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NO.570872

【風雲昇り龍】天龍源一郎【Revolution】
#6002010/02/25 21:58
11月18日、品川のホテルで昭和63年を締め括る「88世界最強タッグ決定リーグ戦」の前夜祭。
そこには阿修羅の姿はなかった。
阿修羅ばかりか天龍の姿もなかった。
実は天龍はホテルに来ていたのだが、到着するや、馬場の呼び出しを受けたのだ。
「阿修羅なんだけど…借金とか、いろいろ問題があってな。話をしていたんだけど、ちょっと電話をかけてきます。と席を立ったまま、いなくなっちゃったんだよ。もう、解雇するしかない。休むわけにもいかんから、川田と組んでやってくれ」
というのが馬場の用件だった。
翌日の開幕戦。
日本テレビ関係者が馬場の会場入りを待って、到着するや、すぐに控え室に誘導。馬場は緊急記者会見を行なって
「原の件に関してですが、全日本プロレスは昨日付で阿修羅・原を解雇いたしました。理由はいろいろありますが…ズバリ言って本人の生活態度に問題があり、今後、会社及び、多くの人々に迷惑をかけるようなことをしかねないんで、いい選手ではあったけれども、そういうことにしました。今までにも何回かあったし、もう面倒見れないっていうことなんですよ。これは俺の一存ではなく、役員会にもかけて会社の方針で決めました」
とキッパリ。
これは20日の全日本プロレス中継の冒頭でも放送されたから、断固たる措置と言える。

[匿名さん]

#6012010/02/25 22:13
阿修羅に一体、何があったのか?
馬場が言う生活態度の問題とは、ズバリ、借金だった。金銭面のルーズさはラグビー時代からのもので…
プロレス入りしてからの何度かの失踪も金銭絡みの問題だった。
別に女性に入れ込んだり、ギャンブルに狂っていたわけではない。
簡単に言えば、気前がいいのである。
天龍同盟は毎晩、試合が終わるとマスコミの人間も含めてドンチャン騒ぎをやって胸を張っていたが、その懐事情は苦しかった。
あれだけ派手にやっていたらギャラだけでは追いつかない。
(当時プロ野球トップの落合が年俸2億に対し、天龍は推定4000万、新日本の売り出し中の武藤敬司のほうが金額は上だった)
天龍夫人のまき代さんも
「あの頃が一番、苦しかったわね。だってギャラ全部を天龍が持ってっちゃうんだもの。天龍が男を気取るために、その裏で私はアルバイトしてました」
と苦笑する。

[匿名さん]

#6022010/02/25 22:36
そんな天龍を見ていて、阿修羅も気張った。
何回かに一度は阿修羅が身銭を切っていたし、合宿所に寝泊まりすれば、夜は合宿所組を焼肉屋に連れて行ったり、クラッシュギャルズで大ブレークしていた、地元、長崎のかわいい後輩、長与千種や他の女子プロレスラーたちにも近くで試合が重なったりすると気前良くご馳走し、タクシー代まで払っていた。
また(給料の安い)若手には月20万の小遣いを渡していたし、持ち金が少ないときでも「俺は腹の調子が悪いから、お前ら食え」と自分は食べるのを我慢しておごったり…という具合。
当時、家庭がうまくいってなかった阿修羅は、若い連中が飲み食いする顔を見るのが一番の楽しみだった。そのうちに借金が膨れ上がり、試合会場には借金取りが来るようになってしまったのだった。

天龍と二人で走り出して、しばらくしてある日、阿修羅は馬場の行きつけの東急ホテルのオリガミに呼ばれた。
「給料をを上げてやる。天龍と同じにしてやる」ということだった。
全日本時代、阿修羅は馬場と直接話した事はほとんどない。
当然ファイトマネーで不満を言った事も一度もなかった。
唐突にギャラが5割増しになった。
理由はすぐに分かった。

天龍である。

見かねた天龍が馬場に話をつけたのだ。
もちろん阿修羅からも天龍からもこの話はお互い未だにしていないという。

しかし、ギャラが5割増しになった所で阿修羅の気前の良さも5割増しになったのは言うまでもない。

[匿名さん]

#6032010/02/25 22:50
後に阿修羅は
「俺は社会人として失格だし、いろいろな人に迷惑をかけた。でも、ああやって見栄を張ることで阿修羅・原を貫き通していたんだよなあ」
と語っている。
結果的にファンを裏切り、社会人として失格の烙印を押されてプロレス界を去った阿修羅。
だが、天龍同盟として全力疾走した1年4ヶ月に嘘はなかった。
私心を捨て、身を粉にして天龍の女房役として全身全霊で戦い、天龍の厳しさに自信喪失する川田、冬木、小川に対しては母親役になって影で支えた。
阿修羅の存在なくして、天龍同盟の成功はなかったのだ。
それを誰よりも分かっているのが天龍だった。

馬場の会見後、報道陣に囲まれた天龍の発した言葉は
「それを俺にコメント取りに来るの?じゃあ、てめぇの女房が浮気してるからって、どう答えりゃいいの?それと一緒だよ。そんな質問してくれるなよ。何で俺が答えられるの…だろ?何も話すことはないよ」
怒りと悲しみに満ちた言葉。天龍の目は真っ赤だった。そして翌日天龍は改めて口を開いた。
「阿修羅の…彼のやってきたことは、俺は認めているしさ、それは俺の気持ちの中にしまっておきたいしさ。喋らなきゃ…何だよ、冷たいと思われるかもしれないけど、でも喋りたくないんだよね。俺は発言する場があるからいいけど、阿修羅は発言する場がないんだからさ…」

[匿名さん]

#6042010/02/26 18:39
阿修羅の解雇で存亡の危機に立たされた天龍同盟だったが、天龍は「阿修羅と走ってきた1年4ヶ月を無駄にしてたまるか!」と踏ん張った。
阿修羅の代打として天龍のパートナーに抜擢された川田も、これをチャンスと捉えて頑張った。
阿修羅解雇が発表された開幕戦ではブッチャー&シン組に敗れたものの、その後は馬場&木村組に敗れただけで白星を着実に重ねていった。
川田は馬場の顔に張り手をかますことが出来ただけで吹っ切れた。そして天王山の12・10札幌で五輪コンビにリングアウト勝ちしたのが何よりの収穫だった。

