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2012/09/16 17:55
爆サイ.com 北陸版

キリスト教





NO.6435661

イエスは、本当に神の子であり、救世主なのか?
#2512012/05/12 20:46
そもそもキリスト教なんてのはローマ帝国から古代中国に派遣された者が
墨子の博愛主義(兼愛)、非攻の精神に触れ帰国した後にエジプト神話やギリシャ神話の
神聖(処女解体、12使徒、十字架の死、3日後の復活)を加味して作ったもので、
領土拡大をもくろむローマの政治工作の一環のものだからね。

タキトゥスはAD55年生まれで、ネロ帝の死が68年6月8日である。
いずれにしてもイエスの死後に生まれており、その記述も伝聞にとどまっている。


ユダヤのタルムードも2世紀末から6世紀にかけて少しずつ編纂されて言った書物であり、
イエスの生きた時代から時間的隔絶があることもイエスの実在を考える上では弱い点である。


フラビウス・ヨセフスの『ユダヤ戦記』だが、
これも後世にキリスト教側から修正捏造されたものとされてるんだよ。
従ってもう一度言うが、イエスと同時代の歴史的文書で
イエスについて言及している資料は新約聖書以外に存在しない。
よってイエスが実在しなかった可能性が極めて高い。

伝統キリスト教は、公会議とパウロ書簡からつくられたインチキキリスト教である

[匿名さん]

#2522012/05/12 20:52
エペソ1:19-23
彼の大能の御力の働きに従って
私たち信じている者たちに対して
働く彼の力の超越した大きさがどういうものかを、
あなたがたが知るようになりますように。
その大能を、神はキリストの内で働かせて、
彼を死人たちの中からよみがえらせ、
また、天上において、ご自分の右の座に座らせました。
すなわち、あらゆる主権と権威と支配と、
この代においてだけでなく来ようとしている代においても
名を呼ばれるあらゆる名との、はるか上にです。
そして、万物を彼の足の下に置かれ、
彼を万物の上にある頭として教会にお与えになりました。
教会は彼の体であり、すべてのものの内にすべてのものを
満たしておられる方の満ちているものです。

[匿名さん]

#2532012/05/12 20:57
彼が担ったのはわたしたちの病
彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
わたしたちは思っていた
神の手にかかり、打たれたから
彼は苦しんでいるのだ、と。

彼が刺し貫かれたのは
わたしたちの背きのためであり
彼が打ち砕かれたのは
わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって
わたしたちに平和が与えられ
彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。 イザヤ53.4-5

[匿名さん]

#2542012/05/12 21:03
病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ彼は自らを償いの献げ物とした。
彼は、子孫が末永く続くのを見る。主の望まれることは彼の手によって成し遂げられる。

彼は自らの苦しみの実りを見それを知って満足する。
わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために彼らの罪を自ら負った。

それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし彼は戦利品としておびただしい人を受ける。
彼が自らをなげうち、死んで罪人のひとりに数えられたからだ。
多くの人の過ちを担い背いた者のために執り成しをしたのはこの人であった。

[匿名さん]

#2552012/05/12 21:17
エペソ2:6
神は私たちを「一緒によみがえらせてくださり、
キリスト・イエスにおいて
天上で一緒に座らせてくださいました。」
と言っています。
私たちは、イエス様の体である教会です。
どんな悪霊の軍勢も、彼の足と
私たちの足の下に置かれているのです。
神に感謝すべきことに、それゆえに
私たちは蛇やさそりを踏みつけことができるのです。ルカ10:19

実に、信仰は聞くことにより、しかも、
キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。
ローマ10:17

[匿名さん]

#2562012/05/12 21:27
アタナシウス信条
31.神というは、御父の本質にして、万世の前に生れ、人というは、母の本質にして、この世に生まれ給えることなり。
32.げに全き神にして全き人、霊魂と肉体とを備え給えり。
33.その神たることにつきては、御父に等しく、その人たることには御父の下にあり。
34.神にして人なりというも、二つにあらず、ただ一つのキリストなり。

パウロは主イエスからではなく、自分自身からすべての信仰を作ったのです。
パウロの教義が主の教えからでないことは、福音書とパウロの手紙を読めば明白なことです。

[匿名さん]

