1000
2017/07/25 23:52
爆サイ.com 南東北版

🕌 宗教総合





NO.3944547

大石寺教義と板本尊真偽論の考察
合計:
#8512017/07/11 08:40
>>848
きみは「曹洞宗の僧」ですか?

[匿名さん]

#8522017/07/11 08:42
>>831
稲田海素以外にも室住一妙、宮崎英修など
身延の学僧がいましたね。

[匿名さん]

#8532017/07/11 09:02
>>851

違う 批判するなら せめて高校生レベルにしてくれ

[匿名さん]

#8542017/07/11 14:12
そんなに答えられない問題かな?

[匿名さん]

#8552017/07/11 14:14
>>848
曹洞宗僧侶の方に聞いた質問ですが?

[匿名さん]

#8562017/07/11 18:10
>>855
曹洞宗僧侶さん、道元の思想を教えて下さい。

[匿名さん]

#8572017/07/11 18:20
>>847
宮城県某市にある曹洞宗寺院の副住職さんのブログね。
迷惑だと呆れてよりも、怒っていたよ。

[匿名さん]

#8582017/07/11 18:30
>>842
一般の人達もそれに付いて反省すべき事だ。
確かに、折伏など人脈でやってくるのが多いから、難しいが
興味が無かったら、きちんと断る、あまりしつこいなら、役所の市民相談や専門の弁護士など相談し、断っても何度も来るなら、警察に連絡し、教団にも厳重抗議し、毅然とした態度を見せるべきだった。

信教の自由には、断る自由もあるのだから。

[匿名さん]

#8592017/07/11 18:45
>>856

お前は庭でも掃除しろ

[匿名さん]

#8602017/07/11 20:03
>>855
曹洞宗僧侶さん、同とは何ですか?

[匿名さん]

#8612017/07/11 20:15
日蓮正宗なんて知りません。興味がありません。
変な布教じみた書き込みは禁止のはずです。やめてください。 

[匿名さん]

#8622017/07/11 20:21
>>837
>自分の頭で考えて結論を出せ。
>他人を巻き込むな。
>嫌がっている相手を追いかけ回すな!


それ全部、創価も含む正宗系への嫌味じゃないの? 笑

[匿名さん]

#8632017/07/11 21:05
>>862
この曹洞宗僧侶の言うことが当たり前やね。

日蓮より道元の方か一枚上手?

[匿名さん]

#8642017/07/11 21:09
禅宗は天魔のなせるわざ

道元と言う気違い坊主が世に出でてなにやら人を惑わするかな

[富士音楽猫]

#8652017/07/11 21:22
ゴミがほざく

[匿名さん]

#8662017/07/11 21:34
>>865
あなた地獄ゆき

[匿名さん]

#8672017/07/11 21:35
>>866ば〜か

[匿名さん]

#8682017/07/12 07:40
日蓮をテロリストの国賊扱いの馬鹿者扱いされても、憤りも平然と反論もなにもしない
日蓮信者もいるがね。

[匿名さん]

#8692017/07/12 07:45
>>864
日蓮の批判した禅宗は、栄西の禅宗で、曹洞宗ではないのでは?

[匿名さん]

#8702017/07/12 07:53
>>864
自称日蓮正宗猛信者が、同じスレに、「禅宗は天魔のなせるわざ」の
邪宗曹洞宗僧侶がいても、今まで法門を問いかける事もしない不思議さ?
これぞ、与同罪なり。 

[匿名さん]

#8712017/07/12 08:02
安倍内閣は靖国神社に総理大臣を筆頭に数多の閣僚が参拝しています。
こんな内閣と手を結ぶ公明党を指示する創価学会は謗法与同罪です。

[富士音楽猫]

#8722017/07/12 08:04
>>870
問いかけなかったから与同罪と言うのは間違い。

仏教は基本的には自業自得だから。

[匿名さん]

#8732017/07/12 08:08
>>858 >>871
それって、顕正会の事?や 顕正会の主張じゃ?

[匿名さん]

#8742017/07/12 08:16
>>872
日興は、謗法だと知ってるのに、庇ったり、同席したり、見て見ぬ振りをするのが
与同罪だと言っていなかった?

[匿名さん]

#8752017/07/12 08:23
>>837
>禅宗は天魔のなせるわざ
>道元と言う気違い坊主が世に出でてなにやら人を惑わするかな


曹洞宗僧侶さん、出番ですよ!