この「88最強タッグ」中、海の向こうからビッグ・ニュースが飛び込んできた。

[匿名さん]

#6052010/02/26 18:50
この年の11月にターナー・エンターテイメント社と正式合体した新生NWA(ここからWCWが誕生)が世界ヘビー級王者リック・フレアーの挑戦者として天龍に白羽の矢を立て、年内最後の全米PPVとなる12・26バージニア州ノーフォークでのビッグショーにオファーが来たのだ。
NWAは新たな体制になったのを機に、NWAを国際的な組織にするべく、日本からのチャレンジャーを望んだのである。
「だったら天龍がいい。アメリカン・スタイルをマスターしつつ、日本流のオリジナルなスタイルを確立しているし、俺と天龍のチョップ合戦で沸かせる自信がある。天龍とだったら、インターナショナルなイメージで、しかもWWFのショーアップ・スタイルとは違ったストロング・スタイルのファイトができるだろう。それこそ生まれ変わったNWAのスタイルになるはずだ」
と王者のフレアーが強力に天龍をプッシュしたのだ。

[匿名さん]

#6062010/02/26 19:01
だが、これはスケジュールの都合で延期になってしまった。
NWA側は1日でも早く天龍にアメリカ入りしてもらい、デモンストレーションマッチ、TVインタビューを収録して12月26日までに大々的に宣伝したかったのだ。
単なるタイトルマッチ挑戦というのではなく、テレビの全米中継なども駆使して、何ヵ月もかけて、日本の天龍を売り出すという、天龍本人もビックリするような話だったのだ。
しかし、そうなると「88最後タッグ」を途中でリタイヤしなければならなくなる。
それは天龍にも全日本にも出来ない相談だった。
だが、阿修羅の解雇で落ち込んでいた天龍にとって、これは救いになる材料だった。
「頑張っていれば、必ずどこかで誰かが見てくれているって信じてきたのは間違いじゃなかったね。まさか海の向こうで修行時代に世話になったフレアーが見てくれていたとは思わなかったよ(苦笑)日本をないがしろにはできないけど、チャンスがあったらNWAに行ってみたいね!」
と嬉しさを隠さなかった。

[匿名さん]

#6072010/02/26 19:11
さて、「88最強タッグ」の行方だが…最終戦の12・16日本武道館を迎えた時点で、2敗だけで乗り切り、ここでハンセン&ゴディに勝てば、五輪コンビとの優勝決定戦へ持ち込める位置につけていた。12700人の大観衆は、ここまで頑張ってきた川田に大コール。だが、ハンセンもゴディも容赦はなかった。
「お前なんか、まだ顔じゃない!」とばかりに川田を袋叩きにして場外に放り出し、天龍に集中攻撃、最後は天龍がゴディのパワーボム、ハンセンのラリアットの連続攻撃に沈んだ。
敢えて天龍からフォールを奪おうとしたハンセン&ゴディ、何度、場外に放り出されても食い下がっていった川田、そして川田を犠牲にせず、自ら潔く散った天龍…
爽やかな名勝負であった。

[匿名さん]

#6082010/02/26 20:28
「川田が先発を買って出た時の声援…あれはホント、あいつの人生で、たとえ飛躍的に伸びて、どういう状況になったとしても、絶対に一生忘れないと思うな。あれ以上の声援が来るのが彼の第一目標だと思うし、そうなった時が大成した時だと思うよ。川田がああいう感じの試合ができたってことは冬木も目処が立ったしね。阿修羅のことは…いつまでも自分たちが、その影を引きずっていたらファン、それに阿修羅に対しても…解雇されたのは事実なんだから、失礼だし、俺たちが一生懸命頑張ることによって阿修羅自身も踏ん切りがつくんじゃないかと思っている。俺たちがいつまでも、阿修羅がいなきゃって感じでやってたら、ファンの人も原さんがいればこうなってたって夢を抱き続けるでしょ。会社の人たちも悩むことになるだろうしさ、もう俺たちは前に向かってやっていくしかないよね」
と、天龍は新たな年への前進を力強く語った。
川田は後に、この「88最強タッグ」を
「天龍同盟で一番印象にあるのは、やっぱりそれだよ。原さんがいなくなって、最強タッグで最後まで行けたっていうのはホント、忘れられない。俺がプロレスラーになって一番…何て言うかな、一番最初にステップ踏んだところはそこだと思う」
と、天龍同盟一番の思い出として語っている。

[匿名さん]

#6092010/02/26 20:49
明けて昭和64年1月7日に天皇崩御。
元号が昭和から平成へとかわったが、天龍は川田、冬木をパートナーにあくまでも天龍同盟としての活動を続行した。
前年暮れから続くNWAの熱心なリクエストに応えて遂に天龍は渡米、2月15日オハイオ州クリーブランドにおける全米生中継のPPVビッグ・ショー「クラッシュ・オブ・チャンピオンズ」に出場。
いきなりロードウォリアーズとのトリオによるNWA世界6人タッグ王者としての登場という破格の扱いを受け、スティング&マイケル・ヘイズ&ジャンクヤード・ドッグの挑戦を退け(試合はこの3人を金網に閉じ込めたケビン・サリバン&マイク・ロトンド&スティーブ・ウィリアムスが勝手に挑戦者としてリングに登場。何と、そのまま試合開始…しばらくして金網の鍵を壊した本来の挑戦者チームがリングに雪崩れ込み9選手で大乱闘ノーコンテストだった)防衛に成功した。
かつて、居場所がなくなって、日本から逃げるようにしてアメリカ遠征に出ていった時とは、天龍自身の気持ちも受ける待遇も、まるで違った。
かつて天龍が受けてきた待遇を考えると、この遠征はひとつのけじめになったとして生涯忘れられないと語っている。
翌日16日にはロサンゼルス市内のイタリアン・サパークラブ「レックス」で渡米中のアントニオ猪木との会談も実現させて、これまた大きな話題になった。

[匿名さん]

#6102010/02/27 16:14
権威があったころの初代王者はすごいね

[ヒロ水筒]

