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NO.570872

【風雲昇り龍】天龍源一郎【Revolution】
#2502009/11/27 00:00
記憶に新しい2007年、時津風部屋力士暴行死亡事件が発生したからだろう。
コメントの内容が少し気になって少し調べた。
第15代時津風親方
双津竜 順一(元東小結)
1950.2/28

天龍とは同い年で相撲入りも全く同期だった。

ミスターポーゴは著者で憧れの先輩力士は天龍だったと語っている。
大学中退(中央大学法学部柔道部1年で退学、同期はジャンボ鶴田)後、二所ノ関部屋入門(3年で廃業)

ポーゴ新弟子時代の兄弟子が天龍源一郎であった。

[匿名さん]

#2512009/11/28 13:33
相撲部屋って怖いね

[匿名さん]

#2522009/11/28 23:10
>>250
かわいがり自体は伝統なら仕方がないと思う
要は隠蔽した事に問題があるのでは?

しかし天龍はよく耐えたな〜

[匿名さん]

#2532009/11/28 23:16
天龍だからな(笑)

[匿名さん]

#2542009/11/29 03:48
>>250
かわいがりをやってるヤツの方がしんどくないか?
やってるヤツはそんなに鈍感なのか?
いくら伝統でもやり過ぎだろ…

[匿名さん]

#2552009/11/29 17:04
以前に書いた部屋騒動が理由で意気消沈していた天龍は全日本プロレスのリサーチを始めた。
東スポ、専門誌を読み、テレビの中継も欠かさず見るようになった。
初めて観戦に行ったのは相撲を辞める年の6月、蔵前国技館。メインがNWA世界ヘビー級選手権
テリーファンクvsジャンボ鶴田

[匿名さん]

#2562009/11/29 17:10
会場では中央大学の応援団が太鼓を叩いてジャンボを応援している。
一方、王者テリーはいかにもアメリカ西部の男、といった感じであり、ましてや世界チャンピオン。輝いていた。
相撲は礼に始まって礼に終わる…
制約の多い相撲界にいたため、天龍はプロレスから自由なムードを感じたという。

[匿名さん]

#2572009/11/29 17:20
その後8月に馬場と会い全日本入団を決意。
相撲からプロレスに転向するにあたり、一つ心に決めていたことがあった。
それは絶対に勝ち越して相撲の社会を出て行く。
当時は相撲でダメになった奴の吹き溜まりがプロレスというイメージがあった。
今でも天龍は相撲崩れと言う言葉を嫌う。
もっとも、天龍は最後の九月場所を八勝七敗で勝ち越し(トータルでも393勝355敗)言葉通りの結果を出す。

[匿名さん]

#2582009/11/29 17:26
千秋楽の二日後、スポーツ紙に天龍プロレス転向!
デカデカと見出しが躍っていた。
「二所ノ関としての俺の体面が保てないから、辞めるなら辞めるではっきりしてくれ」
汚い手で親方になり天龍の相撲廃業の直接の原因となった金剛は不機嫌になり、翌日、勝手に相撲協会に天龍の廃業届を出してしまった。

[匿名さん]

#2592009/11/29 17:39
仲の良かった麒麟児は何度も引き止めようとしたが、もう部屋を出て行かなければならなくなっていた。
部屋を出る日、天龍の引っ越しを手伝っていた若い衆に向かって金剛が言った。
「お前ら、馬鹿か!こんな相撲協会辞めていなくなる奴なんか手伝って」

天龍はこの金剛の言葉を一生忘れない。      「この野郎!今に見てろ!俺は絶対負け犬にはならない。必ず天龍源一郎の価値を見せつけてやる」
こうして大好きだった相撲と決別。
昭和51年10月15日、赤坂ヒルトンホテルでジャイアント馬場に伴われて全日本プロレス入団記者会見が行われた。

天龍の第二の格闘技人生がスタートした。

[匿名さん]

#2602009/11/30 00:35
↑もしかして天龍の付き人さんですか?

[匿名さん]

#2612009/11/30 05:28
全日の関係者じゃないのかな?

