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2012/09/16 17:55
爆サイ.com 北陸版

キリスト教





NO.6435661

イエスは、本当に神の子であり、救世主なのか?
#3012012/05/14 07:57
聖書信仰というのは、一字一句を額面どおりに受け取ることではないのよ。
聖書の前後関係、また聖書全体から考えなければね。
勿論、歴史的地理的背景も知らなければ・・・
だから神学するというのは大事なことなのよ。
ただ、聖書のある部分を否定したり、付け加えたりしてはならないの。
それも聖書にある通り。


「神は人でないから、偽ることはない。人の子でないから、悔いることはない。」民数記23.19
神が間違いを犯したり悔いたりすると、この主の(みことば)と矛盾してしまう。
神が、「後悔する」「悔いる」とは、慈悲を示し、哀れまれるという意味。

[ローズ]

#3022012/05/14 08:03
例えば神が間違いを犯したとしても、それを裁くことは許されない
実際この板にも神を恨む人がたくさんいる
で、そういう気持ちが自分に無いと考えるのもまた間違いだ
イエスの前に正しい人はいないよ
29:マタイによる福音書 / 23章 29節
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。
預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしているからだ。
30:マタイによる福音書 / 23章 30節
そして、『もし先祖の時代に生きていても、預言者の血を流す側にはつかなかったであろう』などと言う。
31:マタイによる福音書 / 23章 31節
こうして、自分が預言者を殺した者たちの子孫であることを、自ら証明している。

[匿名さん]

#3032012/05/14 08:12
何度も言うがキリストは実在の人物ではない。
新約聖書は後世の人間がでっちあげたもの。
そんなものより墨子が説いた隣人愛や赦しの愛、無償の愛の方が崇高だ。

それにそもそもキリスト教なんてのはローマ帝国から古代中国に派遣された者が
墨子の博愛主義(兼愛)、非攻の精神に触れ帰国した後にエジプト神話やギリシャ神話の
神聖(処女解体、12使徒、十字架の死、3日後の復活)を加味して作ったエセ宗教だから。

だから後世新約聖書を編纂する際に恐らく東洋思想や古代中国の思想に精通している者が
墨子や釈迦の博愛(兼愛)・許しの愛・無償の愛などの要素を取り入れて架空の
人物であるイエスの物語を描いたんだよ。

幸いなことにローマ帝国に反逆したユダヤ教ヨハネ派の指導者はたくさんいたようなので
そのような物語を創作することなんて簡単なことだったんだよ。

[匿名さん]

#3042012/05/14 08:18
キリスト教より墨家の隣人愛・利他愛・無償の愛・許しの愛を実践しなさい。
その方が人間として遙かに気高い人生を送れる。


キリスト教(パウロ教)はすぐあなたのように
『異教徒は氏ね!キリストを信じない者は地獄へ行く!処女懐胎や復活や三位一体を
信じない者は異端!・・・・』みたいな排他的な事言うから嫌なのよね。

そんな排他的で戦争してばっかいる宗教(キリスト教)よりもっと昔からある釈迦や
墨子の博愛、兼愛精神を重んじるべき。

[匿名さん]

#3052012/05/14 08:27
そもそも神性やら神との契約やら奇跡やら復活やら死後天国と地獄に
振り分けられるなどの宗教的要素は人間を惑わし互いに争わせ時として
大虐殺や戦争の大義になったりするからということで墨子はこれを否定しておられる。

報酬を求めないのが本当の”愛”なのだと墨子様は説いているのですよ。
身内愛ではないこの世の全ての人に対する兼く広い愛、敵をも許す絶対愛こそが
世界を平和にし、世界が平和になれば己の人生も充実したものになるのですよ。

そんな世俗のことで、聖書的教義を否定しようとするから無知と言われてるのがわからないか。
永遠の命を教えていない墨子様やお釈迦様の話はどうでもいいのよ。

永遠の命だの、処女懐胎だの3人の博士だの12/25だの12使徒だの十字架だの
3日後に復活だのは完全にエジプト神話のパクリじゃん。
実在しなかったイエスをさも実在したかのように書いているし。
4福音書でも一致しない点がありまくり。
サウロ(パウロ)なんて元々はローマの刺客だし。ローマ帝国の植民地政策の方針転換で
逆に原始キリスト教を利用する側に回ってるしw

[匿名さん]

#3062012/05/14 08:34
>わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。
>そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。

自分からそんなこと言う人間に「柔和で謙遜」な人間などいない。これは社会
での経験則。

イエスは、神どころか、人間としても最低の人格。ナザレ村のしがない大工の
子倅で、まともな教育も人生経験もない、30歳そこそこの気の狂った若者
だから、当然のこと。こんな人格低劣な人間を、こともあろうに創造主と同格
に祭り上げたバチカンは、巨大な誤りを犯したのである。

イエスのすべての「教え」なるものは、「自分の気に入らない者に対する、
反感・憎悪・排除」とセットになっていることを、聖書におけるイエスの
言動から看破されたし。その精神医学的原因は、彼の統合失調症の症状とし
ての「疎通性(愛)の欠如・冷酷さ、独善性、非寛容、人間差別」である。

[匿名さん]

#3072012/05/14 08:40
イエスと同時期のユダヤ側、ローマ側の資料にイエスの名は一切出てこない。
救世主と言われるほどすごい人物なら当然某かの言及があってしかるべきで、
それらしい記述がまったく無いのは奇妙と言わざるを得ない。
従ってイエスは物語である新約聖書上の架空の人物であり実在の人物ではない、
という結論に達するわけだが、人類は2000年近くもこの架空の人物イエスに影響され
続けてきたことは正に驚嘆に値する。

聖書ってフィクションでしょう?