#6112010/02/27 17:37
肝心の全日本マットでは、鶴田、天龍、ハンセン、ブロディの間でインターナショナル、PWF、UNのシングル王座統一戦が熾烈を極め、4月18日大田区体育館にてインター王者のジャンボ鶴田がPWF&UN二冠王者のスタン・ハンセンをピンフォールで破り、遂に三冠王座を統一、初代三冠統一ヘビー級王者に君臨した。
4・20大阪で初代王者鶴田に挑戦した天龍は危険な角度のパワーボムを喰って失神KO負け。
三冠統一戦線でブロディ、ハンセンからピンフォール勝ちしているだけに素直にジャンボ鶴田は強かった。

天龍はこの一撃で病院送り、欠場に追い込まれ、1ヶ月ちょっとでカムバックしたものの、この頃が一番辛い時期だった。
やはり阿修羅のことが思い出される。昔は励まし合える阿修羅がいた。でも今はいない。
不安でめげそうになる天龍がそこにいた。その一方で、怪我をしながらも「なーに、このぐらいのことで…」と阿修羅と二人でシャカリキになって走っていたことも頭の中に浮かんでは消えた。
これぐらいのことで欠場したのでは、革命スタート当初、生命を賭けてリングに上がり、そして気絶しながらも戦い続けてくれた阿修羅に申し訳ない…
俺は必ずジャンボからピンフォールを奪って見せる。今、お前がどこにいるのか分からないが、俺の生き様を見届けてくれ!と自分の心に呼び掛け気持ちを奮い起たせた。

[匿名さん]

#6122010/02/27 18:08
そして平成元年6月5日、日本武道館。
三冠統一ヘビー級選手権

ジャンボ鶴田vs天龍源一郎

全日本プロレスの切り札カード。伝説となった一戦を迎えた。
首の負傷で病み上がりの天龍が果たして最強王者の鶴田に勝てるのか?
また病院送りにされるんじゃないか?
カードが決まった時点で、僕の学校でも、三冠戦の話題で持ちきりだったが、ほとんど天龍不利の意見ばかりで…。さすがに僕も心配で給食も食べられないほどでした(苦笑)
放送が始まると以前会場で買ったレボリューション・ジャケットを着てテレビにかじりついた。
武道館は超満員。入場前に若林アナが控え室に入る。
天龍が一言「まあ、見ててください」そして雷鳴が鳴り響き大天龍コールの中入場。
その気合いの入った表情を見て、これは勝てるんじゃないか!そう思った。

ジャンボはジャンボで、天龍の首を負傷させてしまったことを気にしていた。
後に「あれはやりすぎた」と鶴田は語っている。

だが天龍はゴングと同時にジャーマンスープレックスホールドを決めた。
「俺はリング上で起こったことには文句は言わない。もし、それを引きずってるのなら、お前は馬鹿だ。この通り大丈夫だし、ガンガン来てみろ!」
というジャンボに対するメッセージだ。

[匿名さん]

#6132010/02/27 18:40
ジャンボも吹っ切れたのか、エゲツないほど天龍の首を狙った。
ラリアット、フライングネックブリーカー、首筋へのニードロップ、バックドロップ…
中には何で鶴田がこんな技まで使うんだよ!と文句をつけたくなるほど首を攻撃していた。
もうダメだ…。天龍は完全に麻痺している…。後半はほとんどフラフラ状態だった。
天龍には、もうパワーボムしかなかった。
一発目。完璧に決まった。鶴田はギリギリで返した。
カウント3入ったと勘違いした武道館のお客さんと自宅の僕は一斉に地団駄ストンピング!
全日本のカウント2.9→お客さん地団駄の流れの最初はこの試合だったような気がする。
鶴田はノビている…一方、天龍もなかなか立ち上がれない…。この時間が止まったかのような[間]は良かった。
次、先に立ち上がったほうの技、次の一手で決まる!
天龍が2発目のパワーボムの体制に入った。
鶴田も必死に防御。なかなか持ち上がらない。
天龍が気合いの叫び声と共に鶴田を引っこ抜いた!
渾身の一発だった。これで決まらなきゃ天龍に勝ち目はない。「ワン、ツー、スリー!」レフェリーの和田京平のカウントがこんなに遅く感じられたことはいまだになかった。

大歓声と共にゴングが鳴る。いつの間にリングサイドに来ていたスタン・ハンセンが天龍を抱き起こしている。
やったぞ!遂に宿敵鶴田を倒し第2代三冠統一ヘビー級王者になったぞ!
プロレスの試合を見て泣いたのは今の所、この試合だけだ。
たまに、古いビデオを引っ張り出してこの試合を見ることもありますが、やっぱり感動します。

地団駄ストンピングがやかましかったのか、怒りの母親がすっ飛んで来たけど、僕が泣いているのを見て退散していったことが懐かしく思い出されます(苦笑)

あの日着ていたレボリューション・ジャケットは、まだ大切に保管してあります。

[匿名さん]

#6142010/02/27 18:56
この頃の全日本は完全に軌道に乗って、明るく楽しく激しいプロレスがファンに浸透、カードを発表しなくても日本武道館のチケットが完売になるほどの人気を博すようになっていた。
天龍同盟の激しいプロレスだけでなく、鶴田の明るいプロレス、ファミリー軍団vs悪役商会の楽しいプロレスもファンに支持されるようになっていたのだ。
こうした状況を天龍も把握していた。
「レボリューションとか天龍同盟って言われて2年…毎日毎日を一生懸命やってきて、振り返ってみたら、もう2年経ってたっていうのが正直なところだよ。初めは、いつか自然消滅するだろうな、いずれ外人に組み入れられちゃうかなとも思ったけど、ジャンボの背中を見ているよりはマシだと思ったもんね。俺はね、レボリューションの役目は終わったと思っているよ。別に天龍同盟がいなくても、十分にみんな大丈夫だって認識しているし、当初掲げた大義名分は、ほとんど実現させちゃったもんね。でもね、じゃあ、なぜ天龍同盟があるかっていったらね、何でこうなったかを分からしめたいために必死になって突っ走ってるんだよ。別にお前たちがやったんじゃないんだよ。俺たちが一生懸命やってきたんだよって気持ちがあるね。それはずっと持ってるつもりだし、冬木と川田にも持っててほしいよ」

[匿名さん]

