現改訳が登場していない現在でっ最高日本語訳は回復訳聖書。
ウォッチマン・ニーが記したフットノート付き。
日本福音書房で売ってるよ。ttp:\/\/www.jgbr.com/
イエス・キリストは他の教会に先駆けて突然ローマにわたり「カトリック教会」を設立したんだったな。
さて、以上のことは「分派が言いそう」と仰りそうなことですが、
別にそう言って下さって結構ですよ。
あなたがそんな思考しかできないことは百も承知ですからね。
でも何で分派分派と盛んに言うんだろうね。他宗教とスッパリ言われたほうがスッキリするのに。
そんなに別れて欲しくないのかな?あるいは…?
[匿名さん]
?
Good!
?
Bad
神の名の下に
大量虐殺を犯してきた
キリスト教は大罪である。
> 宗教ではなく人間がするんです^^
典型的な洗脳バカの逃げ言葉だなw
キリスト教は、教義にはキレイゴトをたくさん並べているけれど、世界史において大虐殺差別侵略強○を
先導してきたのがキリスト教国。大航海時代から欧米のキリスト教信仰国が侵略主義を推し進め
2次大戦の原因である「世界を帝国主義の流れに染めあげた」のもキリスト教の信仰国である。
こうして歴史を見ふりかえってみると、キリスト教は「史上最悪の虐殺集団」「史上最悪の害悪宗教」と言えるのではないかと思います。
キリスト教徒は南米のインディオを神の名の下に何万人虐殺。拷問しましたか? インド、アフリカの人々をどんだけ差別し虐愛しましたか?
ttp:\/\/detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411782049
[匿名さん ]
?
Good!
?
Bad
【バカトリック信者の言い分】
「口先だけの善よりも、行う偽善のほうがマシ。」
プロテスタントの信者に多い傾向なのだが、
未信者の善意は周囲の評価を気にした偽善だと勘違いしている。
そのくせ、分派の連中は聖書の暗記ばかりで実践をしない。
天主に憎まれるのはプロテスタントのほうだろう。
身勝手な空想で誤謬を吹聴する異端者が多い。
耳触りのいい曲解で現実逃避しても、
(霊的な)事実と乖離していたら無意味でしょう。
神を直接的に見た聖人のみが、御心を語ることが出来る。
プロテスタント牧師などという無能な存在は、
金銭で雇われている聖書の解説者にすぎない。
[匿名さん]
?
Good!
?
Bad
カトリック教会(神と契約した教会) = キリストによって聖霊が働くことが永遠に保証された教会
プロテスタント(神と契約していない教会)= キリストとは関係のない私的な教会だから聖霊が働かない
それらを明確に示した書物が新約聖書であって、新約とはキリストが建てたカトリック教会と神との契約を表している
その契約過程を説明し、その契約によって初代教会からのカトリック教会は西暦1世紀当初から聖霊によって助けられて発展してきた事実や、
神は契約を世々に到るまで守られることを、新約聖書によって明記されていることから新約聖書はカトリック教会の正典である
要するに、カトリック教会を説明した解説書が新約聖書。
[匿名さん]
?
Good!
?
Bad
【バカトリック信者の戯言w】
71 :神も仏も名無しさん:2010/12/29(水) 22:07:54 ID:4a0BzPPF
我々カトリックこそがアブラハムの子孫である!ステファノみたいな真似事をする異端者どもを石打ちにする権限が我々にはある!
奴らをいかしておいてはならない!呪い倒し、自滅をさせなければならない!アメンン!
それに「キリスト教」とは通常
「ローマ・カトリック教会」を意味する。
世界最大で、有名でもあり、普遍的だからだ。
弱小の分派(プロテスタント)が
自説に固執しても説得力が無いね。
[匿名さん]
?
Good!
?
Bad
自分に都合が悪いと、「それは御心ではない」と否定し、
自分に都合の良い現実だけを「御心だ、真理だ」と断じる
稚拙な者どもが居る。
幸福も苦難も御心のうちです。
繰り返し言うが、神の御心は、神のみしか知り得ない。
預言を与えられた聖人にこそ、
信憑性の有る根拠が根付いています。
新約聖書
「異端者を支持する者どもは、
厳しさが欠如した聞き心地の良い、
生易しい言葉に酔いしれた。」
[匿名さん]
?
Good!
?
Bad
ジェネシス(創生の書)に記されていないからといって、
他民族・異邦人を否定するのは誤りです。
書かれていないだけで拒絶されているわけではないのです。
例えるならば、新聞やニュースで報道されている以外の生活を
我々は普段どおりに送っていますよね。
書かれていない(報道されていない)けど、
否定も拒絶もされていない
知られざる現実と、変わりない生活です。
ユダヤ・イスラエルの民と同時代を生きていた他民族の中にも
義人たちが居たわけで、彼らの内にも慈しみや愛は在りました。
釈尊、ソクラテス、孔子、聖徳太子、など、
異民族の義人でしょう。
[匿名さん]
?
Good!
?
Bad
最も権威のある聖書は新約聖書の聖福音書ですが・・・・・
聖パウロの著述が異端説ならば、
教会は、とうの昔に聖パウロを
異端者として削除しています。
論理的に思考すれば、
新約聖書の構成が保ち続けられている、という点に於いて
聖パウロも正当性を有しています。
新約聖書の構成が崩れていないという状況が、
聖福音書以外の新約聖書、すなわち使徒行録以降にも、
正統性・正当性を裏付けています。
この状態こそが根拠です。
[匿名さん]
?
Good!
?
Bad
そう信じるがいいさwwww (以下、コピペ)
神は最高に善なる存在であり、
悪を憎みます。
全ての存在は唯一なる創造主より生まれましたが、
善性と性悪の対立は在ります。
存在的には一元論ですが、
観念的には二元論です。
全ての存在は、唯一の天主から発せられ、
霊的、精神的な領域に於いては、
善悪の対立が在ります。
実質的には、二元論的な一元論です。
この論旨には矛盾がありません。
[匿名さん]
?
Good!
?