#2572012/05/12 21:42
聖書の製作者は聖霊です。
しかも、イエスのそばにいたペテロもこう言ってます。

第二ペテロ3:15
それは、私たちの愛する兄弟パウロが神から授かった知恵に基づいて、あなたに書き送ったことでもあります。

ペテロのほうが信頼大ですね。
何しろ、ペテロの手紙も聖霊によって書かれています。

[匿名さん]

#2582012/05/12 22:06
聖霊はそれ自身としては、「ペルソナの神」ではありません。
聖霊は自分から語るのではなく、キリストのものを受けて語るのです。
つまり、聖霊とは主キリストの活動そのもなのです。
人間の活動がその人自身であるとおり、聖霊の活動はキリストご自身です。

[匿名さん]

#2592012/05/12 22:12
全知である神は完全に正確な善悪の判断ができる。
(正確な善悪の判断をするには、被害者の気持ちと加害者の気持ちなど全てを知る必要がある)

全知である神が最も正しい法を考案することができる。
全知である神が最も正当な裁きができる。
全知である神が最も人々の心身の痛みに配慮でき、人々の理想を叶えることができる。
それは全知でなければ不可能。

ゆえに全知の方でなければ、全能の力はもってはならない。
また一方に偏った性格の方が全能の力をもってはならない。

[匿名さん]

#2602012/05/12 22:21
歴史的に実在した人物というのは大概ライバル(敵)がいて某かの記録が残ってるもんなんだけど、
イエスの場合はそれが一切無いことがイエス非実在説がいまだに燻っている理由だ。

ユダヤのタルムードがイエスを侮辱する記述をしているというが、
これもイエスと同時代ではなく2世紀末から6世紀にかけて少しずつ編纂されて言った書物であり、
しかも記述されている人物の名前も家族の名前も処刑のされかたも新約聖書のナザレの
イエスとは異なるため決定的な証拠とするには弱過ぎる。

[匿名さん]

#2612012/05/12 22:39
イスラム神話パクリの聖書、作り話がばれそうだからイスラム圏を攻撃してんの?
ユダヤ教もキリスト教も、カルト宗教みたいなもんだよね

霊的なものを自然的なものにするから、理性でわけが分からなくなるのです。

[匿名さん]

#2622012/05/12 22:47
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。
これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。
“霊”の火を消してはいけません。

預言(御言葉)を軽んじてはいけません。
すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。
あらゆる悪いものから遠ざかりなさい。
どうか、平和の神御自身があなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。
また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、
私達の主イエス・キリストの来られるとき、非の打ち所のないものとしてくださいますように。
あなたがたをお招きになった方は、真実で、必ずそのとおりにしてくださいます。

[匿名さん]

#2632012/05/12 22:55
聖書は中国の古典からのパクリ


西暦300年代前半。中国は西晋の終わり、あるいは東晋の初めといった時代で、
北方では五胡十六国が覇権を争っていた。
そんな頃、とあるローマの旅人が中国を訪れ、「仁」や「愛」すなわち
「他人に対する思いやり」という観念に触れ、その素晴らしさに感動した。
武力と財力を権威の象徴とし、弱者を非人間的に支配しても、何の後ろめたさも持たない
ローマ帝国の治世に、人々の心は荒れ果て、憤りを感じていたのだろう。
何とかヨーロッパに紹介できないものかと考え、中国の学者達と相談した。
手っ取り早いのは、「四書五経」や『墨子』、その他の漢籍をそのまま翻訳することだが、
あまりにも文化が異なるので、それでは真意が伝わりにくく、まして権力者には
耳が痛い話ばかりなのだから、彼等が受け入れる可能性も低い。

当時のローマ帝国は、ユピテルやアポロンを中心とした古来の神々に、
ペルシャ伝来のミトラ教などをブレンドした多神教によって社会が支配され、
その神々の名の下に法律や制度が運用されていた。とすると、これに対抗し得る宗教を作り、
民衆の心を揺り動かすのが、最も効果的だろう。
多神教に多神教で対抗しても、民衆にはわかりにくい。

[匿名さん]