フラウィウス・ヨセフスの「ユダヤ戦記」に、イエス・キリストの記述があると言われているではないか。
それも後世にイエス実在を願望するキリスト教徒による改竄が確認されました。

[匿名さん]

#3082012/05/14 08:46
イエス・キリストが架空の人物であったというなら、何ゆえ「神の御子イエス」を、
でっち上げなければならなかったのか?
福音書に記されている、数々のイエスの教えは一体だれがつくったのか。どこから持ってきたのか?
ヨハネの黙示録は、だれがどのような目的で書いたのか?
ちゃんと説明してみろ。

大抵の場合、同時代の敵対する勢力に某かの記述(たいていは悪口や侮辱の言葉)があるものなんだが、
イエスの場合そういった記述すら見つかっていないのが不可解なんだよ。

そうなると以下の3つの可能性が出てくるわけだ。

1. イエスは実在しなかった

2. 実在したが、実際のイエスは聖書にかいてあるような立派な人間ではなかったため
  初期のキリスト教徒たちによって全ての記録が抹殺された。

3. イエスはいたことはいたが、取るに足らないような男だった。
  (単なるヨハネ派の指導者で他の指導者とともにローマへの反逆罪で刑死しただけ)

さあ、この3つのうち真実はどれだろう?  

[あだち]

#3092012/05/14 08:52
>>308
>だから、そんなたわごとはいいから問われたことにちゃんと答えろよ。
>イエスが架空の人物であるなら、新約聖書に登場してくるマリアもヨセフも、
>12弟子もみな架空の人物だったのか?
>イエスの啓示を受けて回心したというパウロも架空の人物だということだな?

マリアもヨセフは完全に架空の人物。

パウロ(サウロ)は記述が残ってるから実在の人物。
12弟子のうちペテロも実在と見て良い。
ユダも含め他の弟子は怪しい。

[匿名さん]

#3102012/05/14 08:59
キリスト教は檀家の増えたユダヤ教だし
あんたにごちゃごちゃ言われる筋合いないし
まず言に説得力が無いのは絶望的


本来のキリストの教えは、(永遠の命)を得るための教え、
世界平和や心の安寧を得るためにあるのではないとも言える。
ほんとにカトリックは何一つ分かってないんだな。

釈迦も孔子も天皇家もないので^^


墨子や釈迦のパクリじゃなかったのか。
もう言ってることが支離滅裂じゃん

[匿名さん]

#3112012/05/14 09:06
聖書学者は、パウロの「狂気の宣教」は、「信仰義認」という彼の「エゴの
目的」のためだった、と言っている。宣教の同行者とは、すべて喧嘩別れ。

彼は「目病み男」というコンプレックスの塊だったのだろうね。

ちなみに彼は「生まれながらのパリサイ派」を自称している。イエスもパリサイ派
神学。イエスのパリサイ派に対する憎悪は、宗教お決まりの内部抗争。コップの
中の嵐に過ぎない。

[匿名さん]

#3122012/05/14 09:13
もう一度繰り返すけど、キリストよりもちょっと前あたりの時代から
歴史的資料ってのはっきり残されるようになってて、カエサルやクレオパトラだって
歴史的文献が残されているのに、彼らよりも偉大で多くの民衆の心を捉え、
病人を癒したり、死者ラザロを蘇らせられるような奇跡を行うユダヤの王と
なるものと見られていた人間に関する史的資料が一切無いのか不思議に思わないか?
どう考えてもおかしいだろ。

書いてあることがあまりに独断的でその内容も稚拙すぎる。
いったいどんな資料を集めてそんな話をでっち上げたんだろうな。

だが、聖書もかなり独断的かつ内容も稚拙だけどね。
まず4福音書で矛盾点や時代考証がいい加減過ぎ。ありゃ話にならん。


ttp:\/\/blog.goo.ne.jp/karukayanouta/e/a93e3b0116de25ac3c77be8383c07a66

[匿名さん]

#3132012/05/14 09:22
>聖書は、人間を永遠の命へ導くために書かれた神の英知の書ですよ。
>聖書に自然的な解釈を加えても、何の意味もなさんことくらい少しは理解されよ。

但し、文字で書いてある以上、
別の解釈をするのは色盲と統合失調ぐらいだと思う

25:マタイによる福音書 / 11章 25節
そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。
これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。

何と言われようと他の読み方はしない

[匿名さん]

#3142012/05/14 09:31
【わが子よ。主の訓練を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはならない。
何故なら、主は愛するものを鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。
あなたがたはこれを訓練として忍耐しなさい。神はあなたがたを子として取り扱っておられます。
一体、父から鍛えられない子があるでしょうか。 ヘブル12:4〜7】

【信仰によってわたしたちはこの世界が神の言葉によって創造され
従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが
分かるのです。 ヘブル11:2】

信仰によらなければ、神の創造はわからないのですね。

[匿名さん]

#3152012/05/14 12:04
イエスは神のしもべ。神が嘘偽りの歴史を世界に広めるわけない。

誰になんといわれようともごんごんの旦那は花婿イエズスです。
オマイら、ごんごんの足蹴りを受けよ!
とおー!!

