、『キャー・カー・ラー・バー・アー』

西は菩提門といい、『キャン・カン・ラン・バン・アン』

北を涅槃門といい、『キャク・カク・ラク・バク・アク』

と彫るケースが大半だそうです。


また仏界には無数の仏様がいます。
その仏様は、それぞれに異なった威徳を持つとともに肌の色によって常住の位置が定められています。

青(東)、赤(南)、白(西)、黒(北)というように区別され、

黄(金色)は仏の中心とされています。

この仏教での根本的な色別(五色)はインドから中地・・・黄、 中心、大日如来

水・・・白、 西、 秋、 白虎、阿弥陀如来

火・・・赤、 南、 夏、 朱雀、宝生如来

風・・・黒、 北、 冬、 玄武不空成就如来

空・・・青、 東、 春、 青竜、阿如来

となり東西南北に仏様の梵字を彫るケースもあるかもしれません。

宗派により色々あるみたいです。

[匿名さん]

#2532017/09/26 18:39
>>246

世界は下から

地獄 餓鬼 畜生 修羅 人 天

と欲界が六つ有ります。

人間界の獄卒は刑務所の刑務官でしょうか。
試験に通り公務員になり囚人を監視し死刑執行する時はボタンを押さないといけません。3人が押すんですかね。

畜生界の獄卒は誰でしょうか?
ニワトリは1日に5000万羽ぐらいベルトコンベアーで連続的に首を跳ねられますがニワトリにとっては工場の人間が獄卒でしょうか。
別に普通に試験に通って食肉工場に勤めている一般人です。

このように下の世界にいくほど酷くなりますね。

地獄の獄卒ですか?
いや別に普通に試験に通って勤めている一般人ですよ。

[匿名さん]

#2542017/09/26 18:42
>>252
お忙しい中、返信有り難うございました。
大変参考になりました。
感謝いたします。
なぜあなた様はそんなにお詳しいのですか?

[匿名さん]

#2552017/09/26 18:49
>>252
貴方様のコメントでこのスレも意義深いものと
なりました。
これからも書き込みお願い致します。

[匿名さん]

#2562017/09/26 20:09
>>236
ecoは、大型掲示板のecoスレで、あばれる君?をやってるよ。

[匿名さん]

#2572017/09/26 20:30
>>254

私はそんなに詳しく有りません。
親父が僧侶で、その師匠が凄い方で…

その、おこぼれの知識で有ります。

[匿名さん]

#2582017/09/26 20:32
>>257
本物の仏教はどこで学べるものなのでしょうか・・・

[匿名さん]

#2592017/09/26 21:32
>>258

本物の仏教は学ぶよりも
実践(修行)です。

何故 六道輪廻するかと言いますと心に執着が有るからです。

この執着は1人1人違います
女に執着する者もいれば
博打に また酒に
お金に 子供に 地位に
家や食べ物に

と人それぞれです。

また言われて怒る内容も違います。

執着という杭があると輪廻から逃れられないんですよ。

イメージですけど心が重くて上に(天界や浄土)いけない

心が煩悩(執着)まみれだと下に沈んで(地獄)いく
イメージです。

この執着(癖)を取るのは大変です。
コツコツと気を付け修行するしか無いんです。

ですから お釈迦様 最後の言葉は

「もろもろの現象は移ろいゆく
怠りなく精進努力しなさい」

これにつきます。

でも出来ないんですよね
テレビ見てる方が楽だから

昔に師匠が

ライオンは暑い時は全く動かない みたいな法話をしましたが

私に言ってると思いました あと 時間の使い方が悪いとも

あれから7年たちますが直ってません テレビ見てます

私は来世はライオンでしょうかね(笑)
仕事は一生懸命するんですが家に帰ると余り動きませんね(笑)

[匿名さん]

#2602017/09/26 22:03
>>258

ちょっと、それちゃいまして、すいませんm(__)m

私の所は名前を出せませんし…

[匿名さん]