[匿名さん]

#2622009/11/30 19:21
どっちにしてもスゲェよ

[匿名さん]

#2632009/12/01 02:55
[元おっかけ]さんこそ、ファン界のミスタープロレス。ボロボロにされたプロレスカテゴリーを牽引する男の中の男です

[匿名さん]

#2642009/12/01 23:24
「相撲を辞めてなにが困ったって、まずその夜寝るところからの心配だったな(笑)相撲社会にいる限り衣食住、なんの心配もいらないんだから」
アパートを借りる。メシを食う。光熱費から家賃、全て自分のフトコロから出ていく。
文字通り天国から地獄へ。
「金はあるけど一般社会に生きるわずらわしさ、これが面倒くさいわけよ」
この点だけは、プロレスの練習よりこたえたという。

[匿名さん]

#2652009/12/01 23:29
部屋住まいの関取ともなれば、付き人を数人抱える気楽な稼業。
「オイッ」と声をかければ、なんでも手元に届く。魔法使いのような生活なのである。
天龍は全日本入団会見直後すぐに馬場に連れられ巡業に加わった。

[匿名さん]

#2662009/12/01 23:37
そこで初めてジャンボ鶴田と会う。
「はじめまして。ジャンボ鶴田です。よろしく!」
屈託のない笑顔で挨拶してくれた。
これがテリーと戦っていたジャンボ鶴田か。何だ、気の良さそうなアンチャンじゃないか。
これが天龍の鶴田への第一印象だった。

「ジャンボのおかげでプロレス界にスッと入っていけた。もしあの時、元関取でもプロレスではそうはいかないぞ!みたいなムードを感じていたらその後のプロレスへの取り組み方は変わってしまっていたかもしれない。あの時の事は今でもジャンボに感謝している」

[匿名さん]

#2672009/12/01 23:43
プロレスの練習は想像以上にきつかった。
取材でベンチプレスをやらされた。たかが60kgのバーベルをコツがわからず力だけに頼ってやったから腕が張ってしまった。
今でこそ天龍は武藤、健介、小橋と並んで200kg挙げるが、このときは、筋肉痛で風呂に入ったら桶も持つ事ができないほどへばっていた。
内心、プロレス入りはちょっと早まったかな。と思ったりした。

[匿名さん]

#2682009/12/01 23:59
正直参ったのは受け身の練習。バーンと受け身をとったら内臓が浮いた感覚。要は腹がよじれて動けない。
もがく天龍に渕や大仁田は厳しい視線を向けていた。そんな中、天龍に恩師となる人物が現れる。高千穂明久。後のザグレートカブキだ。他の選手が冷ややかな態度の中、カブキだけは「関取、関取」と天龍を立て、何かと親身になって面倒をみてくれた。
「この男はモノになる。目つき、顔つきが最高にいい。できることならオレがプロレスのイロハを教えてあげたい」
これは天龍の全日本入団記者会見を見たカブキの感想である。

[匿名さん]

#2692009/12/02 00:10
カブキ(高千穂)は弱冠15歳で日本プロレスに入門。日本マット最年少の16歳1ヶ月でプロデビュー。
この時28歳(天龍26歳)だったがキャリアはすでに13年。
プロレスのすいも甘いもいやというほどに体に染み込ませていた男でもあった。
こうして受け身、腕取り、バックの取り合いといった基礎トレーニングがマンツーマンで始まった。
これはカブキが日本プロレス時代に同じ境遇にいたことが大きく影響している。
当時、カブキに基礎トレーニングをマンツーマンで教えたのはアントニオ猪木である。

こうしたトレーニングが続き1ヶ月後、天龍は馬場に命じられテキサス州アマリロへ飛んだ。ちょんまげをつけたまま…

[匿名さん]

#2702009/12/02 19:51
グレートカブキも協賛者の一人とは意外だ

って言っても毒霧のイメージしかない

[匿名さん]

#2712009/12/02 21:08
アマリロのファンク道場へ修行に行く際に1つ気がかりがあった。それは髷を結う人がテキサスにいるのか?という事だった。前に書いた通り、雷親父の意向で1ヶ月後に控えた妹さんの結婚式には相撲取りの天龍で出席しなければならない。
これも雷親父−馬場のラインで話はついていた。

[匿名さん]