ただ、イエスは平和のメシアであり、救い主であることは間違いない。

まあ昔の事だしな
たまたま案件によっては他の文献に記述があるという話だろ?
イマイチ説得力にかける気はするぞ

イエスは神のしもべじゃないよ。
イエスは神そのもの。

[白馬の貴公子]

#3162012/05/14 12:08
実在しなかった救世主をさもいたかのように
物語に仕上げてるじゃないか。それが動かぬ証拠だよ。

もしかしたら全部もみ消したのかもしれないし
宣教旅行の範囲とかもそんな広い範囲のものではないし
そもそもどっかの変態が拷問受けて死んだくらいで
そんな他国が大騒ぎする理由が全く解らないぞ


昔の事なんて全部資料付き合わせても解るもんじゃない
逆になかった事件をさもあったかのように
沢山の国で資料を作ることだって出来るでしょ

>物語に仕上げてるじゃないか
聖書のどの部分が?

また、とんちんかんな話してるな そんなものが一体何になるのだ。

[匿名さん]

#3172012/05/14 12:12
だから後世新約聖書を編纂する際に恐らく東洋思想や古代中国の思想に精通している者が
墨子や釈迦の博愛(兼愛)・許しの愛・無償の愛などの要素を取り入れて架空の
人物であるイエスの物語を描いたんだよ。

幸いなことにローマ帝国に反逆したユダヤ教ヨハネ派の指導者はたくさんいたようなので
そのような物語を創作することなんて簡単なことだったんだよ。

[匿名さん]

#3182012/05/14 12:17
『イエスは神のしもべ』

ん・・・それ聞いたらクリスチャンの方々は呆れるだろうな〜

「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠にいきる」
「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたの内に命はない」
おこイエスの教えは、墨子や釈迦のどの思想から持ってきたのだ。

[匿名さん]

#3192012/05/14 12:28
イエスは神のしもべ。神が嘘偽りの平和のメシアの書物を世界に広めるわけない。
イエスは旧約聖書で預言されている。要するに、これらのことを考慮すればイエスは実在したと論断できる。
只、イエスは誰もが望む救世主ではないが、イエスは平和のメシアではある。

じゃね、イエスがたとえで教えられたことを、墨子や釈迦のどこから
持ってきたというのか具体的に書いてみてくれ。
福音書から、イエスの(たとえ)のもとネタを書いてみてくれ。
博愛や無償の愛だけじゃ意味なかろう。

[匿名さん]

#3202012/05/14 12:41
>目には目をはダメですよ、とか右の頬を打たれたら左の頬も出しなさい、とか
>自分の身内だけでなく汝の敵を愛せよとか、
>自分が赦されるためには相手も赦しなさい、とか
>罪の無い者が売春婦に石を投げよと言ったら誰も投げれる者がいなくなって
>その売春婦は助けられた逸話とか挙げたらキリが無い。

イエスの言葉は正しい部分もありますが、間違っている部分もあります。
「敵を愛せよ」、「天の国へ行くには全ての財産を捨てなさい」の言葉は、苦しみが極限なときに救いの力を発揮する言葉だと解釈してる。
「目には目をはダメですよ」この言葉は平和にするための言葉。本当の適宜な刑罰はのちに神が明示されるでしょう。

イエスの言葉で多くの人々が救われたのは間違いない。またイエスはクリスチャンのような性格の人々にとってのメシアでもありです。
神は三大宗教を創造して、人々の性格にあった宗教やメシアを創られた。

「右の頬を打たれたら左の頬も出しなさい」これは俺も間違いだと思う。この言葉を虐められっ子の子供に言えるかってw

あとから苦難のメシア(苦難のしもべ)が現わるという預言があります。その苦難のメシアが世界の主だと預言されています。

また神は人々の平等願望を尊重されていますし、最後の審判も預言されています。
神は全ての人々が納得いくような世界にのちにされるはずです。

[匿名さん]

#3212012/05/14 12:45
「わたしのために、家、兄弟、姉妹、父、母、畑を捨てた者は皆、その百倍もの
報いを受け、永遠の命を受け継ぐ」マタイ19.29
これも墨子から拝借したというのか?