#2642012/05/12 23:04
多神教に対して最もインパクトがあるとすれば、それは一神教しかない。
神はただひとりしかいないとすれば、宗教イメージも簡潔でわかりやすくなり、
その教えを民衆も理解しやすい。そうだ、それが一番よい。後は具体的な一神教の物語を作ればよい。

何かよい題材はないだろうか。
歴史を紐解いてみると、200年くらい前(西暦135年)に、ローマが滅ぼしたユダヤという国がある。これを使おう。
すでに滅亡し、国民は離散してしまっているのだから、何をどう書こうと文句は出ないに決まっている。
丁度よいことに、彼等ユダヤ人は一神教を信仰していて、その一神教が太古からあったとする神話をもっている。
これを神との古い契約(旧約)の書とし、新しい契約(新約)の書を、新たに書き下ろそう。
それは愛と正義の主人公の物語にし、その主人公がそれまでの歴史を総括しながら、死後の世界の幸福と現世の生活を結び付け、
それを心の癒しとし、なおかつ東洋の仙人伝説にあるような超能力による病気治療といったことで、
神秘なものに対する好奇心をくすぐればよい。仏教伝説もヒントにしよう。そしてクライマックスでは、
主人公に非業の死を遂げてもらおう。その方がインパクトが強く、民衆の共感も得られよう。

[匿名さん]

#2652012/05/12 23:13
最後はローマに布教されるところで終わりにすれば、ローマの民衆にも愛着が出る。そんな事実はないと指摘されたとしても、
時代を少し古くしておけば、当時のローマ帝国にとっては些細なことだったので、すでに忘れ去られたのだと反論すれば、事無きを得よう。
ただし、ユダヤ人の神話(旧約)にも少し筆を加えておこう。と言っても大したことは必要ない。ストーリーに違和感が出ない程度で、
要所の名前や数字をほんのちょっといじれば、それでこと足りる。天地創造神話だって、理由はわからないが、
要するに昔の中国人が作ったからこそ、易の序次とその流れが一致するのだし、そんなまがい物の神話なんだから、
この辺で新たに手を加えても、別段悪いことはないだろう。
主人公が処刑されるのは祭りの期間とし、その祭りの名称を沢風大過から採って
「過ぎ越しの祭り」なんていうのが面白い。

そんなふうに加筆すればそれでよいのであって、このようにしておけば、容易に主人公が架空の人物で、
その神話が中国に帰って来た時にも、それが中国製であることが、簡単に読み取れる。
そうだ、より中国製であることが明瞭になるように、易と辛酉革命で、暗号の骨格を組み立てておこう。
それと、7日でひと区切りとしていることと十二消長を利用して、加筆製作年代がわかるようにもしておこう。

主人公の時代から暗号に従って計算すれば、この前の辛酉歳(西暦301年)になるようにすればよい。
それに、その時代(西暦元年)に主人公を設定しておけば、ローマと中国がまだ正式には交流していない時代なのだから、
易や漢字のわからないローマの民衆としては、それが中国製だとは思ってもみないに違いない。
そうそう、主人公の誕生日は、彼等ローマ人の暦の中から、辛酉革命と結び付く日付を捜し出しておこう。
その方が、こちらとしてもわかりやすい。

おそらくローマ人の依頼を受けた中国の学者達は、こんなことでも考えながら、旧約の加筆と新約の物語の
アウトラインをまとめたのであって、依頼人はそれをローマに持ち帰り、
ユダヤ周辺などでいろいろと取材し、その結果あのような聖書神話を完成させたのだろう。

[匿名さん]

#2662012/05/12 23:20
イエスが実在の人物であったかどうか——このことは実はよく分かっていない。
というより実在しなかった可能性の方が極めて高い。

なぜならば新約聖書の福音書のような身内から出たもの以外にイエスの実在性を示唆するような
歴史的資料が一切無いからである。

その新約聖書や、キリスト教徒以外による記録ですら、全くのイエスと同時代ではなく
イエスの死後20〜70年経過したのちに書かれたものである点も信憑性を損なう理由のひとつだ。

自国であるユダヤやその統治国ローマを揺るがすほどの人物であれば本来某かの記述があって然るべきで、
それが無いというのは不可解以外の何ものでもない。イエスが新約聖書あるように多くのユダヤ民衆を扇動し
ローマ帝国への反乱を企てたというかどで十字架の刑に処されたのであればローマ側やユダヤの反イエス勢力の
グループがそれに言及しないはずがない。