[匿名さん]

#8762017/07/12 08:49
>>838
HNだけの人物?だから
答えにくいのだろう。


日蓮の立場で考えよう。

もし日蓮が、仏教以外の者に

「釈迦など、荒行の修行を耐えられずに中断して、バラモンからの中傷に耐えられず、金星を見て悟ったと戯言を言い、バラモンの教義をパクリ、従弟には裏切られ、挙句には毒キノコの中毒で無残に亡くなった、これのどこが成仏なのだ?」と悪口嘲笑されたら、

平然と「あなたの言う通り!その通り!正しい!」と日蓮が言うのか?という事。

また、日蓮が、平然と「そーですね、そーですね、ははは」など、言うか?という事。



日蓮は、何で、あの時代に猛反発されるのを覚悟で、念仏を猛批判したのか?

[匿名さん]

#8772017/07/12 09:13
>>871
民進党だって佼成会などの支持受けてるらしいし、
共産以外の他の政党だって大なり小なりでしょう?
公明党の関係なら、小池さんの都民何とかだって、猫さんの論だと、与同罪になる?

[匿名さん]

#8782017/07/12 10:44
>>874
日興は南條氏が富士浅間大社に賦役寄進を行っているのを謗法だけしからんと怒った形跡はない。

可笑しいよ。南部公には謗法だと罵り南條さんにはお咎めなしかい。

日興自身が謗法与同罪じゃないのかな〜
ないのかな〜

[匿名さん]

#8792017/07/12 10:47
>>873
元来は日蓮正宗の基本的教義ですね。
ただし正宗は商売第一だから微妙に言葉を和らげていますが。

[匿名さん]

#8802017/07/12 12:05
>>878
それ言うと、正宗側は「日有化義抄」を持ち出し、何か言うと聞いた事ある。
その為の? 日有の化義抄?

[匿名さん]

#8812017/07/12 12:09
>>878
あの熱原の三烈士の神四郎は浅間大社の氏子中だったのです。
この謗法行為を戒めなかった日興派の坊さんは与同罪ですよね。

結局、日蓮や日興の時代に無かった掟が、その後の教団の分裂と、それにともなう教義の先鋭化によって次第につくられていったと言うのが真相でしょうね。

日蓮の場合は日興の身延からの退出を弟子たちが正当化するために御本仏に祭り上げられたのではないかな?
それは恰かも大石寺に於ける日道の弟子分が正統であるかのように、ありもしない喧嘩話を捏ち上げた日行の下之坊派のやり口に似ています。

[匿名さん]

#8822017/07/12 12:16
>>881
だから、
熱原法難にあった人に、神主がいたんですか?
で、法難中に、日秀などは、千葉の富木氏の領地に避難した話は
本当ですか? それが本当なら、神四朗らは不憫というか・・・

[匿名さん]

#8832017/07/12 12:17
>>880
あの日有の『化儀抄』だって本当に日有が語ったことを同族の南條日住が筆記したものかは甚だ怪しいのですが、百歩譲ってそうだとしても、それは大石寺が日蓮の正嫡だと言う前提に立ったものですし、日蓮や日興その人の思想だとするにたる証明にはなりませんね

[匿名さん]

#8842017/07/12 12:30
>>882
気の毒だが本当でしょう

中山法華経寺に、日興派の僧侶を匿ったことを示す資料が現存しますから

日蓮が存命の間は六人の弟子たちや大旦那衆は団結していたことを示す資料が金沢文庫の鎌倉遺文に散見されます。

熱原の捕縛された農民たちに日蓮は「かのあつわらのものども」云々ですし、日興は支配階級しか旦那とは認めていません

徴税権のある階層の人々だけが大人と呼ばれ在家扱いでした。
一般の農民や庶民に曼陀羅は与えられた例はまれなのです。

所謂 「日蓮大聖人の民衆仏法」は創価学会が創作した話です。

[匿名さん]

#8852017/07/12 12:36
>>883
実は、日有の後の貫主、日乗、日底に関して「徳行伝がない、寺跡がない 架空人物?」の
疑惑があるのですよね?
その時代に、大石寺が留守番の役僧達の仕業で売却されたり、日有が留守番の役僧達を
追放して、大石寺を買い戻したり、公家出身の日鎮を連れて来て12世貫主に付けたり、
色々あるのですよね?

[匿名さん]

#8862017/07/12 12:50
>>884
日興筆の「熱原法難の当事者?の平頼綱親子が幕府から粛清、処分された」など
記された「徳治の曼陀羅」があるらしいのだが、それって日興の神四朗らへの供養曼荼羅?