墨子および墨家の思想をまとめたものが『墨子』である。
内容は墨家の思想、墨子の言行録、戦術知識など多岐にわたる。
なお、墨家については、『韓非子』『荘子』『淮南子』『孟子』『呂氏春秋』など
他の多くの書物にも記述がある。

[匿名さん]

#3222012/05/14 12:50
新約聖書の福音書のような身内から出たもの以外に
イエスの実在性を示唆するような歴史的資料が一切無い。

その新約聖書や、キリスト教徒以外による記録ですら、全くのイエスと同時代ではなく
イエスの死後20〜70年経過したのちに書かれたものである点も信憑性を損なう理由のひとつだ。

自国であるユダヤやその統治国ローマを揺るがすほどの人物であれば本来某かの記述があって然るべきで、
それが無いというのは不可解以外の何ものでもない。イエスが新約聖書あるように多くのユダヤ民衆を扇動し
ローマ帝国への反乱を企てたというかどで十字架の刑に処されたのであればローマ側やユダヤの反イエス勢力の
グループがそれに言及しないはずがない。

従って新約聖書や旧約聖書の一部はパウロ等後世のキリスト教関係者あるいはローマ帝国による政治的な目的で
創作捏造されたものであると推察される。

聖書の捏造説やイエス非実在説は
聖書が編纂された4世紀からすでにあるんだけど・・・・・

[匿名さん]

#3232012/05/14 12:55
騙されたと思って私の紹介している
イエスの奥義である生命の科学を学んでみてください。

簡潔にいえば私たちは三次元と四次元で
同時に生きている存在で
心は三次元での器官である目、耳、鼻、口と

もともと持っているエゴで価値観を作り上げていて

一方私たちの実態は魂(精神)であり
それは神の分身であり神からの意識をも受け止める
器官であると言うものです。

そしてそれを使用し
説明しようとしていたていたのがイエスキリストで
その奥義を受けたのが12使徒と側近の人間たちだと言うことです。

ttp:\/\/ameblo.jp/uruseiblog/entry-11225509554.html
聖書のイエスキリストの奥義

ttp:\/\/ameblo.jp/uruseiblog/entry-11173905111.html
最新記事リンク 生命・精神

[あだち]

#3242012/05/14 13:00
黙示録のそれぞれの教会はイエスから問題点を指摘されると同時に良い点も褒められています。

そして、勝利を得る者がいる事が述べられています。

また、マタイ24章でもクリスチャンが終わりの日まで存在し、最後まで耐え忍ぶ者は救われるとあります。
つまり、教会は一世紀から終末まで連綿と続いているのであり、決してスウェーデンボルグの言うように教会の終焉を示してはいないのです。

また、クリスチャンはイエスの名のために人々に憎まれるのであり、(マタイ24:9)
スウェーデンボルグの名による迫害ではないのです。


イエスが語る事が例え話なら、通常、登場人物は「主人」や「ある人」、「ひとりの人」という表現が使われます。

しかし、イエスはノアに言及された際、ノアや洪水が架空の出来事であるなどとは語らずに実際にあった出来事として語られました。

よって、ノアを「古代教会」だとするスウェーデンボルグ解釈はイエスに反する非聖書的な教えであり、何の根拠もありません。

アダムらを古代教会とする考えも同様です。

[匿名さん]

#3252012/05/14 13:10
>パウロ等後世のキリスト教関係者あるいはローマ帝国による政治的な目的で
創作捏造されたものであると推察


パウロかローマ帝国かさえハッキリしないばかりか、まず、どちらも有り得ないでしょう。

パウロなら、自分がついた嘘のために命を懸ける事など何の得にもならない。

ローマ帝国はクリスチャンが民衆の間で爆発的に広がっていったので辞めさせるよりは公認する事によって治めやすくしただけの事。

まず先に人々が信じていたからこそ政治的に利用しようと考えたのであり、ローマ帝国が人々の信じてもいない話を勝手に作り、信じるよう強制したなんて事は有り得ない話。

イエス不在説は古い。

一昔前に流行った説で大半の人は否定している説です。

まぁ、イエスの生存を疑う人はごくわずかでしょう。

[匿名さん]

#3262012/05/14 13:16
>>1
そこまでして「聖書上のイエス」を免責しなくても良いのでは。キリスト教徒
が実在と信じて止まず、身も心も捧げきっている「聖書上のイエス」を徹底的に
批判しては如何。聖書ほど突っ込みどころの多い本はないのだから。

確かに、これほどの「有名人」であるイエスの墓も、遺骨も、彫像も、ミイラも
存在しないのは、全くおかしい。イエスより1000年以上前のエジプトのファラオ
のそれは、多数現存しているというのに。イエスが実在したとしても、取るに
足りない極めて卑賤な人物だったからだろう。

[匿名さん]

#3272012/05/14 13:21
>自国であるユダヤやその統治国ローマを揺るがすほどの人物であれば本来某かの記述があって然るべきで、
>それが無いというのは不可解以外の何ものでもない。イエスが新約聖書あるように多くのユダヤ民衆を扇動し
>ローマ帝国への反乱を企てたというかどで十字架の刑に処されたのであればローマ側やユダヤの反イエス勢力の
>グループがそれに言及しないはずがない。


どうやら誰もこの疑問には答えられないようだな。
それがイエスは実在しなかった証左だよ。

[匿名さん]