従って新約聖書や旧約聖書の一部はパウロ等後世のキリスト教関係者あるいはローマ帝国による政治的な目的で
創作捏造されたものであると推察される。

[匿名さん]

#2672012/05/13 00:04
そこに神様の意図があります。
知識ばかり欲しがるのは、人間の知恵です。

神の知恵は、御言葉を実行する者に、隠されています。

神の愛と英知は人間の精神の中に流れ込んできているのです。
意志は愛を受ける器であり、理性は英知を受ける器なのです。
人間はだれもそのように造られているのです。
人が意志と理性を放棄しては、神は人の中で働らくことはできません。
したがって、信仰のみでは何にもなりません。

人間の霊とは、人間の心のことです。
人の霊は、理性で考え意志で行いますから、肉体はみずからの力ではなく、
霊の力で働いています。したがって人間の霊とは、人間の理知の子と、
愛がもつ情愛のことで、すべてはそこから出て、そこから作用します。
人の霊は神の英知の霊を受ける器です。
それは(みことば)からも調べられます。

ベツァルエルは、知恵と悟りと知識の神の霊に満たされた。
ネブカドネツェルは、ダニエルがすぐれた霊、知識・分別・英知の霊をもっていることを知った。
ヨシュアは知恵の霊に満ちた人であった。

[匿名さん]

#2682012/05/13 00:19
人は、神の似姿として、しかも神の像として造られたとあります。(創世記1.26、27)
「神の像」とは、神の英知を指し、「神の似姿」とは、神の愛を指します。
愛は(いのち)の存在であり、英知は、その存在から出てくる(いのちの実在)です。
人は、神の似姿にしたがった神の像です。神が人間のうちにましまし、その内奥部から
人の(いのち)になっていることです。
神は(いのち)そのものであり、人間は、神から(いのち)をいただく器です。
(みことば)によっても周知のように、神は人のうちにましまし、人のうちに住まい
を設けられます。
神は人の内に住まわれているのですが、そのことを人は気づいていません。
だから主イエスはこう言われました。
「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける
者があれば、わたしは中に入ってその者とともに食事をし、彼もまた、わたしと共に
食事をするであろう」と。 黙示録

[匿名さん]

#2692012/05/13 00:29
祈りで癒しが起こるには下記条件が要るようだ

1.癒されたい本人がイエスを救い主と信じた上でイエスの名前で自分の癒しを神様に祈り求める
2.同時にその人の癒しを周囲のクリスチャンが祈り求める

とりあえず最低限この二点

良かったですね、神様は喜んでおられます。

クリスチャンでない人も癒されます。
それからクリスチャンになる人も少なくありません。

但し、まともな日本人なら誰一人としてクリにはならない。

[匿名さん]

#2702012/05/13 00:40
俺みたいにローマの本が面白いから
力石の葬式に本腰入れてる人って
あんまりいないみたいだね


まあただ巷でオ◯ロの中◯みたいなのとか
オレオレ詐欺たとかに騙されてる人がいて
ああいうのと一緒にみなされるのはちょっと嫌だな


聖書は精霊が書いたよか言うけど
それって小説や漫画にのように
キャラが勝手に動いて
作者の意図とは別にストーリーが進むと一緒だね

[匿名さん]

#2712012/05/13 02:20
旧約は完全に神話の部類ってことはみんなよく分かってると思うが、
新約も4世紀頃にローマ帝国に於いて政治的に捏造された物語。
そんないい加減な書物に書かれてあることに解釈もへったくれも無い。
キリスト教徒は他宗教どころか同じキリスト教内の宗派毎に醜い争い
をしていて傍から見て見苦しい。

[匿名さん]

#2722012/05/13 02:23
>>57
キリストのご命令にそのようなものはありません。

わたしは伝統教会のクリスチャンではありません。
でもキリスト信者です。

>>58
神は全能で全知なのです。
あらかじめすべてを予見されているのです。
つまり、これから起こることも何もかもすべてをお見通しなのです。
したがって、あなたの祈りで神の御意志が左右されることなどないのです。
そこには人知では計り知れない神のご計画によって、すべてが進行しているのでよう。

