【聖家の堕落者(おちこぼれ)シンは、ゴーストライダーやスカルな吉川晃司やケンシロウのようでベジットのようでジョン・マクレーンのようだぜ。】
[takeda]
【ミカエリ・ミカエラ・ミカエリトゥ】
ゼロこと武田玲馬。セイイチ・ハイタニ(セイント・ビクティニー)。
[takeda-sin]
【天空学園聖徒(セイント)】
志村シン(シン)。氷川当麻(トーマス)。駿河聖一郎(シュガーまたはセイイチ)。
[takeda-sin]
闇のシンと、傲慢のルシファー。
僕には、人(シン)としてと神(ルキフェル)としての宿役がある。
負義を聖義で滅ぼすのは、俺。だから、ケイにはさせない。僕は堕落パワーで聖アベンジする。
超越パワーで、聖負も何も、超越する。
『僕は絶対に聖アベンジする。』
負は、終わらせる、すべて絶滅だ。
[武田]
【ナルシスト男とナルシスト女】
俺は自己崇拝者。ナルシストというやつだ。自分こそが主神をも超越してるという意識こそがナルシストの定義。それは、傲慢の聖義。
[武田]
武田マコトは兄とは違い、光のカリスマ。
彼は、モテるし、それはいつまでも保つ。
兄とは逆様。それがマコト兄の武田シン。
[武田]
【落ち零れ悲愴主義を虐げるエリート至上主義という傲慢】
[たけだ]
選ばれし者、エリート。
それは、カリスマとも称される。
それらは、世界の神化に繋がるもの。
だが、それは、落ち零れである彼にとって、邪魔者。
エリートが存在することで、淘汰される者が居る。
それは、自然の当然の法則であり、道理の一つ。
それでも、エリートは、聖義ではない。
[たけだ]
聖義とは、彼の遣ること。彼のこと。白痴だろうとアベンジをする者。
エリートは、選ばれし者。それは、カリスマとも称される。だが、違う。
カリスマとは、エリートにとって、邪魔な存在。
闇のカリスマは、光るエリートを、滅ぼそうとしている。たった一人で。孤独に。
[たけだ]
あらすじ
光のカリスマ、武田マコト。光のエリートも崇拝する、光のカリスマ。エリートを率いる、光のリーダー。
その対に居る、兄の武田シン。闇のエリートに裏切られ、闇のチームを率いることすら遣れ無い、闇のカリスマ。
闇に嫉妬され光に選ばれし、光のカリスマのマコト。光に拒絶され闇に裏切られる、闇のカリスマのシン。
光にも闇にも拒絶される兄は、光のエリートを率いる弟と対峙する。
『モブキャラども、おまえら全員、脇から遣り直せと俺は云ったゼ。』
エリートにそう云い、エリートを殺戮する、落ち零れのシン。
光のカリスマである、弟のマコトは、シンを包容しようとする。
だが、シンは闇の御時で、武田マコトという弟を拒絶する。
[たけだ]
朝から、暗く、それは憤怒の時の予言。
超越地球は、警告している。闇が来ると。
これは、どうするも何も、聖家(主に武田家・真田家・加藤家)の問題らしい。
シンは、光のカリスマの家系(聖家)を滅ぼしまくっていた。
東家(棗家)・北条家・和泉家・山田家などを。
どれらも、シンの身内。
だけれども、シンは聖家の堕天使。おちこぼれ。聖家に、闇は無い筈だった。
だが———。
シンは、吉良光輝の聖を贈られたゼルネアルの聖。ヤハウェとガブリエルの子。聖家の主家、白神家の子。たった一人の、聖なる主の子。
だが、彼は、光ではない。彼は闇だ。光のカリスマの聖家に終で葬る、闇のカリスマ。
これは、彼の、聖アベンジ。聖負の負を超越した、堕落の聖。聖を運ぶ一闇、武田シン。
彼の報復は、光のカリスマにしか、どうにも遣れ無い。
[たけだ]
シンは、仲間に裏切られた。
彼は、やはり、孤独だった。
だから、小島理子(聖リリト)やら菊地涼子(聖リョーコ)やらという彼女を作ったけど、