#3282012/05/14 13:26
まず、架空の話をでっちあげたのなら回りがそれを指摘するはず。
当然そのような記録はない。

何度も言うが、

パウロや弟子らが自分がついた嘘のために命を懸ける事など何の得にもならない。
ローマ帝国はクリスチャンが民衆の間で爆発的に広がっていったので辞めさせるよりは公認する事によって治めやすくしただけの事。
まず先に人々が信じていたからこそ政治的に利用しようと考えたのであり、ローマ帝国が人々の信じてもいない話を勝手に作り、信じるよう強制したなんて事は有り得ない話。

[匿名さん]

#3292012/05/14 13:31
>まず、架空の話をでっちあげたのなら回りがそれを指摘するはず。
>当然そのような記録はない

だから聖書が編纂された4世紀から既に指摘されてるって何回も言ったろ。


>パウロや弟子らが自分がついた嘘のために命を懸ける事など何の得にもならない

これはその通りでパウロは実際命なんて懸けてませんから。
パウロの逆さ磔も明らかな後世のキリスト者による捏造。

[匿名さん]

#3302012/05/14 13:36
アダムが古代教会であったなどとはイエスは一言も語っておられません。

むしろ、「人は父と母を離れてふたりは一体となるのです」
とアダムを実在した存在として語っておられます。

ソドムとゴモラに関しても同じです。

イエスは誰かが内的意味を語らなければ神の言葉が理解できないなどとは言われませんでした。

そんな大事な事なら人々が理解しやすいように何度も例え話や他の説明で内的意味を語る第三者について言及された事でしょう。

しかし、一切ない。

つまり、スウェーデンボルグは何らかのインスピレーションを受けたのは確かであるが、それは神からのものではないという事です。

あのね、聖書がまとめられる前の一世紀からクリスチャンは存在したわけよ。


一世紀の歴史家たちも認めている事実。

[匿名さん]

#3312012/05/14 13:41
>>330
フラビウス・ヨセフスの『ユダヤ戦記』のことか。
だが、これも後世にキリスト教側から修正捏造されたものとされてるんだよ。
従ってもう一度言うが、イエスと同時代の歴史的文書で
イエスについて言及している資料は新約聖書以外に存在しない。
よってイエスが実在しなかった可能性が極めて高い。

伝統キリスト教は、公会議とパウロ書簡からつくられたインチキキリスト教である。

[匿名さん]

#3322012/05/14 13:48
>ヨセフスの記録は一部クリスチャンが加筆したとの説もあるが、推測に過ぎず、
>大部分はヨセフス本人の言い回しと一致している為本人の文章として認められている。

>さらに、ヨセフスばかりでなく、タキトゥスや小プリニウスも言及している。

>イエス 非実在 ヨセフスの『ユダヤ戦記』でググればいっぱい出てくるよ。


神エホバは、人から取ったあばら骨で、女を建て、人のところへ連れてこられた。
「あばら骨」は、生かされないエゴのこと、「女」とはエホバによって生かされた
エゴをいう。「人のところへ連れてこられた」とは、人にエゴが与えられたということ。


イエスは誰かが内的意味を語らなければ神の言葉が理解できないなどとは言われませんでした。
そんな大事な事なら人々が理解しやすいように何度も例え話や他の説明で内的意味を語る第三者について言及された事でしょう。
しかし、一切ない。
※つまり、スウェーデンボルグは何らかのインスピレーションを受けたのは確かであるが、それは神からのものではないという事です。


主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」
「独りでいる」とは、神が導かれるのに満足せず、自分とこの世によって導かれる
願望を言う。「彼に合う助ける者」とは、人のエゴのことで、つづいて「女を建てる
ためのあばら骨」と後述されることになる。

[匿名さん]

#3332012/05/14 13:53
イエスは、(みことば)の内容を冒涜して滅びないように、かれらには例えで話されたの。(マタイ13.11)


タキトゥスはAD55年生まれで、ネロ帝の死が68年6月8日である。
いずれにしてもイエスの死後に生まれており、その記述も伝聞にとどまっている。


ユダヤのタルムードも2世紀末から6世紀にかけて少しずつ編纂されて言った書物であり、
イエスの生きた時代から時間的隔絶があることもイエスの実在を考える上では弱い点である。


キミ達は僕に勝てないよ。
なぜならイエスに関する同時代の史的資料は一切無いのだから。


>キリスト者には新旧聖書があるから何も問題はない おまえが一人がヨタってるだけ。


旧約は完全に神話の部類ってことはみんなよく分かってると思うが、
新約も4世紀頃にローマ帝国で政治的に捏造された物語。
そんないい加減な書物に書かれてあることでいちいち熱くなったり
宗派毎に醜い争いしていることは愚の骨頂だと思わない?


