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青空の下、悠々とダイヤモンドを一周する中川光雄は喜色満面だった。
1995年7月26日の石川大会3回戦七尾商戦。初回先頭で打席に入り、金沢市民野球場の左翼席へ運んだ。185センチの大型内野手は「選抜でも全打席ホームランを狙っていた。大きいのを打ちたいんですよ」
だが、後続が大振りして凡退すると、監督の山下智茂は激怒した。「お前があんなの打つからだ! 1番は振り回さんと逆方向に打て」。この試合中、守備からベンチに戻ると正座させられた。エース山本省吾の好投もあって勝ったが、3―0のスコアだった。
この夏の石川大会はきわどい試合が多かった。準々決勝の金沢市工戦では、七回に追いつかれて1―1で延長戦へ。十回裏、「暑いし、終わらせようぜ」と言い放った中川が1死から安打で出塁、続く小坂友範の左翼越えの当たりでサヨナラのホームに生還した。
スコアを見れば苦戦だが、捕手の三浦聡は「何をやっても、結局、勝っちゃうのは分かっていた」。4番打者の信藤浩伸も言う。「甲子園でどれだけ勝てるかで、県で負けるとか考えたこともなかった。接戦も楽しんでいたし、重圧とかまったくなかったですよ」
1年前の夏の石川大会から県内公式戦で負け知らず。「日本一の練習をずっとやって、そういうメンタルが仕込まれていたんでしょう、山下さんに。すごいですよね」と中川は振り返る。山下自身、大会開幕前に甲子園の宿舎の部屋の割り振りまで決めていた。「6月の猛特訓の様子を見ていれば分かる」
結局、この大会も決勝で金沢を4―1で下し、4季連続の甲子園切符を手にした。あとは「全国制覇」へひた走るのみだった。