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NO.570872

【風雲昇り龍】天龍源一郎【Revolution】
#5502010/02/17 23:56
今日もありがとうございます。この頃の天龍語録はキレがありますね。当時のジャンボは散々でしたが、その後、「キレたら」(笑)最強伝説が出るほどの支持を集めたんだからまあよかったんじゃないでしょうか。
ブロディキックを使うようになってからの鶴田の迫力はすごかったですね。シンプルだけど視覚的にものすごいインパクトです。

いよいよ鶴龍対決ですが、当時現場の最前線にいた倉持アナの著書の中に我々ファンでは気がつかないような鶴龍評があり、とても興味深かったです。

でも、個人的には大阪でブロディとやった三冠統一戦が強烈に印象に残っています。両者リングアウトっていうと普通は文句のひとつも言いたくなるのですが、この試合は気楽にそんなことは言えないような説得力がありました。

[匿名さん]

#5512010/02/18 12:22
自分も読んでます。

[元[ヒロ水筒]]

#5522010/02/18 16:31
おっ!ヒロさん。久しぶりだ。
徐々にみんな戻ってきてくれてるんですね。

今はこのスレ読んでくれてる人は5〜6人かな?

楽しみにしてもらっているみたいなので、できるだけ頑張ります。

ありがとうございます。

[元おっかけ]

[匿名さん]

#5532010/02/18 16:39
>>548続き
再戦は、またまた意地と技が交錯する好勝負となったが、何と鶴田がエキサイト!
天龍を血だるまにし、レフェリーもぶん投げて今度は反則負けを宣せられ、天龍の2戦2勝となった。
天龍はこの結末に激怒…と思いきや、
「ジャンボには完全に火がついている。これがある限り、ジャンボも捨てたもんじゃないし、戦いは向上していくよ。納得の反則裁定だよ」
と満足気なコメントを残している。

[匿名さん]

#5542010/02/18 16:44
鶴田vs天龍の鶴龍頂上対決がファンの心を掴んだのは、レスラーとしての技量、主張をぶつけ合うだけでなく、生き方、人間性、それこそ人生全てをぶつけ合う闘いだったからだ。
天龍は愛社精神、プロレスへの真摯な姿勢、試合で目いっぱい汗を流した後は若いレスラーやマスコミを引き連れて飲みに行くという豪放さがクローズアップされるたびに鶴田は逆の人生観をアピールしたのである。

[匿名さん]

#5552010/02/18 16:51
「僕は人間ができているから、何を言われても、何を書かれても怒らないんです。だから天龍の発言についても何も言わない。言うと天龍に利用されるだけだからね」
「天龍がオフに毎日、道場で汗を流してる?僕はゴルフやテニスで上品な汗を流しているから大丈夫なんだよ」
といった具合で、よく天龍は
「戦っているときには、そういう風に見えないから、発言を聞くと凄く裏切られた気になる」
と、ぼやいていたものだ。
もちろん、鶴田の発言は天龍と天龍ファンを挑発する意味も含まれていたが、鶴田には鶴田の強烈なプライドがあった。

[匿名さん]

#5562010/02/18 17:00
「天龍はよく、ファンのためと言う。僕もよく分かっているんです。でも歴史を振り返ると、ファンのためにという言葉で、いろんな事が繰り返されてきましたよね。僕はそうであっちゃいけないと思うんですよ。ファンのために。というのは、よく分かるんですけど、自分の生き方、プロレス観、人生観を曲げる必要はないと思ってます。プロレスラーっていうのは一生できないでしょ。だから現役のうちに人生設計を立てて、次の人生に困らないように、プロレス界に迷惑をかけないように、一般社会に通用するものを築いておかなきゃいけないと思いますね」

[匿名さん]

#5572010/02/18 17:08
「昔の侍とか豪傑じゃスポーツマンとして認められなくなりますよ。世間の見方が変わってきてるでしょ?昔は桂春団治の、芸のためなら女房も泣かす、で通用したけど、今はそれでは見る側が許さない。仕事が終わったら一般社会で通用する人間でいなければならないし、家族を大切にするからこそ人生設計するし、そのために一生懸命、仕事をする。それを何だかんだ言う人がいたら、それは間違い。僕の方が正しいと思ってますね。自分の人生設計をしっかりして、一生懸命プロレスやって、50代、60代になった時にプロレスやっててよかったな。という人生を送りたいんです。だから銀座で飲んでるから偉い、なんて論理はナンセンス。もちろん、その人の生き方としてはいいと思うけど、僕は全然、したいとは思わない」