主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持ってきて、
人がそれぞれどう呼ぶか見ておられた。

いったいどうやって、人のところへ持ってきたんだよ。人は何という名を付けたんだよ。
膨大な数になるぞ。

[匿名さん]

#3342012/05/14 14:00
>旧約聖書は、モーセ五書、歴史書、知恵文学、預言書と大まかな分類ができる。
>これがすべて神話などとは相当な聖書無知の厨房のいうこと。

>捏造という根拠が皆無。
>いずれにせよ、一世紀からクリスチャンが存在した事、キリストの実在性は疑うべくもない。

>それに、福音書や使徒たちの手紙、使徒言行録が残っているではないか。
>新約聖書の数千に及ぶ写本に匹敵するものはないでしょう。

>さらに、それに加えて繰り返しますがヨセフス、タキトゥス、小プリニウスらの記録もあります。


あれだけ奇跡を連発した人物に何の記録も残ってないのは不自然
聖書が誇張された書物だと思わざるをえない。

そうでしょキリスト教のみなさん
ナノニそんな書に血まなこになる一般クリもスエもおかしい
半分信じてないサロメみたいのが正解。


・・・こんな時だけ使徒言行録や弟子たちを利用するあなたは何者ですか?
偽のキリスト追随者さん。

[匿名さん]

#3352012/05/14 14:05
「人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった」創世記2.19
聖書に生き物の名がほとんど出てこないのはどうしてだ?
すべて名をつけて呼んだから、生き物のなったんだろう?
それぞれ何と呼んだんだ? 膨大な数だぞ。


イエス・キリストの語られた教えを一つ一つどうやって作ったのか説明できないのなら
イエス架空説は意味をなさない。こんな英知に満ちた教義をつくれる人間は一人もいない。


キリストも言われているなぁ、「聖書はわたしについて証をするものだと」、
もうこれだけでキリスト者は盤石でしょ、いくら雑音が入ってきても。

[匿名さん]

#3362012/05/14 14:10
>今日の人間とは異なり反逆前のアダムは完全な人間で潜在能力をフルに使える状態であった。
>そして、エデンの園はまだ全地域に広がってはおらず、神が連れてきた動物の種も限られていたかもしれない。
>たとえ夥しい数だったとしてもアダムに時間はあったわけだから何の問題もない。


アダムはアダムだよ。
超人だったら、エバとの一説も日本神話くらいのスケールで描かれてるわよ。

>「聖書はわたしについて証をするものだと」


そう。だからスウェーデンボルグは無関係。
真のクリスチャンはイエスの名によって迫害されるのであり、スウェは全くの無関係。


>エデンの園って何だと思ってるの?

人間は潜在能力の一部しか使っておらず、現在でも優れた運動神経、音楽的素質、驚く程の記憶力を有する人もいる。
神が創造され、全ては良かったと言われた最初の人間アダムが優れた能力を有していても不思議はないでしょう。

[匿名さん]

#3372012/05/14 18:05
>そのイエス・キリストは、スェデンボルグに(みことば)の内的意味を地上の 人間たちに知らしめよとご命令になられました。

全て何の裏付けもありません。
二千年続いている教えと教会を否定しなければ成り立たないスウェーデンボルグは異端であり、主イエスキリストに反するものです。

[匿名さん]

#3382012/05/14 18:19
釈迦と違いイエスは神から派遣された救世主、とか
有名人として帝国側に殺された肩書きになってるから、歴史証拠がないのは問題でしょ。
1世紀の帝国側の史料も異教徒の記録も豊富にあるし。

しかも十字架神話は盗作だったと判明。w
著作 Christ in Egypt
ttp:\/\/www.stellarhousepublishing.com/christinegypt.html
海外では話題沸騰だが、これなら証拠ないのもうなづける
クリスチャンざまあww

[匿名さん]

#3392012/05/14 18:27
11:マタイによる福音書 / 28章 11節
婦人たちが行き着かないうちに、数人の番兵は都に帰り、この出来事をすべて祭司長たちに報告した。
12:マタイによる福音書 / 28章 12節
そこで、祭司長たちは長老たちと集まって相談し、兵士たちに多額の金を与えて、
13:マタイによる福音書 / 28章 13節
言った。「『弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った』と言いなさい。
14:マタイによる福音書 / 28章 14節
もしこのことが総督の耳に入っても、うまく総督を説得して、あなたがたには心配をかけないようにしよう。」
15:マタイによる福音書 / 28章 15節
兵士たちは金を受け取って、教えられたとおりにした。この話は、今日に至るまでユダヤ人の間に広まっている。

ローマに資料がない事が問題になってるらしいが
もみ消したと書いてあるな


だいたいさ、聖書は作り話って皆が認めてるわけじゃない。

問題は、その聖書をどう解釈するかでしょ。

[匿名さん]

#3402012/05/14 18:47
>>338の要約。

聖書は異教の物まね。神の書物や歴史ではありませんです。

「ついに、キリスト教諸要素はキリスト到来に先立って古代のエジプトで見つけられるかもしれません!」

「彼女の本を読んでください。それが批判に相当すると信じる場合は、それを批評してください。
しかし、単にそれがあなたに衝撃を与えるというだけの理由で、彼女の命題に関して捨てることは、平易に愚かです。」

「これは、どんな合理的な読者にもイエスの物語がホルスの物語であると確信させる本です。
天、および季節の話; ;誕生、生、死および蘇生の話。

・ホルスは2人の「泥棒」の間で磔刑になりました。
・彼(あるいはオシリス)は墓に3日間埋められ生き返りました。
・ホルスは「有害なもの」、セットと戦いました。
・ホルスは1000年間君臨する予定でした。