[匿名さん]

#2732012/05/13 02:28
マルコ16:15
それから、イエスは彼らにこう言われた。
全世界に出て行き、全ての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。
信じる人々には次のようなしるしが伴います。
病人に手を置けば病人は癒されます。

そこで弟子たちは出て行って、至るところで、
福音を宣べ伝え、主は彼らとともに働き、御言葉に伴うしるしをもって、御言葉を確かなものとされた。

[匿名さん]

#2742012/05/13 02:32
祈りが聞かれないのは、あなたの信仰通りになっているだけで、
どこからか道が反れたのでしょう。
スェが言うなら、あなたはスェより上にいくことはできません。
弟子は師より勝ることはないからです。

ヨハネ14:17
まことに、まことに、あなたがたに告げます。
私を信じる者は、わたしの行うわざを行い、
またそれよりも、さらに大きなわざを行います。
わたしが父のもとに行くからです。

☆あなたはスェを信じ、
わたしは、イエスを信じる者です。

[匿名さん]

#2752012/05/13 04:07
のかたや

[匿名さん]

#2762012/05/14 05:33
クリスチャンという種族はどうしてこう夢想家が多いんでしょう。
主に祈れば何でも叶うと思っています。
聖霊が来れば何でも教えてくれると思っていいます。
その間、かれらの意志と理性はあぐらをかいでおねんねしています。
これじゃ堕落した人間を製造するだけです。
この人たちは、神が何かまったく分かっていません。
こんななまけ者たちには神のみ摂理は何も働きません。


(・o・)ゞ了解!

[匿名さん]

#2772012/05/14 05:38
>>275
そこに神様の意図があります。
知識ばかり欲しがるのは、人間の知恵です。

神の知恵は、御言葉を実行する者に、隠されています。

神の愛と英知は人間の精神の中に流れ込んできているのです。
意志は愛を受ける器であり、理性は英知を受ける器なのです。
人間はだれもそのように造られているのです。
人が意志と理性を放棄しては、神は人の中で働らくことはできません。
したがって、信仰のみでは何にもなりません。

[匿名さん]

#2782012/05/14 05:43
イエスを信じる者とは、イエスにただ祈る者のことではなく、
イエスのご命令になられたことを実践する者のことです。まちがえないでね

イエスの信仰はからしだねより大きかったのだろうか
小さかったのだろうか

試練は神様からの訓練
祈りの応えは自分の願いどおりではないことも、しばしば
でも、神様はいつも最善をしてくださる方。

忍耐、忍耐

霊的アスリートになれたらいいね。

[匿名さん]

#2792012/05/14 05:49
今ね、メシアニックジューがたくさん起こされているのよ。
パウロのような霊的体験をしたユダヤ人たちがたくさんいまあす。

クリスチャンはユダヤ人とアラブ人のために祈る必要が
ありますね。エルサレムの平和のために祈る者は祝福されます。

ユダヤとアラブは同じアブラハムの家の兄弟ですからね

[匿名さん]

#2802012/05/14 05:54
「神様に愛されている」って実感しているクリスチャンは少ないかも
しれません。多く愛されたと思う者は人を許し愛することができるのでは
ないでしょうか。 こうあらねばならない、こうすべき・・・
の雁字搦めの信仰じゃ、裁いてばかりいる人になっちゃいそうね。

「これは私の愛する子、私の心に適う者である。」
この御言葉を「自分のこととして」抱きしめたいわね。

[匿名さん]

#2812012/05/14 05:58
わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、
わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。ヨハネ15.10

「イエスの掟」については
わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟
である。友にために命を捨てること、これ以上大きな愛はない。わたしの命じる
ことを行うならば、あなたがたはわたしの友である。ヨハネ15.12-14


神の真理を伝える事
これが真の愛です。

[匿名さん]

#2822012/05/14 06:04
127 :神も仏も名無しさん:2012/05/10(木) 01:42:10.33 ID:6pr+yn5k
イギリスで教会が廃墟になってそれはそれで地域の環境悪化に繋がるとかで
教会の入れ物をそのままサーカスの練習場や公共の施設
バールやマンションに変貌をとげてるらしいよ
相当な数の教会が廃墟になってるってキリスト教衰退なの?