[匿名さん]

#5582010/02/18 17:23
「僕自身、たかがプロレス、されどプロレスといったら、どっちかっていうと、たかがプロレスを強調し過ぎているとは思うけどね(苦笑)でも本当は、されどプロレスで一生懸命やってるんですよ。だけど、あんまり口に出したくないっていうか…人が見てるところでやったりとか、努力してるのを見せるのはカッコいいもんじゃないという考え方があるんですよね。プロは舞台裏を見せないというのがジャンボ鶴田流の美学というか。そこが僕と天龍の違いなんだろうけど、考え方は違っても、プロレスに対する情熱は持っているし、そうじゃなきゃ、この商売をやってませんよ。それに一生懸命やってなきゃ、この世界で何年もトップを張れるわけないでしょ?とにかく僕は眉間にシワを寄せて、常に考え事して歩くみたいなのは好きじゃない。ファンのためにプロレスをやってる。24時間、プロレスは命、よりもプロレスはプロレスで一生懸命やって、オフになったら自分の生活を楽しむ。リングを降りたら、明るく笑顔でいきたいですね」
と熱っぽく人生観を語ったことがある。
そして鶴田はその姿勢を平成11年3月6日、日本武道館における引退セレモニーで思わず涙をこぼす瞬間まで貫き通した。
ジャンボ鶴田は、やはり偉大なるプロレスラーであった。

[匿名さん]

#559
投稿者により削除されました

#5602010/02/18 20:04
今日もありがとうございます。
ジャンボは常識人すぎて、たまに天然をやってくれるのがなんとも憎めなかったですね。

ハンセンを下して、史上初の三冠統一の偉業を達成した時でさえ、ジャストミートのヒーローインタビューで、
「勝った者が一番強いんだ、俺がチャンピオンなんだ、誰でもかかってこい!」
と珍しくプロレスラーっぽい(笑)アピールをしてみたのに

ジャストミート「次は天龍との防衛戦ですが・・・」
鶴田(キレてるつもりの口調で)「のぞむところですよ!」
と場違いな丁寧語になり、会場の失笑を買ってました。

でもそんなジャンボが、天龍・三沢しかり、高い壁として立ちはだかることによって自分が輝くのだということに気がついたかつかなかったかわわかならいのですが
無理せず素の自分でその恵まれた身体能力を誇示するようになったら、自然とファンも支持するようになって、ようやく報われたように見えましたね。

あと、対世間という点では、ジャンボほど業界やレスラーに対する偏見に無言で戦って、結果を残した人はいないと思います。

こんなプロレス界の良心とも言える貴重な財産を失ってから、業界全体がガタガタっと崩壊への道を辿ったような気がしてなりません。

[匿名さん]

#5612010/02/19 16:44
↑初代50?

[匿名さん]

#5622010/02/19 16:53
>>558続き
天龍は当時を振り返って、こう語る。
「あの頃、何が面白かったって…本当に全人生を賭けてジャンボとやり合ったからね。それこそお互いに箸の上げ下げから気に食わないっていう状態だったから(苦笑)初めの頃、俺たちには移動バスがなくて、自分たちで電車を乗り継いで移動したりしてて…そうするとバスで楽に移動するジャンボたちを見て、のほほんとしやがって!とかさ、燃える材料を探してたと思うよ。反骨心、ジェラシー、不満、鬱積…すべてのことがリングに集約されて、発散されていたから、見てる人も面白かったんだと思うよ。」

[匿名さん]

#5632010/02/19 17:02
「でもね、俺は本当にジャンボに感謝しているんだ。相撲からプロレスに入った時にジャンボ鶴田です。よろしくって屈託のない笑顔で挨拶してくれてさ、巡業の時もバスの隣の席を譲ってくれて、俺も、気のいいアンチャンだなってスッと入っていけたんだよね。もしプロレスじゃそうはいかない、みたいな態度を取られてたら、俺のプロレスに対する取り組み方は違ってたと思うよ。アメリカで一緒にエルビス・プレスリーのコンサートに行ったり、俺が修行中にアパートに遊びに来てくれてチャンコを振る舞ったり…。人生観の違いとしたら…1歳しか違わないのに、俺は相撲しか知らなくて、かたやジャンボはギターを弾いてコンサートを開いたりとか、いろんな世界を知ってて、羨ましいなと思ったよ。だから俺は、ことさらジャンボとは違う世界へと夜の街に繰り出したんじゃないかな(苦笑)」

