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2012/09/16 17:55
爆サイ.com 北陸版

キリスト教





NO.6435661

イエスは、本当に神の子であり、救世主なのか?
#6512012/08/04 02:47
カトリック教会では、わたしたちの救い主である主イエスを、マリアの子と、
普通呼んでいる。そして永遠のむかしからお生まれになったという意味を
除いては、「神のおん子」とは呼ばない。ローマ・カトリック教会では、
マリアをだれにもまして聖人とし、あらゆる聖人聖女の女神か女王のように、
たてまつっている。
このことから、「無原罪のおん宿り」という異端信仰が生じ、キリストの
教えを根底から崩壊させる教義が次々と作られていった。
とこらが主イエスは、ご自分の人間性を十字架上の死により、栄化されたとき、
ご自分の母に由来するいっさいのものを脱ぎ捨て、おん父からくる一切のものを
帯びられたことは、福音書に記されている。


アダム原罪 三位一体の神 十字架の死の贖い 信仰義認
現代キリスト教会の基本教義はみな、聖書にない教えばかり。

ただし使徒書簡類はのぞく。

[匿名さん]

#6522012/08/04 02:52
イエスは母マリアから一体何を与えられたと言うのだい。
イエスの肉体は誰からのものなのか?
母の胎から生まれられたとは何を意味していると思っているのか?

>キリストの血は人間性の汚れの全くない聖なる神の血なのです。

キリストの血の意味がまったく理解できていない人の言うことです。
キリストの「血」とは、キリストのおん身体に流れている血液のことではなく、神の真理を意味する。
おバカな盲信者たちだけが、キリストの血とは血液のことだと思っている。

そのような考えは、盲信者のうちにしか起こらない。
そのような妄想が、キリストの教えを根底から破壊してしまったのだ。

神は創造と同時に、宇宙とその個々全体に、秩序をもたらされた。したがって、
には、宇宙と個々全体は、ご自分の法則にもとづいて、神の全能が発揮され、
活動をつづけている。
こうして神はこの世に下られた。神は秩序そのものだから、実際に人間になるとすれば、
母親の胎にみごもって運ばれ、誕生し、教育をうけ、だんだん知識をまし、その知識をとおして、
理知と英知のうちに入っていくようになる以外はない。
神のみ子イエスが、生まれながらにして神の全能を発揮されたかと聞かければ、
決してそのようなことはなく、両親がいなくては生きることさえできなかったかも知れない。

そのため、主イエスを人間性の面からみると、イエスは幼児のときは幼児のようであり、
少年のときは少年のようであり、それ以降もそうであった。ちがう点はただ、ほかの人間より
ずっと早く、しかも完全に、進歩と成長の道を全うされている。
その進歩に順序があったことは、ルカが記している。
(ルカによる福音書2.39-52参照のこと)


訂正
神は創造と同時に、宇宙とその個々全体に、秩序をもたらされた。したがって、
宇宙と個々全体には、ご自分の法則にもとづいて、神の全能が発揮され、
活動をつづけている。

[匿名さん]

#653
この投稿は削除されました

#6542012/08/04 03:02
矛盾だらけの信仰と言うのは、おまえたちの信じているパウロの作文と伝統キリスト教会のほうだ。
反論があれば、ちゃんと論理をもってやればいい。
ただ悪態をついて吠えるだけではバカ丸出し、無知丸出しだけな^^

アタナシウス信条には、こう書かれてある。
神であるというのは、すべの世に先立って父の本質から生まれたことであり、
人であるというのは、この世に母の本質から生まれたことである。
キリストは完全な神であり、完全な人であって、理性的な魂と人間の肉をとっていて、
神性にしたがえば父と等しく、人性にしたがえば父より小さい。

つまり、キリストは、おん父の霊魂によって、母マリアの胎に宿られた神人であったのだ。
そのことはルカによる福音書に記されている。(1.34-35)
キリストが「神のみ子」と呼ばれているのは、その人間性のうちに宿られた父の神性のことなのだ。
キリストの「人性」は、母由来のもの、キリストの「神性」は、父すなわち神エホバ(ヤハウェ)からの
ものだと言っているのだよ。

イエスは母マリアとのへその緒でつながっていなかったのかい?
イエスは人間の食べ物を食べておられなかったのかい?