#6152010/02/27 19:05
「阿修羅がいなくなって…よく言えば違うカラーが出てきたんだろうけど、俺の気持ちを言わせてもらえば、やっぱり阿修羅とやっている時の方が、天龍同盟とかレボリューションて言われることにこだわりがあったよね。だから今でもコーナーに振ってラリアットやったりしてるのは、阿修羅がいた時は、こういうことをやってたんだよ。というのをお客さんに見せてると思うんだよね。やっぱり忘れないよ、阿修羅のことは。今の俺に何がそんなに意地になっていく要素になっているかっていうと、阿修羅と二人でやり始めて、何もなくて、すぐ行き詰まりそうで…でも、それをどうにかして乗り切ろうと一致団結した時の気持ちとかだろうね。そういうのを思い出すとさ、あれだけのことをやったのに、それがここで終わったら、すべて過去のことになると思うんだよね。」

[匿名さん]

#6162010/02/27 19:12
「俺が積み重ねてひとつひとつ実現させることによって、阿修羅と走ってやってた頃のことも評価されるわけだから、今の状況がどうであれ、俺の心の中でのレボリューションは絶対に忘れちゃ駄目だと思ってるよ。今後のレボリューションはどうなっていくか分からないけど、俺の気持ちの中では終結はないよ。リングに上がる限りは…『サンダーストーム』の曲がかかってさ、リングに向かう時には、最初の頃と同じ気持ちで、レボリューションを心の中に持って走り続けるよ」
と、この当時のインタビューに胸の内を語っている。

[匿名さん]

#6172010/02/27 22:28
>>613

いつもありがとうございます。
自分は前述にあった、原がいなくなって急造の川田組で
力の差は明白ななか五輪コンビやハンセンゴディ組に立ち向かっていった時の方が来るものがありましたね。
天龍にはその頃悲壮感が漂っていて、それがなんともいえない色気になっていたような・・・

別冊宝島に倉持アナのインタビューが載っていて、当時の全日本の客席によく映っていたイーデスハンソンさんが天龍にぞっこんだったと。
「あんな男前はいない」と。
ウチの母もテレビを見ながらジャンボや長州より天龍の方がぜんぜんいい男だと言ってました。(笑)

[匿名さん]

#6182010/02/27 23:31
天龍の阿修羅・原への気持ちやコメントに感動しました最高です

[リッキー台風]

#6192010/02/28 21:45
三冠王者としてシングルの頂点に立ちつつ、タッグではハンセンと龍艦砲を結成して五輪コンビと世界タッグ王座を巡ってデッドヒートを展開。
10・11横浜で三冠王座は鶴田に奪い返されてしまったが、暮れの「89世界最強タッグ」ではハンセンとの龍艦砲で何と史上初の全勝優勝を果たした。
その中でも大きかったのは11・29札幌での馬場&木村組との公式戦。
天龍は師匠・馬場をパワーボムでピンフォール!
この時点で、日本人レスラーで馬場をフォールしたのは、天龍が初めてという快挙だった。
3カウントが入った後、凄い馬場コールが起こった。天龍は改めて、この道30年トップでやってきた人に対する大衆の支持は凄いものだなと思い知らされたと同時に、これで否応なしに矢面に立たされるわけだから、これから俺が全日本を引っ張っていかなきゃならない。いや、引っ張って行ってやる!絶対にコケるわけにはいかない!という強烈な意識が生まれていた。
この日は新生UWFが東京ドームに進出した日だったが、天龍は「この勝利は東京ドームより重い!」と胸を張った後、
「あれだけ馬場さんが最後、やれるだけやってくれて、なおかつ勝負がついた事が嬉しかったし、凄いことしたなあって気持ち…やっぱり複雑だったよ」
とポツリ。

[匿名さん]

#6202010/02/28 21:57
そして、この年も天龍は東京スポーツ制定『プロレス大賞』の年間最優秀選手賞(MVP)と年間最高試合賞(6・5日本武道館の鶴田戦)の二冠を獲得した。
「80年代の最後の年に一番いい思い出ができたね。自分の記録をチェックするにあたっては最高に素晴らしい年だったよ。80年代は31歳で帰国して、32歳で結婚して…公私共にいろんなことがあったよねえ。90年は…もう1回、ジャンボ鶴田を下敷きにしてジャイアント馬場をピンフォールかな(笑)よし、もう一発、長州力と一騎打ちやったるか!?それが俺の初夢だよ!」
と90年代突入に前向きな天龍だったが、思いもよらぬ運命が天龍を襲うことになる。

表面的には希望に燃えて90年を迎えた天龍だが、その胸中は複雑だった。
シングルで鶴田をフォールして三冠王座を1度は手にしたし、馬場をピンフォールという偉業もやってのけた。
天龍革命をスタートさせた当初の目標だった全日本活性化も果たした。

[匿名さん]

#6212010/02/28 22:10
だが、そうした一方で、全日本内部に
「もはや天龍同盟は必要ないのではないか。解散させて、全日本マット上を再編成する時期に来ているのでは」
という声が大きくなっていたのだ。
また、カードを発表しなくても大盛況という状況だっただけに、マッチメークで天龍の意見が通らないことも多くなっていた。
「こういう状況になったのは俺たちが頑張ったからだ。ないがしろにされてたまるか!」
と反骨心をたぎらせ、あくまでもレボリューションにこだわった天龍だが、その一方では
「今のいい状態で川田と冬木は全日本に戻してやろう」
という考えもあった。
「俺が全日本に取り込まれるわけにはいかないが、若い二人は戻っても、いいポジションを取れるだろう」
という目論みもあったし、連日のように鶴田、谷津と戦って疲弊している川田と冬木をこのまま引っ張り続けても発展性はないという考えもあった。
川田と冬木のフットルースを全日本に戻して、新たなメンバーで天龍同盟を再編成、最悪の場合でも自分はハンセンなどの外人と合体してレボリューションの看板を守りぬくつもりだった。

[匿名さん]

#6222010/02/28 22:19
だが、これはあくまでも天龍の考えで…川田と冬木は違った。
阿修羅離脱後、天龍のパートナーに抜擢された川田は、冬木とのフットルースという見方をされるのを嫌がっていた。また、せっかく天龍に付いてメインの一角まで来たのに、ここで冬木とセットで全日本正規軍に戻されることに不安を感じていた。
冬木は冬木で、天龍がその気なら、自分の可能性を自分なりのやり方で探ってやろうと模索していた。
この頃の冬木は無口でおとなしかったが、その根本は後の理不尽大王の姿と変わらぬ豪胆な性格の持ち主だった。
3人が違う方向を向いていれば、当然ギクシャクする。
それが表面化したのは1・14後楽園ホールでの天龍&冬木vs鶴田&タイガーだった。