しかし、その以前に確か? 平頼綱に日蓮シンパ?の安達泰盛も粛清、排除されたのでは?
あれほど日蓮を援護し庇ったのに、粛清されるなんて・・・

[匿名さん]

#8872017/07/12 14:44
>>885
日有の財力は京都の大旦那衆が支えていたのです

寺を経営するには金が不可欠です。

皇室出身の日鎮を稚児貫首として迎えることで大石寺は本格的な塔頭形式の体裁を整えた寺院になることが出来たのです。
後の日主の代の図面が現存していますね。
何故に莫大な金が集まったのかは室町期の京都の町衆の豊かな経済力と皇室ゆかりの稚児を迎えたことにより、その町衆からの莫大な寄進が集まったためですね。
地元の小領主らの財力では無理だったでしょう。

この頃なら金のかかる板本尊等も造立が可能だったろうと思います。

しかし室町後期から戦国乱世ですから、大石寺はまた疲弊したのです。

安土桃山時代から江戸初期までは京都要寺の傘下に入って細々と命脈を維持していたようですが、それも大火で伽藍を悉く焼失し、事実上は廃寺状態てした。

そこで、敬台院が要法寺の日精を宥子に迎えて再建したのが今の大石寺です。
幕府は元の場所に伽藍再興を許さず、今の御影堂は室町期の墓の上に建っています。
朱印状にはあくまでも敬台院所縁の大名の菩提所としての地位しか付与されていません。
この事実は敬台院や寺社奉行本多弾正少弼の書簡に確かめられます。
幕府は新しい寺として建設許可をしたのですが敬台院の懇願を将軍家光が容れて大石寺の寺号が許されているのです。

[匿名さん]

#8882017/07/12 16:58
相当にズレだ場所ですね

二天門の辺りが日鎮時代の御影堂の場所ですからね。

[匿名さん]

#8892017/07/12 18:12
>>887
>この頃なら金のかかる板本尊等も造立が可能だったろうと思います。


それ言うと、「大御本尊の造立にはそんなに資金が掛からない、日蓮周辺には下山大工衆もいたし、職人衆もいただろう、金も数グラムを伸ばして金箔にすれば大して掛からない。実際に日蓮のもとに御供養が、現在の価格で年間数百万円〜1千万円位集まっていたようではないか?」と
正宗信者は反論するようですね。

[匿名さん]

#8902017/07/12 19:48
>>889
日蓮の晩年には身延の教団は貧窮しており、養えない弟子を在家に願って還俗させているくらいですからあてにはなりませんね。
加えて未曾有の凶作で米価が高騰し、天候不良で塩の値段も高騰していました。
日蓮の在世中に本堂の本尊を造立するだけの財力は無かったと考えるべきでしょう。
紙や布、炭等も不足していたようです。
それでも南部公の庇護の元、初期の身延は命脈を保っていました。
もしも日蓮が存命の内に板本尊造立があったのならば願主は南部実長公でなければならないことは当時の常識です。
当時の南部氏の領地経営も相当に苦しかったようです。
日興が筆録した『波木井殿御報』には南部公への並々ならぬ感謝が克明に記されています。
日興に実長公を恨む筋合い早ければないのですが日興の弟子たちが南部公を悪者に仕立てたのは日興の身延離山を正当化する目的があったと考える方が自然ですね。
あの『原殿書』は京都要法寺関係の文書であり室町期の作の可能性大ですから。

[匿名さん]

#8912017/07/13 07:04
>>890
>日興に実長公を恨む筋合い早ければないのですが


日興の弟子帳に波木井実長は「日興第一の弟子なり」と書かれているらしいです。
他の離反した弟子らには「背きおわんぬ(裏切った)」と批判してるのに、です。
もしや?日興が身延を去ったのは、謗法などとは違う他の原因があったのではないでしょうか?
例えば、波木井実長に呼ばれ「今後、身延は、わしと馬の合う民部日向に任せるから」と
急に言われ、兄弟子として面目丸潰れになった日興は、失意で身延を去ったなど。

[匿名さん]

#8922017/07/13 07:19
>>887
その日主辺り?で日興跡条々事や戒壇板本尊の腰書の写しなど
色々出て来るのですね?