[匿名さん]

#6552012/08/04 03:06
634 :リンゴクリスチャン ◆oPXbhrKCUQ :2012/07/23(月) 09:36:38.33 ID:L5h45q9B
主イエスキリストの血によるあがないと信仰によって救われる人たちがますます増えています。

十字架スレの荒らしネヨと虚勢サタン君は、そのことにあせりを感じねたんでいるんだね。

だから、荒らすんだね。笑い

主イエスキリストの血によるあがないと信仰によって救われる人たちがますます増えています。

ネヨと虚勢サタン君は、いまだに信仰がなく、おいてけぼりであせりを感じてるんだね。

君たちもイエスさまの信仰を持とうよ。

(´∇`)

[匿名さん]

#6562012/08/04 06:09
>>655
それを盲信と言う。
盲信とは、分けもわからず、ただ闇雲に信じることを言う。
キミはキリストの「肉」や「血」の意味も分からず言っているから、
その点では、当時のユダヤ人たちとまったく同じなのだ。
「それで、ユダヤ人たちは『どうしてこの人は自分の肉を我々に
食べさせることができるのか』と互いに激しく議論し始めた。」(ヨハネ6.52)
キリストの「肉」や「血」が、キリストのおん身体と思うなら、
どうして主はそれを食べさせ、飲ませられることができるのか、
まったく分からなくなってしまう。
それでは、おバカなカニバリズム志向にしかならない。
キリストの教えの意味がわからない以上、信じるとするなら盲信するしかない。
キミらのような盲信者たちが、キリストの教えを最低の自然信仰にしてしまったのだ。


#6572012/08/04 06:14
637 :リンゴクリスチャン ◆oPXbhrKCUQ :2012/07/23(月) 10:06:47.77 ID:L5h45q9B
>>636
キリストの人性が母由来とは聖書のどこにも書いてない。

アタナシウス信条という異端教会信条に書いてあるだけです。

そんなもの信用なし。

キリストへの信仰により神の義が与えられる人たちは日ごとに増えています。

ネヨ君は、それに我慢できないんです。だから荒らすんだね

(´∇`)

[匿名さん]

#6582012/08/04 06:22
引きこもりの在日劣化ウランのカスキリスト教団の牧師ども、調子にのってんじゃねえぞ!!!
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[匿名さん]

#6592012/08/04 06:33
>リンゴクリスチャン◆oPXbhrKCUQ

キミらの反キリストの信仰教義で救われる者など、どこにもいません。
キミはパウロと同じに主を褒め讃えているが、実質は、主イエスを褒め殺しにして、
主の教えをないがしろにし、冒涜しているだけ。

救いの神である主キリストのなかある三つの本質的なもの、それが霊魂・肉体・活動であったこと、
またあることは、だれもが認められることだ。
キリストご自身の霊魂は、父なる神エホバ(ヤハウェ)によるものであった。
それは、アンチ・クリストでなければ否定できないことだ。
というのは、旧約・新約両聖書のなかで、「エホバの子」、「いと高き神の子」「ひとり子」と呼ばれて
いるからだ。したがって、おん父の神性こそ、キリストの第一義的な本質で、これは人間のなかの
霊魂に匹敵する。
マリアから生まれたおん子とは、イエスの神的霊魂がもっておられる肉体のことで、だからこそ、
その肉体は霊魂に由来し、霊魂によって受胎し、母の胎内で準備されたことになる。

[匿名さん]

#6602012/08/04 06:42
第三の本質的性格は、(その活動)で、これは霊魂と肉体から同時に出てくる。
何かから出てくるとすれば、それを生みだす元になるものと、同じ本質である
はずであり、結局、「聖霊」は、そのものとしては神ではなく、ましてや神の
位格(ペルソナ)などでもなく、神なる主キリストご自身を指す。
「その方(聖霊)は、わたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに
告げるからである」(ヨハネ16.14)

父・子・聖霊の三つの本質的なものは、人間にある霊魂・肉体・活動のように、
主イエスにあって一つであった。これは、主イエスが(みことば)のなかで、
父はご自分とひとつであること、父はご自分のうちにあり、ご自分は父のうちに
あると、はっきり言われていることからも分かる。
主ご自身と聖霊の関係についても、それが言える。聖霊とは、おん父によって、
主から発出した「神性」であるからだ。

[匿名さん]

#6612012/08/04 06:46
650 :リンゴクリスチャン ◆oPXbhrKCUQ :2012/07/23(月) 15:27:21.09 ID:L5h45q9B
キリストは地上の生涯において全く罪が見いだせなかった。

