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NO.9290796

IWGPの予選が行われた事実がないw
#2512021/06/15 22:46
当初の構想ではオリンピックやウィンブルドンみたいな数年に一回か1年に一回かの世界最強(という名の新日最強)を決めるイベントだったはず。
それがいつの間にかただのタイトルに成り下がった。

[匿名さん]

#2522021/06/15 23:05
ホントかどうか知らんが……

開幕戦を東京でやり韓国~中近東~欧州~メキシコ~アメリカ、カナダをサーキットし決勝戦を東京でやる壮大な構想だったとか?w

新間が言っていたげど多分ホラ。超莫大な資金が必要になる

[匿名さん]

#2532021/06/16 12:12
>>252
赤字事業に比べたら安いもんだろ

[匿名さん]

#2542021/06/16 16:11
>>252
1981(昭和56)年3月2日~6日、新宿の京王プラザホテルにおいて世界各国のプロモーターを招いて「IWGP運営会議」を開催。
4月1日に新間氏を委員長とする「IWGP実行委員会」の発足を発表。
その場においてそのような壮大なプランが明らかにされた。

参加組織
アジア:二階堂進(日本プロレスリングコミッショナー)、新間寿(WWF会長)
中央アジア/中東:サジャド アジム(パキスタン カラチ/国際レスリング協会会長
欧州:ポール バーガー(ドイツ 東ベルリン)、アルフレッド ツィーグラー(スイス)
中南米:フランシスコ フローレンス、カルロス マイネス(メキシコ UWA代表)
アメリカ合衆国:マイク ラベール(NWA副会長)、ビンス マクマホン シニア(WWF)
北米:フランク タニ―(カナダ トロント)
名誉会員(ルールチェアマン):カール ゴッチ

会議・委員会発表の予選トーナメント参加レスラー
・日本:アントニオ猪木、坂口征二、藤波辰巳、長州力、谷津嘉章
・モンゴル:キラー カーン
・カナダ:ビッグ ジョン クィン、アブドーラ ザ ブッチャー
・ドイツ:ローランド ボック
・ギリシア:スパイロス アリオン
・イギリス:ピート ロバーツ、ジャイアント ヘイスタック
・フランス:レネ ラサルテス、レーン コルト、アンドレ ザ ジャイアント
・メキシコ:エル カネック、スペル マキナ、ベビー フェイス、ブラック ゴールドマン
・アメリカ:年明けより開催(各州からの多くのトップ候補がトーナメントに参加表明)

[匿名さん]

#2552021/06/16 21:45
モロNWA傍流

[匿名さん]

#2562021/06/17 08:47
>>254
IWGP運営会議にはゴッチも参加してたけど本大会開催時は関わらなかったような 
単にスケジュールの都合だったのか またはお互いの関係にヒビが入るようなことがあったのか

[匿名さん]

#2572021/06/17 22:30
ハンセンを引き抜かれて全てが狂ったんだろうな。当時世界最強はハンセンって雰囲気だった。ホーガンはまだまだ格下感あったから格上げ&権威付けの為に舌出し失神のフリをした。

[匿名さん]

#2582021/06/17 23:10
当時のホーガンはプロレスは少し下手くそ。体ばかり大きな木偶の坊タイプ

しかしとにかく華がありスター性は抜群。ロッキー3にも出演し知名度もあった

本人も練習は真面目にするタイプだったらしく素直にプロレスを勉強していた

新日時代はまさに修行中で猪木の育て方も上手かった

[匿名さん]

#2592021/06/18 16:53
第一回IWGP後アメリカで大ブレイク
猪木との格が逆転して負けブック飲まない
新日本に寒い時代が訪れる

[匿名さん]

#2602021/06/18 17:12
>>258
MSGタッグリーグ戦で猪木と組んで優勝等
IWGP直前まで日本人正規軍陣営に組み込まれ日本側ベビーフェイスとして大活躍
古舘アナ風に言うとそれで猪木流のインサイドワークをまんまと盗んだ

[匿名さん]