[匿名さん]

#5642010/02/19 17:14
お互いに、自分にないものを持っている相手をどこかで認めながらも、どこかで反発しあう…
その葛藤が日本マット史に残る名勝負数え唄を残したと言ってもいいかもしれない。
昭和62年6月4日に阿修羅と握手した瞬間から天龍は全身全霊で突っ走った。
前に書いたように天龍革命スタートから、わずか3ヶ月足らずの8月31日に鶴田との頂上決戦を制し、その3日後の9月3日には名古屋・愛知県体育館で阿修羅との龍原砲でS.ハンセン&A.アイドル組からPWF世界タッグ王座を奪取。
この8月〜9月シリーズの最終戦には川田と冬木が天龍同盟入りし、10月の「ジャイアント・シリーズ」では小川も天龍同盟入り、そして10月6日には再び鶴田との頂上決戦に勝利した。

[匿名さん]

#5652010/02/19 17:21
この年の最終シリーズ「87世界最強タッグ決定リーグ戦」に出場した龍原砲は12・11日本武道館における最終戦でS.ハンセン&T.ゴディ組と両者リングアウトになり、1点足りずに鶴田&谷津の五輪コンビに優勝を譲ったが、天龍は充実した1年を
「今年1年、面白かったよ、いろんな意味で。特に阿修羅と一緒にやった下半期は、阿修羅に励まされ、励まし…励まされたことの方が多かったけどさ、これから先、どんなことがあったとしても、この下半期のことは一生忘れることはないよ。川田や冬木にしても良くなってきたし、この1年を糧に来年も頑張らなきゃいけないな」
と笑顔で総括した。

[匿名さん]

#5662010/02/19 17:35
わずか半年でどれだけ凄いインパクトを残したか?
それはこの年の東京スポーツ・プロレス大賞の選考を見れば分かる。
何と、天龍は最優秀選手賞(MVP)、8・31鶴田戦で年間最高試合賞、阿修羅との龍原砲で最優秀タッグチーム賞のトップ三冠を独占したのである。
天龍同盟の勢いは63年に入ってからも衰えることはなかった。
3・9横浜文体で、若手、中継層の活性化を目標としていた川田&冬木のフットルースが3度目の挑戦にして石川敬士&マイティ井上組を破ってアジア・タッグ王座を奪取、その日のメインで天龍がハンセンとのUN&PWFダブルタイトル戦に勝って二冠王に。
何と天龍同盟はUN.PWF.PWF世界タッグ、アジア・タッグと、全日本の7大タイトルのうちの4つを手中に収めたのだ。
そして4月の「チャンピオンカーニバル」では天龍が、鶴田を破ってインターナショナル・ヘビー級王者になったキングコング・ブルーザー・ブロディと4・15大阪において史上初の三冠統一戦を敢行。
両者リングアウトで王座統一はならなかったが、これが現在の三冠ヘビー級王座のルーツになっている。

[匿名さん]

#5672010/02/19 17:45
このシリーズの最終戦の4・22川崎でブルーザー・ブロディ&トミーリッチ組相手にPWF世界タッグを防衛した後
「最初にハンセンを凌いで(3・27日本武道館、二冠初防衛)ホッとして、次にブロディと戦って(4・15大阪の三冠統一戦)やっぱりやってよかったと思った。ハンセンにはプロレスの凄さを、ブロディにプロレスラーの凄さを見させられたよ。ハンセン、ブロディを相次いで凌いで…プロレスで飯を食っているんだっていう職業意識っていうのかな、そういうのが出てきた気がするね。正直言って、今までの俺のバックボーンは相撲だったんだよね。相撲でやってきたから…っていうのがあったけど、今後は…このシリーズでの戦いが俺を支えてくれると思うよ」
と控え室でしみじみ語った天龍。
この言葉は今も名言としてマスコミ関係者の間で語り継がれている。

[匿名さん]

#5682010/02/20 14:00
今日もありがとうございます。

天龍とブロディの三冠統一戦では、攻めあぐねたブロディがトップロープからニードロップを出したんですよね。
私の知ってる限り、ブロディのトップロープからのニードロップはこの試合以外見たことがありません。
天龍が追求したまさに「痛みの伝わるプロレス」ですが、この試合はまともに画面を見ていられないぐらいでした。

