もちろん口語の祈りでも必要十分だとは思います。ただ、
「〜が公の記憶から抹消されて久しい」というのは、祈りの本に載っているかという
問題よりもむしろ、その種の祈りそのものが忘れ去れてしまって、
求道者が知る機会が失われているということです。その意味で、
>>375さんは
ご自分で祈祷文にあたっておられるので、素晴らしいことです。舌足らずですみません。
たとえば使徒信教で「童貞マリアから生まれ」とありますが、正直これは乙女マリアで
よいのではないかと個人的には思います。私は文語の祈りを不磨の大典のようには
捉えておりません。俺は古文がすごく苦手で嫌いな科目だったし、日本史嫌いだったし。
「聖霊来てください!」「聖霊来たり給え!」どっちでもいいと思います。
口語にしたから「パワーが死滅する」とかはありません。少なくとも私は、
口語のお祈りを一生懸命する信徒には五歩も十歩も遅れを取っています、多分。
・・・使徒信経、でしたねw
それから誤解のないよう申し上げますが(>>375さん宛てではなく)、
バチカンの規範では(ローマ・カトリックでは)、跪いて舌での聖体拝領・ラテン語ミサが
第二バチカン以後現在までずっと標準であり(これは、ルーアンの公会議で定められた)、
手による聖体拝領および各国語ミサは「バチカンが各国司教団に許可した」という位置づけであります。
だからこそ「規範版」というものがあるのです。これは、ラテン語です。
あなたがカトリック教会で洗礼志願されたことは素晴らしいお恵みです。
今のところ手による聖体拝領は許可されていますので、受洗後は堂々と拝領ください。
ただし「ミサは最後の晩餐の記念として行われる、イエス・キリストと会衆が
食卓を囲む祝宴の儀」という定義は完全に間違いですのでご留意ください。