128 :゚ 。(*′∇`)。 ゚ 希美ちゃん ◆1XjRibJyX. :2012/05/10(木) 01:59:53.06 ID:SsPWM6M+
>>127
> イギリスで教会が


それは教会がじゃなく、イギリスが衰退だからでしょう。
世界経済は、欧州⇒米国⇒アジア、と変化してるから。

例えばセブンイレブン。
発祥米国のセブンイレブンがだめになり、セブンイレブンは日本へ。
そして日本国内のセブンイレブンも閉塞感あり、今はセブンイレブンはアジア諸国へ。

宗教も同じ。


132 :゚ 。(*′∇`)。 ゚ 希美ちゃん ◆1XjRibJyX. :2012/05/10(木) 02:24:20.35 ID:SsPWM6M+
今後はキリスト教でなく、世界は儒教が中心になりますよ。

[匿名さん]

#2832012/05/14 06:09
世界史を少しでも勉強すれば、特にヨーロッパの歴史は、キリスト教同士(カトリックと
プロテスタント)との殺し合いの歴史。すべてのイエスの「愛の思想」が原因。イスラーム
はキリスト教の影響を大きく受け、いわばその焼き直しに過ぎない。ただ、ナザレ村の大工
の子倅を「神」などに祭り上げるという冒涜を犯さなかったことにおいて、キリスト教よりも
格段に進歩した宗教と言える。

[匿名さん]

#2842012/05/14 06:14
イエスは「人を裁くな。裁けば同じ理由で自分が裁かれる」と言いながら、
最も人を裁いたのがイエス。「自分だけが、人を裁く権限を神から与えらえている」
などと大言壮語ししている。呆れ果てた人間だ。

真理さんの「我のみ良しの独善性」「人間差別」「創造(あるがままの人間と自然)に
対する畏敬の欠如」は、イエスとそっくりですよw。

[匿名さん]

#2852012/05/14 06:19
134 :゚ 。(*′∇`)。 ゚ 希美ちゃん ◆1XjRibJyX. :2012/05/10(木) 02:44:40.44 ID:SsPWM6M+
基本的に信仰じゃないよ。
大切なのは教育。
欧米日は教育がだめになり、韓国や中国が伸びてきた。
イエスに祈ればなんて、真っ赤なうそ。
今日の中国を見ればわかるでしょ。


135 :神も仏も名無しさん:2012/05/10(木) 03:15:14.85 ID:zoTKIKYA
>>134
中国の歴史も、内乱の歴史。宗教に起因するものが極めて多い。最大の内乱
である太平天国の乱も、その言葉の通りキリスト教。他の宗教も、景教がすでに
中国に進出していたから、その影響があったものと充分に推測できる。

他の宗教でも、キリスト教の影響があると「例外なく」カルト化する。

そもそも、現代の中国のマルクス主義も、キリスト教に起因する「擬似宗教」。
日本が中国に手こずったのは、クリスチャンである宗美齢が、アメリカの大規模
援助を取り付けたのが原因。マルクス主義が宗教であるからこそ、大量殺戮が
可能になった。マルクスが「宗教は阿片」と言ったのは、宗教お決まりの内部
抗争。

[匿名さん]

#2862012/05/14 06:23
137 :神も仏も名無しさん:2012/05/10(木) 03:28:47.64 ID:zoTKIKYA
>>136
>世界は宗教で動きませんよ。

その見方は皮相だよ。戦争や憎悪は、「人の心の中に起きる」。心に最も
影響を与え、生来の心を変容してしまうのが宗教。キリスト教国の宗教は、
キリスト教に基づく教育である。

イエスは、「隣人を、『そしてすべての人間を』愛せよ」とは、口が裂けても
いえなかった。イエスにとって「隣人」とは 、「自分を信じてくれる者」だけ
であり、「信じてくれない者」は「裁かれるべき存在」だったからである。


138 :゚ 。(*′∇`)。 ゚ 希美ちゃん ◆1XjRibJyX. :2012/05/10(木) 03:39:09.63 ID:SsPWM6M+
>>137
戦争は貧困などの経済で起きます。

キリスト教における戦争でなく、教育の方法です。
まちこみたいな弱者を蔑む教育は争いの種になります。
しかし、カトリックのような他人のために自分の命投げ出すような教育なら平和になります。