#2612017/09/27 05:36
そうだ!貴方様は五輪塔を作ってらっしゃる。

五輪塔の始まりは真言宗 なので真言宗に縁が有ると思います。

真言宗を学んで実践すると良いと思います。

真言宗の良い所は
お釈迦様の原始仏教から
法然 親鸞の浄土宗 浄土真宗 日蓮の日蓮宗
道元の禅宗まで網羅してる所です。

実は私も真言宗です。

実践の方は、高野山真言宗 仏前勤行集などで実践出来ます。

学ぶのは お釈迦様と空海を最初に勉強すると良いと思います。

[匿名さん]

#2622017/09/27 08:13
>>261
日蓮正宗は、凄く真言宗に批判的ですが。

[匿名さん]

#2632017/09/27 09:14
>>253
>地獄の獄卒ですか?
いや別に普通に試験に通って勤めている一般人ですよ。


やはり「英数国」と一般常識の試験ですか? あと面接試験?
「貴社の将来性を感じまして」など?

[匿名さん]

#2642017/09/27 16:57
>>256
うるせいな! 何なら、ecoスレ立てろよ!

[匿名さん]

#2652017/09/27 17:44
>>261
真言宗ですか!
不思議と最近では真言宗関連の
話題が自然と入って来ております(^-^)
東京にある深川不動堂が良かったと
いう話やガヤトリーマントラが癒される
とか御詠歌?の大会にでるとか。
真言宗を少し学んでみようかと思います。

[匿名さん]

#2662017/09/28 06:23
>>259
仏教では最終的にはどういった状態になれればよいのでしょうか?

[匿名さん]

#2672017/09/28 07:31
>>266

最終的には仏になる事です。(少なくともオリンピック金メダリスト以上の努力がいります)

如来(仏)の力を表すものに如来の十力というものが有ります。

処非処智力 - 道理と、非道理との違いをはっきりと見分ける力

業異熟智力 - 業とその果報因と果の関係を知る力

静慮解脱等持等至智力 - 禅定を知る力

根上下智力 - 衆生の精神の優劣を知る力

種種勝解智力 - 衆生のまことの望みを知る力

種種界智力 - 衆生の本性を知る力

遍趣行智力 - 衆生が地獄や涅槃など種々に赴くことになる行因を知る力

宿住随念智力 - 自分や他者の過去世を思い起こす力

死生智力 - 衆生が死ぬ道理、むこうに生まれる道理を知る力

漏尽智力 - 涅槃に達するための手段を知る力


例えば因果応報を知る力と有りますが
これは大変な事です。
宇宙は物質が変化して宇宙が成り立っていますが
その道理が全て解る事ですから。

宇宙の始まりから終わりまで衆生(生き物)の始まりから終わりまで全て見通す。

これが仏教の最終目標になります。

[匿名さん]

#2682017/09/28 13:39
その先には何も存在しないのですか?
すべて悟った状態が究極の幸せなのでしょうか?

[匿名さん]

#2692017/09/28 19:37
>>268

そうです 如来の悟りが頂点で有り究極の幸せ
涅槃です。

悟りには段階が有り

悟りの52位と言います。
 1段目から10段目を「十信」、
(1段目を初信、2段目を二信、3段目を三信……10段目を十信)
11段目から20段目を「十住」、
(11段目を初住、12段目を二住、13段目を三住……20段目を十住)
21段目から30段目を「十行」、
(21段目を初行、22段目を二行、23段目を三行……30段目を十行)
31段目から40段目を「十回向」
(31段目を初回向、32段目を二回向、33段目を三回向……40段目を十回向)
41段目から50段目を「十地」、
(41段目を初地、42段目を二地、43段目を三地……50段目を十地)
といいます。
51段目は、ほとんど仏の悟りと等しいということで、「等覚」と言われます。
52段目の悟りが
「仏覚(ぶっかく)」と言われ、仏の悟りです。

これ以上、上が無いので「無上覚(むじょうかく)」とも
妙なるさとり、「妙覚(みょうかく)」とか、
「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)」
とも言われ、仏の悟りには色々な名前があります。

この悟りの52位の中で、
40段目までを「退転位(たいてんい)」といい、
41段目以上を「不退転位(ふたいてんい)」といいます。
「退転(たいてん)」とは、
油断するとさとりが崩れることをいいます。
ですから、2段目、3段目と悟っても、気を抜くと、がらっと崩れて
元の木阿弥になってしまいます。