Bad
【マムシのカトリック】
グノーシス派への反論
主イエズス・キリストは邪神だろうか?
悪神のように振舞っているだろうか?
暴君のような神が十字架で贖罪を果たすだろうか?
グノーシス派の論旨は破綻しています。
「イエズス」という人名は、
「YHWHは救う」を意味する。
そして、「インマヌエル(共におられる神)」と
呼ばれるほど、親しい神です。
御父YHWHも慈愛に満ちています。
新約聖書
「御父YHWHは、御子を与えたほど世を愛された。」
現世(物質界)は不完全ゆえに、
不条理が生じているのではありません。
苦難には、霊魂と精神を磨く価値が有ります。
聖書は苦しみの価値を説いています。
[匿名さん]
?
Good!
?
Bad
現世的な涅槃の境地には希望が無い。
宗教よりも、科学や心理学を頼ったほうが救われる。
悟りという智慧は能力的な手段であり通過点にすぎない。
目的としては説明が不十分です。
人生の意味を見つめる真理の探究も過程であり、
到達点としての目標が明確ではないので納得できません。
現世に於ける救済は、唯物的な手段によって成し得ます。
死後の世界という来世に於ける救いを説かない宗教は、
宗教とは言い難く、哲学や人生観の範疇に収まる。
結論として、霊魂の存在を否定する宗教は似非です。
[あだち ]
?
Good!
?
Bad
「死後の世界、霊魂の存在、来世、などは、
証明できないので、死んだ後もしくは、
死ぬ直前まで気にしなくてよい」という詭弁への反論
人生で自己本位に、好き放題の悪行を重ねておきながら、
死ぬ直前になって、「ちょっと聖書でも読んでみようか」などと
救いを求めるのは図々しく、遅すぎる。
具体例に最適な人物が居る。
創価学会の池田大作である。
奴の論理は、現世利益を追求する姿勢であり、
老境に達してから、死への恐怖で震え上がっている。
このようなクズが、今さら「聖書だ、来世だ」などと
救いを求めても、それはあまりに図々しさ極まりない。
天主は慈愛に満ちているが、
自己が犯した罪の代償は支払うべきだ。
不正な悪徳によって富を蓄えたのならば、
一斉に、慈善団体などへ放出しろ。
信仰、善行、愛徳、慈悲、功徳、は、
生きているうちに積みましょう。
幕末に宣教師を派遣して病院や女学校を作った伝統宗教系の宗派と、
禁教令が解除されて何年もたってから来て、女学校や病院を
作っているわけでもない新興宗教系の宗派とを、
同じプロテスタントとひとくくりにするのは大変な無礼にあたるぞよ。
たとえば日本基督教団霊南坂教会とHCCライブチャーチをひとくくりにするなんてことは、
正教だろうがカトリックだろうが絶対にしちゃいけませんぜ。
[匿名さん]
?
Good!
?
Bad
210 :神も仏も名無しさん:2011/08/07(日) 09:46:28.17 ID:LgX8b9wV
当方、元プロ(日基・改革長老教会)⇒現カトの者です。
聖書中心主義で、教会には簡素さを求めるプロテスタントだって、
全部が全部悪いというわけじゃないけど、
あまりにも簡素に装飾を排し「聖書!」「聖書!」うるさい教派は、所詮自分には合わなかった。
今にしてみれば、教会が荘厳であって何が悪いのだろう?と思う。
教会は神との、日々新たなる出会いの場なわけでしょう。
日常と異なる空気と空間の中で神に祝祭を捧げることには、やはりそれなりの意味があるし、
そうであるならば、教会がそれなりに整った施設と設備を持っていることは必要じゃないかな。
日本人の感覚から言っても、みすぼらしくて小さく汚い教会よりは
大きくて綺麗な教会のほうが、普通にいいと思うんだけど。
[匿名さん]
?
Good!
?
Bad
ギリギリの帰する所まで突き詰めていくと信仰だけでいいんですよ。
人間の運命なんていつ十字架上の盗賊と同じ状態になるか分からないんだから。
それをここのカトは、重病の病人や老人が信仰の告白をして主を受け入れる決意をしても、
アンタはもう手遅れだ、若い元気なうちから善行を積まないともうダメだ、煉獄行きだ、
とでもいうんですか。
さっさとクリスチャンやめてヒンドゥー教にでも入ればいいのにと思いますよ。
サロメは過去に魔術や占いを頼った遍歴が有るんだよ。
聖書は魔術の類を厳しく禁じているから、大罪の浄化が必要なのさ。
秘跡が無い分派では、贖罪の御業に与かれない。
公教会の秘跡と免償のみが、霊魂を浄化できる。
[匿名さん]
?
Good!
?
Bad
自分を除いたすべての人間は親も含めみんな馬鹿だと思って生きてんだろうな。無臭を自認しつつもこの辺りが生き方の土台。
懐かしいな。頭でっかちな厨二の自分教
親が病気で倒れたりすりゃ生活生き方考え方仕事の取り組み方がコロッと変わる可能性はあるがな
まあエホ証の方がましかもな。禁欲主義が強いが家庭をまとめようとしてる
恥辱と共に認めて正面から考察し、公式見解述べたりして他宗教家と談話てんのはカトリックだけだろ
ガワはガワとしてカトリック叩いたらよろしい。貧しい命の味方したいってのがおおよその動機ならば、
ジャカスカ論ずるべきだ。JP2がカトリック以外のキリスト教ん所に不意に出向いて話聞いたのが、
第2バチカン公会議開くきっかけになったしの。もう25周年だ
負の遺産知ら〜んってのがだいたいのプロテ
ぼんやり知っててオレみたいにわざわざカトリックになるのはまれだ。たいていはガワでピヤピヤやってあざける。これがまあ普通
で何かの手玉になる
直接知ってる訳ねーじゃんか。家庭も学校も各自の個性でバラバラなのに
くくるタイプのヤツにたぶらかされてないで同じヘマしないように毎日回心して生きろって話。
主の祈りにだいたい戻んだよ。
平和と一致の意向をもって外部に耳を傾けるとか
交わりを死ぬまで繰り返して聴いて従って育つものだから、簡単に要するにだとか結局なんだとか単純にまとまる話じゃない。パッと見、矛盾だらけなもんばかりだ。
すべて馬鹿と思い意向をもって見ればそうなる
ついでに誰にもアンカ打ってないぞ
現代のキリスト教は馬鹿を自覚した人間の集まりだか、自論に固執した夢見がちな教祖の集まりよかまし。そういう男にほだされる女もいるがな
[匿名さん]
?