#2722009/12/02 21:13
問題はアッサリ決着した。
馬場が目をつけたのは相撲で天龍の同期で先に廃業しプロレス入りしていた桜田一男。後のケンドーナガサキであった。
馬場「桜田、ちょんまげ結えるか?」
桜田「昔やったから結えますよ」
馬場「そうか。じゃあ、お前、天龍についてアメリカに行け」
桜田「へっ!?」
これで決定してしまった。

[匿名さん]

#2732009/12/02 21:21
アマリロに着いてなにが驚いたって、とにかくだだっ広いだけで凄い田舎…
勝山(天龍の出身地)よりも田舎で俺、こんなとこにいるのかよ…
ここで桜田と二人で安いホテル(モーテル)に泊まって修行が始まった。
午前中にドリーファンクJrが迎えにきて、練習、またモーテルまで送ってもらう日々。
練習は午前中だけだから、午後は暇で、田舎すぎて遊ぶところもないからテレビばかり見て過ごしていた。

[匿名さん]

#2742009/12/02 21:31
ドリーから教わっていたのは初歩的な事、ヘッドロックから投げ技とか、基本になる部分。
「プロレスとはこういうもんだ」という教え方
この頃ドリーは全盛期のアメリカンプロレスで世界最高峰NWA世界ヘビーのタイトルを4年間防衛し続けたりして、天龍からすればドリーファンクジュニアは大横綱。
天龍はドリーに言われた事を一生懸命練習して充実感もあった。

[匿名さん]

#2752009/12/02 21:50
そうした日々を過ごしていたアマリロに来てたったの9日目にファンク兄弟からデビュー戦を命じられる。
全日本道場でわずか1ヶ月のカブキとの中味の濃い練習が役に立っていたというわけだ。
無事にテッドデビアスとの試合(時間切れ引き分け)を終えヘトヘトのところに月刊ゴング海外通信員で後にW★INGの社長になった茨城清志がデビュー戦のお祝いにとホットドッグを奢ってくれた。
二人でコーラで乾杯。さすがにジーンときた。天龍はあの時のホットドッグの味はいまだに忘れられないのだそうだ。

[匿名さん]

#2762009/12/02 21:58
シャワー室に向かうと目を疑う光景が飛び込んできた。
ドリーとデビアスが笑顔で背中の流しっこをしている…

天龍の感覚からすればドリーは大横綱。デビアスは幕下。相撲の世界ではまともに口も聞けないはずが、この世界では仲良く対等にやっている…

奇異に映る光景に戸惑う事ばかり続いた。
そして12月、妹さんの結婚式に出席するため、一時帰国の途についた。

[匿名さん]

#2772009/12/03 12:53
詳しい

[匿名さん]

#2782009/12/04 12:56
天龍さん本人が書いてるんじゃないの?

[匿名さん]

#2792009/12/04 17:50
妹さんの挙式を終え、12月9日に日大講堂のリング上で断髪式。
ここでいまだに忘れられない、そして今でも心の糧になっている出来事が起こった。
力士が髷に別れを告げる。これは生涯忘れることのない神聖な瞬間である。
現役幕内力士のプロレス転向で馬場が敬意を表した形を取り全日本の会場で断髪式を執り行った。

[匿名さん]

#2802009/12/04 17:57
しかし、そんな事はプロレスファンにはわかりはしない。
「そんなもん、あさってやれよ!」「馬場ー!こんなもん見に来たんじゃねーぞ」
二階席の後方から野次が飛んできたのである。

天龍は何とも言い表せない淋しさを感じたという。
「俺が13歳から必死になって相撲に取り組んだ時間を否定するのか…」
淋しさが怒りへと変わっていった。
「今野次った奴にいつか拍手させてやるからな!俺の試合を観るためにチケットを買わせてやる!」

そして21日、再びアマリロへ発った。

[匿名さん]

#2812009/12/04 18:04
いよいよ本格的な修行の始まり。前回は1ヶ月だったが、今回は馬場から半年後まで頑張ってこいと送り出された。
そして今回は全日本からの仕送りはなし。
ファイトマネーもまだの状態。断髪式でいただいた餞別でやりくりしながら生活していた。
コーチはドリーとジェリーコザック。それにこの時、NWA世界王者だったテリーファンクもアマリロに戻ってくると天龍を指導していた。

