>>213
何故かはわからないが、84年のチームは好素材の選手が集まったことは確か。
島崎監督(当時)も、「組み合わせ抽選でPLだけは引くな。PLさえ
引かなければ決勝まで進ませてやる」と選手に言っていたそうだ。
さらに「全国でもトップクラスのチームという自負があった。
ただ、PLだけは別格という意識があったんです」。
投攻守3拍子揃っていて、黄金のスクイズと言われ、小技も完ぺき。
雪国のハンディを感じさせなかった。
○81年夏の横浜高(神奈川)は本来のエース藤田健二の
故障がなければもう少し違っていたかなぁ・・?
2番手投手・長尾和彦にかなりの負担がかかったと思う。
敗れた報徳学園(兵庫)戦でも、金村義明(元西武)に対して敬遠の指示だったが、サイドスローのため
敬遠の球が投げづらい。暴投を恐れた影響で球が中に入り、2打席連続アーチを浴びる結果となった。
捕手の片平保彦(元横浜大洋/現横浜DeNA)は好リードで支えたが・・
またこの片平が投手を務めていたらどうだったか?
中学時代はエースとして上位へ進んだ実績があると聞いている。
○高松商(香川)は76年から80年まで選手権初戦5連敗。抽選運が良かったらそこそこの
好チームだっただけに2勝ぐらいはしていたのではないか?せめて初戦突破はできていたと思う。
76年は銚子商(千葉)、77年はバンビ坂本(佳一、NHK解説も務める)を擁した東邦(愛知)、
78年は大久保美智男(元広島)を擁した仙台育英(宮城)、
79年は好投手・斎藤を擁した明野(茨城)、80年は愛甲猛(元中日)と
上記の片平のバッテリーを擁してVを成し遂げた横浜高(神奈川)だった。