暴露本などで小銭を稼いでる軽薄な人がいますけど、ショーアップ的要素は否定できませんが、天龍のこの体を張ったメッセージこそがすべての答えだと思います。

[匿名さん]

#5692010/02/20 14:15
>>568 に自己レスしますけど、
そんな天龍選手がハッスル参戦のニュースを聞いた時はさすがに目がテンになりました。
でもその後、可笑しくなって、「あれだけ若い頃キツイ試合をしてたんだから、ご祝儀でラクしてギャラもらってもいいんじゃないの〜」と思うようになりましたよ。

ご本人も、何か新しい試みをしたかったと思うんですけど、その辺の思うところを聞いてみたい気がしますね。

何はともあれ、この時代のレボリューションを「目撃」できたのは幸せなことだと感じています。

[匿名さん]

#5702010/02/20 17:52
>>567続き
この頃から天龍のコメントは他のレスラーとは違う味わいがあった。
友人で喋りのスペシャリスト・三遊亭楽太郎師匠も
「別に僕が教えたわけじゃないのに、最近はよく喋りますね」
とビックリするほど、天龍の毒舌は冴え渡る。
「ジャンボは風呂に浮いたフニャフニャのヘチマ。輪島はコーナーに止まったハエ」
という有名な天龍語録を始め、茶目っ気たっぷりな言動は枚挙にいとまがない。しかし、プロレスに自信がつくまでの天龍は無口だった。
以前書いたように、デビューから数年は挫折続きであったためか、分をわきまえる天龍は自ら口に封印していた。

[匿名さん]

#5712010/02/20 18:00
「ショッパイ試合をやっているのに、大きなことは言えませんよ」
天龍はこの時期、無愛想だと誤解されていた。
本当は、今のように能弁家だったのだが…
頭の回転が早いというか、洞察力が優れているというか、天龍語録はボキャブラリーが豊富だし、ものの例えもうまい。
それでいて風刺が利いているから、下手な落語家や評論家も顔負け、笑いのツボも心得ている。
「試合後のコメントや、取材していて一番楽しいのは天龍さんです。1時間ぐらいのインタビューでも、内容が豊富だし、短くまとめるのに苦労します。そのまま全部書いたら、2〜3週分の内容はありますね」
と、当時のプロレス専門誌の記者たちは嬉しい悲鳴をあげる。

[匿名さん]

#5722010/02/20 18:10
クドい猪木、理路整然とし過ぎる馬場、短かすぎて中身のない長州、マジメすぎて面白くない鶴田と藤波、などコメントにも各々にクセがあるが、リップサービスという点でも天龍がナンバーワンだ。と推す声が多い。
毒舌ジョークも天龍が言うと憎々し気に聞こえない。
茶目っ気あふれる天龍の生活からくるものだろう。
こんなエピソードがある。
巡業先での朝、付き人が天龍の部屋に電話を入れて起こすのだが、これもタダでは済まない。
付き人「もしもし、天龍さんですか。起きて下さい」
天龍「双羽黒です」ガチャン。

ありきたりの言葉では天龍は応答しない。

付き人「あのォ、昔、逃げ出した付き人ですけれど」

と、ひとひねり入れると「合格!」と言ってはじめて応答する。

[匿名さん]

#5732010/02/20 18:22
付き人の若手レスラーに、ジョークを言わせる事で、プロとして頭を使う事を教えるとともに、コミュニケーションを図っているのだ。
天龍らしい、また天龍ならではの後進の指導方針と言えよう。
また、天龍の風刺の効いたコメント。一般教養のネタ元となっているのが週刊誌。
「週刊テーミス」「週刊宝石」「週刊文春」「週刊新潮」当時、この4社に天龍シンパと言われる編集者がいることもあって、ネットワークも広く天龍の宴会に参加している編集者たちの書く記事に興味があったためか、巡業の移動中にはキッチリ読んでいる。
また、角界1の読書家と言われた天龍の相撲時代の師匠である、押尾川親方(元大麒麟関)の影響も大きい。

[匿名さん]

