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2017/08/09 15:16
爆サイ.com 北海道版

神道・仏教





NO.5641621

日蓮系始め仏教系へ質問します
報告 閲覧数 260 レス数 1000

#2512017/07/19 12:28
それが証拠に 法華経を釈尊が説かれようとされる会座に 不動明王や地蔵・観音・愛染などは いなかったのでしょうか…。 此を以て 妙法經力であると 言えます…。 失礼しました。 南無妙法蓮華經 合掌

[高橋 幸弘]

#2522017/07/19 13:00
>>249
>これをいとも簡単に理解できるならば それは過去世からの宿種

ですが、それは高橋氏が法華経の本質を理解出来ていないことへの言い訳のようにも聞こえます。
自分で説明できなくても「そう簡単には理解できない難しい教えだから」としておけば、高橋氏自身が法華経を理解しようという努力を怠ったとしても、許されてしまうかもしれませんし。
そろそろ法華経という「他人の言葉」で教えを説くのではなく、高橋氏自身の言葉で教えを説かれては?

[へたれP◆OTFkY2E3]

#2532017/07/19 15:31
>>252 仏説にある私の主張を 自我で付け足せば それは仏説には なりません…。 自語を語れば 仏教ではなくなります。 貴方の仏教観は正しくはありません…。 あくまでも 仏説通りに理解し 学び 修行するところに 仏教の本質があるのです…。 皆が 好き勝手な解釈で 仏教を学んでゆけば、 仏説など不要ではありませんか? 釈尊の法華経を学び 教祖となる者は この世には たくさんいますが、釈尊が説かれた法華経のままに説く教祖はいないのです。

[高橋幸弘]

#2542017/07/19 16:26
高橋さんは 日蓮上人の法華経が好きなんでしたっけ?

あるいは 単に 法華経自体が お好きな方 でしたっけ?

(下高井戸 午郎)

[匿名さん]

#2552017/07/19 17:43
>>254 法華経は釈尊の魂であり 悟りそのものであり 功徳の結晶体であり 教えであり 大宇宙の真理であり 釈尊そのものであります…。 日蓮聖人の魂は 上行菩薩であり この法華経の魂から飛び出し 私達人間界に姿を持って 現れた方です。 釈尊=法華経 日蓮=法華経 釈尊=日蓮 但し、釈尊は主、日蓮は臣。 釈尊は親、日蓮は子 であります…。 私は釈尊、日蓮、法華経を尊敬いたします…。

[高橋幸弘]

#2562017/07/19 17:53
三師信仰ですね 敢えて言うならば☺

下高井戸より

[匿名さん]

#2572017/07/19 18:05
>>253
もう何度こういうやりとりをしてきたんでしょうね。
私には高橋氏が悪意的に私の質問の内容を取り違えているような気がします。
今まで、高橋氏は私の質問について、書いてもいない私の考えを全否定する文言ですべて返してきましたし。

皆が好き勝手な仏教を学んでいけば、仏説など不要?
私の見解では正反対ですね。
皆が好き勝手な仏教を学んでいくからこそ、その大本となる難解な仏説が大事になっていくんです。
小学生に法華経の経文をいきなりそのまま読んで聞かせたって、理解の取っ掛かりすら得られませんよ。
「ラララ」的な歌の一つとして覚え、本質を知ろうとすらしないなんてオチもありえます。

逆に、仏教の到達点に立った人間に仏教は必要だと思いますか?
自然に法華経と同じことを別の言葉で説いて回る人間に、法華経を説くことの大切さを説く意味が、あると思いますか?

もっと分かりやすく言いましょうか。
久遠釈尊に説法する勇気が、高橋氏にはありますか?
その際に、高橋氏は久遠釈尊に対して分かり切った法華経を説くのでしょうか?

[へたれP◆OTFkY2E3]

#2582017/07/19 18:07
>>255
>燃やしてしまえ!

の放火教唆の犯罪予備軍が仏法を語るた!