その口に欺きはなく、人間の姿をとられた神であった。

その完全な神の血によるあがないで、人の罪は永遠かつ完全に清められるのです。


キリストは、わたしたちのために、神の義となり聖となりあがないとなられました。

そして、わたしたちは、キリストへの信仰によって神の子供とされ、

信仰によって神の義が与えられます。行いによるのではありません。

ただ、神の恵みとあわれみにより、キリストへの信仰によって神の義が与えられます。

「神の御前にだれも誇ることのないためです」。

[匿名さん]

#6622012/08/04 06:53
>>661
イエスは言われた。
「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、
善い者はだれもいない。」マルコ10.18

このようにイエスご自身が神であることを、否定されている。
リンゴクリスチャンは、イエスが神人としてお生まれになったことが理解できていない。
イエスは十字架上の死により、父と完全に合体されるまでは、母からの人性を脱却
されるまでは、人間としての属性をもっておられたのだ。
ここが人間の救いにかんするもっとも重要な点である。
にもかかわらず、無原罪の御宿りの信仰が台無しにしてしまった。

人類の罪を救われるのは、一点の罪のないイエス・キリストでないとしらければならないとしたのは、
主イエスの教えからではなく、キリスト教会のつくった教義なのだ。
しかしこれでは、真っ白な布が真っ黒な汚れを拭き取るというような、バカげた妄想信仰にしかならない。
神性と人性を有していた神人なるイエス・キリストだからこそ、生涯に与えられた、数々の誘惑・試練、
そして十字架上での最後の試練で、母からの人性をすべて脱ぎ捨てられ、おん父との完全合体に
よりもとの神性に帰られたことにより、人間においても同じように、新しくつくられた人間、再生一般に
ついて教えをされたということが理解できていない。

そんな空信仰がキリスト教をダメにしてしまったのだ。


#6632012/08/04 06:57
>信仰によって神の義が与えられます。行いによるのではありません。

たわけもの。おまえたちのようなエセ信者は、キリストの弟子ではない。
と主イエスは言われるでしょう。
主なるイエスは、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、
わたしに従いなさい」(マタイ16.24)と言われている。
行為の伴わない信仰はただの空念仏に等しい。

「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、
善い者はだれもいない。」マルコ10.18

ではこのイエスの言われたことはどのような意味なのか、答えてみなさい。

「世の初めから、かってなく、今後も起こることのない大きな艱難」とは、(みことば)のあちこちに
記されているように、偽りの信仰によって、真理が冒涜されてしまい、これ以上ゆがめようがないほど
歪められ、真理のひとかけらも残っていないはどだという意味である。
ヨヘネの黙示録では、「獣」の信仰として描かれている。
つまりかれらは救いにならない「信仰のみの救済」という、悪性の梅毒を垂れ流しているのである。
救いによるべき信仰が、救いにならない信仰にとってかわるほど人類にとって、これ以上の大きな
患難はないであろう。
なぜならこのエセ教義では、なんの救いにならないだけではなく、天界への道は閉ざされ、地獄に
断罪されるからである。

[匿名さん]

#6642012/08/04 07:02
みなさん、よく考えてみてくらさい。
主イエスが(みことば)で教えられたことを実践するのは実に大変です。
健常者でさえそうなのですから、障害をもっておられる人にはなおさらでしょう。
これでは、広く教会に信者をあつめることなどとうてい不可能です。
それでかれらは(みことば)が調子をあわせてくれないということで、
主のおしえでない偽りの信仰教義をつくって、教会への門戸を広げてしまいました。
それが「信仰のみによる救済」という教義の発明です。

しかし、主イエスはこう言われています。
「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、
そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細い
ことか。それを見いだす者はすくない。」と マタイ7.13-14
こうして悪性のエセ信仰は、伝統教会の正統教義として、人類の多くの者ら
に根付いてしまったことは周知の事実でしょう。

[匿名さん]

#6652012/08/04 07:09
神人である主イエス・キリストが理解できない時点で、リンゴクリスチャンはすでに詰んでいる。
「キリストの血」とは何か、書かれていないヘブル人の手紙などなんの説得力もない。
あとは妄想信仰に埋葬するしかない。

また、目の見えるようになる膏薬貼っておきまつ

「はっきり言っておく。一粒の小麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、
多くの実を結ぶ。」と(ヨハネ12.24)