[匿名さん]

#2822009/12/04 18:13
練習はハードだった。生真面目で要領が悪い天龍は力の配分がわからない。
無駄な力を使わないという事を体現できないでいた。しかもリング内で相撲のすり足のくせも治らず、練習後は疲労困憊していた。
レストランでスープを飲みながら、その皿の中に顔を突っ込みそうになる。一晩ゆっくり寝かしてくれ、と何回も思った。

[匿名さん]

#2832009/12/04 18:21
天龍がプロレスより早くマスターしたのは英語だった。
以前書いたように雷親父の影響もあるが(笑)
実際はイントネーションの違いが即、死活問題となる。
「なにしろドライブインやレストランで食いたい物が食えない。自信を持ってオーダーすると、とんでもない物が出てきたりして参ったよ(苦笑)」

[匿名さん]

#2842009/12/04 18:31
この頃天龍はアメリカの生活も悪くないと考えていた。
ハンバーガーはうまいし、環境が日本のようにわずらわしくない。レスラーが駄目だったらアメリカでちゃんこ屋でもやるかな。とお気楽な面も。初めてのクリスマス、日本では食べたこともないターキー(七面鳥)を仲間とむしりながらビールを飲みまくった。
「俺のサンタは相撲辞めた俺を拾ってくれた馬場さんかな」

[匿名さん]

#2852009/12/06 17:54
そんなある日、桜田が
「悪いけど俺オクラホマに行くわ。マードックに誘われてな、あっちの方が稼げるからさ」
当時、のんびりしていた天龍と違ってさすがに桜田にはプロ意識があった。

天龍の髷がなくなった以上、床山の役目の必要はない。自由に行動できる。

その後、桜田はオクラホマに転戦し、以後、アメリカを主戦場とするようになった。

[匿名さん]

#2862009/12/06 18:00
桜田がいなくなってからも天龍の修行は続いた。
その頃、天龍は自分の体型から何から相撲の色を消そうと必死になっていた。
スープレックス、ブレーンバスター、ドロップキック、バックドロップ、回転エビ固め等々。何でも覚えた。
プロレスにおいて重要なのは技の数ではなく組み立てなのだが、この頃の天龍は技さえできればなんとかなると思い込んでいた。

[匿名さん]

#2872009/12/06 18:10
日本でのデビュー戦が迫っていた。
もっとレスラーの体型にしなければいけないと焦り、精神的にも切迫詰まって必死。
追い討ちをかけるかのように師匠ドリーが言う
「ジャンボは天才だった。1ヶ月経ったら何も教える事がなくなっていた」
「ジャンボは一度見た技や言われた事をすぐ実行できた。」
他のレスラー仲間も口を揃えて鶴田のセンスの良さを絶賛していた。

[匿名さん]

#2882009/12/06 18:23
鶴田は大学に入ってから本格的に格闘技(アマレス)に出会う。
そして、たった2年でオリンピック出場。やはり天才としか言いようがない。
余談ですが、鶴田は中央大学で入部したくて向かった先は柔道部だった。
それも連日、体育館へ押しかけてきて懇願するも、バスケ辞めた奴を入れるわけにはいかん!と追い返えされ続けた。
ほとんど道場破りのように毎日現れる鶴田に柔道部も色々な対策を考え練習中は体育館に中から鍵をかけたり1年部員を見張らせたり泥棒のような対応だった。

[匿名さん]

#2892009/12/06 18:35
それでも鶴田は現れた。
「柔道部に入れてください。お願いします」
四年の主将が一年部員に追い出せと命令する。
毎日来る鶴田を集団で追い返す一年部員の中に、後のミスターポーゴ(関川哲夫)がいた。
当時を振り返ってポーゴは「鶴田の格闘技に賭ける想いは凄かった。あんな毎日…。俺だけでも鶴田に味方してやれなかった事が今となっては辛い」と悔いている。
結局、柔道部を諦め、レスリング部に行くもやはり拒否。
それでも諦めない鶴田は自衛隊が練習している所へ押しかけて、一年でインター杯(この時は優勝か準優勝)
この成績を知った(一度は拒否した)レスリング部監督が鶴田に頭を下げ、鶴田は喜んで中央大学レスリング部員となった。