[匿名さん]

#2592017/07/19 18:14
>>256 そういう言葉もあるのですね… 勉強になります。 有り難うございます…。

[高橋幸弘]

#2602017/07/19 18:19
>>249
御言葉ですが、『大品般若経』にも「般若波羅密已説今説当説於中最勝」の文句がありますよ。
高橋聖人様程の方だから般若経典はすべて読破されていますよね。
『法華経』の文句だけでの主張は弱いのでは?

[匿名さん]

#2612017/07/19 18:23
>>257

この件につきましては高橋さんが正しいです。

私は100ほどは投稿してますが経典が9割で私情は、なるべく挟まないようにしてます。

聞いてる人が曲解しては困りますから。

高橋さんが言ってる事は、概ね正しいのですが

他の最高を認めないのが仏教では無いのですが
天台大師や最澄や日蓮が

同じ事を言ってますので

我々では覆すのは無理なんです。

最澄もケンカばっかりしてましたし日蓮も。

法華経 最高は中国の天台大師が最初に言ったのです。
ですから天台大師は菩薩ですから仏説では無いのですが

経典や論書の文切り解釈で最高と言う天台教義を

作りましたので

中国作の矛盾を付くと
法華経を誹謗する地獄の輩が言ってる事(法華経に書いてます)ですから拉致があかないのです。

本当の正しい法華経の誹謗は違うのですけど

本当の誹謗は仏とか要るわけないやんとか
馬鹿じゃ無いの?

とか言う人ですね

こういう人は地獄と僕も思いますし実際に

宇宙の塵になってます。

[匿名さん]

#2622017/07/19 18:29
>>25貴方は8 曹洞宗僧侶さんでしょ!?

[高橋幸弘]

#2632017/07/19 18:39
>>261 仏説を考えるならば 法華経も仏説として 考慮しなくてはなりませんよね。 ましてや 法華経は諸經中の大王であります…。 方便教を捨て去れば だだ法華経だけが 仏教となります。

[高橋幸弘]

#2642017/07/19 18:46
>>263

方便経は捨て去れなんか
書いて無いと文証を持って来ても君は認めないでは無いか?

空海スレで指摘してる。

縁無き衆生は度しがたし。

[匿名さん]

#2652017/07/19 18:53
>>261
そう言ってくれると分かりやすいです。
それなら素直に謝れますね。失礼しました。

ただ、曲解を懸念されるなら、「ここからここまでが経典の内容」と明示すると、心配は減るのではないかと思います。
こういうので大切なのは、引用と創作、あるいは解説文の明確な線引きですから。

もしかすると、説法に慣れた人にとっては、これも「釈迦に説法」なのかもしれませんが。

[へたれP◆OTFkY2E3]

#2662017/07/19 18:59
>>259
あの〜 私 自身の 「造語」で有ります

失礼しました
下高井戸

[匿名さん]

#2672017/07/19 19:27
>>263
260なんですけれども『大品般若経』の経文の件は如何考えます。

『法華経』は諸経の王なんですけど、なんで王か御存知ですか。

それは被規定概念である『法華経』ではなく規定概念である王に求めることが出来ます。

王とはなんぞや。

それは『法華経』最大の誤読と関係があります。

天台大師も伝教大師も正しく読んだのに日蓮上人だけが誤って読んじゃった。
その『法華経』の経文解ります?