[匿名さん]

#6232010/02/28 22:29
鶴田が冬木を逆エビ固めに捉えた瞬間、天龍がラリアットで救出に入ったが、鶴田がそれに耐えたため、その衝撃でさらに冬木の腰が決まってしまい、冬木はギブアップ。
試合後、天龍は冬木を助け起こそうとしたが、憮然とした表情の冬木はその手を払いのけた。
天龍はそんな冬木を置き去りにサッサと控え室へ。
その冬木に鶴田とタイガーが握手の手を差し伸べたのである。冬木は天龍同盟の控え室に戻らずに廊下のベンチでシューズの紐を解きながら
「(天龍同盟再編成を)したけりゃ、すればいい。俺はどうなったっていいよ!」
と衝撃発言。ここで小川が「天龍さんが呼んでますから…」と慌てて冬木を控え室に連れ戻した。
結局、冬木は天龍同盟に戻ったが
「プロだから試合を組まれれば、誰とでも戦うし、誰とでも組むけど…新しい場所を作って心機一転したい。鶴田さんから呼び掛けがあれば話してみたい」
と事実上の天龍離れを広言した。

[匿名さん]

#6242010/02/28 22:41
当時の状況を理不尽大王となった頃の冬木はこう語っている。
「あれはね、ある日ね、マスコミに言われたらしいよ、天龍さんが。あなたは阿修羅・原を犠牲にした。踏み台にしたって。それで考え込んでいたらしいんだよ。で、俺に言ったわけ、メシ食ってる時。お前もそう思うか?って。当然でしょ!って言ったら、テーブルひっくり返して帰っちゃったんだよ。そこら辺からだな、ギクシャクして…。でもしょっちゅう揉めていたんだ。あの頃は純粋に、ただプロレスだけしてたから、俺自身はね。金のこと、周りのこと関係なくね。だからプロレスのことだけ一生懸命、いろんなこと考えてたの、俺。だから意見も言うし、しょっちゅう試合のことで揉めたり喧嘩して…1週間、口聞かなかったこととかも、しょっちゅうあった。最終的には仲直りはいつもするんだけれども、1週間が2、週間、3週間って長くなっている時期だったんだよ。そこにはいろんな状況もあったし、複雑な人間関係もあったし…」

[匿名さん]

#6252010/03/01 00:03
馬場フォールはガチンコ説がぁりますょね

[HBK]

#6262010/03/02 20:33
こんな状況の中でも天龍に一筋の光明が生まれた。
この年の1月6日に馬場と、猪木に代わって新日本の社長になった坂口征二が会談を行い、集まった報道陣に協調路線を発表。
そして坂口新社長の要請を受けた馬場が新日本の2・10東京ドームへの選手派遣を了承し、長州力&小林邦昭vs天龍源一郎&川田利明のカードが発表された。
天龍の革命スタート時の最終目標は「阿修羅と二人で新日本に上がる」だった。
阿修羅はいなくなってしまったものの、川田との天龍同盟=龍明砲で新日本…
しかも東京ドームという大舞台で3年ぶりに長州と激突することになったのだ。

[匿名さん]

#6272010/03/02 20:44
「レボリューションを始めた時分には、俺に自信があって、絶対に新日本に行ってやる!と思ってた。それが約3年経った今でも向こうから要請があって上がることになったということは、最初のレボリューションのテンションが下がってないからだという自負があるよ。長州がウチを抜けた後の3年間、300から400試合を俺は毎日、目いっぱい必死になってビッチリやってきた。その差を見せつけてやるよ。あいつが夢がない!って去って行った全日本プロレスを背負って行くつもりだから。ガッチリ俺の人生を見せつけてやるよ!」
とレボリューション魂と愛社精神に再び火をつけた天龍は、勝つために敢えてパートナーを川田からタイガーマスク(三沢光晴)に変えて、この時ばかりは天龍同盟ではなく全日本プロレス代表としての出陣を決意した。

[匿名さん]

#6282010/03/02 21:00
だからこそ、絶対に負けるわけにはいかない!
川田では勝てなかったというのではない。
大勝負になればなるほど、プレッシャーが重くのしかかる。そのプレッシャーに対するにはキャリアが必要。キャリアの差を考えて普段は戦っている三沢と組むことにしたのだ。どうしても負けられない…万全を期した天龍の考えだった。
相手は長州。天龍なりのメッセージを長州に肌で伝えたかったし、長州からも強烈な返答があるはず。と全日本への愛社精神に燃えて、レボリューション・ジャケットではなく、ガウンを着ての登場だった。しかも「新日本の連中に取り込まれてたまるか!」と立派な花道からの入場を拒否。観客席と花道の間を通って東京ドームのリングに立った。
こうすることによって、かつての長州との熱き戦いの日々が蘇ると思っていた。
今までのモヤモヤをこの一戦にぶつけよう、長州にぶつけよう、ここから何かが生まれるだろうと天龍はワクワクしながら戦いに挑んだ。

[匿名さん]

#6292010/03/02 21:12
対する長州もパートナーを、何をしでかすか分からない、ジョージ高野(ザ・コブラ)に代えての大一番となったが、試合は天龍の心を満足させるものではなかった。
一応、結果はタイガーが高野にリングアウト勝ちして全日本代表の面目を保ったものの、内容的には長州&高野があまりにも勝負にこだわり過ぎたために噛み合わず、天龍も気持ちがスーッと引いてしまったようだった。
天龍は試合後に
「俺はずっと維新軍でやっていた長州の影を追っていたんだと思う。でも目の前にいた長州は、すっかり新日本という体制に組み込まれた別人だった。試合が終わった瞬間に、新日本に上がりたいと言ってきた夢、長州ともう一度戦いたいという夢、レボリューションでやってきたこと…3年間のすべてから解放された気分になったね。もうこれで何もないな。やっぱり俺は全日本プロレスが好きだし、これだったら全日本の次の世代が育ってくるまで、向かい風になっている方が性分に合ってるよ」
とコメント。

[匿名さん]