人間は死後よみがえるため、それでキリストは死を引き受けられ、第三日目によみがえらたが、
そのことはキリストが母マリアから得た人間的なあらゆるものを脱ぎ去り、神的な人間的なもの
(神の人間性)を着けられるの目的のためでありました。
なぜなら、イエスは母から得られた人間的なあらゆるものを、試練により、最後には死により退けら
れたからであり、キリストの中にあった神的なもの、そのものから発している人間的なものを着ける
ことにより、ご自身を栄化され、その人間的なものを神的なものとされたのです。
それで天の国においては、イエスの死と埋葬は死と埋葬を意味しないで、主の人間的なものを清める
こと(栄化・神化)を意味しているのです。
このことを、イエスは「たとえ」で語られました。
イエスは、ご自分の死と復活により、この例えの内的意味を示されたのです。

おなじことは、マグダラのマリアに言われたことのなかにも含まれています。
「わたしにさわってはならない。わたしは未だ父のもとへ上っていないのだから」
(ヨハネ20.17)
「父のみもとに上る」とは、母からきている人間的なものが完全に退かれて、
主の神的なものと主の人間的なものとは合一することを意味しているのです。
無原罪のマリアと無原罪のキリストは、イエスの死と復活について、まったく意味のない
ものにしてしまいました。

[匿名さん]

#6662012/08/04 07:13
福音書(マタイ24章、マルコ13章、ルカ21章)には、キリスト教会がだんだん衰退し、
腐敗していくことが描かれている。ここにある「世の初めから、かってなく、今後も起こる
ことのない大きな艱難」とは、(みことば)noあちこちに記されているように、偽りの信仰によって、
真理が冒涜されてしまい、これ以上ゆがめようがないほど歪められ、真理のひとかけらも
残っていないはどだという意味である。
それはまた、「いと憎むべき荒廃」のこと、それから、黙示録の最初から最後まで、教会の腐敗・
堕落、終末について記されている。
これもみな、主キリストの教えではない、「信仰のみの義認」などの偽りの教義をつくってきた教会の
セイでこうなってしまったのだ。
黙示録では、偽りの教義のことを「獣」と呼んでいる。

[匿名さん]

#6672012/08/04 07:19
641 :リンゴクリスチャン ◆oPXbhrKCUQ :2012/07/23(月) 10:22:41.25 ID:L5h45q9B

サタンに欺かれた者の異端解釈信仰を盲信と言います。

すなわち、ネヨコソ盲信者なのです。

悪魔のつかいスエデンボルクでなく、主イエスキリストを信じなさい。


それはサタンからくる知恵であり神の知恵ではありません。


それは主イエスキリストの神の否定には全くならない。

キリストはご自分をヤハウェと認められた。

ヤハウェとは旧約聖書の神のことである。

キリストの血とは、キリストの神なる血液のこと。ヘブル人への手紙を読めば理解出来る。


ネヨ、よく聞け。主イエスキリストの神の血を汚れたものとみなす罪は重罪に定められる。

わたしは何度も警告した。お前の身のためにも十字架スレに安易に近づかないほうがいい。

[匿名さん]

#6682012/08/04 07:27
>>667
また、おバカなことを言っている。
キリストの「血」とは、相応の意味を知らない者には、それが何かは理解できない。

(みことば)の霊的意味を知らなくては、主イエスによって定められた、
洗礼と聖餐という二つの秘蹟について、その意味と効果を知ることはできない。
つまり、自然的なものは、霊的なものに相応していることを知らなくてはなら
ないということで、(みことば)にある文字上のもの、自然的な意味は、天界に
おける相応関係によって、霊的なものに転換するからである。

吉害盲信者の言にこそ有害な猛毒が潜んでいる。
良い子のみなさんは、リンゴの妄想など信用してはいけません。

[匿名さん]

#6692012/08/04 07:34
「洗礼」と「聖餐」の二つの秘蹟については、キリスト教信者となった者ならだれでも
認めることだが、この秘蹟は、神聖であるだけではなく、キリスト教世界にある宗教儀式のなかで、
もっとも神聖なものである。
ただ、この秘蹟が神聖なのは何によるかとか、その理由はどこからくるのかについては、
知っている人がいるかと言うことなのだ。
聖餐式の制定については、その(みことば)の自然的な意味から、キリストの肉を食べ、
キリストの血を飲むために、パンとぶどう酒があるという程度にしか分かっていない。
だから、それが神聖なのも、主イエスがお命じになられた(マタイ26.26-30)というだけ
のことしか知らない。