[匿名さん]

#2682017/07/19 19:51
>>267 教えてください。 興味ありますので…。 よろしくお願いいたします。

[高橋幸弘]

#2692017/07/19 20:28
法華経が諸経の王との思想は
日本の天台教学のなかで教判をやって序列をつけたからです。

叡山は中国から雑多な経典を持ち込んで教判を進めたけど、結局破綻しました(仏説では無いから)

浄土思想との論戦に敗れた法華経を奉じる一派が

「法華経は諸経の王」

と勝手に言い出した。
それだけの理由です。

勝手に言っては言ったもん勝ち。

[匿名さん]

#2702017/07/19 21:59
>>268
法華経譬喩品第三の偈には法華経を直ちに説くべき人々のの例が説かれています。
その偈の「不受 余経一偈」の可笑しな切り取りをして読んだから、法華経以外の経典は一句一偈たりとも受けてはならない、すなわち、棄てされ と日蓮さんは読んじゃった

貴方が質問した者ではないけど、だいたいそういうことかと。

[匿名さん]

#2712017/07/19 22:49
>>269 貴方の主張は2つとも 間違いです! まず、『法華経の諸經中の王』 について…。 法華経薬王菩薩本事品には 『諸經中の王』の文言があり、確かに仏説です。 天台大師の誤りではありません! 貴方自信の誤りです! 『不受 餘經一偈』について…。 法華経比喩品に確かにあります。 貴方こそ この文言の意味が何を指しているのか? 理解できていないのですね。 この比喩品は 方便品の後の品でありますから 当然 妙法蓮華經を以て 四十餘年の諸經を『捨てる』のですから この『不受 餘經一偈』の文言は 仏説通りに 日蓮聖人が説かれている様に 正しい解釈であります…。 その証拠に、比喩品の末説には・…『餘經を志求せず・…。』『・…ただ楽って、大乗経典を受持して・…』とあります。これらは、全て法華経こそが真実經である証です。貴方の主張される仏教思想は法華経を誹謗しているのです…。 貴方も やはり 過去世から法華経には縁がない衆生だったようですね…。ミイラとりがミイラになっちゃいましたね? もう少し 骨のある法華経解釈で反論されると思って期待していましたが…。 ガッカリです。 では また…。 南無妙法蓮華經 合掌

[高橋幸弘]

#2722017/07/19 23:00
ps 日蓮聖人の勝手な解釈なんかでは ありませんでしたよ!! 貴方は法華経に『諸經中の王』の文言があることすらしらなかったのでしょう? 間違いなく 仏説です! 天台大師の誤りなんかじゃありません!! 貴方の様な方を 謗法者というのです!! 法華経かん持品第十三にある 俗衆増上慢か? 道門増上慢ですかね? もう少し 仏法研鑽をしてから おこしください…。 失礼しました。 南無妙法蓮華經 合掌

[高橋幸弘]

#2732017/07/20 00:50
>>272
人様に回答をいただきながら、気に食わねと誹謗して最後は南無妙法蓮華経 合掌 ですか。

礼儀知らずにも程がある

[通行人]

#2742017/07/20 01:39
>>273
高橋は礼儀知らずなんてなま易しいものではありません。

池上本門寺の日蓮聖人の御像を「燃やしてしまえ!」と犯罪教唆をした犯罪予備軍です。

[匿名さん]

#2752017/07/20 01:46
ご免なさい!仏法を間違えてましたm(__)m

前に人として一番悪い事は殺人と言いましたが

死ねと思っても同じみたいです。

訂正します。少し話を

人間死んだらどうなるか?

我々は悠久の過去より、
六道輪廻を繰り返してきた。

その人間が死んだらどうなるのか。
流転輪廻を繰り返してゆくには
違いないが、
人間死んだらどうなるか。
私たちは、己の行為によって
未来の運命のタネを日々刻々と
造っている。

世の中にいくら背の高い人が沢山いても、
一番高い人はただ一人のように、
沢山の業があっても、
その中で一番重い業は一つしかない。

生涯に造った業の中で最も重い業が、
私たちの死後生まれる世界を決定する
これを「引業」という。

引業以外の一切の業を「満業」といい、
死後の男女・貧富など、
さまざまな運命を引き起こす。

私たちは、体と口と心で行為をするが、
この身口意の三業の中でも
最も重いのは「意業」である。

口も体も、つまるところは
心に動かされているにすぎない。

「一人一日のうちに
 八億四千の憶いあり、
 念々になすところ
 これみな三塗の業なり」
「四六時中、心は変わり通しで、
 いろいろなことを思っている。
 そのすべてが他人にはとても言えぬ、
 三悪道に堕ちねばならぬ恐ろしい
 タネまきばかりだ」