Good!
?
Bad
第二回バチカン公会議が行われた理由は
ヨハネス23世がある思想を受け入れる前に
地球の宗教対立を収めようとしたためです。
ttp:\/\/ameblo.jp/uruseiblog/entry-10918057093.html
地球の分岐点で失われた三つの命VOL1
ttp:\/\/ameblo.jp/uruseiblog/entry-10950191414.html
地球の分岐点で失われた三つの命VOL2
ttp:\/\/ameblo.jp/uruseiblog/entry-10950302203.html
宇宙への招待VOL1
ttp:\/\/ameblo.jp/uruseiblog/entry-10950654193.html
宇宙への招待VOL2
ttp:\/\/ameblo.jp/uruseiblog/entry-10938446777.html
宇宙への招待VOL3
ttp:\/\/ameblo.jp/uruseiblog/entry-10952062667.html
宇宙への招待VOL4
ttp:\/\/ameblo.jp/uruseiblog/entry-10936154859.html
地球の分岐点で失われた三つの命VOL3
[匿名さん]
?
Good!
?
Bad
新約聖書に於ける不正な管理人の喩え1
富、金銭、財産、などは、天に積む宝を意味する。
負債、借金、などは、罪を意味する。
よって、不正な手段とは、
救いに与りたいがための不純な動機を意味する。
新約聖書に於ける不正な管理人の喩え2
「このままでは天国に入れない」と焦った管理人が
救われたいがために、正しい信心を宣教することによって
他者の負債(罪)を軽減し、宣教で救った者たちに
自らも天で迎え入れられる。
その抜け目無さを主人(天主)が褒めるというわけです。
タラント(天に積む宝)を地中に埋めて
天主に評価されなかった無能にならないこと。
※新約聖書を参照
(タラント=価値ある信心業)を広めずに隠す狭量な者どもが居る。
天に積む宝/タラントは増やすべきなのです。
正しい知識は隠さずに広めましょう。
御像は芸術作品でもある。
すなわち、偶像ではない。
二次元的な御絵を、三次元的な御像で
表現した物が聖像であり、偶像ではない。
御絵への崇敬を良しとしながら、
御像を拒絶する分派の論理は破綻している。
[匿名さん]
?
Good!
?
Bad
新約聖書(コリント)では、「完全な信仰よりも慈愛のほうが勝る」と教えています。
善意と優しさを実践している未信者/他宗教のほうが、
キリスト者よりも義とされていると、謙遜に思ったほうがいい。
少なくとも、傲慢な信者よりは霊的な価値が上でしょうから。
分派(プロテスタント)は、「天に宝を積む」という
御言葉を否定する悪平等の霊的共産主義です。
聖書を生ぬるく曲解してる異端に義はありません。
個々の善意や功徳が天主に評価されるのは、御言葉が保証しています。
天主の評価は減点法ではなく、
加減点法である。(+と−)
罪が多くて天国への自信が無いならば、
慈愛、善意、信心、功徳、宣教、などで
マイナスを埋め、プラスにすればよい。
[匿名さん]
?
Good!
?
Bad
福音派プロテスタントの欺瞞
真に「聖書に忠実」であるならば、
御言葉どおりに実践するはず。
しかし、彼らは本当に実践して忠実なのだろうか?
キリスト教を現実逃避と正当化に貶めているだけではないか。
「聖書に忠実」を謳うなら、実践は不可欠のはずだけどね。
分派と異端者どもは、
議論と裁きには身を乗り出して積極的だが、
中身が全く伴っていない。
新約聖書
「私(主)を愛する者は、私(主)が与えた掟を守る。」
[匿名さん]
?
Good!
?
Bad
美味くもない老舗の蕎麦屋がカトリック
そして目先を変えたは良いがやはり美味くない蕎麦屋がプロテスタントw
どっちもくだらねー。迷信を信じている哀れな人達の集合体w
…世間にはカトリックに向いてる人とプロテスタントに向いてる人がいる。
カトリックの方が断然辞めやすい。
プロに行くと人生狂う可能性があるかも。
カトリック・・・聖職者に変態が多い
プロテスタント・・・一般信者に偏執狂が多い
カトリックは様式美。
プロテスタントは実践派。
[匿名さん]
?
Good!
?
Bad
唯一性は個人の結婚観、親子関係くらい
あとは害悪ばかり撒き散らす血なまぐさい熱狂的唯一観ばかりだ。
アブラハムの子孫だとか抜かす思い上がりが生み出した惨劇がそしりを産み、
契約BOXとかパクられたりするんだ。
たぶらかされて異教徒いじめる。鬼神みたいに
[匿名さん]
?
Good!
?
Bad
> 一神教の本質は「独善性」なのです。
天主が独善でも問題は無い。
神よりも上の善などあるのか?
神が最高で完全無欠の善ならば、
天主が独善的でも構わないではないか。
天主の善性を超える善など在るというのか。
神の独善とは、唯一頂点の善です。
「唯一神の独善性」に、問題はなかろうよ。
[匿名さん]
?
Good!
?