[匿名さん]

#6702012/08/04 07:40
キリストには、「自己卑下」と「栄化」の二つの状態があったことは、教会でも知られており、
(みことば)にも書かれてあることだ。
つまり「自己卑下」の状態が、人間の母から由来の「人性」を表している。
また、「栄化」の状態が、父である神エホバ由来の「神性」を表しているのだよ。

キリストへの「信仰のみの義認、救い」は、主の教えでない。

[匿名さん]

#6712012/08/04 07:48
 γ´‾ヽ
     (†
  ii´ンソヽヽ
  llリ*゚ーノ  リンゴクリスチャンさんかわいそ
  リ 、く†、
  l ヽ_)ノ
  ノ__!
   (_ノJ

[匿名さん]

#6722012/08/04 10:02
667 :リンゴクリスチャン ◆oPXbhrKCUQ :2012/07/23(月) 18:23:45.16 ID:L5h45q9B

主イエスキリストの血とは、キリストの体に流れる神の血だ。ヘブル人への手紙を読めば理解出来ることだ。

ネヨ、よく聞け。主イエスキリストの血を汚れす者は永遠に赦されない聖霊冒涜罪に定められる。

ネヨ、よく聞け。キリストを罪に定め、キリストの血を汚す者は重罪と、ヘブル人への手紙に書いてある。

神の裁きの座にて聞いてないとは言わせない。

[匿名さん]

#6732012/08/04 10:13
671 :リンゴクリスチャン ◆oPXbhrKCUQ :2012/07/23(月) 18:40:44.08 ID:L5h45q9B
キリストの血は、全く汚れのない聖なる神の血である。

だから完全に人の罪を清め、あがなうことが出来るのです。

これがヘブル人への手紙をはじめとする神の啓示なのです。

スエデン教義が窮地に追いやられると、カトリック教義に逃げるいつもの手か。

カトリックもスエデン同様に聖書のみことばを曲げた異端教義だ。

[匿名さん]

#6742012/08/04 14:43
聖餐式の制定については、その(みことば)の自然的な意味から、キリストの
肉を食べ、キリストの血を飲むために、パンとぶどう酒があるという程度にしか
分かっていない。
それで、そのような儀式用の備えに、主の教えられた(みことば)がつけ加え
られれば、秘蹟として成立するということを、頭のいい神学者たちが、教会から
教会へと伝えてきた。とは言っても、秘蹟として神聖である根拠が、理性にとって
納得がいかず、儀式用の備えや象徴的品々にも見えてこないので、ただそれを
鵜呑みにしているだけなのだ。

それで、その秘蹟によって罪が赦されると信じてぬかずく人、自分が罪なき者
と聖化されるだろうとも思っている人、信仰が強まると思っている人、それに
よって救いに近づくと思っている人など、いろいろとだが、聖餐にあまり重きを
おいていない人は、幼少のときからの習慣だけで、聖餐式にあるかることになる。

また、それに合理的な根拠を見いだせない場合は、聖餐式にはあるからないし、
不敬虔な者は、そこから身をそむけて、「あれは、聖職者たちが神々しく見せか
けている一つの儀式でしかない。パンとぶどう酒がどうしたというのだろう。
十字架にかけられたキリストのおん体とか、流されたおん血が、パンとブドウ酒
のかたちで、聖餐にあずかる人に配られるというのは、作り事ではないか」
とか、その他などだ。

[匿名さん]

#6752012/08/04 14:46
全キリスト教世界にわたって、神聖きわまりないこの「聖餐」の秘蹟について、このような
考えが温存されてきたのは、(みことば)の文字上の意味だけで、解釈したために他ならない。
聖餐の実りがありのままの真理にうちに現われるためには、霊的な意味が分からなくては、
だれも理解できない。ヘブル人への手紙をはじめとする神の啓示のなかに、文字の意味以外に
霊的な意味があるというなら、示してもらいたい。

[匿名さん]

#6762012/08/04 14:49
677 :リンゴクリスチャン ◆oPXbhrKCUQ :2012/07/23(月) 19:05:44.56 ID:L5h45q9B
サタンのつかいネヨが、カトリック教義を推奨する段階で、