と善導大師は懴悔され、親鸞聖人も、

「いずれの行も及び難き身なれば
 とても地獄は一定すみかぞかし」
     (歎異鈔)

「微塵の善もできない親鸞なれば、
 地獄へ堕ちて当然だ」

と、悲嘆なされている。

[仏陀の弟子]

#2762017/07/20 02:03
こりゃ、一大事だ。

爆サイに油をうってる場合じゃ無い。

そう言えば お釈迦様は

一切衆生 無間地獄って

経典に書いてあった。

[仏陀の弟子]

#2772017/07/20 06:43
>>276 おはようございます。 阿鼻に落ちる者は 『親殺し 、 正法誹謗 』 です。 仏説阿弥陀經には この正法誹謗の文言があります。 また、 この阿弥陀經は 羅什三蔵様の漢訳でもあります…。 妙法蓮華經も羅什三蔵様の漢訳ですから 阿弥陀經から見て正法とは 妙法蓮華經を指すのは 明らかでありますから 妙法蓮華經を誹謗するものは 阿鼻に落ちる事になるのですね…。

[高橋幸弘]

#2782017/07/20 07:26
>>277
>仏説阿弥陀經には この正法誹謗の文言があります


そう言う文言があるのですか?
阿弥陀經は法華経の以前に説かれた?のでしたっけ? 確か?阿含、方等、般若の一つとして? 

[匿名さん]

#2792017/07/20 07:47
>>278 仏説阿弥陀經は法華経の前、 方等十二部教の内の経典です。

[高橋幸弘]

#2802017/07/20 08:14
阿弥陀経は現代の調べで法華経より後ですね。

[匿名さん]

#2812017/07/20 08:32
天台の五時の教判の時代区分には大変多くの
矛盾点が指摘される。

①華厳経の中に祇園精舎が出てくる。
 成道後21日間に説かれたはずの
 華厳経の中に祇園精舎が出てくるのである。

 祇園精舎といえば、強信であったギッコドク園長者が
 釈尊に寺を寄進しようとした。
 ところが、その土地が祇多太子の所有であり
 「土地に黄金を敷き詰めなければ譲れぬ」と
 破格の条件を出してきた。
 長者は驚かず、土地を金貨で埋め尽くそうとした。
 その気概に驚いた祇多太子が、
 共に寄進されたのが祇園精舎である。
 そんな経緯で建てられた祇園精舎が21日間で 建てられる筈がない。

②華厳経には舎利弗、目蓮というお弟子が出てくる。
 舎利弗・目蓮といえば、釈迦十大弟子のトップに
 挙げられる両人である。

 しかし、彼らが釈迦如来にお会いするのは
 成仏後、7〜8年ごろである。
 当然21日間に出てくるはずがない。

③阿含経の中に釈尊入滅の相が説かれている。
 阿含経といえば華厳経の後に説かれたお経だと
 いっている。

 ところが阿含経の中に80歳で入滅される
 釈尊のお姿が説かれてあるのだから不思議である。これからも分るように釈迦一代の教えを時代区分する
こと自体が問題なのである。
経典はそのような構成になっていないからである。

当たり前だ。釈迦は毎回 同じ人に教えを説いた前提でしか理窟が合わない。

[匿名さん]

#2822017/07/20 11:51
>>281
>そんな経緯で建てられた祇園精舎が21日間で 建てられる筈がない。


すると、秀吉の墨俣の「一夜城?」の例?を出して反論?して来たりして? 笑

[匿名さん]

#2832017/07/20 11:55
>>279
仏説阿弥陀經は法華経の前ならば、阿弥陀經の言う正法とは阿弥陀經の事ではないか?