結局は、闇な彼ゆえに彼は彼女を信じられず、他役として彼女を拒絶した。
そんなんなので、聖リリトや聖リョーコはリリスとシンクロした。
小島理子、菊地涼子、二人は一魔の、魔皇も平伏してしまう、黒し悪魔女帝皇リリス神の玄器になった。
シンは、拒絶してもしなくても、なにも無い。
ニヒリストな矢沢でさえ、シンを空っぽだと、拒絶する。
シンは、拒絶の闇。生死も何も、そうじゃなくても、拒絶する。そして、光が宿す「超越」を終わらせる、「堕落」というパワーも宿している。不充分に充分な闇なことである。
[たけだ]
—————。。。
『闇は光に包容し愛になってほしい。だが、自分で自分を、断る。拒絶されるのが闇。それでいいんだ。』
彼は、そう云いはじめる。
否、彼にとっては、それは聖弁なだけの聖詞なのだろう。
空っぽ。だからね。僕は。
[武田]
矢沢元帥は、人間界でエリートを率いる武田マコトに興味を持っている。
マコトのチームは、聖家を率いている訳ではないが、老若男女、エリート揃い。
世間の知名度も高く、隠しきれないのほど。
実際、そのエリートチームは、昔から存在し、その初代をも超越する「カリスマ」が、マコト。
マコトは、皆からは、「光のカリスマ」と称されているし、称している。
一方な語り。
シンは、聖家にとっての神である、主家の聖なる光の子。
それでいながら、堕落の闇。
闇でありながらも、「闇のカリスマ」であり主家の子である。
その産まれに嫉妬され、シンは拒絶される。
だが、闇にも拒絶される彼だからこそ、「闇のカリスマ」なのかもしれない。
[武田]
『シン様、御ハローバイ。』
シンは、「何かベタな語り」だが、挨拶をされた。
誰にというと、草薙杏少佐に。
シンは、他役の考えじゃあ、愚鈍なものだけど、
闇のカリスマ・闇の元帥・闇の帝皇である。
これは、決して、良いことではないし、悪いことでもない。
聖でも負でもなく、光でも闇でも無い。これは、「シンなりの闇」。
そして、彼なりの「闇の帝皇」。
彼は、そういう「闇という役を演じる者」なのだろう。という一説もある。
だけれども、それそのものが、シンによるアイデアなので、まったく信用ならない語りさ。
[武田シン]
『行く、ゼよ。』
風大左衛門風を、シン風にしたみたいな語り調べだゼ。
「〜だス」を『〜ゼよ』ってね。
あぁ、シンは『坂本家』の『役者&演者』でもあるし、良いんジャネンバ。
[武田シン]
【語りをジャンプしているのは、エラーだからゼよ。】
[武田シン]
聖義のルシファー(シン)と復讐のウリエル(ケイ)と憤怒したゼウス(シモンの憤怒)により結成された、神聖リベンジャーズvs神聖アベンジャーズの、ミカエル(龍也)とヤハウェ(夜馬&天夜&シモン)。
すべての負義を灼熱の白焔で燃やしたウリエル(ケイ)は、シンの憤怒により、他役の聖義をも燃やそうと計る、神聖復讐者達。そこに、神聖報復者達が対峙。
これは、天と地の対峙。
そして、この戦いで、新しい「シンの語り」が始まる。
[たけだ]
【時は来た。時は満ちた。時は放たれる。新しい超越時空。】
[たけだ]
ヤハウェやセラフィムにより、必死に抑えられていた、存在が放たれる。
それは、超越や堕落でも、どうにか遣れるのか、ということですらない。
神のシールドは、外の神からのシールドに押され、それは破れた。
シールドの衝撃(ソード)は、地球に直撃し、超越地球は崩壊した。
—ケイの計らいは、これが狙い。—
シンは、パワーの衝突のどこにも居ないので、これを語るのみ。
シンの役目は、語りをすること。
シンは黒幕ではなく、白幕でもないし、光でも闇でもない、シンという語り役。
[たけだ]