#6302010/03/02 21:33
2月21日開幕の「エキサイト・シリーズ」から「今、一番重要なのはジャンボとの試合だ!」と心機一転、再び全日本のために突っ走る覚悟を決めた。
だが、このシリーズの最終戦、日本武道館で、またまた頭から冷や水をぶっかけられるような事態が起こってしまった。
この日はハンセンと組んでスティーブ・ウィリアムス&テリー・ゴディの殺人魚雷コンビの挑戦を受けての世界タッグ防衛戦。
実は天龍はシリーズ序盤で右足首を負傷、2・24大宮での6人タッグで鶴田のインディアン・デスロックにデビュー以来、初のギブアップ負けを喫し、以後3試合を欠場していた。

この日も右足に集中攻撃を浴びた天龍はウィリアムスのインディアン・デスロックにまたまたギブアップして王座から転落してしまい、試合後にはパートナーのハンセンが「お前は敗者だ。お前への尊敬の念は失われた!」と天龍の右足をブルロープで締め上げる暴挙。
ここで天龍の救出に入ったのは…何と鶴田だった。助けられた天龍はというと、ハンセンに殴りかかったかと思ったら、助けてくれた鶴田にも襲いかかり、何とも後味の悪い幕切れになってしまった。

[匿名さん]

#6312010/03/02 21:46
ハンセンから三行半をつきつけられたことで外人と組んでの同盟再編成プランは水泡に帰し、鶴田が救出に来た裏には「天龍を正規軍に戻したい」という全日本プロレスの会社としての意思があることは明白だった。
天龍は完全に追い詰められてしまったのである。
シリーズ終了後の契約更改も天龍を憂鬱にさせるものだった。
会社側の誠意が、まるっきり感じられない。契約更改の場に、肝心の馬場もいない。
天龍は立ち会った専務に言った。
「ジャンボは、この条件でサインしたんですか?」
「もう帰ったよ。源ちゃん、俺もこんな仕事したくないんだよ」
「ジャンボが文句言えないなら、僕も言えないですよね。分かりました。」
と言ってサインしたが、本心は腸が煮えくり返る思いだったという。
そんな話をしていると、馬場夫人の元子さんが天龍を呼びにきた。
「源一郎君、下の喫茶店で、お父さん(馬場)が呼んでますから…」

[匿名さん]

#6322010/03/02 21:56
頭に来ていた天龍は、喫茶店に行ったものの、コーヒーも飲まず2〜3分、馬場と言葉を交わしただけで飛び出してしまった。
プロだから金銭的な評価はもちろん欲しいが、でも、それだけではなかった。
天龍は天龍源一郎がここまで頑張ってきたことを認めて欲しかったのだ。
だが、馬場の口からは、天龍がやってきたことを本当に認めてくれているのかどうか疑いたくなるような言葉しか出てこなかった。
天龍はこの時の事を「馬鹿らしいな、この会社だけは。とんでもねぇ会社だな!」と家に帰って、珍しく、まき代夫人に愚痴をこぼしたという。
阿修羅がいなくなって、天龍と川田と冬木の三人だけの天龍同盟。ずっと走り続け、毎日メインで鶴田たちと戦ってきた川田と冬木は明らかに疲れ切っていた。

[匿名さん]

#6332010/03/02 22:10
それと同時に、完全に甘えてしまっているのも見えた。だんだん、熱意ではなく惰性でやっている感じになってきたのだ。
例えば試合前、控え室で「どうする、今日?何かやるか?やりたいことは?」と天龍が言っても、二人とも黙って意見を言わない。
結局「ヨシ、今日は一発、これをやってみよう!」と天龍しか意見を出さないのである。
ムカッ腹が立つ一方で
「俺もそうだし、3年間も偉そうにどやしつけてきた冬木や川田のギャラを上げてやる力も俺にはない。あいつら二人は毎日、ジャンボとかの先輩相手に目いっぱい戦って…本当に疲れていると思う。これじゃあ、あいつら潰れちゃうよ。これ以上引っ張り回してボロボロにするよりも、余力のあるうちに、いい形で全日本に戻してやって、自由にやらせた方がいいかもしれない」
そんな思いが募る一方だった。
こうした中で3・24に「チャンピオン・カーニバル」が開幕。4・4小倉大会終了後に事件が起こった。
(続き↓)
>>52-55

[匿名さん]

#6342010/03/03 03:06

[匿名さん]

#6352010/03/03 22:59
平成2年4月7日、高知県十和村十川こいのぼり運動公園で天龍同盟は解散した。当時を振り返って天龍は「運命としか言い様がない気がする。すべてがすべて、俺を全日本プロレスの外に出そうという方向で動いていたと思う…」
小倉大会の前日(3日)のオフ、桜田(ケンドーナガサキ)がヒョッコリと小倉まで訪ねてきた。
「若松市政と二人で新しい団体を作るんだ。メガネスーパーという資本がスポンサーになるんだが、天龍に来て欲しいということだ」
というのが話の主旨だった。桜田にしても口外されては困るから、詳しい話はしない。天龍は天龍で
「今、シリーズ中だし、そんな話はしないでくれ。とりあえず、終わってから…」
と返答した。
決して迷惑な話ではなかった。しかし、熱意が薄れてきたことを自覚していたとはいえ、大切なシリーズ中。シリーズが終わるまでは、それ以上、桜田の話に耳を傾けるつもりはなかった。

[匿名さん]

#6362010/03/03 23:14
4月7日の解散から1日のオフを置いて、8日の岡山大会から川田と冬木は全日本正規軍に合流した。
移動も宿舎も当然、全日本正規軍と一緒で、天龍はひとりだけの控え室に付き人の折原昌夫といるだけという状態になった。
折原は、いつも先輩にいじめられてビィービィー泣いていたが、なぜか天龍が道場で練習していると、付きまとって、いつの間にか付き人になった男だ。
新しい環境の中、黙々とシングルマッチをこなす天龍にまた凄い話が舞い込んだ。
4月13日の東京ドームにおけるWWF&全日本&新日本3社共催『日米レスリング・サミット』でマッチョマン・ランディ・サベージとの対戦が決まった。
サベージはショーアップされたWWFを象徴するようなド派手な男でキャラクターは天龍と正反対。
正直、噛み合うかどうか…ということと、これが初来日のサベージがどんなレスリングをするのか想像もつかず、WWFの超人気スターと天龍が試合するのか…大丈夫かな?
それに天龍同盟解散から間がなく、やや元気のない天龍を心配する声も少なくなかった。

[匿名さん]

