ノアに行かずに全日本に残ってたら…天龍はいたかも。オリジナル全日本ファンは応援したはず。
[匿名さん]
元子がイヤだったんじゃない?
あれほど敬愛してた馬場の全日を出たんだから
[匿名さん]
こんばんわ
ラッシャー木村です
は、ラッシャー木村の生真面目さが出てるよな
[匿名さん]
金網の鬼」の異名をとり、ユニークなマイクパフォーマンスでも人気を博したプロレスラーのラッシャー木村=本名・木村政雄=さんが、24日午前5時30分、腎不全による誤嚥(ごえん)性肺炎のため都内の病院で死去した。68歳だった。通夜・告別式は遺族の意向により親族のみで執り行い、後日、改めてお別れの会、追悼興行を開催する予定。
◇ ◇
金網の鬼が、鬼籍に入った。
木村さんは00年、故・三沢光晴さんらと行動をともにしてプロレスリング・ノアの旗揚げに参加。61歳9カ月という日本人プロレスラーの現役最高齢記録も樹立したが、03年3月から体調を崩して休養。04年7月10日の東京ドーム大会でオーロラビジョンに登場し「このままでは迷惑がかかると思い、引退を決意しました。本当にありがとうございました。ご機嫌よう。さようなら」と、引退を発表。同年12月24日、終身名誉選手会長に就任した。
その後は療養生活を続けていたが、昨年6月13日に三沢さんが試合中に急死した際には都内で同19日に営まれた密葬に参列した。それから1年もたたないうちに、三沢さんの後を追うようにして旅立っていった。
木村さんは64年に大相撲の宮城野部屋から日本プロレスに入門し、65年4月にデビュー。東京プロレスを経て入団した国際プロレスではIWA世界ヘビー級王者としてエースに君臨。日本初の金網デスマッチを敢行し、「金網の鬼」として一時代を築いた。
81年の国際崩壊後はアニマル浜口、寺西勇と新日本プロレスに殴り込み、アントニオ猪木とのプロレス史に残る抗争に突入。初登場時の「こんばんは」という、木村さんの人柄を表す丁寧なマイクパフォーマンスは伝説となっている。
第1次UWFを経て84年に参戦した全日本プロレスでは故・ジャイアント馬場さんと抗争するも馬場さんを「兄貴」と呼ぶマイクパフォーマンスで大ブレーク。馬場さんと組んだファミリー軍団での悪役商会との抗争はマット界名物になった。
39年間の現役生活で7団体を渡り歩いた木村さん‐そのプロレス人生は、まさに激動の日本プロレス史を象徴するものだった。
[匿名さん]
ラッシャーは元々寿司屋の板前で、たまたまラッシャーの店に行った馬場がラッシャーの作る寿司に感動し、ラッシャーの寿司屋の常連になり、冗談で、「プロレスラーにならないか?」と言ったところ真に受けたラッシャーが馬場に直訴してプロレス界入り
ラッシャーという名前も「らっしゃーい」からきている
[匿名さん]
バップからの追悼DVDに続き、ポニーキャニオンの秘蔵名勝負DVDでも、二度目のハンディ戦と浜口との遺恨戦が収録。
いずれもファンとしてはキツイ時期ながら、これもまた欠かせぬ重要期というか。
[匿名さん]
80年代の体つきは尋常ではない。そうとうハードな稽古を積んでいたんだな。
晩年の体からは想像がつかない。
[匿名さん]
やはり遺影はマイクでなく全盛期のベルト姿でやってほしかった。
IWA世界ヘビー級チャンピオ〜ン、ラッシャー木村〜
[匿名さん]
『ドクター・デス』『オックス・ベイカー』『ザ・クエッション』のデスマッチは『テレビ』で観た記憶が有るが? … 『Wマクダニエル』『Mジョージ』『ブッチャー』とのデスマッチは夢に終わった!?
[マドリル]
そういえばジョージとは新日本でタッグを組んで猪木&ホーガンと。
[匿名さん]
国際プロレスエースも晩年は道化師にしか生き残れたのは惨めというか悲運なプロレス人生…合掌
[匿名さん]
最後のタイトル戦は、馬場と組んでの世界タッグ挑戦。
[匿名さん]
国際や新日の頃は、筋肉って感じだったけど、全日の頃は、練習不足なのか、体がたるんでいたよな
[匿名さん]
その衰えは、新日本での最後のシリーズから既に始まっていた感じも。
[匿名さん]
国際が崩壊してエースとしての自覚が薄れたから、肉体もたるんできたのかな?
新日マットでの「みなさん!こんばんは!」は、礼儀正しいレスラーだと思ったけど、新日には合わなかったね(笑)
[匿名さん]
馬場や猪木すらやらなかった金網デスマッチ。新日や全日でも続けてやって欲しかった。そうすれば、若いファンも木村に対する見方も違ったと思う。
[匿名さん]
全日としては、国際のエースをメインにしたくはないだろ。本来なら吸収された感じなわけなんだしな。未来のエースの鶴田と対戦させた事は、馬場の温情なんじゃないのか?
[匿名さん]
メーンは草津&井上のIWA世界タッグと極道コンビのアジアタッグのダブルタイトル戦。
ちなみにセミはクツワダvs寺西。
[匿名さん]
生で観戦したファンならわかると思うが、金網デスマッチの迫力はそれまでの日本プロレスになかったもので、ドギモをぬかされた。後年の大仁田厚のインチキ電流爆破マッチなど、比ではない。
[匿名さん]
木村のキャラ自体が金網と上手く合っていたことも大きいでしょうね。
[匿名さん]
なぜ、木村以外の日本人レスラーは金網デスマッチをやらないのか?(後にやっている日本人レスラーがいれば、それは私の知識不足) 馬場はやらないだろうが、猪木ならきっと受けて立ったと思う。猪木と金網デスマッチをやってもらいたかった。
[匿名さん]