召喚された、悪魔達。それは、超越者の想像を超越していた。
それは、超越神をも堕落させた、悪魔達。
否、それは、「デウスエクスマキナ」。
矢沢は、超越の本気を熾すが、アセンション(破壊時代)を止められず、堕落した。
もう止められない、アセンション(超越破壊)が起きたのだ。
アセンションは、計画通りのこと。
シンは白痴者であり、場違いなので、気付いてはいなかったが、
神島ケイと轟鬼神魔こと玄神シヴァ(鬼神を殺戮する轟かざる明魔)は結託していた。
[たけだ]
ヤハウェがあっさり、破壊される。
デウス・エクス・マキナ(トリックスター)という悪魔は、何なのか。
それは、ヤハウェに宿る、超越の根源でもある、宿主。
主神をも超越した超越的存在。
ルキフェル(シン)の堕落により、封印されていた存在。
だが、悪魔達は、堕落を超越した。
今度こそ、堕落の役目をも遣れ無いシン。
シン世界の堕落は、人でいう負。シン世界での超越は、人でいう聖。
さぁ、これが、第6のラグナロク。
[たけだ]
【計りを忘れた自堕落の黒幕、それは白痴な幕、白幕。】
[武田]
シン鍵によりシン扉(シン・オベリスク)が開いた。とはいっても、その扉には物理的な開け閉め運動は関係無い。
それに、一見、人には何が起こっているのやら分からない。
それを関知出来たとして、無制限の魔力の関知の代償として、悪魔化する。
この物語は、リアル。
記憶喪失前のシンの計らい。シンに計らせたのはシヴァ。破壊のシヴァ。
そのシヴァは、ヤハウェの一人の武田天夜を破壊して、
引きずっていた。だが、創造を関知遣れるところからして、
シヴァに珍しく、破壊対象を創造対象にもしているらしい。
『おい、ウリエル。このヤハウェヒロインは、私が貰う。良いよな。』
ウリエルこと神島ケイは、ニヒルに反応する。
『キサマが応えないってことは、興味無いってことか。やれやれ。じゃあ、私は天夜を聖負いつつ、行くか。』
シヴァは、シン・オベリスクに入って行く。
そんなシヴァに、メフィスト達にリベンジされたあと、
気絶しているというか眠っているシンが、
武田家の聖十字架を投げつけた。
闇色ジョークである。
その聖十字架はシヴァの右目にそれは刺さった。
[武田]
『シン'''''''''否、闇よ。負戯なよ!!!!、もう。』
負戯とは、ガキプレイ。
そして、聖戯とは、ジョーカープレイ。
なのに、『負戯』とシヴァは云ったが、負義は滅んだし、聖義のシンにそう云うってのは、侮辱ってこと。
[武田]
シンは云う。
『エプカーユ・ガッデスファッカス』
シヴは、超越的に憤怒した。
『クソが。』
と云い、シンの身体を破壊する。
シンは全身が血にまみれた。
終わった。
[武田]
【聖ラグナロク〜第7時までに備えてよね。〜】
ラグナロクは第12時(第0時)まである。
[武田]
【ストーリーテラー、モブたちに迫られ脅される。】
『君は、死ぬ。何時かね。僕には分かるが、何時かは言わないね。云う方が違和ってるだろ(ドヤ)。』
シンは、モブにそう云われた。何も、こういうモブの妄言は沢山になるほどいっぱい体験して来た。
『あはははは、そんなわけ無い。俺は生きても死んでも無い。からね。うん(闇)。』
シンは、白痴者。何時も、責められてばかり。人の妄想という責めが、シンの想像に拍車を掛ける。
悪いのは、威嚇するモブである。やれやれ、やられるかも、という連想をさせる、モブのせい。
闇色アンチヒーローに、妄言という妄想であり愚見である愚行をする愚者なのだからね。
シンは、愚者だけど、【シンの愚者】と【モブの愚者】は違うゼ。
[takeda]
シンは、怯えた。