#6372010/03/03 23:32
実際、僕もサベージの事は雑誌でしか知らず、WWFではハルク・ホーガンと双璧のスーパースターという程度の認識だった。
ハンセン、ブロディよりは強いわけないやとか、いや、リック・フレアーやニック・ボックウィンクルみたいな試合巧者だったらマズいな。
こんな事を考えながら放送を観戦した。
まず『威風堂々』が流れサベージが女マネージャーのシェリー・マーテルと入場してきた。
超一流レスラーのオーラは十分に感じて若干不安になったのを覚えてます。
続いて、大天龍コールと共にお馴染み『サンダーストーム』が流れ、天龍が入場。若林アナのしゃべり>>15が妙に感動した。
大一番だから、新日本に上がったときのロングガウンで来るのかな?と思っていたら、天龍同盟解散をしたというのに、いつもの黒地に黄色ラインのレボリューション・ジャケットで入場してきた。
これは本当に嬉しかった。驚いたのは入場してすぐリング下からサベージに着ていたジャケットを投げつけて肉体が見えたときだった。
過去最高と言えるぐらい天龍の体はパンパンに仕上がっていた。
天龍はこの一戦を楽しみにしていたのだ。

[匿名さん]

#6382010/03/03 23:46
それまで天龍は
「同じようなタイプの奴が、戦い続けて内容を向上させるのが、一番ファンに支持されるものだ」
と信じていたが、サベージと違うキャラクターをぶつけ合った結果、天龍自身も意外なほど手応えのある面白い試合ができた。と語っている。試合内容も素晴らしかった。ゲストに徳光和夫さんと松山千春さんが来ていたが、徳光さんがシェリー・マーテルに本気で怒鳴っていた(笑)
ランディ・サベージもさすが元WWFヘビー級チャンピオンだけあって巧い。
試合はサベージ&シェリーに散々攻撃され続け、これを耐えて耐えて耐え続けた天龍が延髄斬りで形成逆転!会心のパワーボム一発でカタをつけた。
素晴らしいベストバウトだった。
近年天龍は
「サベージは俺に、キャラクターが違う者同士でも、それを真っ向からぶつけ合えば、新しいものが生まれるんだよ。ということを教えてくれた。後に大仁田と電流爆発デスマッチをやったときに、禁断の実を食べたと大仁田は言っていたが、俺にとっての初めての禁断の実はランディ・サベージだよ」
と回想している。

[匿名さん]

#6392010/03/03 23:57
日米レスリング・サミットから3日後の16日、大阪府立体育会館の控え室で取材に来ていた週刊ゴングの小佐野編集長は、天龍からとんでもない告白をされた。
付き人の折原は雑用で外に出ていて、控え室の中は天龍と小佐野さんだけ。
雑談中に天龍がポロッと
「ジャンボに負けたら…辞めるよ」
と言ったのだ。
このジャンボに負けたらは、4・19横浜での鶴田との三冠ヘビー級選手権のこと。
唐突な重大発言に
「負けたら引退するってことですか?そんなことになったら大変だなあ」
と小佐野さんは冗談めかして返したが、天龍は
「いや、俺には引退はないよ。あるのは廃業…業を捨てるのが廃業だからな」
そして、やや間があって
「これは内職だぞ!」とニヤリ
そこには冗談、冗談というニュアンスも感じ取れたという。

[匿名さん]

#6402010/03/04 00:10
>>638
若ちゃん「魂の徳光さんだっ!!」
ドームに徳光コールが一瞬(笑)

この頃の全日のお客さんって、懐が深いというか、楽しみ方が上手でしたよね。
天龍の激しいプロレスもラッシャーさんのマイクも許容してしまう凄さ。

[匿名さん]

#6412010/03/04 00:11
そして4・19横浜決戦。
天龍は鶴田のバックドロップホールドに敗れた。
ジャンボに負けたら辞めるという言葉を聞いてしまっている小佐野編集長は混乱した。
果たして天龍の言葉は本音か、それともジョークか?
長年、天龍番記者として取材する中で、天龍が本音を冗談めかして語ることを知っていた小佐野編集長は取材記者として勝負に出た。次週発売の週刊ゴングの表紙に『横浜決戦3日前、天龍が本誌記者に独白—「ジャンボに負けたら辞める!」そして天龍は敗れた…』という見出しが踊った。
毎週欠かさず週刊ゴングを買っていたけど、この号を本屋で見たときの衝撃は今も覚えてます。
鶴田がバックドロップの体制で天龍を抱えていた写真が表紙に使われていたと記憶しています。
この頃は今と違って、インターネットがなく、試合の結果が(地方に暮らす僕には)すぐに分からない状態だったので、あの表紙を見たときのショックは凄かったです(苦笑)

[匿名さん]

#6422010/03/04 00:14
あと、「日米レスリング・サミット」なのでジャンボの試合でジャンボが劣勢になると
「ニッポン・チャチャチャ」コールが起きてたのは吹いてしまいました。
どう見ても鶴田楽勝みたいなマッチメイクだったんで、緊張感なかったんだと思いますが・・・
ほんと、この頃のお客さんは上手い。

当の天龍はそういうおちゃらけは嫌だけど、ファンが望むならしょうがないみたいなことをインタビューで言ってた記憶がありますが。

[640◆tAPHwtyw]

#6432010/03/04 00:40
>>640
全日本のお客さんが楽しむというか…
ある意味本当に凄かったのはテリーファンクの人気絶頂期。
地方会場にもテリー親衛隊のおねーさんたちがいて、入場時にテリーを触ろうと花道に走っていくと、突き飛ばされたり肘打ち喰らわされたりで全くテリーに近づけなかった(苦笑)

マスカラス入場時も似たような状態で…

僕もこの日のためにお年玉を使わず貯金していたのに、小学生なりに悔しい思いをしたものです。

天龍同盟時代の全日本のお客さんはテリーやマスカラスの頃のお客さんと比べると全然上品だったですよ(笑)

[匿名さん]

#6442010/03/04 01:17
>>643

たしかに上品ですよね。
三冠が統一される前の後楽園の鶴田ーハンセン戦が不透明決着で
怒ったお客さんがリングにたしかビールの紙コップを投げ入れたのを見た
当時の馬場さんが大変ショックを受けて、それから故意にリングアウトや反則決着に持ち込むのが禁止のお触れが出たんですよね。