#2612021/06/18 17:36
1982、1983の2年連続でアントニオ猪木とタッグを組み、そのテクニックとインサイドワークを真近で学び、そして盗んだホーガンは、1983年の第1回IWGP優勝、そして1982年、1983年のこのMSGタッグ リーグ戦優勝を確固たる実績と自信として、その後の全米侵攻から始まるWWF(WWE)大躍進の立役者、グローバル クラスのスーパースターとなりました。

猪木は、ホーガンを敵として戦って育てたシンやハンセンとは異なり、タッグ パートナーとして育成したのです。 

歴史に「if」はありませんが、あの時、猪木がホーガンと組まず、藤波、前田らを後継者として育成していたら…その後のプロレスの歴史は大きく変わっていた…かもしれません。

[匿名さん]

#2622021/06/18 17:55
ザ・アメプロのホーガンからはストロングスタイルを欠片ほども感じない
スター性は認めるがプロレスは下手過ぎ
サベージの方が遥かにプロレスは上手かった

[匿名さん]

#2632021/06/18 18:34
イチバーン連呼してホントに一番に君臨した

[匿名さん]

#2642021/06/18 20:02
まさに千両役者。この頃のホーガンは本当に凄かった

[匿名さん]

#2652021/06/18 20:04
アンドレとのシングル戦でベアハッグで持ち上げた試合があった様な記憶がある。
間違っていたらすまん

[匿名さん]

#2662021/06/18 20:13
あの背面フォールみたいなのが嫌だった
プロレス下手なんだから基本通り体固めしろや!っていつも思ってた

[匿名さん]

#2672021/06/18 20:23
>>261
マードック、アドニス組は好きでした

[匿名さん]

#2682021/06/18 21:35
ハンセンがいなくなってホーガンをスターにしなければならなくなったから

[匿名さん]

#2692021/06/18 22:08
あのアックスボンバーで舌だし失神したのはインパクトあったな。いろんな事が言われているけどあれは日本プロレス史に残る事件

[匿名さん]

#2702021/06/18 22:15
引き抜かれたハンセンが馬場と好勝負しちゃったし何としてもホーガンの格を上げる演出が必要だった

[匿名さん]

#2712021/06/19 06:33
>>268
藪蛇で新日本どころか全米、世界のスーパースターに

[匿名さん]

#2722021/06/19 07:19
>>266
男女ミックスドマッチの時、女子レスラーは背面フォールしたような?

[匿名さん]

#2732021/06/19 07:35
>>271
しかもマクマホンJr.がショーだとカミングアウトしたせいで日米間でギャップができる

[匿名さん]

#2742021/06/19 07:53
>>270
ギャラを吊り上げる材料で本気で無かったみたいだけど
あの時ホーガンまで全日に移籍してたら新日はどうなったことやら
一旦は全日参加が発表されたんだっけ

[匿名さん]

#2752021/06/19 08:55
当時のプロモーター馬場は世界最強
その気になれば引き抜きは可能だったろう
プロレスラーホーガンをあまり評価しておらず全日本マットの活性化には繋がらないという冷徹な判断でしょうね

[匿名さん]

#2762021/06/19 09:09
全日との契約書を新日に見せてギャラアップを要求したとか。ホントかどうか知らんけど

[匿名さん]

#2772021/06/19 13:20
WWFと新日本の契約があったからホーガンは全日本には行かなかった
WWFとしてもホーガンをスターにするしかなかった時代

[匿名さん]

#2782021/06/19 13:33
1983年12月、シニアの後継者となるビンス・マクマホン・ジュニアにWWF全米進出計画のエースとして白羽の矢を立てられ、日本滞在中にWWFと専属契約を交わす(AWAのバーン・ガニアは、この突然の引き抜き事件に激怒したという)。
1984年1月23日、MSGにおいてアイアン・シークを下しWWF世界ヘビー級王座初戴冠。

[匿名さん]

#2792021/06/19 21:08
マクマホンJr.がショーだと宣言した中での世界チャンピオン。来日した時いかにその辺りをオブラートに包むか苦心していた。全日のデビアスも同様。

[匿名さん]

#2802021/06/19 21:34
新日にWWF圏からコンガザバーバリアン、ウォーロードなどロードウォリアーズのパクリが来日したが

ウォリアーズほどオリジナリティのある動きもなく
不発に終わった

[匿名さん]

#2812021/06/19 21:46
仮に少し時代がズレるけどWWFから全盛期のアンダーテイカーやロックが第一回IWGPに参加してたらどうなってただろう?
当時の新日信者が受け入れただろうか?
猪木はピープルズエルボーで舌出し失神したんだろうか?