カトリックが偽教会という何よりの証明ということになる。

異端者スエデンボルクとカトリックは、同じサタンの仲間と

いつも、わたしが言っているとおりである。

[匿名さん]

#6772012/08/04 18:41
681 :リンゴクリスチャン ◆oPXbhrKCUQ :2012/07/23(月) 19:22:38.91 ID:L5h45q9B
聖書には、キリストに罪は見いだせなかったことが書いてある。

すなわち、主イエスは父なる神の聖と神の義を持っておられた。

そのキリストの血を侮辱するネヨや偽信者は、心を変えない限り、

永遠に赦されないだろう。

[匿名さん]

#6782012/08/04 18:58
イエスキリストや、天使と「重なる」体験も「与えられない出来損ない」くんwww

不良品は黙ってろ!

お前がイエスキリストに愛されてナイ!
って現実は、お前にしるしが顕れない!
って事実で明白なんだよ!

[匿名さん]

#6792012/08/04 19:02
神のみ子とは、主イエスの中に宿られた神エホバ(新約の父)のこと。
永遠のむかしから、父から生まれた神のみ子は、教会の発明した妄想教義でんな。
キリストは、父とご自分の二人の神を信じないように、「父とご自分は一つ(一人)」だと、
言われたのよ。
(みことば)の文字上意味、つまり自然的信仰にある者だけが陥る、酔っ払い信仰ですな^^

[匿名さん]

#6802012/08/04 19:06
イエスキリストは、ご自分を神の子と呼ばれたことが書いてある。

イエスキリスト前に出たやつらとか弟子どもの言ったことより、イエスのみ言葉を信じないのか?

無様よのーリンゴクリスチャン。

今まで、「ただの一度も、イエスキリストの直説を示せてナイ」!

んだからなwww

挙げ句、みんな信じているから、信じないやつは間違っている

って論法だからなwww
論理が通じないとは、「お前は原始人」かwww

判断基準は、ただひとつ!
イエスキリストの直説か?★否か?

これだけだ。
さあ、答えろ。
聖書が正しいのではナイ!
イエスキリストの直説だけが「新訳として」正しいのだ!

[匿名さん]

#6812012/08/04 19:16
(みことば)を引用して論理的に話せないのは、サルのわめきにしか思われません^^

聖書が正しいのではナイ!

パウロの作文が(みことば)でないことについては、禿同でつ^^


イザヤ書40.10-11、53.1-2をよく読んできなさい。
エホバの御腕でとられた人間性のことを、「神のみ子」と言っていることがよく分かる。

[匿名さん]

#6822012/08/04 19:27
主イエスの語られた(みことば)には、天上と地上をむすぶ高次で、霊的な意味が含まれているが、
使徒たちの書簡類にはそれがない。それは、伝統キリスト教会にとって、「宗教的に有益な」文書に
すぎず、「聖言(みことば)」ではない。そのようなものからは地上的な信仰しか生じないことは明白である。

[匿名さん]

#683
この投稿は削除されました

#6842012/08/04 19:40
699 :リンゴクリスチャン ◆oPXbhrKCUQ :2012/07/23(月) 21:02:47.60 ID:L5h45q9B
キリストへの信仰によって神の子供たちが日ごとに増えています。

虚勢サタンとネヨは心の中で「ぐやじい」と叫んでいるようです。

(´∇`)

[匿名さん]

#6852012/08/04 19:46
行為義認を否定するキリスト教会の教義は、阿弥陀仏の本願に頼り、もっぱら念仏を唱えて極楽に
往生することを教義とする、浄土宗とかわらない。
このようなものもののどこに、主キリストのご生前の生き様があるというのか。
神人としてお生まれになり、誘惑と試練のなかの生涯のなかで勝ち取られた、主キリストの「義」が、
信仰のみで、人間に転移するなどまったく空理空論といわざるをえない。
盲信者だけが、このような幻想を信じている。


#6862012/08/04 19:50
有害なアルコールにも似た妄想です。
真っ白なスポンジが、真っ黒な汚れを取るというような自然的な信仰です。

どこでカトリックの教えを支持したというのか?
こちらは、主イエスの教えしか書いていない。

リンゴくん、はやく「信仰のみの救い」が空文句すぎないことに気づきなさい。
これは、主イエスの教えに反する、「獣」の教義なのです。

リンゴクリスタンは、はやくパウロ的妄想信仰から目覚めなさい。
「信仰のみ」で救われないことは、福音書で、主キリストが教えられて
いることは明白なことです。

[匿名さん]