#5742010/02/20 18:34
元々、出不精でプロレスで旅をする以外は自宅にいる事が多い。
本を読んだり、テレビやビデオを見たり、ゴロゴロすることが好きなのだ。
楽太郎師匠率いる私設応援団がオフに天龍を連れて出歩く以外は、練習して家にいるオフが多かった。
この頃の天龍は真夏でも肌が真っ白だった。
「このクソ暑いのに、わざわざ外へ出て体を焼く奴の気持ちがわからない。肌は白いほうが健康を計るバロメーターになるんだから」
現在(数年前から)の肌の色を見る限り、恐らく長州力に勧められたんじゃないかな?と推測しているが…
しかしこの二人は、
長州「プロレスラーは六本木だよ」
天龍「いや、プロレスラーは銀座だ」
と、どこで飲むか(自分のテリトリー)という事まで意地の張り合いを展開する(笑)

長州が勧めたところで、天龍が日焼けサロンに行くとも思いがたい。

少々話が脱線しましたが、次回から、また天龍同盟の話の続きを書きます。

[匿名さん]

#5752010/02/20 21:55
いろんな角度からの天龍源一郎が読めて嬉しいですこういった裏話もまた盛り込んでください

[リッキー台風]

#5762010/02/21 18:24
鶴田との頂上決戦を制し、3日後、龍原砲で初タイトル奪取し、川田、冬木が天龍同盟入りしたシリーズ終了後、鬼怒川温泉で天龍同盟の合宿を行った。
全日本じゃなくて、天龍同盟だけの合宿をやってやるという意地もあった。
この合宿は天龍のプロレス人生の中でも楽しい思い出の一つだという。
取材に来たマスコミたちも一緒になって芸者をあげて、コンパニオンをワンサカ呼んで、飲んで、歌って大騒ぎだった。もちろん天龍個人の支払いで、領収書の額は、何と¥68万円!
帰りの天龍の財布には4万弱しか残っていなかった。「体を鍛えるために合宿に来たのに、体を壊して帰る破目になった…」
川田がブツブツ言っていたが、全員、本当にヘロヘロだったそうだ。

[匿名さん]

#5772010/02/21 18:49
天龍革命1周年記念日となった6月4日は五輪コンビ相手にPWF世界タッグの防衛戦。
この勝者が6・10日本武道館でインター・タッグ王者のロードウォリアーズとタッグ統一戦(現在の世界タッグ)をやることになっており、注目の大一番だったが、左腹部助膜軟骨亀裂骨折の負傷を隠して出場した阿修羅が谷津のジャーマンにフォールされて敗退。
それでも天龍は
「今日の負けは、何ら恥ずかしくない。何かが吹っ切れたよ。また追いつけ、追い越せだから!まあ、気がついたら1年経ってたなって感じ。よく押し通した。つくづく自分にも感心するよ。初めは気負いがあって不安も強かったよね。やらなきゃ仕方がないって感じだったけど…1年経って、何かをやらなきゃいけない!に変わってきたね」

[匿名さん]

#5782010/02/21 19:05
「試合じゃなく、精神面とかで誰にも負けないでやってきたっていう自負はあるよ。もうハッキリ言うけど、やっぱり最初は長州の影を引きずっていた。俺たちが全日本サイドにいた時に、そうはいかんぞっていうのがあって、今、俺たちがその場にいるんだよね。長州がいなくなって、タイミングよく俺たちがやったからマスコミの人たちも書いてくれて、それでファンも興味持ってくれてさ。うまく答えられないけど、何かが吹っ切れたね。長州の影も消えたと思うよ。始めた当初は、大きな夢と小さな希望だったけど…今は小さな夢が叶って、全日本にとっては大きな希望ができたんじゃないの?1年経ったら、小さな夢と大きな希望になったよ」
と清々しい表情で語り
「5人一緒の写真を撮ってくれない?」
と1周年の記念撮影。

[匿名さん]

#5792010/02/21 19:21
負けたにもかかわらず
「ほら、川田、笑えよ。小川もだ。オッ?何だよ、冬木、暗い顔するなよ。みんな笑え」
と笑顔でパシャリ。
この写真は後に冬木の引退セレモニーでパネルにして冬木に贈呈されたものである。
さて、この6・4札幌の天龍同盟1周年記念日の打ち上げは凄まじかった…
天龍が知り合いのスナックに蟹を持ち込んで、朝まで飲めや歌えや食えやの大騒ぎ。朝の7時に阿修羅と週刊ゴング小佐野編集長は朝飯(?)のラーメンをすすってホテルに戻ったという…
その後も巡業に同行したマスコミ陣の話では、朝10時出発の時、天龍は
「まだお祝いは続いているんだよ!」
とシャンペンを持ってバスに乗り込んできたという…(呆)それだけ1年間、突っ走ってこられたのが嬉しかったのである。