[匿名さん]

#2842017/07/20 12:31
『妙法蓮華経序品第一』

冒頭を思い出して欲しい。あるいは調べて欲しい。
妙法蓮華経序品第一
如是我聞。一時佛住王舎城耆闍崛山中。與大比丘衆萬二千人倶。

最後に「萬二千人倶」とあるが、これは1万2000人の意味である。

法華経のサンスクリット原典には1200人と書かれてある

最初から間違えようのは無い数字ですら

鳩摩羅什が間違って訳してしまった。

仏説は絶対に間違ってはいけないのである。

何故なら釈尊が仏という概念が崩れてしまうからである。

[匿名さん]

#2852017/07/20 13:02
>>284 今までに このような事柄について 反論されてくる方達は たくさんおられましたが、私はいつも この様に 伝えてきました…。 羅什三蔵様の時代にあったサンスクリットの原本は一巻だけだったのですか…? もし原本が一巻だけではなく、数多く有ったとしても その一つ一つの原本は全て同じように釈尊の教えを説かれていたのですかね…? 甚だ 疑問です…。 原本から漢訳するときにおいて 一番大切な事はなんですか…? その大切な事を知った上で 当時の漢時代の文化や歴史 風習などを考慮した上で 釈尊の教えを漢訳しなければ なりません。 とすれば、一番大切な事とは 釈尊のお心を知らなければ 訳すことなど 容易くはできないでしょう…。 訳者全てに於いて この釈尊のお心を知っていたのかは 疑問です…。 今でさえも この有り様です…。 私の様な日蓮聖人の末弟子にさえも 誹謗 中傷の嵐が飛び交う世の中です。 羅什三蔵様の漢訳が間違いであるならば 仏説阿弥陀經も 間違いとなり 浄土系も 成り立たなくなりはしませんか…? これを以て 佛の経典が間違ってはいないとは 断言できませんが、漢訳されるときのほうが 間違いが多く発生すると認識したほうが よいでしょう…。 しかし、羅什三蔵様の死相の舌のお話しに於いては 不思議な事だと 思います…。 私自身は信じたいと思っています。 なぜならば、これ程 羅什三蔵様の妙法蓮華經は世界中にしれわたり 流布され 法華経と言えば羅什三蔵様の法華経であります。 これを以て 真実であると 痛感いたします…。

[高橋幸弘]

#2862017/07/20 13:32
>>285
高橋さんは法華経譬喩品第三の「不受 余経一偈」によって日蓮聖人が法華経以外の諸経典を捨てるのだと主張されていますが、それは法華経のサンスクリット本や羅什三蔵訳の『妙法蓮華経』を文法通りに読めば誤りであることは明白です。
この点については天台大師も伝教大師も誤りなく読んでおられます。
『法華経』の経文を尊重されるのなら、問題の箇所を見てください。

四方求法 合掌頂受

但楽受持 大乗経典

乃至不受 余経一偈

如是之人 乃可為説

[匿名さん]

#2872017/07/20 13:46
>>286
以上の経文の訓読

四方に法を求て 合掌し頂受して 但楽って 大乗経典を受持して 乃至 余経の一偈をも受ざるあらん
是の如き人には 乃ち為に説くべし。

現代語訳

四方に仏法を求めて、合掌し 教えを頂き受けて、ただ希望して、大乗経典を受持して、すべてのありかたにおいて、(法華経)の経典を受けない人には、直ちに(法華経)を説くべきである。

これは法華経ん直ちに説くべき条件の人々を説いた経文で法華経以外の経典を受けてはいけないと誤って読んだのは日蓮聖人のみです。

[匿名さん]

#2882017/07/20 14:02
>>287
高橋さんは、恐らく『法華経』そのものを読まれてはいないのではとおもいます。
「不受 余経一偈」のある一連の偈の前段には、『法華経』を説くべきではない人のことを「無知人中 莫説此経」(無知の人々の中には、此の経を説くこと莫れ)とあることからも明白です。