Bad
1830年、それまでカトリックでは「金貸しは破門」とされていたのですが、
ラテラノ公会議の規定が改められ、「高利貸しでない限り許される」ことに
なりました。この頃からローマ・カトリック教会は、ロスチャイルド家と
金融取引を始めています。
1870年、イタリアの統一によって教皇領を奪われたローマ・カトリック教会は、
それまで領地からの得ていた収入を絶たれ、深刻な財政難に陥りました。
それを救ったのが1929年にムッソリーニ政権とピウス(ピオ)11世との間で
結ばれたラテラノ条約です。このラテラノ条約の取り決めにより、バチカンは
「原資」を持つようになりました。
第1条:イタリアは条約調印とともに法王庁に対して7億5000万リラを支払う
と共に額面10億リラの整理国債を法王庁に対して交付するものとする。
バチカンが獲得した金銭は当時のレートで8500万ドル、現時価に換算して
およそ10億ドル、1200億円にあたります。
この大金を管理するため、ピウス11世(在位1922〜39)は1929年6月7日に財産
管理局を設け、聖職者ではない「カトリックに改宗したユダヤ人」ベルナルディーノ・
ノガーラを局長に任命し、その運用を任せるさせるようにしました。
ノガーラは、任務を引き受けるにあたり、教皇に一つのことをお願いしました。
それは、彼が“普通の銀行家”としてこの資産を運用することを許してほしいと
いうことでした。
つまり、キリストや神の教えに囚われることなく、そして良心の呵責に
囚われることなく、自由に運用させてほしいということです。教皇は、
この条件を呑みました。「このユダヤ人に罪を負わせないでおこう!」
以後、ノガーラは、その「原資」をさまざまな投機に回して、バチカンの
経済的基盤を支えることとなります。ベルナルディーノ・ノガーラは
「金融の天才」と呼ばれました。ニューヨークのスペルマン枢機卿は、
ノガーラを讃えて次のように話しています。「カトリック教会に今まで
起こったことのうちで、イエス・キリストに次ぐものは、ベルナルディーノ・
ノガーラである。」
ヨーロッパが戦争に向かうに先立って、ノガーラは軍需産業に投資し、その
多くを買い取りました。これにより、1935年にムッソリーニがアビシニアに
侵略した時、また第二次世界大戦の時、バチカンは莫大な利益を手に入れ、
金融大国となっていったのです。
ttp:\/\/www.geocities.jp/hcyym228/10page.html
こういうのもcallingか。w
[匿名さん]
?
Good!
?
Bad
>子ども達の生命や健康より政治家や官僚の保身を重視する国、それが日本。
ちょっと言葉を変えれば
子ども達の心や体より神父やヴァチカンの保身を重視する宗教、それがカトリック。
オランダのカトリック教会 未成年数万人に性的虐待
オランダのカトリック教会における性的虐待の実態を調べていた同国の独立
調査委員会は16日、1945年から2010年までに「数万人の未成年者」
が神父、修道士ら教会関係者から性的虐待を受けていたとする報告書を発表
した。
報告書は、カトリック教会が虐待の報告を受けながら評判を気にして対策を
怠り、子どもを虐待した神父らをかばってきたと厳しく批判している。
同国カトリック教会の司教らは声明を発表し、性的虐待への後悔を表明、
犠牲者らに謝罪した。
調査委は、約1800件に及ぶ被害届などを基に3万人以上から聞き取り調査し、
虐待に関与したとみられる約800人を特定、うち105人は存命だという。
報告書によると、子どもたちはオランダのカトリック教会関連の学校、神学校、
孤児院などの施設で、体を触られるなどの行為から性的暴行までさまざまな
程度の虐待を受けた。45〜81年に最大2万人が、81〜10年にさらに
数万人が被害を受けたと推計している。
カトリック教会の神父らによる長年にわたる児童への性的虐待の実態は欧米
諸国で次々と明らかになっており、ローマ法王ベネディクト16世は昨年、
犠牲者に謝罪した。(共同)
[ 2011年12月16日 23:07 ]
ttp:\/\/www.sponichi.co.jp/society/news/2011/12/16/kiji/K20111216002259150.html
[匿名さん]
?
Good!
?
Bad
どうせアホのCDUは、「基本がキリスト教の思想なのに認めないジャップは〜」とか頓珍漢なこと言い出すだろうけど
日本において人権思想とはあくまでも法に基づくものね、宗教的なものじゃないのよw
だからと言って西洋でのそれと大きく異なる訳でなし、まして「日本人に人権はない」とか「日本人と白人は対等ではない」なんて話も現代で聞いたことがない
一体CDUはどこの世界の住人なんだろうか?
例を出せといえば正しくないと証明しろ、出来なければ俺の意見が正しいと屁理屈を捏ねて逃げまわる
これが論破だって言うんだから、やっぱり『スレタイ通り』にしか見えんわなw
まあ何よりこのスレに湧くネトクリ共は、ジャップがどうこう言う前に世界を造っただのID論だので示唆される存在がキリスト教のGODであることを証明してみ?
これを「認めない奴は野蛮!」で逃避して自己完結するからお前らアホなw
・懐疑的な集団を相手に「自分達の意見が検証不要で正しい」事を前提として意見を述べ、受け入れられないと相手の人格を貶めようとする
・自分達側(キリスト教信者)の問題点は個人に帰結させ、相手側の問題点は母集団全てに同じ欠点があるかのように語る
・特に信仰が篤い訳でもないが、「信仰している自分」を優越者だと無意識に勘違いする傾向が強い
・自分達がやっている行為が信仰に反するかどうかを検証しない
・基本的に相手が悪く自分達は正しいと思い込む、悪口雑言も「言わせる奴が悪い」と考えている
・嘘を吐くことに抵抗がない者が多い(ちなみにキリスト教談話スレで「どんな場合でも嘘吐いて良い筈ないだろうがw」と否定されたのでこれは個人の資質)
・大抵批判がブーメラン
・真面目に信仰してないからか、相手の信用を失墜させる事(成功した例もないが)でしかキリスト教の正当性を語れない
・常に「賢くて偉いワタシ」でなければならない為か、都合の悪い反論を無視したり枝葉の揚げ足取りに終止する
これが複数当てはまる奴ばっかりなんだから、少なくともこのスレで御高説垂れ流してるクリスチャンはアホに見えるわなw
ヒッピー達はアメリカの生活に深く浸透しているキリスト教的価値観に反発し、それとは反対である(とヒッピー達は考えていた)東洋趣味、神秘主義へと行き着いた。
そのようなヒッピー達にとって禅や瞑想は自分達のニーズに合致するものであった。
ゴールデンゲートパーク内には日本庭園(ジャパニーズ・ティー・ガーデン)があり、ヒッピー達はそこで瞑想をした。
そしてLSDが出回り始めるとヒッピー達はLSDによるトリップが宗教的体験、意識拡大をさせるものとしてLSDを「インスタント禅」と呼んで使用した。
ステート大学ではLSDについての講演が行われるようになった。
ヒッピーと違法薬物使用・仏教は一体のものなのである。
[匿名さん]
?