そして41段目以上の「不退転位」まで行くと、
どんなことがあっても崩れない悟りの位となります。
悟りは1段違えば、人間と虫けらほど境涯が違うと言われます。

悟りは、ちょっと気付くとか、何々が分かったとか、そんな生易しいものではなく
境涯が変わってしまうのです。

因みに手足が腐るほど修行した禅宗の祖、達磨大師が30段と言われております。

有名な高僧でも10段もいかないぐらいです。

[匿名さん]

#2702017/09/29 06:13
なので お釈迦様は
出家者には六道輪廻からの解脱
在家信者には天界への生まれ変わりを目指すように言われております。

地獄界 餓鬼界 畜生界 修羅界 人界 天界までが肉体を持ち輪廻します。

声聞界 縁覚界 菩薩界 仏界は輪廻しません。

お釈迦様は六道輪廻を

「人が死んで生まれ変わる間に流した涙の量は、海の量よりも多い」

「指先につまんだ土を現世とするならば、人の輪廻は、この地上にある全ての土よりも多い」

と言われております。

各宗派の勤行で最初に唱える開経偈(かいきょうげ)には

 無上甚深微妙法 むじょうじんじんみみょうほう
 百千萬劫難遭遇 ひゃくせんまんごうなんそうぐ
 我今見聞得受持  がこんけんもんとくじゅち
願解如来真実義 がんげにょらいしんじつぎ

で始まります。
意味は
   
 この上なく深く素晴らしい仏教の教えは、百千萬劫(ひゃくせんまんごう)という長い時間を経ても巡り逢うことは難しい。

    (にもかかわらず)私は今その教えを見聞きし、受け持(たも)つ機会を得ました。

    どうか仏の説かれた真実の教えの内容を理解できますように。

です。

ですから何百億年 何千億年かそれ以上
永劫に近い輪廻転生の中で
またとないチャンスです。

[匿名さん]

#2712017/09/29 22:05
現世でも幸せになることはできますでしょうか?

[匿名さん]

#2722017/09/29 22:14
仏教は戒 定 慧の三学と言われます。

戒律と禅定を修めると知恵が付くと。

さて実際に戒律を修めると、どのような効果が有るのでしょうか?
経典の話を紹介したいと思います。


ある 少年が父親を亡くしました。
少年は悲しみに暮れてましたが
ふと 父親が天国に行ったのか 地獄に行ったのか
気になっていました。

そうだ お釈迦様に聞いてみよう!!

…少年の父親は善人でしたが少しの悪行が有ったために6日間だけ地獄に堕ち7日目に天界に生まれる事になっていました…

少年は お釈迦様に聞きに祇園精舎に足を運びます。
「やあ、よく来たね」と
お釈迦様は少年と世間話をしました。

少年は家に帰ると

あれ お父さんの事、聞くの忘れたな…
まあ いいや 明日聞こう!

と少年は祇園精舎に足を運びます。

2日目 3日目……………5日目 6日目…

少年は何故か聞くのを忘れてしまいます…

そして7日目

『お釈迦様、僕のお父さんは天国に行ってますか?』

お釈迦様はニッコリ笑って

『そうだよ、お父さんは天界に居られるよ』

少年は喜んで家に帰りました。


この経典は戒律の

嘘を付いてはいけない。

戒律を守ると嘘を付く機会から遠ざかる事をあらわしています。

戒律は男で250戒
女で350戒 有ります。

[匿名さん]

#2732017/09/29 22:16
>>271

もちろんです!

現世が幸せでないと来世も幸せでは有りません。

[匿名さん]

#2742017/09/29 22:42
こういう事は余り書きたくないのですが
芸能人で釣りとか美食家とか大酒飲みの方は大勢いますね

最期はどうでしょうか?

癌でも特殊のものだったり
短命だったり…

田舎のお百姓さんの方が
穏やかに亡くなっているのではないでしょうか

欲は必ず苦を招きます。

幸せになりたければ
良い種を撒き

不幸せになりたければ
悪い種を撒く

良い種の撒き方を仏教は説いているのです。

[匿名さん]

#2752017/09/29 22:50
>>273
有り難うございます

[匿名さん]

#2762017/09/29 22:57
>>274
やはり癌や早死には悪い種の結果なのですね。

病気から学べるものはないのでしょうか?