[匿名さん]

#2822021/06/19 22:25
ダスティローデスが来日していたけどファン受けしなかったからね。
最初の頃は猪木とタッグ組んだりしていたけどあまり受けなかった

[匿名さん]

#2832021/06/19 22:40
新日信者が欲してたのは猪木に負ける大物レスラーだしな

[匿名さん]

#2842021/06/19 22:49
ダスティーローデスはファンたくさん居たよ
ハンセンとの試合も良かったし
アウトローズ復活も新日本のリングでだけ実現した

[匿名さん]

#2852021/06/19 23:00
純粋なプロレスファンはローデス好きだったと思うがガチガチの猪木信者はショーマン系のローデスに不満だったよ

[匿名さん]

#2862021/06/19 23:06
一応アメリカでは売れていたから来日させたけどあまり受けなかった。

[匿名さん]

#2872021/06/19 23:15
山本小鉄

ハンセン対ローデス

言っていいですかね僕はこのシリーズこの一戦が一番楽しみでした

[匿名さん]

#2882021/06/19 23:15
>>285
不満でも呼んでるわけだ

[匿名さん]

#2892021/06/19 23:15
>>286
受けたよバーカ

[匿名さん]

#2902021/06/19 23:16
ローデスはNWAのチャンピオンだし

[匿名さん]

#2912021/06/19 23:17
新日本に来る外国人レスラーはヒールでなければならない
バックランドもイマイチ人気なかったし

[匿名さん]

#2922021/06/19 23:18
1979年10月には新日本プロレスに初参戦し、11月1日に札幌中島スポーツセンターにてアントニオ猪木のNWFヘビー級王座に挑戦[29]。ローデスと新日本プロレスとのスタイルの違いを懸念する声もあったが、WWFとの提携が軌道に乗り新日本のアメリカン・プロレス色が強くなっていた時期でもあり、アメリカ同様に日本でもファンの支持を獲得、以降も新日本の常連外国人となり、平成に入るまで来日を続けた。

[匿名さん]

#2932021/06/19 23:18
>>291
にわかくんもういいよ

アホを露呈するのは

[匿名さん]

#2942021/06/19 23:19
ローデスは最後にはWWEの重役にまでなった

[匿名さん]

#2952021/06/19 23:20
キン肉マンにもビューティローデスとして登場

[匿名さん]

#2962021/06/19 23:22
新日の場合、猪木に勝ってはいけないわけだから、基本的には政治的に負けブック飲んでくれる外人しか呼ばない

[匿名さん]

#2972021/06/19 23:31
MSGシリーズにおけるアンドレ・ザ・ジャイアントやスタン・ハンセンとの対戦[マードックとのアウトローズ再結成、そして猪木やボブ・バックランドとの夢のタッグ結成など数々の名場面を残した。1980年5月27日には大阪府立体育館において、当時バックランドが保持していたWWFヘビー級王座に挑戦した

そしてローデスを理解しなかったのは猪木より馬場だった
馬場は新日本時代のローデスを見て
「あんなのが流行るんだからアメリカという国はわからん」と言ったことは有名

[匿名さん]

#2982021/06/19 23:31
>>296
わかったか?勉強になったなw

[匿名さん]

#2992021/06/19 23:34
ローデスの触れ込み『フロリダ版猪木』

[匿名さん]

#3002021/06/20 00:23
この時のMSG大阪、バックランド対ローデス、アンドレ対ハンセン
IWGPより豪華外人
タイミングが合わなかったんだろうけど、IWGPの外人はホント残念

[匿名さん]

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