[匿名さん]

#3412012/05/14 18:54
ペテロの手紙二 1章20−21節

何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。
なぜなら、預言は、決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです。

ペテロの手紙二 3章15−18節
 それは、わたしたちの愛する兄弟パウロが、神から授かった知恵に基づいて、あなたがたに書き送ったことでもあります。
彼は、どの手紙の中でもこのことについて述べています。
その手紙には難しく理解しにくい個所があって、無学な人や心の定まらない人は、それを聖書のほかの部分と同様に曲解し、自分の滅びを招いています。
それで、愛する人たち、あなたがたはこのことをあらかじめ知っているのですから、不道徳な者たちに唆されて、堅固な足場を失わないように注意しなさい。
私たちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい。


マタイによる福音書 22章29節

イエスはお答えになった。「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている」



イエスの40日間の断食の意味は?

「人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。」(2.20)
(善と情愛)、(真理の認識)にかんして、どのような性格をもつかを知らされるが、神が与えられたものの中には、
自分にふさわしい助ける者が見つからなかったということ。

それでエゴを慕い求めるが、エゴを欲求する者は、次第に神にかんする事柄を軽視しはじめる。

[匿名さん]

#3422012/05/14 19:04
>>338
似たような事を述べた「キリスト神話-偶像はいかにして作られたか」
の本のアマゾンレビューより

筆者はもともと牧師になるためキリスト教神学を学んだ人間で、歴史研究の訓練を受けておらず、論理展開より情熱が先立ってしまうタイプ。

そのため、全体に繰り返しが多く、散漫な印象を受ける。
また、マッシーとクーンという2人の研究者に極めて強い影響を受けており、資料も、この2人の書物からの2次引用、3次引用が目立つ。

更に、資料の全体から、自分に都合の良い部分のみを切り出しているとしか見えない
(たとえば、オシリス神話の解説で、オシリス再生に極めて重要な役割を担い、再生と豊潤のシンボルとしては、むしろオシリスより人気の高かったイシスへの言及がほとんどなかったり、そもそも、ユダヤ教への考察がほぼない、など)。

読むのに骨が折れてフラストレーションが溜まる本でした。
精神世界系の本が好きな人は面白いと思うかもしれませんが、
歴史的な考察を期待するとがっかりすると思います。


…というより、その手の話題は海外のトンデモ作家が年代の違う資料を都合よく断片断片して
存在しないキリスト原型神話とやらを作りだしてるだけで、俺みたいに諸宗教を研究してる立場からすると
一顧だに値しない内容だからw
例えばよくあるミトラス教剽窃説にしても、ミトラスの処女降誕だとか12弟子だとか復活だとか、ことごとく
まともなミトラス教研究者には認められてない意図的解釈で作り上げられた神話で、
実際にはミトラスは処女から生まれてもないし、12弟子もいないし、ましてや死んでないという(笑)
ホルスも同列(笑)エジプト神話の本は何冊も読んでるが、キリスト伝とは似ても似つかな(笑)

[匿名さん]

#3432012/05/14 19:10
「主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持ってきて、
人がそれぞれどう呼ぶか見ておられた。」(2.19)

最古代人たちは、人間にあるものを全部、獣や鳥に対比させただけでなく呼称として
使っていた。これが彼らの英知であり神と交流できた証でもあった。

だからこんな内的に解釈になる。「獣・家畜」は、天的情愛を指し「空の鳥」は、霊的情愛を指す。「獣・家畜」は、意志にかんするもの、
「鳥」は理性にかんするものをいう。「人のところへ持ってきて、人がそれぞれどう呼ぶか見ておられた」とは、それらがどんな性格か、
知るチャンスが与えられた。

[匿名さん]

#3442012/05/14 19:17
>悪魔の色が見える方は、私たちクリスチャンにとても益になっています。

その人の好き嫌いの感情によって悪魔にされたりする人がいると言う事ですね。

>スェの場合は、読んだ瞬間に頭に痛みが来て、

気分が悪くなりました。
あなたの話を聞いた瞬間に頭に痛みが来る人がいるかも。

とに角、あなたにはスェを乗り越えてもっと強くなって欲しいですね。


とにかく、あなたがスェの教えを聞いてみてください。


>>イエス・キリストは、天界では太陽として現れられるから、聖書で太陽と
>>して描かれているんだよ。
>>(みことば)では、主イエスは、愛の面で太陽で、信仰の面で月に例えらている。


これも支離滅裂。大体、月を信仰するなど、それはイスラム教ですよ。

>パウロはみことばと一致している。

パウロは、イエスなど問題にしていない。面識もなく、弟子でさえもない。
パウロ教のために、イエスの十字架を「利用した」だけ。

イスラムではイエスも預言者の一人ではあるが。。


イスラエルの十二部族
「十二」には、おおむね全体を意味する。「部族」は、真理と善、信仰と愛に属すること。

[匿名さん]

#3452012/05/14 19:27
聖書では40という数がよく登場します。

雨が40日40夜降り続いたとか、イスラエル人が荒野を40年さ迷ったとか、イエスの断食の日数です。

通常、食物無しで生存できる日数はそれよりだいぶ短いので(完全なイエス様なら断食できたとの見方もありますが)

聖書では40という数字は文字通りの数ではなく「非常に長い期間」を指すという解釈も存在します。

ユダヤ人はカバラーの知識もあったのでそれらも考慮しなくてはならないでしょう。

現代で40日間断食した方もいます。
不可能ではないですよ。

ただ聖書の話に戻りますと。
40日間断食は、長い期間の断食を示すわけですか?
また断食の意味は何ですか?