Good!
?
Bad
人権宣言のインクが乾くか乾かないうちに、国民議会
は・・・反革命の陰謀を探るための委員会を設置して、郵便
物は開封する、逮捕状なしに人は逮捕する、正規の手続き
を踏むことなしに拘禁はする、移動の自由は妨害する始末
です。[1]
パリでは、ギロチンによる処刑が続き、多いときには連日5、
60人に達した。それも反革命勢力というよりは、職人や小商
店主が多かったという。またフランス西部のベェンデ地方の農
民は、カトリック教会弾圧やルイ16世幽閉に反対して立ち上
がったために、女子供も含めて40万人が虐殺された。フラン
ス革命による犠牲者は総計200万人にのぼるという。
すべての人間は平等に造られ、おのおの造物主によって、
他人に譲り渡すことのできない一定の権利を与えられている。
そうした権利のうちには生命、自由および幸福の追求が含ま
れている。そして、これらの権利を確保するために、人間の
あいだに政府が作られる。
「すべての人間」の平等と権利を謳っている点は、人権宣言
と似ているが、見逃せないのはそれが「造物主」によって与え
られている、という考え方である。「造物主」がキリスト教の
神を指すことは言うまでもない。フランスのキリスト教伝統を
破壊しようとした人権宣言とは本質的な違いがここにある。
「松嶋x町山 未公開映画祭」の8作品目、「フロム・イーブル〜バチカンを震撼させた悪魔の神父〜」。
ttp:\/\/capper.sakura.ne.jp/?p=2047
物語は、1970年代にカリフォルニアで活動していたオグレディ神父(小児性
愛者の強姦魔)が、性的虐待を打ち明かすと事から始まります。オグレディ
神父の告白や被害者の訴えにより、事実が明らかになっていきますが、
カソリックの司祭達(バチカン)は、性的虐待の事実を隠蔽することに終始
し、過ちを認めないことで、被害者達をより苦しめている様子が描かれて
います。
また、オグレディ神父一人の問題というだけでなく、全米で推定10万人以上の
被害者がいると言われ、4000人の神父が訴えられるなど、大変な問題なのだと
いうことが分かります(町山さんの解説)。
また、”神父は、幼い頃からの宗教教育で心理的発育がされないことで、小児
性愛に目覚める司祭を生んでいる”ことや、”神父自体も幼い頃に性的虐待を
受けているケースが多い”との構造的な問題点も指摘されます。
この映画では、主に神父による子供への性的虐待と、バチカンの隠蔽体質が
問題になっていますが、とりわけオグレディ神父の、事件を振り返る姿勢が、
特別に異常なこともわかります。「過ぎた事は振り返らない様にしたい」とか
「被害者にあってハグしたい」など、反省する様子が見えないところが怖い
くらいです。
娘さんをオグレディ神父にレイプされたお父さんは、「結局、神などいないんだ」
と怒り、子供の時にレイプされた男性は、「どんな宗教も進む方向が間違って
いた」と諦めます。
宗教っていい面もあるのでしょうが(よく知りませんが)、悪い面が出てしまって
いるなぁと。ますます、宗教への興味が深まる作品でした。
救いのないつらい話なので、観るのに覚悟が要る映画です。
ヨーロッパでは尼僧の隠棲および隔離は厳重であり、厳格である。日本では比丘尼(尼)の僧院はほとんど淫売婦の町になっている。
ヨーロッパでは未婚の女性の最高の栄誉と貴さは、貞操であり、またその純潔が犯されない貞潔さである。日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。
われわれの間では修道士は常に平和を念願し、戦争は彼らにとっては甚大な苦痛である。根来の坊主らは戦争を仕事とし、戦闘に赴くために領主らに傭われる。
われわれの間では人を殺すことは怖ろしいことであるが、牛や牝鶏または犬を殺すことは怖ろしいことではない。日本人は動物を殺すのを見ると仰天するが、人殺しは普通のことである。
それから、ガチなクリスチャンといくら議論しても無駄だね。
理念だの価値観だの文化だのと言ったデコレーションの話をしても切りが無い。
問題は一つ。キリスト教の伝統的ドグマが、真実であるか虚偽であるか。
ここで意見が分かれる相手と議論なんて不可能。
イエスによる霊的な救い、というものが無いなんてことを、
伝統的信仰を続ける奴らが受け入れることなんて出来ないのよ。
いくら聖書学者やリベラル派な聖職者が現代に合った形の信仰心なんてのを提案しようとも、
長い時間をかけて宗教がそういう方向性に変化することは出来るかもしれないが、
既に霊的次元での原罪や復活や救いやらをを信じきっちゃってる信者を変えることなんてほぼ無理。
キリスト教をただの人間宣教師イエスに始まるの思想の一大体系、といった見解レベルの話に還元してしてしまうのは、
大部分の信者にとって「真理の死」に値する残酷な死刑宣告。
ちょいとスレチな上に長文になるが、昨日家にエホバの証人が来た
「さてリアルではどう返してくれるか?」等と期待を抱いて応対したが、結局時間の無駄にw
基本キリスト教徒って(エホバの連中だけかもしれんが)、リアルでもCDUや日月騎士レベルの理解しかしてないのね
(以下大体再現)
JD:「昨今の〇〇について疑問に感じてらっしゃいませんか?」
俺:「はぁ」
