オンヌットなんかに住んだら、日本人に会いまくりでダルそう
ちょっと買い物行けば日本人、食堂行けば日本人w
めんどくせえ・・
[匿名さん]
サムットプラカーンへ相乗り通勤しなきゃいけない社員はオンヌット〜バンナー手前辺りに部屋探さなきゃいけないんだよスクンビット界隈に会社が部屋用意してくれるだけましなんです
[匿名さん]
現地採用でも自分で通え!みたいな会社はサムットプラカーンの数千バーツのスタジオアパート借りて家賃補助だけはしてやるが通勤費用は自分持ちとかになる、相乗り長時間通勤を取るか勤務前後の自由を取るか、に悩むんだよ
[匿名さん]
アマタナコンとか車支給無い場合は通勤しようがないもん
[匿名さん]
ラーチャプラーロップがもてはやされたのは、ドンムアンに近いし高速道路使うにも便利だったからだよ
シーロム勤めの奴らはシーロム界隈の高層アパートに住んでこき使われながら平日飲み歩くか週末ゴルフしか無かった
[匿名さん]
工業団地勤務は、とにかく遠距離か地元に染まって、バンコク無縁生活を選ぶしか無かった。でタイ語出来ない者同士が集まって新橋みたいな雰囲気になるしか無かった、タイ語出来る奴らは行動範囲が広がり、バカ駐在をコントロールしてくれと、日本から特命を受けていた
[匿名さん]
トンローグランドタワー週末のフロントフロアなんて
胸に社名入った作業服姿のバカがほぼタイ女を連れてエレベータに乗るんだよな
[匿名さん]
アマタナコンならそこのアパートで暮らすのも手だね
通勤時間は無駄
[匿名さん]
いないよ、ラーチャプラーロップも同じ様なのが沢山いた全盛期の話、1階の日本料理をタイ女やその家族と一緒に飯食ってた強者(笑)もいた
[匿名さん]
底辺には共通の話題があるものだな。俺にはさっぱりわからん。
[匿名さん]
日本人もいるだろうが、今のラチャプラは白人の中高年(とタイ人)が多いという印象だけどな
沈没と言っても今はビザランできないからちゃんとしたビザがなかったらいられない
ということはリタイアビザを持った50歳以上?
[匿名さん]
でも若い頃にあんな安宿や安アパートでダラダラする時期があっても良いと思う
大学時代に部活やってたり社会人で燃え尽きた人には必要な時期だったと思うんです
[匿名さん]
当時としてはこの上ない最高の生ぬるい環境だっただろうなw
日本語のテレビ、日本食、プール、日本語の通じる職員、安い物価…。
日本と違って働かなくても白い目で見られることもないし滞在期限が来たら近隣国へ小旅行で気分転換。好きなだけダラダラできた。
今はビザの厳格化や物価の上昇でそうもいかなくなったけど。
[匿名さん]
あの当時はタイ自体がそんな雰囲気だったからね
チェンマイ、クラビとかね
まだタイは貧しかったけど農業国特有の緩やかさが漂ってた
日本人も余裕があった
[匿名さん]
ラチャプラって、YouTuber多そう。現採はオンヌット、沈没年金組はラチャダー。葛飾区、荒川区、足立区って感じ。
ラチャダーは蒲田のイメージもある。
[匿名さん]
ラチャダーはもう年金者は見掛けない、自営業かYoutuberみたいのしか残ってない
かつての賑わいが懐かしくて戻ったは良いけどすっかり住人は変わってしまった
シワラーの虎より
[匿名さん]
ラチャダー足立区ならラマ9は?
今一番バンコクでも一番流行ってるJodfairあっけど
[匿名さん]
オンヌットとラチャダーではタイ人の質が違う
ラチャダーの方が昔や田舎の雰囲気がある、オンヌットだとタイ人も会社勤務者が多くて疲れてる感じ
シワラーの虎より
[匿名さん]
50 52のptt近くに行くとラチャダーディンデーンホイクワンっぽくて良い感じ
[匿名さん]
オンヌットは通りに出ないといかんラチャダーはソイの奥だけで完結する
[匿名さん]
オンヌットに初めて行った時、カルフール(現ビッグC)や店もあって便利だなと思ったが、ちょっと歩いたらすぐ何もなくなったw
まだプラカノン(ソイ プリディ)の方がマシだった
[匿名さん]
シワラーの虎さんでも、ラチャプラまでは落ちたく無いんだな?
[匿名さん]
プラカノンは穴場だな。イサーン人が多く、庶民的な街
[匿名さん]