日主は、京都要法寺に日興か日目の書写本尊贈り、友好関係を築き、次期貫主日昌を
送ってもらいます。ある意味で、大石寺を疲弊から救った?功績者ですね?(日寛なんかよりも)

しかし、その時代を、正宗信者は「それは京都要法寺の僧を総本山の大石寺に登山させ、
教育させて貰っていたのだ、決して京都要法寺門下になったのではない、寧ろ逆だ、
その証拠に、大石寺が京都要法寺に贈った本尊に「授与」と書かれてるではないか」と
屁理屈言うそうですね。

[匿名さん]

#8932017/07/13 14:31
>>858
戸田氏の折伏大行進の時代の段階で、
被害者団体や対策弁護団などが創立され
訴訟や社会問題として大キャンペーンをして世論喚起やっておけば
草加問題などかなり少なくなったと思うけどね。

[匿名さん]

#8942017/07/13 17:37
>>891
富士の方々には悪いが日興は几帳面で堅実な方でしたが、些か彼の言動には原理主義的なところが見受けられます。
南部実長は当初は日興の実直さを認めて、彼の行いから日蓮を認めていましたが、日蓮が身延に在住してからは日蓮その人に惚れたのです。
その意味で日蓮が身延に来てからは南部実長の信仰は日蓮に直結していたのですが、日興の意識は実長は自分の弟子であり 自分を通して日蓮を崇拝するのが筋目であると考えていたことは彼の確かな遺文に明らかです。
この南部公と日興の意識の違いは日蓮遷化の後に顕在化したようです。
日興は、たとえ日蓮を崇め法華経を信仰しようとも直接の師匠である自分を抜かせば、その信仰は無効であり無間地獄の業になるとまで考えていました。
そこに自ずと過剰な正嫡意識を特徴とする興門流の萌芽があったと言えるのではないでしょうか。

他の五老僧たちは当時の交通や通信事情を思えば次第に墓所の輪番制度を守れなくなるのは鎌倉時代末期の世相を思えば責められるべきものではありません。

また南部氏の幕府での立場からすれば源頼朝以来の幕府の祈祷所である三島明神に寄進することは信仰以前に公事すなわち幕府後家人としての公務です。
それを日興が論うことは当時の社会常識から言えば考えられないことなのです。

南部公と日興の間に確執が生まれ、その感情的な蟠りが離山の最大の原因であり、日向が南部公と親密になるにつれ日興は身延に居場所が無くなったと見た方が自然ではないでしょうか。

面子丸潰れの日興の弟子たちが早くから彼の事跡を擁護するためには南部公や日向は「師匠敵対の謗法の徒輩」に是非とも成っていただくしか方法がなかったのかもしれませんね。

[匿名さん]

#8952017/07/13 19:23
日興上人の お人柄
日蓮上人が生きてた時は 給仕頑張ってたけど
無くなってからは [戸籍係とか 図書館司書]みたいな
ポジションでしたか?
他の五人の 鎌倉や京都での 活躍(京都は無かったでしたっけ)
其を 聞くたびに 自身のポジションに不満を募らせて
いった… とかね
単に 想像ですけど

[匿名さん]

#8962017/07/13 19:30
>>889
職人衆も「居ただろう」?
正宗が そんな説明してるなら
やっぱり 新興人造寺院に 決まったね

[匿名さん]

#8972017/07/13 19:35
>>895
(亡)くなったです
(無)は 間違ってるし 失礼過ぎるから 修正します。

[当人]

[匿名さん]

#8982017/07/13 21:51
日蓮正宗って悲しい宗門やな。
派祖日興のトホホ(;´д`)を隠匿するために日蓮の最大の庇護者であった波木井実長公と日向を師匠日蓮に反逆した大罪人に仕立てるなんて。

その日興の流れも日目の死後は跡目が日郷であり当然その跡目は日伝の筈が日道の悪弟子日行一派が、ありもしない日道と日郷との喧嘩話を捏ち上げ、領主が交替したドサクサに紛れて訴訟して大石寺の正統の乗っとりに成功する。
日郷のみならず師匠の日道まで貶める情けない売僧の末裔が日蓮正宗の正体ということ。

日郷は700年間も本尊泥棒の濡れ衣を着せられお気の毒様。

創価の戸田さんは掘さんの見てきたような嘘にすっかり騙されて、こんなおお嘘を広宣流布してピエロ丸だし。

[匿名さん]

#8992017/07/13 23:33
その正宗の嘘に長年騙されたふりをして勢力拡大を諮った相加と公迷ということ。

[匿名さん]

#9002017/07/14 00:10
↑その団体にも 当然 優秀な者達居るでしょうし
又 当然のように 正宗の矛盾点に 気付く筈だ!

[匿名さん]

このスレッドは1000件に達しました。これ以上書き込み出来ません。






🌐このスレッドのURL