JD:「そう言った疑問に聖書は答えてくれるんですよ」
俺:「聖書ってなんで正しいんですか?」
JD:「はい、聖書は神(エホバ)の教えについて書かれていて…」
俺:「ところでその神の実在はどう確認できるんですか?またそれが正しいとされるのはどんな根拠ですか?」
JD:「…え〜、神の存在は聖書に詳しく書かれていて…」
俺:「聖書を正しいとする根拠は?」
JD:「…聖書とは神の教えを…」
俺:「だからその神の実在は?正しいとする根拠は?」
JD:「(この辺からキョドりだす)…いえそれを勉強する為に私たちは…」
俺:「なに?お宅ら理解してもいないもんを人に押し付けに来てるの?この程度の基礎の基礎も説明できないくせに何しに来たの?」
JD:「いえあのそういった疑問に聖書は…」
俺:「だからその正当性の根拠!」
JD:「ですからそれは神の言葉を地上に…」
俺:「(イラッ#)だからその神の実存証明!つかお宅さっきからそこでずっとループしてるんだけど?」
JD:「いえあのその…あ、この冊子(ものみの塔とめざめよ!)を差し上げますので…」
俺:「何一つ納得出来ないもんをなんで貰わなきゃならんの?どうせゴミにしかならんから置いていくな」
JD:「あ、あの勉強会とかを定期的に…」
俺:「興味を引く程度、納得できる程度の答えを返せるようになってから誘って?なんでこの程度の与太話聞きに出てこいとか言えるの?」
JD:「すいません、今度もう少し説明できる者と来ますので…」
俺:「はい、せいぜい当てにしてます」
結局このザマ、連中まさか「聖書の正当性」とか「神の実存」なんて疑問を持たれる筈がないと思い込んでるのね
ある意味一番素朴な疑問なんだけどねぇ?今回のケースは言ってる奴がエゲツナイだけで
「松嶋x町山 未公開映画祭」の8作品目、「フロム・イーブル〜バチカンを震撼させた悪魔の神父〜」。
ttp:\/\/capper.sakura.ne.jp/?p=2047
物語は、1970年代にカリフォルニアで活動していたオグレディ神父(小児性
愛者の強姦魔)が、性的虐待を打ち明かすと事から始まります。オグレディ
神父の告白や被害者の訴えにより、事実が明らかになっていきますが、
カソリックの司祭達(バチカン)は、性的虐待の事実を隠蔽することに終始
し、過ちを認めないことで、被害者達をより苦しめている様子が描かれて
います。
また、オグレディ神父一人の問題というだけでなく、全米で推定10万人以上の
被害者がいると言われ、4000人の神父が訴えられるなど、大変な問題なのだと
いうことが分かります(町山さんの解説)。
また、”神父は、幼い頃からの宗教教育で心理的発育がされないことで、小児
性愛に目覚める司祭を生んでいる”ことや、”神父自体も幼い頃に性的虐待を
受けているケースが多い”との構造的な問題点も指摘されます。
この映画では、主に神父による子供への性的虐待と、バチカンの隠蔽体質が
問題になっていますが、とりわけオグレディ神父の、事件を振り返る姿勢が、
特別に異常なこともわかります。「過ぎた事は振り返らない様にしたい」とか
「被害者にあってハグしたい」など、反省する様子が見えないところが怖い
くらいです。
娘さんをオグレディ神父にレイプされたお父さんは、「結局、神などいないんだ」
と怒り、子供の時にレイプされた男性は、「どんな宗教も進む方向が間違って
いた」と諦めます。
宗教っていい面もあるのでしょうが(よく知りませんが)、悪い面が出てしまって
いるなぁと。ますます、宗教への興味が深まる作品でした。
救いのないつらい話なので、観るのに覚悟が要る映画です。
キリスト教のどこが自由なんだよ。
キリスト教の善悪の押し付けのせいでどんどん不自由になっているじゃないか。
息がつまりそう。
ヴァチカンも先の教皇ヨハネ・パウロ2世の時はそんなにボロを出さずに
済んだかも知れないが、今のベネ公になってからは膿がどっと吹き出して
きた。
GODの御加護も息切れのようだな。
キリスト教が世の中を悪くしている。
洗脳されてしまえば、アホなことにも気付かないw
キリスト教はダメダメ教そのもの
ちなみに差別とは敵や悪に対する攻撃として生まれた
荒井英子だか目時映子だか知らないが、どうして日本基督教団の女牧師は
ああいう低能にして下賤、心ざま醜く卑しい下等な生き物ばかりなんだろうね。
と言うよりも、田舎臭いゲスなクソババアが牧師を名のる乃至騙るのが
今の日本の有り様だとは情け無や。
サイコの サイコによる サイコのための宗教
それがキリスト教。
日本の奴隷扱いの人って、大抵が捕虜なんだけど?口減らしで子どもを売る場合はまた扱いが違いますが
そこら辺「よく理解していない」のに批判できるんだ?大概の信者さんが「キリスト教も理解してないくせに批判するな!」ってイチャモン付けてたくせにw
領主から見りゃ領民であって、商品じゃなく財産ね。そこんとこは西洋の封建君主と一緒
回収された例をよろしく、毎回言うだけ番長って楽でいいだろうね
「パライソ(天国)に連れていくから」と言って奴隷に落として売り飛ばすのは、商取引でなく詐欺だわな
ワンピースみたいな海賊?あんな義侠に富んだのいたんだ?物語の中以外に
と言うか「国内だけで満足できる」民族相手に、「お前らは外洋に出る力もないから」とか挑発して何になるんだろ?