また天台大師の『』法華文句』にも説かれていますよ。

先ずは虚心に『法華経』を拝読ください。

合掌。

[匿名さん]

#2892017/07/20 14:13
>>287
一部訂正します。現代語訳の
(法華経)=誤
(法華経以外)=正

[匿名さん]

#2902017/07/20 14:37
>>285
私は経典成立の過程や天台教学の矛盾点を殊更に指摘して高橋さんと論争する積もりは毛頭ありません。
例えば『法華経』が諸経の王であると説かれた薬王菩薩本事品第二十三すなわち、ビルヤダルシャナの経が、後生の付加品であることは、大して問題とは思っていません。
ただ、『法華経』になにゆえに諸経の王としての経文があるのか、その意味の方に意義があると思っています。

王とは官僚・国民・国土を余すところなく統治する者であります。
もし 王がそれらを捨て去ったならば もはや王ではありません。
王なくして王民も王国もなく、王民や王国なくして王もなしです。
正に縁起すなわち相互依存・相互限定の関係が王と王民とにあるのです。
それと同じことが法華経と「余経」との間にも言えます。
家来たる諸経典を捨て去れば、法華経は諸経典の王としての地位を失ってしまうのです。
そこで天台大乗は法華経を最第一としながらも般若経典をはじめとして、阿含経典群までも、法華経に照らして読めば、応分の価値があるとされたのです。

[匿名さん]

#2912017/07/20 14:55
>>285
ふと疑問に思ったんですが。

高橋氏の説明では、法華経について様々な解釈を書いた経文が無数にあって、大半は間違いだ、とされているように思えます。
それは、逆に高橋氏の主張の根拠も崩れてしまうことを意味するのでは?

それと、高橋氏は「釈尊の末弟子」と名乗っていますが。
弟子、ということは「完全には足りない未熟者」、ということです。
もちろん、釈尊に比べれば、ですが。
なら、自分自身の未熟な部分についての指摘は素直に受け取るべきだと思います。
相手が精神的に下の者であれ、すべてを「誹謗中傷、悪口雑言」と切って捨てては、本来教えを乞う民の声だったものまで聞き逃してしまうのでは?

[へたれP◆OTFkY2E3]

#2922017/07/20 15:55
>>291
高橋さんは天台大師や日蓮聖人は尊敬しておられる。
そして法華経を絶対だと主張しておられる。

それはそれで結構だと思うのですが、彼の言い分は、法華経に照らせば明らかに矛盾があるし天台や日蓮の思想とも矛盾するんです。

法華経には経典としての意味と、法華経の法華経たる所以という大別して二つの意義があるのですが、高橋さんの場合はそれを全然理解されていないように思います。
それだから不軽菩薩の二十四文字の法華経も日蓮聖人の南無妙法蓮華経も理解してはいないでしょう。

[匿名さん]

#2932017/07/20 16:34
高橋が理解してないのは自分自身だ。

そう原理主義者で犯罪予備軍ということを理解していない。

[匿名さん]

#2942017/07/20 18:38
>>292
やっぱり、仏教の専門家の目から見てもそうなんですね。

大抵、広く信仰されている宗教は、「おいおい」と思う文言があっても、その裏には深い意味があることが多いんですが。
特に理解の浅い人間は、「おいおい」と思う部分を詳しい人間に確認するなどということをせずに、文面のままを絶対正義と信じて流布し、トラブルを起こすことが多いようです。

私は、高橋氏にはそれを教わる師匠的な人間がいないんじゃないかと思うんですよね。

>>293
あなた自身も、自分のことを深く理解しているようには見えません。
他人のことをとやかく言う前に、自分自身の行いの本質を理解する努力をしてはどうでしょうか?