[匿名さん]

#5802010/02/21 19:33
タッグ王座統一はウォリアーズを破って五輪コンビが果たした。
誰もが天龍同盟の勢いは一段落ついたと思いかけたところに、思わぬところから牙を剥く連中が姿を現した。
タイガーマスク(三沢光晴)、田上明、仲野信市、高野俊二(拳滋)、高木功の5人組である。
天龍たちは相手が鶴田だろうが、輪島だろうが、若手だろうが、お構い無しにボコボコにやっつけていたが、彼ら五人は
「いつまでもコケにされていたら冗談じゃない。逆にやってやる!」
と決起軍というグループを作って向かっていった。
天龍革命の効果は、こんなところにも波及していた。

[匿名さん]

#5812010/02/21 19:43
次のシリーズは連日、天龍同盟vs決起軍のカードが組まれた。
天龍たちは、これ以上ないだろうというぐらいに彼らをブチのめした。
決起軍にとっては、ほとんど公開処刑に近い悲惨なものだった。
「トップの力はこれぐらいあるんだよ。これぐらいの事を越えていかないと上には行けないんだよというのを体で思い知らせてやった」と天龍は語っているが、あれはイジメにしか見えなかった…
毎日、誰かが天龍にイスでカチ喰らわされ、顔面を蹴り上げられ、ラリアットをブチ込まれて、血を流しながら、のたうち回っていた。
それでも喰らいついて離れまいと必死に向かっていった三沢、田上はその後、全日四天王と呼ばれるまでに成長する。
また、天龍同盟にいながら「馬鹿野郎!それがメインの試合か!?」
と毎日のように怒鳴られていた川田もそうだ。
天龍革命は、確かに全日本プロレスに何かを植えつけてきたのは間違いないだろう。

[匿名さん]

#5822010/02/22 18:18
1年が過ぎても天龍同盟のテンションが落ちることはなかった。
むしろ戦いはハードになっていった。決起軍との戦いの一方でスタンハンセンも大暴れ。
7・5小浜で阿修羅に顔面を13針も縫う大怪我を負わせたばかりか、シリーズ中の7月17日(現地時間)親友ブルーザー・ブロディがプエルトリコで急死した事で、さらに暴走に拍車がかかり、7・27長野では天龍の前歯を2本折り、さらには右目上部を15針も縫う大怪我を負わせてPWF&UN二冠王座を強奪。
龍原砲は共に欠場に追い込まれ、さらには無冠になってしまった。

[匿名さん]

#5832010/02/22 18:32
天龍と鶴田の戦いも激化の一途。
8・29ブルーザー・ブロディ・メモリアルIN日本武道館では、龍原砲が五輪コンビから世界タッグを奪取、しかも天龍が鶴田をスモールパッケージホールドで初の鶴田ピンフォールを達成。
ちなみにこの日行われたスタンハンセンvsアブドーラザブッチャーの日本初対決は両者の入場シーンだけでシビれ興奮した事をはっきり覚えてます。
翌日8・30大阪では逆に鶴田が天龍をフォールして王座奪回。
10・28横浜における1年ぶりの鶴龍頂上対決は天龍の蹴りが鶴田の下腹部の急所に入ってしまったことから大荒れとなり、天龍はレフェリーを無視して大暴走。
コーナーに崩れた鶴田をストンピング、張り手でメッタ打ちにして反則負け。
遂に鶴田に初勝利を渡してしまった。
この裁定に天龍は
「ファン不在と言われれば、何も返す言葉はないけど…ここでジャンボに舐められたら一生、こいつの上に行けない。目にもの見せなければという気持ちだった」
と語っている。

[匿名さん]

#5842010/02/22 18:45
スタート当初は「長州維新軍の焼直し」「所詮は全日本プロレス内部だけのコップの中の嵐で発展性はない」と冷ややかな見方もされた天龍革命だが、昭和62〜63年の真摯な活動は全日本のレスラーの意識改革だけでなく、他団体のレスラーにも多大な影響を与えた。
まず動いたのは新日本プロレスの藤波辰巳だ。
藤波は昭和62年6月12日、両国国技館において、長州の呼び掛けに応えて、前田日明、木村健吾も引き入れて、猪木らに、新旧世代交代の世代闘争を迫るニューリーダーズを結成。余談だが、この様子をテレビで見ていた馬場は長州の言動に「この男は何を勘違いしてるんだ?」と怒りを露にしたという。
藤波は、折しも天龍革命をスタートさせたばかりの天龍に、ある仲介者を通じてコンタクトを取り、6月16日に会談を実現させた。
さらに同年暮れには週刊ゴング新年号用の対談で再会して意気投合。
そんな中で天龍に触発されたのだろう、明けた63年4月、新日本プロレスを改革するべく飛龍革命をぶち上げたのである。