139 :゚ 。(*′∇`)。 ゚ 希美ちゃん ◆1XjRibJyX. :2012/05/10(木) 03:54:44.33 ID:SsPWM6M+

パプテスト障がい者伝道協力会(千葉市美浜区)の車イスの内藤牧師は、信仰や祈りが足りないから車イスなのでしょうか?
まちこの考えからすると。

障害者は不幸で不信仰ですか?
まちこ師の考えでは。

[匿名さん]

#2872012/05/14 06:28
私たちはいつも気をつけなさいという信号が神様から来ます。
自分が悪い思いを持った時、神様はすぐ、悔い改めよと教えてくださいます。
悪魔の色が見える方は、私たちクリスチャンにとても益になっています。
あなたの考えだと、人を裁くためにしか見えないかもしれませんが、全然違います。
私たちを悔い改めに導いてくださいます。
私も同様、問題がある方には直接には言いませんが、何気なしに聞きます。
だいたい心配事にいる人が多いです。
そこで、その原因である心配事をとりのそき、祈りで心を落ち着かせます。

スェの場合は、読んだ瞬間に頭に痛みが来て、
気分が悪くなりました。

[匿名さん]

#2882012/05/14 06:33
信仰とは、幸せを求めることではありません。

平安を求めることです。

病でも怪我をしてても、心に平安持つことが信仰の果実です。

癒されなければや、問題解決しなければの判断は、キリスト教とまったく違います。

[匿名さん]

#2892012/05/14 06:38
見た(治った)から信じた、よりも
見ない(治らない)のに信じている、の方が信仰心は篤いと思う。

内藤牧師に「あなたはイエスを主としますか?」は愚問。
「治りたいですか?」
「私を通して願いが聴かれることをしんじますか?」
が登竜門ね。

[匿名さん]

#2902012/05/14 06:43
いくら信者がいようが、いくら伝統があろうが、偽りの教義ということに違いはない。
第一「原罪」なるものがあって、それが後世代の子孫に及び、人類全体が神に呪われ、
その罪を赦されるために、神がキリストをこの世に仲介役として遣わされたとは、
まったく理不尽な話でしかない。
神がアダムのたった一度の過ちで人類全体を呪われたなど、これほど神を冒涜した教えはない。
こんな妄想教義は、神が愛そのもの英知そのものであることをぶち壊してしまう。

[匿名さん]

#2912012/05/14 06:49
イエスは実在の人物ではかった。
それはイエスと同時代の歴史的文献にイエスという人物に関する
記述が一切書無いことからも明白。
従ってイエスは新約聖書という文学作品の主役に過ぎない。
実在しなかったイエスを神とも仰ぐとは何と虚しいこととは思わないか?


ttp:\/\/m.oshiete1.goo.ne.jp/qa/q1868987.html

[匿名さん]

#2922012/05/14 06:56
142 :真理 ◆mVQWRBLduE :2012/05/10(木) 04:13:26.30 ID:xMPzBWAJ

イエス様がいる人には、イエス様がその方の主です。
その人を導いています。

私はイエス様のいない方のところに行って、イエス様を紹介します。



143 :゚ 。(*′∇`)。 ゚ 希美ちゃん ◆1XjRibJyX. :2012/05/10(木) 04:15:09.46 ID:SsPWM6M+
>>142
あなたにイエスはいないよ。
だから、わたしが教えてる。
まちこは、聞く耳を持ちなさい。

[匿名さん]

#2932012/05/14 07:01
神は第一日目に天地を創造された。(創世記1.1)
第二日目に大空をつくり大空を天と呼ばれた。(同1.7)
第三日目に乾いた所を地と呼び、水の集まったところを海と呼ばれ、
草と果樹を地に芽生えさせた。(同1.11)
第四日目に二つの大きな光る物と星を造られた。(同1.16)

[匿名さん]

#2942012/05/14 07:12
>>293
創世記を書かれままの意味で理解するとこんな矛盾が生じる。
地球は太陽や月や星が生まれる前にどうして地球だけ造られているのか?
太陽が造られる以前に植物がどうして生えさせられるのか?