そこら辺の想像力のなさが『スレタイ通り』
グレゴール・ヨハン・メンデル(独: Gregor Johann Mendel、1822年7月20日[1] - 1884年1月6日)は、オーストリア・ブリュン(現在のチェコ・ブルノ)の司祭。
植物学の研究を行い、メンデルの法則と呼ばれる遺伝に関する法則を発見したことで有名。遺伝学の祖。
オーストリア帝国のハインツェンドルフ(現在のチェコ・モラヴィア、ヒンチツェ、母語はドイツ語圏)に小自作農の子として生まれ、ヨハンと名付けられる。
オロモウツの学校で2年間学んだ後、1843年に聖アウグスチノ修道会に入会し、モラヴィア地方ブリュンの修道院に所属、修道名グレゴール(グレゴリオ)を与えられる。
メンデルの所属した修道院は哲学者、数学者、鉱物学者、植物学者などを有し、学術的な研究や教育が行われていた。1847年に司祭に叙階された。
サー・アイザック・ニュートン(英: Sir Isaac Newton ユリウス暦:1642年12月25日 - 1727年3月20日、グレゴリオ暦:1643年1月4日 - 1727年3月31日[注 1])はイングランドの自然哲学者[注 2]、数学者。神学者。
ニュートンは生涯を通じてキリスト教研究に打ち込んでいた。その結果は、1690年頃に執筆された『ダニエル書と聖ヨハネの黙示録の預言についての研究』と、死後の1728年に刊行された『改訂古代王国年代学』に纏められた。
この中でニュートンは、聖書や伝説にある出来事の年代確定に天文学手法を導入しながらキリスト教的歴史観である普遍史をプロテスタント的史観で再構築し、また「ダニエル書」や「ヨハネの黙示録」を解釈した独自の終末論を展開している。[5]
絶対的時間や絶対的空間などを確立したニュートンではあるが、彼自身はそれらがキリスト教の教義と矛盾するとは考えておらず、『プリンキピア』一般注にて宇宙の体系を生み出した至知至能の「唯一者」に触れ、それは万物の主だと述べている。[5]
絶対的時間や絶対的空間などを確立したニュートンではあるが、彼自身は
>それらがキリスト教の教義と矛盾するとは考えておらず、『プリンキピア』
>一般注にて宇宙の体系を生み出した至知至能の「唯一者」に触れ、それは
>万物の主だと述べている。[5]
科学者という用語や概念が登場してからは、「ニュートンは科学者」とも
評されるようになり、自然科学者らによってニュートンの自然科学関連の
業績ばかりが恣意的に抽出され、他の活動は無視・隠蔽する形でニュートン
像が伝えられてきた(→ホイッグ史観)。だが実際には、ニュートンは
現在ではオカルト研究に分類される分野の著作も多く著しており、年代学・
錬金術・聖書解釈(特に黙示録)についても熱心に研究していたのである。
ニュートン自身は、現代人が言うところの"科学的"研究の成果よりも、むしろ
古代の神秘的な英知の再発見のほうが重要だと考えていた。これをふまえると、
世界を機械論的に考察することを「ニュートン的世界観」と表現することには
語弊がある、と指摘する人もいる。たとえば、1942年にニュートンの錬金術
研究書を購入し、検討した経済学者のケインズは、「ニュートンは理性の時代
(age of reason)の最初の人ではなく、最後の魔術師だ」と発言した。
しかしながら、ニュートンが生きていた時代においては、インテリ層が持って
いた世界観は、後世のそれと異なっていたことは記しておかねばなるまい。
当時、「科学」「疑似科学」などという概念も用語も存在しておらず、知識と
迷信の区別もはっきりせず混沌としており、西洋では人々はキリスト教の
聖書の世界観で世界を見ていたのである。
ttp:\/\/ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3
%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B3%E3%81%AE%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%AB%E
3%83%88%E7%A0%94%E7%A9%B6
ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal、1623年6月19日 - 1662年8月19日)は、フランスの哲学者、思想家、数学者、物理学者、宗教家である。早熟の天才で、その才能は多分野に及んだ。
1656年〜1657年、『プロヴァンシアル』の発表。神の「恩寵」について弁護する論を展開しつつ、イエズス会の(たるんでしまっていた)道徳観を非難したため、広く議論が巻き起こった。
また、キリスト教を擁護する書物(護教書)の執筆に着手。そのために、書物の内容についてのノートや、様々な思索のメモ書きを多数記した。だが、そのころには、体調を崩しており、その書物を自力で完成させることができなかった。
ノート、メモ類は、パスカルの死後整理され、『パンセ』として出版されることになり、そこに残された深い思索の痕跡が、後々まで人々の思想に大きな影響を与え続けることになった。
ブレーズ・パスカルは、神との主体的な出会いを重んじた。
デカルト流の哲学については、理性に関係する特定の分野でのそれなりの成果は認めつつも、神の愛の大きな秩序の元では、デカルト流の理性の秩序が空しいものであることを指摘した。
765 :名無しさん@えっち:2012/04/21(土) 22:44:48.44 ID:9ciUL1HE
>764
wwwwwwwwwwwwwwwwww
バカも極致だな。
「西洋医学」と混同でもしてるんじゃねーの?
こういう宗教野郎は、すぐにこうやって「科学」という言葉を持ち出して、
自分たちの権威に取り込もうとするからタチが悪いんだよな。
おまえの言う「西洋科学」ってのが、万が一、宗教と密接に関わっててもそれはそれでいいよ。
じゃあ、数学はすべて「インド数学」だな。
「西洋科学」や「西洋数学」は、ゼロの概念を使うなよwwwwwwwwwwwwww
数論の一分野には、インドや日本人の何人かがほぼ独自に構築したものもあるし、
(日本数学?ww)
生物学などの色んな分野は、当該国だけでしか発展してない学問だってあるんだよ。
各国の名前を冠した〇◯生物学ってつけるのか?wwwww
「科学」というのは、すでに世界全体で構築しているもの。
なんで、こんな当たり前の事を説明せにゃならんの?
そんなことも理解できんのか。
いまどき「西洋科学」ってwwwwwww
「世界四大文明」等と言ってるのは、アジアだけらしい(wiki参照)
欧米では肥沃な三日月地帯とか個別の文明で扱うんだそうな、その中に黄河文明は入ってない
まあ黄河文明が劣ってるって意見も聞いた事無いし、そもそも最後のニ行は明らかに捏造
資料のリンクすら出てこないし
願望が俺のソースだ(キリッって奴でしょう
そもそも劣等種が一番遠くに行ったとか言う時点で噴飯物なんだけどね
行った先で劣化した、ならともかく
そこに着くまでに滅びるっつーの、願望で物騙るから齟齬が出るんだよとw
下のような発言をする馬鹿を、いつまでも放置しているようでは、
最終的には、教会およびクリスチャンも『同じ穴の狢』とみなされる事態を招来させてしまいますよ(怒
みなさんが教会から教わっている《神の御意思》とは、
「平和の美名の下に、悪事に対しても、見て見ぬ振りをして、やり過ごす」事だったのですか?