[匿名さん]

#2772017/09/29 23:09
>>276

いや人生の長さは関係有りませんし、病気も幸不幸を示すものでは有りません。本人しだいです。

しかし、例えば寿命は80年有るが煙草 酒で60才で亡くなった。

これは戒律に違反しますし勿体ない事ですね。

[匿名さん]

#2782017/09/29 23:13
>>274
津波で突然の死にあわれた方々も
悪い種を撒いた結果なのでしょうか?
仏教的な立場からすると自業自得なのですね

[匿名さん]

#2792017/09/29 23:21
>>278

先ほども言った通り
人生の長さは関係有りません。

仏教的な見方は生きるも死ぬも無いのです
肉体はただの飾りですから。

[匿名さん]

#2802017/09/30 07:19
有り難うございました。
私もいちから仏教を学び実践していきたいと思います。きっかけを頂き感謝いたします

[匿名さん]

#2812017/09/30 07:55
頑張って下さいq(^-^q)

お釈迦様の

 四諦 八正道 縁起 苦 中道 スッタニパータ 戒律

大乗仏教の六波羅密や菩薩行など

あと 般若心経!般若心経だけ学べば良いと思うほど素晴らしい経典です。

般若心経の中に

不生不滅 不垢不浄 不増不減
(ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん)

と 有ります。
今回の疑問も、この不生不滅を理解する事で答えが出ます。

では失礼致します。

[匿名さん]

#2822017/09/30 20:29
因果は廻る

「何ゆえ、釈迦族は滅んだのか。その原因は、はるか昔にさかのぼる・・・」

仏陀はそう言うと、しばらく遠くを見つめるような目をした。そして、多くの弟子たちをゆっくりと見回し、再び遠くを見つめるように顔をあげた。

「遥か昔、釈迦族は今のカピラバストゥの地より、もっと西の方に城をかまえていた。そこは、このインドの西の端と言ってよいであろう。海岸が近くにあり、釈迦族は主に漁業を営み、また他国との貿易によって生活を成り立たせていた。多くの者は海に出て魚を獲っていたのだ。そして、その魚を自分たちで食するだけでなく、干物にしたりして他国へも売っていたのだ。また、そのついでに他国から珍しいものを買い入れ、海岸から遠い国に魚の干物のとともに売りさばいていた。そうして、釈迦族は成り立っていたのだ。

彼らは、漁業に詳しく、次第に魚の生態も知るようになり、効率よく大量の魚を獲る術を覚えた。それとともに国は潤い、民は栄えていった。しかし、やがてそれは、魚を獲りすぎるようにとなっていった。
彼らは、自分たちで食することができない魚や売れ残ってしまった干物を捨てるようになっていた。その量は次第に増えていった。彼らは、城の外で海岸に近いところに大きな穴を掘り、余った魚を捨てるようにした。捨てる魚の量が増えるにつれ、穴の大きさや数も増えていった。

ある年のこと、大量に魚が獲れる日が続いたことがあった。

[匿名さん]

#2832017/09/30 20:31
その年は、異常に魚が獲れたのだ。

『こんなに獲れたのだ、明日からはしばらく漁を休んだ方がいいだろう』

釈迦族の長である国王は、漁に出る者たちにそう言った。しかし、漁師たちは

『いやいや、いつ獲れなくなるかわからないですから、獲れるときに獲っておきましょう。なに、干物にすれば、長持ちしますから』

と言って、できるだけ漁に出ると主張した。国王は彼らに反論した。

『そうはいっても、毎年捨てる魚が増えているではないか。他国へも干物が売れなくなってきている。いや、売れる量は変わらないが、干物の量が増えているのだ。そのため、売れ残りが増えているのだ。これ以上売れ残った魚を捨てるようになれば、その場所の確保も大変なのだ。しかも、腐った魚の匂いが街中に流れてくるようになってきた。いくら大量に魚が取れるからと言って、捨ててしまうようでは意味がない。いったん漁を休んで、残っている魚を調整しようではないか』