実は、その内犯罪をするんじゃないかと周囲に思われている人間よりも、外面が大人しく、陰で弱い者イジメを行う人間の方が、凶悪犯罪率は高いんですよ。

[へたれP◆OTFkY2E3]

#2952017/07/20 19:22
一口に「悟り」と言っても、
低い悟りから高い悟りまで、
五十二の位があり、
これを「悟りの五十二位」という。

全部で五十二の位があり、
それぞれ名前が付いている。

下から、
〇十信
〇十住
〇十行
〇十回向
〇十地
○等覚
○妙覚

この「悟り」の位、一段違えば、
人間と虫けらほど、境界の差があるといわれている。
ハエやゴキブリに、
パソコンの使い方を
教える気になれるだろうか。
電源の入れ方一つマスターするのに、
何年かかることか。
いや、何十年かけても無理だろう。
人間と、それらのものとでは、
生きている知恵の世界が、
全く違うからだ。

一段でさえこうですから、
ましてや十段、二十段と、
修行によって「悟り」を
開いていくことがいかに困難か、想像も及ばない。

壁に向かって九年間、
手足が腐るほど修行した達磨でも、三十段そこそこであった。

また

中国天台宗を開いた天台大師は、

「師は、いずれの位まで
悟られたのか?」

と臨終の際に弟子に問われて、

「ただ五品弟子位(九段目)あるのみ」

と告白している。

一宗一派を開いたほどの人でも、十段に至らなかった。

ましてや五十二段目の
仏の悟りに達するのは、
いかに大変なことか分かる。

というか無理なのだ。


ここで1つ皆様にお詫びをします。

一段にもならない者が仏法を書き込んでしまい

申し訳ありませんでした
m(__)m

[匿名さん]

#2962017/07/20 19:27
追記

一段目のさとりを初信といい、
二段目を二信、三段目を三信、
以下同様に四信、五信と続き、
十段目が「十信」。

さらに十一段目を初住、
十二段目を二住といわれ、
二十段目が「十住」、
三十段目が「十行」、
四十段目を「十回向」、
五十段目が「十地」。
五十一段目のさとりを「等覚」といい、
五十二段・最高の位が「仏覚」である。

[匿名さん]

#2972017/07/20 20:50
>>296
天台大師からして円教の六即位においては観行即 ですから。
全く同感ですね。

[匿名さん]

#2982017/07/20 22:15
皆様 こんばんわ… 沢山の方々がこのスレを見ておられると思いますので、この辺りで 私がなぜ 久遠実成の釈尊の弟子・日蓮聖人の弟子と名乗っているのかをご説明させてください…。では よろしくお願いいたします。 まず、始めに 皆様は 『法華経』と言えば 大乗教の一つであるとお考えだと思われますが、 法華経だけは 大変不思議な大乗教でありまして…。 確かに私は久遠釈尊の弟子でありますが、天台大師の弟子でもありますし、また、伝教大師の弟子でもあります・…。 そして、日蓮聖人の末弟子であります。

[高橋幸弘]

#2992017/07/20 22:31
こう言えば 理解できる方もおられるでしょうね…。日蓮聖人はこの釈尊を加えて インド、中国、日本と数えて 三国四師と言われています。 さて、この流れには大事な意味があります。それは、法華経を説かれた釈尊から天台大師、伝教大師、日蓮聖人へと受け継がれた法華経の魂! 心!と言う繋がりの中で それぞれの方々の『出世の本懐』がここに秘められているからなのです…。

[高橋幸弘]

#3002017/07/20 22:50
インドの釈尊は法華経を説かれました…これが釈尊の出世の本懐であります。 天台大師の出世の本懐は・… 法華経が釈尊の一代聖教中で法華経最大一を掲げられた事です…。 円定・円慧を説かれた事です。 伝教大師の出世の本懐は・…天台大師が説き尽くせなかった法華経の円戒を説かれた事にあります…。 大乗別授戒の戒壇がこれに当たります…。 が、伝教大師の入滅後ではありますが…。 このお二人、 天台大師と伝教大師とは 法華経迹門の教えを説かれていたのです。

[高橋幸弘]

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