リングにモノが投げ込まれることがニュースになるぐらい
当時の全日のお客さんは「あたたかい」って言われてましたね。

何年か後、WARの会場の殺気を見て、うーん、やはり会場の雰囲気は生き物だということをつくづく感じました。

[匿名さん]

#6452010/03/04 21:38
>>641続き
衝撃的な表紙の週刊ゴングが発売された日の夕方、馬場から編集部に電話があった。
「もう知ってると思うけど…天龍がメガネスーパーに行くことになったから。天龍とは今日を含め、何回か話し合ったけど、すべてきれいな話ができたと思うし、将来は天龍の所とウチとで対抗戦が行われることもあり得る。円満退社という形なんで、くれぐれも変な記事は書かんでくれよ」
というものだった。
天龍退社の日に、それを伝える記事…凄いビッグスクープであるが、週刊ゴング側は、この時点でメガネスーパーが天龍に接触していることは、全く知らず、スクープ記事は偶然の産物であった。
小佐野編集長は同夜、天龍の自宅に電話を入れている。
「馬場さんとしたら腸が煮えくり返るような状況だったろうけど、ちゃんと話を聞いてくれて、俺の意向を汲んでくれて、お前の気持ちは分かったから、気持ちよく送り出すからって言ってもらえたよ。本当は、あの記事は迷惑したんだよ。メガネスーパーに行くって決めたのは、ホントにシリーズが終わったあとだったんだけど、あの記事で馬場さんが、以前から話ができてたんじゃないかって誤解してさ。でも、ずっと付き合ってきてくれた小佐野クンに、最後にスクープをあげられて良かったよ」

[匿名さん]

#6462010/03/04 21:57
八方塞がり状態の天龍が出した答えは、新天地だった。
そして、この決断によって天龍ばかりでなく、全日本正規軍に戻ることに抵抗していた川田、新しい場を求めていた冬木、左肘の手術に踏み切って再起を期していた小川、志半ばでマット界を去り、北海道で隠れるような生活を送っていた阿修羅のそれぞれの人生が、それぞれ個人の意思によってスタートした。
天龍が4・19横浜で鶴田に敗れ、全日本を退社するまでの内容を書いていきます。
横浜での三冠戦は実にアッサリと終わった。天龍がこんなに簡単に負けてしまうとは…。観客、マスコミ、関係者も天龍の敗北に何かを感じ取るには十分な内容だった。
天龍自身も「ジャンボが相変わらずだった。打っても全然響いてこない。戦っていて馬鹿らしくなった」と自身の著者で語っている。
プロレスとは表現するのが非常に難しいものである。
戦う者同士の気持ちが、どこかで一致していないと納得のいく試合ができない。反則を仕掛けてこようと、汚い不意打ちを喰らわされようと、時には憎悪の感情が入り込んでいようと、それは構わない。
だが、相手と組み合った時に熱意を感じ合えなくなったら終わりである。ジャンボとの過去のシングル対決では、それを感じることができた。だが、この日のジャンボは違った。

[匿名さん]

#6472010/03/04 22:11
天龍同盟も解散したことだし、以前の通りのマイペースでやろうぜ…
ジャンボが、そう言っているようにしか思えない戦い方をしてきたのだ。魂に響くものは何もなかった。
「もう、辞めた!俺なんか、どうでもいい」
試合後、飲みに行った天龍は居合わせたスタッフやレスラーにキッパリ宣言した。
「俺、辞めるよ、全日本を。天龍同盟も解散したし、今日だってお客が入ったし、俺はすべてを入った時の状況にして全日本に返したつもりだから…」
したたかに酔った天龍は家にも帰らず、ホテルを取った。体が虚しさに包まれていたその時、急に長州の顔が浮かんだ。
「もし、寄り道する気になったら、連絡してよ…」
という3年前の長州の言葉を思い出したのだ。
すでに真夜中だったが、天龍は長州の自宅に電話を入れた。
奥さんが出て、長州本人は韓国遠征中だった。
しばらくしてSWS入りが決まった後、長州から電話があった。
「天龍さん、はやまったよ!」
だが、天龍には悔いはなかった。心の中に、ここまで一生懸命やってきたんだから、新しい道が開けるだろう。このままプロレス界に見捨てられる俺じゃないはずだ。という変な自意識があった。その裏には新日本があったかもしれないし、声をかけてきた桜田のことが頭にあったのかもしれない。

[匿名さん]

#6482010/03/04 22:30
最近になって天龍の師匠格にあたるザグレートカブキが雑誌のインタビューで4・19横浜の試合後の様子を語っている。
「源ちゃんに全日本を辞めてSWSに行くって打ち明けられたのは、ジャンボに負けた横浜(三冠戦)の後だったね。一緒に飲んでたら、源ちゃんが、俺、全日本を辞めますって。どうしたの?って聞いたら、実は…って泣きながら話してくれたよ。初めて涙を見たよね。あの男の。源ちゃんが、どうなるかわかんないから。やっぱり家族のある人は誘えない…って言うからさ、その時に俺も決意したんだよ。源ちゃん、俺も行くよ。連れてってよってね」
全日本を離脱後、カブキはマスコミ向けにSWS入りのコメントを
「何か足りないと思ったら、そこに天龍がいないから」
と語っていたが、真相は本当に最近(上記の内容)明かしている。
師匠カブキも相当に熱い男だ。

[匿名さん]

#6492010/03/04 22:44
天龍が辞表を持って行ったのは横浜から4日後の23日、キャピトル東急ホテルで馬場の前に座っていた。
「長い間、お世話になりました。一身上の都合により…」といった趣旨の辞表が二人の間にあった。
「俺の一存では決められんから、ちょっと考えさせてくれよ。でも、お前、考え直してくれよ」
というのが馬場の返事だった。
そして結論は2〜3日、待ってくれということだった。
その間にも桜田から電話が掛かってくる。
「どうすんの?ウチに来るの?」
「馬場さんが待ってくれと言っているから、返事を聞かないと、いいとも悪いとも言えないよ。もう少し時間をくれ」
と答えるしかなかった。
だが、馬場と会った翌日に、全日本の選手が全員集められていた。
「天龍はメガネスーパーに行く。もう、金も貰っているし、止めようがないから、残ったみんなで頑張ってくれ」
馬場はそう告げていたのだ。

[匿名さん]


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