『もし、この先魚が獲れなくなって食べるものに困ったとしたら、国王様はどうなさるね?。我々の食の保証をしてくださるか?。国民が飢えてもいいのですか?』

『よく聞きなさい。私は、今年の漁を今後すべて休めと言っているのではない。今は干物もたくさん残っているから、それがなくなるまで休め、と言っているのだ』

[匿名さん]

#2842017/09/30 20:32
『そんなことはわかっています。私らが言っているのは、その漁を再開したときに、魚が獲れなかったらどうするのか、ということです』

『わかった。その時は、国民の食を保証しようではないか』

国王はそう言い切ったが、漁師たちは疑いの目で国王を見ていた。彼らは『どうせそんなことはできっこない』と思っていたのだ。

釈迦族の大半の人々は、漁によって生活を営んでいた。だから、漁を休むということはとても不安だったのだ。結局、彼らは国王の提案を受け入れることなく、翌日も、その翌日も漁に出たのであった。

毎日が大漁であった。船は、満杯の魚を乗せて戻ってきた。しかし、その魚たちは誰にも食べられることなく、すべて海岸の穴に捨てられることとなったのだ。そうした日が幾日も続いた。釈迦族の人々は、毎日のように大量に魚を捨てたのだ。魚の命を毎日大量に無駄にしたと言ってもよい。
やがて、海岸は魚の腐臭で人々が寄り付かなかくなってしまった。また、いくら魚を獲っても売れないのではお金にならない。釈迦族の人々は漁に出ても生活に困ることになってしまった。

『漁に出ても暮らしていけなくなってしまった。しかも、魚の腐った匂いで街自体暮らしにくいものとなってしまった。このままでは、もうこの場所で生活することは不可能だ。幸い、国には貿易による蓄えがある。しばらくの間は生活に困ることはない。そこで、我が釈迦族は他の地へ移転することとする。

[匿名さん]

#2852017/09/30 20:33
ここより東、ヒマラヤ山に近い地域だ。そこでは農業や酪農が営める。また、ヒマラヤに近いと言っても、一年中寒いわけではない。春もあれば夏もある。とても過ごしやすい地だ。川もあるし、生活に困ることはない。よいか、釈迦族はこの地を捨て、他の地へ移動するのだ。今度は私の指示に従ってもらうぞ』

国王は、釈迦族の人々にそう宣言した。こうして釈迦族は、現在のカピラバストゥの地へと移ってきたのだ。彼らは、その地で城を築き、智慧のある民族として世に知られるようになった。

しかし、殺生の罪はあまりにも大きかったのだ。その罪から逃れることはできなかった。そう、釈迦族が滅んだのは、遥か昔に大量の魚を捨て続けたことによるのだ。原因は大量の殺生、その結果が釈迦族の滅亡へとつながったのである」

仏陀は、そこまで話すと、静かに目を閉じたのであった。

仏陀は、ゆっくりと目を開いた。

「よいか弟子たちよ。因果は必ず廻る。罪を犯せば、その報いは必ずやって来るのだ。その時、なんの報いもないからと言って安心してはいけない。罪を犯したすぐ後に、その報いがやって来るとは限らないのだ。報いとは、多くの場合、時を経てやって来るものなのである。たとえば、大きな瓶に水滴が垂れ、やがて瓶が水でいっぱいになりあふれてくるように、罪も一つ一つ重なりやがて大きな報いとなってあふれ出てくるものなのだ。

[匿名さん]

#2862017/09/30 20:36
もちろん、それは善行においても、そうである。善いことをしたからと言って、すぐにその恩恵がやって来るとは限らない。
多くの場合、善行の恩恵は、時を経てからやって来るものなのだ。同じように、善行を積み重ねることによって、やがて大きな善果がやって来るのである。

汝ら弟子たちよ。決して悪に染まってはならぬ。決して悪行を為してはならぬ。
それらは、一つ一つは小さくとも、やがては大きな塊となるのだ。その報いが来るときは一度にやって来る。大きな報いとなってやって来るのだ。罪を犯すときは小さな重なりであっても、その結果が廻って来るときはいっぺんにやって来るものなのだ。

小さな罪と言って決して侮ってはならぬ。その小さな罪の積み重ねが恐ろしい結果を招くのだ。

今一度、自分を振り返り、戒律を犯してはいないか、考察するがよい」

[匿名さん]

#2872017/10/01 10:53
斬新でリアルな話だ
その時代にタイムスリップして仏陀に会ってきたんだなね(笑)
本にして出せば儲かるかも

[匿名さん]

#2882017/10/01 20:56
>>281
キリスト教や道教などは、その事をどのように、説いていますか?