これで聖書のどこが無誤の完全な書なんだ?
内的な意味がなければ創世記は矛盾 こんな出鱈目を信じる信者はアホ
小学生にも笑われます(^^)

[匿名さん]

#2952012/05/14 07:21
旧約は完全に神話の部類ってことはみんなよく分かってると思うが、
新約も4世紀頃にローマ帝国で政治的意図で捏造された物語。
そんなデタラメな書物に書かれてあることでいちいち熱くなったり
宗派毎に醜い争いしていることは愚の骨頂。

相応の知識で解釈すれば、聖書は本来なら英知の書となるはずだが。

[匿名さん]

#2962012/05/14 07:29
恐れながら、アタクシは聖書全巻を神の御言葉として信じる聖書信仰に
立つものです。
もちろん、ヨハネ1:18はその通りですね。

新約聖書は旧約聖書をイエス・キリストの光に当てて
解説したものですよ。


太陽がなければ光も存在しないとか植物が育たないという考えは人間の見方。


神は太陽がなくても光も出せるし(創世1:3)
当然、植物も造れる。

聖書は例えや象徴表現も含まれるが、スウェーデンボルグの解釈とは無関係


聖書は聖書によって理解するのが基本

[匿名さん]

#2972012/05/14 07:35
聖言(みことば)はすべて相応の知識で書かれてあるのです。
預言書はとくにそうです。相応の知識がなければ何を言ってるか分かりません。
「主は言われる。お前たちの母親を追い出したときのわたしの離縁状はどれか」イザヤ
「母の文字に相応する意味が「教会」であることを知らないと、ここでエホバの言われたことは、まったく意味不明です。
「母」の内的意味はどこでも「教会」です。


だからね、旧約の見えない表象の神エホバが、見える神イエス・キリストとして地上にこられたのです。
「いまだかって、神を見た者はいない。父のふところへいる独り子である神、この方が神を示されたのである」ヨハネ1.18
信仰によってどんな神の創造が分かるというのか? 妄想による創造かい?


どうして太陽や星が造られる以前に、地球だけ先に造られたのかと言ってるんです。
だから現代科学や現代宇宙論と相容れない妄想だと言われているんですよ。

[匿名さん]

#2982012/05/14 07:40
カトリックの盲信者なんかは、まず、己の「我のみ良しの思い上がった独善性の上から目線」と
「人間差別」を悔い改めること。神の名で、実は悪魔の教えを説いていること
に気付け。韓国系の、忌むべき「プロテスタントカルト」であることは、あまりにも
明らか。

イエスは、十字架上で神の助を求めたが、神は来なかった。彼は己の死に際して、
「神の不在」を知ったのである。

それと、聖書が現代科学に優ると主張したいのであれば、その論理基盤だけはしっかりおさえてこう。
その基盤が「信仰」だけじゃ意味なさないからね。バカにされるだけ


>神は光を作られたのよ・

闇がなければ、光は存在し得ないのだからナンセンス。原初の創造は、
光ではなく、闇であった。闇は大いなる平安と休息をもたらし、生への
活力を与える。

人間を光だけの中においたら、間違いなく発狂することに気づけ。

[匿名さん]

#2992012/05/14 07:45
「将に天下を取らんと欲してこれを為すは、これその得ざるを見るのみ。
天下を取りて之を為さんと将欲すれば、
吾れ其の得ざるを見るのみ。
天下は神器、為すべからざるなり。
為す者は之を敗り、執る者は之を失う。
故に物は、或いは行き或いは随い、
或いは歔き或いは吹き、
或いは強く或いは羸く、或いは挫け或いは堕つ。
是を以て聖人は、甚を去り、奢を去り、泰を去る。

未だかつてこの世で最善のもの、最上のものが存在した事は無い
まずは必要最低限の物が必ず必要になると言う事は解る

[匿名さん]

#3002012/05/14 07:51
だから神は無から有を造られた方でしょ。

地は混沌であって闇が深淵の表にあり、神の霊が水の表を動いていた。
神は光と闇を分けた、とありますね。

闇が先だとかなんたらかんたら、理屈をドロドロこねなくても
ストーンときますよ 

光と闇は表裏一体
善と悪も表裏一体。

闇があるから光がいっそう輝いてみえる。
明けない夜はないのよ

[ローズ]

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