[匿名さん]

#5852010/02/22 18:58
4月22日、沖縄・奥武山体育館で藤波は猪木と師弟コンビを結成してベイダー&マサ斎藤組と対戦。
試合はベイダーが猪木を痛ぶった上での反則負けとなったが…
問題は控え室。すでに猪木vsベイダーの大阪&東京2連戦は決まっていたが、藤波は
「ベイダーとシングルでやらせて下さい。もう、いい加減にやらせて下さい。東京と大阪の2連戦はハッキリ言って無理です。俺たちは何なんですか!?」
と猪木に迫ったのだ。
いつまでも猪木主役で動く新日本の体制に本人の目の前で「ノー」を言ったのだ。
「もう何年続いているんですか…何年、これが!」(藤波)
「だったらぶち破れよ。遠慮することねぇや。遠慮されたら困るんだ」(猪木)
「遠慮じゃないです。これが流れなんですよ、新日本プロレスの。そうじゃないですか!」(藤波)
「やれるのか本当に、お前…」と猪木は言うなり、藤波の左頬に張り手!
すかさず藤波も猪木の左頬を張り返し、救急箱からハサミを取り出すと、自らの前髪をジョキジョキ切りながら
「やりますよ、俺は大阪で進退を賭けます!」
と外に飛び出してしまった。

[匿名さん]

#5862010/02/22 19:08
この後、翌23日の宜野湾大会で猪木が足を骨折の怪我をして欠場を余儀なくされたこともあって藤波の主張が通り、藤波とベイダーの2連戦が決定。
4・27大阪でリングアウト勝ちした藤波は5・8有明コロシアムでは猪木が返上したIWGPヘビー級王座をベイダーと争い、これにも勝利して第2代王者に輝いた。
一気に新日本のエースに躍り出た藤波は8月8日、横浜文化体育館で猪木の挑戦も60分時間切れ引き分けで退けて、飛龍革命を満天下にアピールした。
この飛龍革命について藤波は
「プロレス界の厳しい現状の中で、天龍はあれだけ体を張って話題を提供し、業界を必死に盛り上げてくれている。それに対し、彼にも、そしてファンにも申し訳ない。新日本は俺の力で変えてみせる!」
と語っていたものだ。

[匿名さん]

#5872010/02/22 19:20
藤波と同じく、天龍に触発されたのが前田日明だった。
前田は昭和62年11月19日の後楽園ホールで背後から長州の顔面を蹴撃したことで63年3月1日付で新日本を解雇され、5月2日に新生UWFを旗揚げし、その後、社会現象と言っていいほどのUWFブームを作り上げたが、その旗揚げ直前のインタビューではこう答えている。
「天龍選手はね、昔、新日本でやっていた、輝きのプロレスをやっているんだよ。目いっぱい攻めて、目いっぱい受けて…。今、それをやるとどうなるか。仲間内に嫌われるんだよね。きっと風当たりが強い中で、にっちもさっちも行かない時もあったと思うけど、賛同者も出て、大したものだと思うよ。俺も天龍革命とは違った革命をしたいね。プライドはきっと同じだよ」
目指す方向性、スタイルは違っても「プロレスを舐めるなよ!」というプライドは同じ。
前田は旗揚げ直前の不安の中で、全日本という大きな組織をわずか数人の仲間だけで変えていった天龍に希望を見い出し、勇気づけられていた。

[匿名さん]

#5882010/02/22 22:21
天龍革命の全日本は毎回でしたが、Uインターと新日本、8並びの日に藤波に挑む猪木…ファンが身を乗り出して狂喜乱舞していましたね8並びの師弟対決の時に身を乗り出していた坊主頭のドラゴンファン…今もプロレスファンと信じたい。


物心ついたら猪木ファン、自分の意志で長州と前田ファンになった。けど、今は天龍源一郎がナンバーワン。こんなカッコイイ60歳はいない。さしずめ昔のクリント・イーストウッドか、昔のポール・ニューマンだろう。天龍源一郎の人間性が大好き。小佐野さんゴングで引き込まれ、このスレで大好きになりました