[匿名さん]

#2892017/10/02 07:45
>>288

キリスト教や道教は勉強した事が無いので詳しくは分かりませんが

キリスト教は

汝の敵を愛せ と言う

これだけで教えとしては他は要りません。

仏教は煩悩を減らせと言う

煩悩は自己中心的な心から起こります。

お釈迦様の十大弟子の目蓮尊者が神通力で亡き母親を見た時に
餓鬼界に堕ちていた

あんなに良い母親が何故と目蓮尊者は驚き
神通力で母親を救おうとしますがことごとく失敗し お釈迦様に救う法要を聞いたのが、お盆の始まりですが

目蓮尊者の母親は目蓮だけを可愛がったのです、他人の子供はどうでも良かった と言ったら失礼ですが 差ほど気にしていなかった。

煩悩(エゴ)エゴは自己さえ良ければよい
家族 親戚だけ良ければよい心持ちです

キリスト教の汝の敵を愛せは正に この事を説いて有ります。

道教は禅宗のマッタリした感じですかね
差ほど仏教と変わらないと思います。

[匿名さん]

#2902017/10/03 11:13
尊敬する高橋聖人。何処におわしますや?

[はると]

#2912017/10/03 18:49
削除したまえ

[匿名さん]

#2922017/10/03 21:11
高橋とecoは、どうでもよい。

[匿名さん]

#2932017/10/03 22:42
今晩は。お久し振りです

[高橋幸弘]

#2942017/10/04 07:14
>>293

高橋 自作自演するな!

[匿名さん]

#2952017/10/04 07:20
まだ 今でも 仏教とは法華経であると悟らない方が 多いですね? 真言宗 大日如来なとは存在しないのです…。 大日如来は久遠実成釈尊の迹仏です! 従って大日如来が発する真言は方便です! 法華経の本門の真言だけが 真の真言であります…。 しかし、 今は末法!! その本門の真言であっても 無益なのです

[高橋幸弘]

#2962017/10/04 07:24
真言宗 、密教は、インドの大乗仏教で、最後に成立した、ヒンデュー教やジャイナ教などを
取り入れた仏教でしょう?

[匿名さん]

#2972017/10/04 07:38
確かにそう言われています。 密教は素晴らしい教えだと思います… しかし、最後に成立された教え=最高の教え とはなりません…。 教えの中身がどれ程の利益があるのか? どれ程の教えの広大さがあるのか? どれ程の広域や深淵さがあるのか?を知ったうえで 信仰しなければ 何の意味もなしえません…。しかし、私達は末法の凡夫! その様な事を知る知識や知慧はありません…。 それならば、釈尊のお言葉に忠実に従うしかないのです…。 忠実に従うには 教典の教えに従うことですから、最高(最上位)の教えである法華経に従う事が釈尊の教えに従うこと となるわけであります。 さぁ♪ 皆さんも法華経へ帰依し 久遠実成釈尊へ救いを求めながら、 南無妙法蓮華経と唱えてみませんか? 南無妙法蓮華経 合掌

[高橋幸弘]

#2982017/10/05 07:10
だれも「最後だから素晴らしい教え」と言っていないが?

[匿名さん]

#2992017/10/06 19:04
高橋はまだいたのか(笑)

[匿名さん]

#3002017/10/06 19:47
高橋の自演はプロ級だね❗

[匿名さん]

このスレッドは1000件に達しました。これ以上書き込み出来ません。




HOT!オススメ! ⇒ 宗教総合/ 創価学会/ キリスト教/ 幸福の科学/

🌐このスレッドのURL