#6872012/08/04 19:57
人間の中に巣くっている諸悪、その諸悪からくる諸罪が、主キリストへの信仰だけで、
主が取り除いてくださるなど、悪質な妄想としか思われません。
このような、悪性の信仰がキリスト教会に蔓延したからこそ、この教会は終焉を迎えるのです。

[匿名さん]

#6882012/08/04 20:03
709 :リンゴクリスチャン ◆oPXbhrKCUQ :2012/07/23(月) 22:31:12.98 ID:L5h45q9B

論理が破綻している虚勢サタンへ返答する者は、論理が破綻している者だけです。

主イエスキリストへの信仰によって救われる神の子供たちが、日ごとに増えています。

ネヨと虚勢サタンは、それが我慢できないんだね。

いっしょにイエスさまの信仰を持って神を賛美しようよ

(´∇`)

[匿名さん]

#689
この投稿は削除されました

#6902012/08/04 20:27
論理が破綻しているリンゴクリスチャンへ返答する者は、論理が破綻している者だけです。

( ‾ノ∇‾)‾-‾)ヒソヒソ

[匿名さん]

#6912012/08/04 20:32
無条件にイエスの聖書に非難を大カトーにせず、あなたがたはイエス・キリストを理解していない現在の片側です。
イエスはイエス・キリストの中心的な考えです。また、原告はイエスの唯一の継承のみで、聖書のイエスは信仰を信じていました。
教会の施設が怒っているのではありませんが、イエス・キリストのない経歴の人は実際には抗日闘争に使用できますか?例えば、イエス・キリストのカイサルにあります。

韓国の日本に対する闘争、そしてイエスの検察官のすべてです。イエス・キリストはロゼンフェリド彗星の闘争の隊長などとカルバンのイエスを送られました。
大カトーでなくイエスとマリアの清浄化は修道士の多数の崇拝の事実は異教とイエス・キリストの神格化であるためにあります。
あなたがたはイエスが単純で戦い、若いイエス・キリストの占領は日本またはキリストとの闘いですか?

主は言われます。
若くないユダヤ人ではなく、人や日本人専門家との戦いですか?またはイエスは単純であり、戦いませんか?
責任が明確にイエスにあり、教育はイエス・キリストの笑いで動作します。
したがって、必ずしもイエスの手を開いていないです。

[匿名さん]

#6922012/08/04 20:38
このときから、イエスは御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから
多くの苦しみを受けて殺され、三日後に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け
始められた。マタイ16.21

わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。
だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしはそれを自分で捨てる。
わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが
父から受けた掟である。ヨハネ10.17-18

主イエスは、教会が教えているように、人類の罪を背負われて死なれたのではないことが分かります。
十字架上の苦難とあがないの二つは、別々のことですから、絶対混同しないでくらさい。
キリストはおん父と完全合体をされるため、すなわちご自分を「神化」とされるために、みずから人間的
なものにおいて死なれたのです。

[匿名さん]

#6932012/08/04 20:43
十字架上での苦難こそあがないであると言う信仰が、キリスト教会の中心的教義ですが、
そこから、恐ろしいほどの錯覚が次々にでてきました。神について、仁愛についての偽りですが、
その他にも、(神・信仰・仁愛)に関係があることが続いてきます。
たとえば、神が人類の断罪を決められたとか、おん子を断罪されらり、おん子がその呪いを
身に負われた結果、父は哀れみをとりもどされたとか、予定や予定にもとづいて、キリストの
功徳にあずかる人だけが、救われるということです。
このような偽りがもとで、以上の信仰が与えられたあとは、行為とは関係なくすでに、
再生しているとか、呪いの律法から今や解放されているとか、もう律法のもとにはなく、
恵みのもとにあるとかいう信仰が生れました。ところが、主イエスは、
「律法の一点一画もとり去られることはない」(マタイ5.18-19 ルカ16.17)と言われています。
弟子たちには、
「罪の許しのための悔い改めをのべ伝えるよう」(ルカ24.47、マルコ6.12)
「神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい」(マルコ1.15)とも言っておられます。
ここで「福音」とは、再生し、救われることです。

[匿名さん]