やはり最初から何でもできる天才だったようだ。

[匿名さん]

#2902009/12/06 18:49
話を戻します。
ファンクスや他のレスラーからジャンボへの賛辞ばかり聞かされていた天龍は、漠然とではあるが鶴田を意識していた。
馬場からは
「これが天龍源一郎だっていう技を覚えてこいよ」
といわれていた。
鶴田もファンク道場で修行し、日本デビュー戦でいきなり4種類のスープレックスを披露している。
天龍はドリーに頼んだ。
「テリーが蔵前でジャンボと戦ったときにやったクルクル回る技を教えてくれませんか」

ローリングクレイドルホールドの事だ。
フィニッシュホールドを体得した天龍は「これでどうにかなる」と密かな自信を持って6月日本デビューのため帰国の途についた。

[匿名さん]

#2912009/12/08 00:44
そういや鶴田って今は何してるんだろう…

[匿名さん]

#2922009/12/08 11:38
天龍を認めてたスーパースターのネイチャーボーイがホーガンプロデュースでカムバックしたみたいですよ。元おっかけさんのプロレス復活も楽しみにしてます。

[匿名さん]

#2932009/12/08 21:41
>>292ありがとうございます。m(_ _)m
年末で色々と忙しくなかなか続きが書けませんが近々国内デビューの話から書きますので。m(_ _)m

[匿名さん]

#2942009/12/10 15:45
あの二人がもうすぐ…

[匿名さん]

#2952009/12/18 13:07
その二人?

[匿名さん]

#2962009/12/19 22:15
天龍って独身なのかな?

[匿名さん]

#2972009/12/25 00:33
ハッスルが事実上、消滅した。経営コンサルティング会社社長の酒井正和氏(43)が8日、都内で会見し、経営難のハッスル引き継ぎを断念した。同団体の最高顧問を辞任し、ハッスルを運営するハッスルエンターテインメント(HE)社との業務提携解消を発表。ハッスル所属だった数選手を引き抜き、新団体「スマッシュ」を旗揚げする。また、大手パチンコメーカー「京楽」がハッスルのスポンサーを撤退していたことも、デイリースポーツの取材で分かった。04年に旗揚げしたハッスルはわずか6年で幕を下ろすことになる。
  ◇  ◇
 酒井社長は「ハッスルのコンテンツを生かした運営は困難。新体制移行は断念しました」と発表。「ハッスルエンターテインメント社が抱える問題と、わたしの考えるイベント運営にかい離があった」と説明した。
 業者や選手への不払い、中止になった10月の後楽園大会のチケット代払い戻しなど、HE社が抱える負債を引き継ぐ要望を拒否した。酒井氏は「もうハッスルとは関係ありません」と言い切った。
 ハッスルは今後もHE社が運営する。ただ、京楽が7月でスポンサー契約を打ち切ったことがデイリースポーツの取材で判明。05年11月からの5年契約だったが、京楽側は「不払い問題もあって、打ち切りを前倒ししました」と説明した。さらに都内にある道場のリングや備品は、債権者に差し押さえられている状況だ。
 酒井氏が立ち上げるスマッシュには、ハッスルから数選手が移籍。東京・新宿を拠点に、地域密着を掲げプロレス、格闘技(総合、キック)の2大部門を運営。来年3月26日、600人収容の新宿FACEでプロレス部門の旗揚げ戦を行い、格闘技部門もその後、同所で定期開催する。
 酒井氏は「いずれ世界に発信したい」と夢を語りつつ、メガイベントを連発し失敗したハッスルを教訓に「最初は身の丈にあった基礎作りから」と堅実路線を掲げた。
 一世を風びしたハッスルは急成長しながら急降下。わずか6年で終止符を打った。

[匿名さん]

#2982009/12/25 00:39
賛否あるでしょうが、レスラーを踏み台にしての格闘技の台頭、暴露本、そしてハッスル(猪木もだが)が、プロレスのイメージダウンに繋がった。天龍はハッスルより全日本や新日本で暴れてる方が似合う。新日本は軽薄だから、全日本かな。

[匿名さん]

#2992009/12/25 11:51
越中とタッグはもう見れないのか

[匿名さん]


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