昔、イギリス人の知り合いに「なぜキリストは生まれなければ
ならなかったのか」と質問したら、「そんなこと考えたこともない」と
笑われました。
そりゃあ、今時、ヤソなんてカビの生えた妄執を真剣に考えてるのは一部の変質者だけだからねぇ。(笑)
つまり、人間がこれだけ普段から残酷で下らないことしか
考えられないよっていう
ある種の指標にはなってるだろうね
[匿名さん]
?
Good!
?
Bad
天地を創りすべてを満たした神が、もはや何らその存在の目的も与えずに人間アダムを創り、次のように呼びかけた、としている。
「アダムよ、われわれは、おまえに定まった席も、固有の相貌も、
特有な贈り物も与えなかったが、それは、いかなる席、いかなる相貌、
いかなる贈り物をもおまえ自身が望んだとしても、おまえの望み通りにおまえの考えに従って、
おまえがそれを手に入れ所有するためである。
・・・おまえは、・・・私がおまえをその手中に委ねたおまえの自由意志に従っておまえの本性を決定すべきである。
・・・おまえは、下位のものどもである獣へと退化することもできるだろうし、
また上位のものどもである神的なものへと、おまえの決心によっては生まれ変わることもできるだろう。」
(大出哲・阿部包・伊藤博明訳、国文社『人間の尊厳について』p16-17)
つまり創造主たる神が人間に対してのみ与えし自由意志こそが人間の尊厳を支えるものだとされたのである。
啓示を与え、奇跡を起こし、人を癒したイエス・キリスト。古い文献や言語の進化を研究していたジョン・マルコ・アレグロは、このような力を持つイエスの姿は、
エンセオジェンの作用を擬人化したシンボルのようなものだったのではないかと言って嘲笑されました。彼はキリスト教のルーツが、エンセオジェンを服用
する豊穣祈願のカルト儀式であったと考えていました。たしかに、初期のキリスト教美術を見ると、聖餐としてベニテングタケやシロシビンマッシュルームを
食べていたらしいことが確認できます。
北の国から空を飛んでやってくるサンタクロースの正体も、彼が着ている赤と白の服のような色のカサをもつキノコ、ベニテングタケか、または、それを使う
シベリアのシャーマンだという説があります。
ttp:\/\/www.entheo.org/archive/entheogen.html
イエスはひょっとして自分が不義の子であることを知っていたのかも?
彼は家族関係に関してほぼ言及しない、父が神であると主張したのみである
それはつまり現実の父親を否定したいと言う意識があったのではないだろうか?
ユダヤ教において姦淫は男女双方が石打ちにて処刑される罪である
それを避けるためか処女懐胎を言い張ったマリアについて、イエス自身の発言はあるか
また創世記においてアダムの最初の妻はリリスであったとする説があるが、これに拠ると彼女は様々なものと関係を持ち子を生したため離縁されたという
これはあるいはイエスにとっての母のイメージではないだろうか
また心理学上性的コンプレックスがある人間は得てして自他ともに禁欲的潔癖であることを求める傾向がある
「産めよ増えよ地に満ちよ」「汝姦淫するなかれ」この2つの矛盾した意見はそう言ったある種歪んだ観念から出てるのかもしれない
>農業から印刷、医療、大工仕事、新しい技術や医療の開発、薬品の製造といった業務
それ以外の職業では?
次にヨーロッパの身分制ですが、藤田幸一郎さんの『手工業の名誉と遍歴職人』(未来社)から中世ヨーロッパ社会で差別を受けた人々を紹介します。
(1)共同体に属さない異端者
大道芸人、乞食、浮浪者、盗賊、ジプシー、宗教的異端、異教徒、ヴェンド人(スラブ人)
(2)共同体とその住民に奉仕する下級吏員と職業
A.治安維持機構の下級吏員
死刑執行人、裁判所下僕、都市下僕、裁判所番人、門番、森林番人、耕地番人、夜警、乞食取締り人
B.公共サービスに従事する職業
墓堀人、道路、河川・下水清掃夫、皮はぎ人、製粉屋、羊飼い、れんが製造工、陶工、風呂屋、床屋
(3)その他
麻織布工
さらに、婚外児が名誉なき者として賤民として扱われておりました。
ttp:\/\/blhrri.org/kenkyu/project/mibun/mibun_0002.htm
キリスト教政党創設者・韓国
「この聖徒が私の聖徒になったかどうか調べるには二つの方法がある。
昔使った方法の一つは、若い女執事にパンティ下ろせと言って、
一度寝てみたいと言って、素直にすれば私の聖徒だ。断ればクソだ」
ttp:\/\/news.livedoor.com/article/detail/5823603/
狂ってるな。
『イエスは過越の祭りの六日前にベタニヤに来られた。そこには、イエスが
死人の中からよみがえらせたラザロがいた。人々はイエスのために、そこに
晩餐を用意した。そしてマルタは給仕していた。ラザロは、イエスとともに
食卓に着いている人々の中に混じっていた。マリヤは、非常に高価な、純粋な
ナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの
足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。ところが、弟子のひとりで、
イエスを裏切ろうとしているイスカリオテ・ユダが言った。「なぜ、この香油を
三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。」しかしこう言ったのは、
彼が貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、
金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからで
ある。イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。マリヤはわたしの
葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです。あなたがたは、
貧しい人々とはいつもいっしょにいるが、わたしとはいつもいっしょにいる
わけではないからです。」』ヨハネ12:1−8
浅ましい奴らよの。
さて、イエスはガリラヤの海べを歩いて行かれ、シモンとシモンの兄弟アンデレとが、海で網を打っているのをごらんになった。彼らは漁師であった。
イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。
すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。
また少し進んで行かれると、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネとが、舟の中で網を繕っているのをごらんになった。
そこで、すぐ彼らをお招きになると、父ゼベダイを雇人たちと一緒に舟において、イエスのあとについて行った。
マルコ1:16-20