#6942012/08/04 20:53
自分の矛盾から逃げ回り、自分ができてないことを、できているとウソをつくリンゴクリスチャン。
お前の神とやらは、ウソをついてもOKなんだなwww

もう、そうやって虚勢をはって、「お前(相手)が悪い」とコジツケすることで「しか」、「自分のプライドを守れない」んだねwww

「現実逃避」www

ほらほら、どうしましたか?www 守銭奴カルトえせキリスト教狂信洗脳妄想講師のリンゴクリスチャンくんwww
ワンパターンですよwww
それから、スウェーデンボルグ信者くんに論破されまくりの過去レスは、知ってますよ、念のためwww

妄想で言っているから、出典を出せない!リンゴクリスチャンくんwww
聖書を自分の都合のいいように捏造して!騙っている証拠だ!
しずちゃんでは、出典を出さずに言い続けてきた!リンゴクリスチャンくんwww

[匿名さん]

#6952012/08/04 21:02
現在の教会がもっているような信仰に固執すると、全人類はどんなふうになるか、
合理的に考えてみれば分かります。かれらは、「十字架上の苦しみによってあがなわれ、
キリストのおん功徳があたえられているから、律法の呪いの下にはない」と言います。
しかも人間は、(自分に備わっているかどうかも分からない)信仰によって、罪が赦され、
再生していると言います。さらに、人の協力は、それが行為となっているあいだ中、
信仰をしめ出し、それによって救いを遠ざけるものであり、キリストの功徳と自分の
手柄をゴチャマゼにするからいけないと言います。

[匿名さん]

#6962012/08/04 21:11
さて、頭をつかって考えてみてください。それは(みことば)にあることを全部拒否している
ことになりませんか。(みことば)には、大切なことは生まれ変わることであり、それは悪から
霊的に足を洗うこと、仁愛を実践することであると言います。
「十戒」は、自己改革の原理ですが、それが店で売っている香料袋でしかないことになります。
「宗教」も、自分が罪人だと泣き叫ぶ声でしかありません。
父なる神がごじぶんのおん子の苦難によって、哀れんでくださるよう祈りますが、それも肺から
口をついて出てくる声で、心からのものになっていません。
もし人を生まれ変わらせるものが信仰だけだとすると、悔い改めとか仁愛はなくなります。
これでは、主イエスの教えをすべて拒否していることになります。

[匿名さん]

#6972012/08/04 21:17
聖餐は、主イエスによって制定されました。
イエスは、弟子たちとともに過ぎ越しをされ、夕方が来て、かれらと食を共になさいました。
「一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、
弟子たちに与えながら言われた。『これはわたしの体である。』また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、
彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、
多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。」と(マタイ26.26-28)

しかし、相応の知らなくては、主イエスの「肉」と「血」の意味が分からないし、パンとぶどう酒に
ついても同じです。主の肉とパンは、(主からでる神の善)のことで、(仁愛によるあらゆる善)の
ことです。また主の血とぶどう酒は、(主の英知からでる神の真理)のこと、(信仰によるあらゆる真理)
のことです。そうして、これを飲むとは、同化させることです。

[匿名さん]

#6982012/08/04 21:22
715 :リンゴクリスチャン ◆oPXbhrKCUQ :2012/07/24(火) 04:59:27.71 ID:P1uhW3IX
わたしたちの父なる神を賛美しよう。主イエスキリストは十字架につけられ、

血を流し死に墓に葬られ、三日目に死人の中からよみがえられた。

主が永遠に褒め称えられますように。

[匿名さん]

#6992012/08/04 21:39
724 :リンゴクリスチャン ◆oPXbhrKCUQ :2012/07/24(火) 20:46:26.69 ID:P1uhW3IX

☆その相応の意味は、スエデンボルクと言う悪霊による解釈です。

主イエスキリストのみことばを引用した後、悪魔の霊で解釈するな。

ネヨ、お前は汚らわしいんだよ。


主イエスキリストへの信仰によって神の子供たちが日ごとに増えています。

[匿名さん]

#7002012/08/05 00:24
>>699
盲信者乙!www

イエスキリストご自身が神の子だと明言しておられるのに、神そのものだと言い張るアンチキリストめ!

お前を知らないとイエスキリストは言われる!

聖書には、キリストに罪は見いだせなかったことが書いてある。

ピラトの言ったことより、イエスのみ言葉を信じないのか?

[匿名さん]

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