[匿名さん]

#3462012/05/14 19:34
復活したキリストwww。

一度完全に死んだ人間が「生き返る」ことなどありません。それはホラー映画
の世界だけ。

元イスラエル公使の著書では、イエスはギリシャ医学に堪能であり、ユダと
相談して、ギリシャ薬店で仮死状態になる薬を買い求め、処刑の前にその
薬を飲んで処刑の苦痛を免れ、薬の効果が切れたときに仮死状態から目覚めた
と、ユダヤ教徒は判断しているそうです。さもなければ、キリスト教は、ホラー
映画になってしまいます。

聖書にもちゃんと書いてあるんですよ。祭司長や長老達が集って相談し、墓の番をしていた兵士達に
多額の金を与えて嘘の証言をするよう買収したことが。
ユダヤ教徒にはイエスが復活したなど、都合の悪い話ですものね。【マタイ28:11〜15】
「この話は今日に至るまでユダヤ人の間に広まっている」

[匿名さん]

#3472012/05/14 19:41
私たちクリスチャンは既に「神の子」とされていますから
誰からも裁かれる事はありません。


裁くのはその人の自由です。

でも裁かれる側としてはそれを受ける必要は無いのです。
神の子としての自覚と確信を持ちましょう。

・・・日本国憲法に反して、シオンを裁いたのも自由なわけ。

>>創世記は、ヤコブの十二人の兄弟を通じて、主イエスの人間性神化の過程であると
>>ともに、救われるべき人間の再生過程が記されている。ここにこの秘義がることは当然、
>>キリスト教会の人間は誰も知らないし、思いもつかないことだろう。

救われるべき人間の再生過程???
言葉の意味自体が意味フなんですが。


けなされるだけでは間違いとは言えません。

イエスもけなされていますから。

深入りすると迷妄の海に翻弄されてあなたの信仰心が純真さを無くすから
手を引かれた方が良いかも、、、老婆心から

[あだち]

#3482012/05/14 21:13
504 :真理 ◆mVQWRBLduE :2012/05/11(金) 00:28:38.78 ID:tOFahdQ8

人間生きていくのに、神様が助けてくださっているということです。

人の痛みが来る時は、神様が教えています。
人の病が分かるということです。
すぐ、痛みは離れるから大丈夫です。

私たちはイエス・キリストについていれば、大丈夫ということです。

イエスは主です。


505 :゚ 。(*′∇`)。 ゚ 希美ちゃん ◆1XjRibJyX. :2012/05/11(金) 00:29:30.02 ID:+JchJYaP
>>504
聖書を解釈できないじゃん、あんたは。

[匿名さん]

#3492012/05/14 21:16
>イエスを主としていない者には、神の国はありません。

ほほう。イエスを含めて、すべての人間は創造主(神)が作ったのではない
のかね。イエスが作ったのではないことは明らか。年代が合わないw。

普通の人間は引くわなw
自分の正しさの証明が自分の勝手な解釈なんだからwwww


>パウロの書簡を認めないなどというのは、もはやキリスト教ではございません。

パウロの教えはキリストの教えと思いっきり乖離してるから。

イエス・キリストは、天界では太陽として現れられるから、聖書で太陽と
して描かれているんだよ。
(みことば)では、主イエスは、愛の面で太陽で、信仰の面で月に例えらている。

すべてのクリスチャンを初めとして、人類は、「オリシスのパクリのイエス」
に2000年間騙されていたわけか。まさに、人類史上、最大の詐欺。

その詐欺のために、数億人、数十億人の人命が、理由なく奪われた。キリスト教
は廃止決定。


12使徒は普通にイスラエル12氏族(ヤコブの12人の息子)の反映と考えた方が素直だがw

まぁ、キリスト教の教義は救いにならない偽教義だから、まともな人間は造れないよ。

[匿名さん]

#3502012/05/14 21:21
ヨハネ10:9
はっきり言っておく。
私はは羊の門である。
私を通って入る者は救われり。
その人は門を出入りして牧草を見つける。

☆ここに書いてある通り、イエス・キリストを通って、牧草を見つけるのである。


御父は私たちを暗闇の権威から救い出し、彼の愛の御子の王国の中に移してくださいました。コロサイ1:13
すでに、イエスを主としている者は神の国にいます。
スウェの教えは祈りは聞かれない、という神から離れている世界です。



もうほとんどたわごとだな^^ イエスにそんな教えはない。
十字架をとってイエスに従わないお前たちは、反キリストのインチキ栗だ。

[匿名さん]

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