『何時か死ぬにしても、それは、神でもないモブが決定することじゃないし、神なんか居ない。』
シンは、強迫的威嚇に、負けない。敗れないからね。でも、屈してしまう。
『う・・・、こういうこと、今までに何度もあったけど、一度も慣れない。』
シンは、何時もは、聖トリックスターらしく、人に対して、闇を贈る。
というイメージがあるだろうが、そういうわけじゃない。
彼というシンとは、人の思う様な存在じゃないし、そもそも概念ですらないし、存在していない。
だが、そうでもないとも云うのは、これもまた必然であるが。
シンは、屁理屈で流すこともある。だが、大抵はつまる。流れにキレが無いから、流しきらないというか、流せない。
シンとは、闇なのだ。それも、その闇がシンだけの闇。シンの闇。だから、作者の僕にも、シンはわからない。
[たけだ]
【聖家-武田のシン】
闇の聖義の報復者、シン・ルキフェル。
僕は、色んな面を宿す。多重人格とでも云うか。限り無く多く増殖する人格。
私は、そういう闇を宿している。
白痴なのも、その一つだが、この孤独な聖という闇は、僕を一人になせない。
[武田]
『シン、おまえが悪い。』
人は、何時でも、僕のせい。
それは、僕という闇が、自堕落なせい。
堕落の闇とは、僕に宿るパワーだけど、それに僕が遣われている気がする。
『シン、おまえはノーマルだ。』
アノマリーな僕に、「普通」といったり「変人」だといったり、何なんだよ、まったく。
何時になっても、代わり続ける・・・それが人か。
時とは、面倒な空だなぁ。
『シン、おまえは。おまえが・・・否、おまえこそモブだよ。』
まさか、と僕は思う。けど、そうかも。とかも思える。
アンチヒーローと称しながらも、アンチヒーローじゃないのかもとかやらなどと。
そんなアイデアが、浮かんでくる。やれやれ。勘弁してくれよ、私ばかりが、なんでこんな目に。
『遭わないと、いけないのか。』
僕、シンは、自分語りをしつつ、ブツブツと呟く。
他役は、僕を責めてばかりじゃないか。
なのに、偉そうに。
否、僕よりも偉いから、偉く僕を責めているのかも。
『あは・・・何だよ、それ・・・』
僕は、つぶやきまくった。ブツりと。あー、もう、面倒臭い
[匿名さん]
【シンはアンチヒロインとダークヒロインと、ミシェルヒロインに。】
[たけだ]
僕の内に、人が侵入して来る。図々しく、鬱陶しく、うるさく。心に人という概念が入ってくる。
僕は、こうやって、生き地獄に遭う。死に天国すら無いこの現実に。もう、嫌だ。
でも、誰も殺戮できないんだ、僕は。だから、僕のせいだ、僕が悪い、僕なんか中途半端な負け男さ。
否、男ですらない・・・僕は、ペシミスト。ブ男以下の、モブ以下にすら見下される、負男。
[たけだ]
シンとは、ナイーブな奴さ。
自分という存在の、居場所を、作り着れ無いんだ。
着る布を作るには、自分の中の、色んな自分を殺戮しないと、
スペースが作れないからね。限ら無いというが、シンは有限なんだ。
そして、シンはゆえに、無限なんだ。無制限なんだよ、シンは。それは良くも悪くも、何でも無い。
シンとは、何者でも無い、ニヒルヒーローなんだよ。
彼の遣ることは、台無しになる。
台本語りも、脚本語りも、自分語りも。
自分という存在を、闇としか表現できないし、それ以上もそれ以下も無いから、
ただに、自傷を繰り返す、限り無くね。もちろん、彼の人生はバッドエンド。そして、バッドエンドが限り無く続くだけ。
否、限り無くというのは、シン自身の夢幻なんだけどね。
[たけだ]
シンは、鍵だし扉。
シンが出演すれば、それは駄作になる。
シンとは、「主役しか遣らない主義」の「演者」としては「つまらない役者。」なのだ。
[聖・武田聖一郎]