[リッキー台風]

#5892010/02/23 13:06
>>569
>ご本人も、何か新しい試みをしたかったと思うんですけど、その辺の思うところを聞いてみたい気がしますね。

↑その辺の思うところを天龍本人が語っている映像が現在youtubeで見られますよ。
2009年12月23日NHK福井放送で放映した
「すべて天龍の生き様〜プロレスラー・天龍源一郎〜」

地元、福井県勝山市での取材。
昔遊んだ神社。そこにいまだ残る少年時代の思い出の土俵。
同級生との再会。
ウグイを捕まえに行った九頭竜川…
番組後半に地元への想いを聞かれ、思わず涙する天龍。
ファンはもちろんの事、そうでない方も必見です。

ハッスルに対する考え方も語っています。
(また、スレの後半で書きます)

[元おっかけ]

[匿名さん]

#5902010/02/23 14:15
>>585猪木が素で髪切りを止めに入ったww

[匿名さん]

#5912010/02/24 08:58
(昨日読んだ紙面から)天龍選手はパワーボムはみんなが使うから使わなくなったそうですフィニッシュとしては約八年封印してて、3・14の初代タイガー戦に予告パワーボムしてますよ名だたるレスラーほとんどが天龍選手のパワーボムでフォール取られてますね。

[リッキー台風]

#5922010/02/24 20:23
>>587続き
UWFの格闘プロレスはプロレスファンばかりか一般の人も惹きつけた。「UWFは従来のプロレスの敵」と呼ばれるまでになった。
そんな中でプロレスを追求する天龍はUWFをどう捉えていたのか?
天龍はズバリ、前田とUWFの姿勢を認めていた。
「旗揚げ戦のビデオも見たよ。だって興味あるじゃない。俺たちは客が入ってなくても、テレビのない興行でも一生懸命やるってことを肝に銘じてやってきたけど、UWFを見てて、ああ、テレビがなくても、こんなに必死になってやってる人がいるんだなって、共鳴できる部分があるよね。まあ、前田選手が進化するプロレスなら、俺は、今まで使ってきた技もこれだけの体力と力があれば…プロレスの技も捨てたもんじゃないよっていう、掘り起こすプロレスかな。前田選手が進化なら、俺は深化だよ」
と語っていた。

[匿名さん]

#5932010/02/24 20:33
これを伝え聞いた前田は
「当たってるよ、天龍さんが言ってるの。天龍さん、よく見てるというか、よく知ってるというか(苦笑)天龍さんは掘り起こしているって言ってるけど、今のプロレスはデフォルメされて型だけで残っている技ってあるんだよね。そこで天龍さんはどうやったら本来の効くものになるのかって、その技本来の姿を追求している部分があるんだけど、UWFにしても、やってることはそんなに変わらないんだよね。自分らの場合は、どうせやるなら、キッチリと一からやりましょうという事で…基本的には天龍さんとそんなに変わらないんじゃない?俺と天龍さんの共通点はレスラーとして、どこにプライドを持っているかってところだね。プロという部分でどこにプライドを置くかという点で…考えるだけじゃなく、実践しているよね」
と、スタイルは違っても、思想は同じだということを熱っぽく語った。

[匿名さん]

#5942010/02/24 20:48
鍛え上げた体で相手の技を真っ向から受け、その代わりに自分も容赦なく攻めるという天龍プロレスと、見せる部分や受ける部分を一切排除して勝負のみに徹するUWFスタイルは水と油のようだが、前田は天龍の素人には真似ができない受け身と攻める時のシビアさを認め、天龍はスタイルに関係なくプロレスラーとしてのプライドを大事にし、新しい何かを追求しようと前田の真摯な姿勢を認めていたのだ。
平成9年7月6日の両国国技館における「WAR旗揚げ5周年&レボリューション10周年&天龍プロレス20周年」
に前田が花束を持って駆けつけ、平成11年2月21の横浜アリーナにおける前田引退試合に天龍が駆けつけたのも、目指す道は違っても心の奥底で、同士という気持ちを持ちつづけていたからだろ。

[匿名さん]

#5952010/02/24 21:53
>>592

当時は長州の新日Uターンやたけし軍団・巌流島・海賊など次々の企画倒れでファン離れが凄く、冬の時代と呼ばれていましたね。
天龍&前田はそんな中で、ファンの心の拠り所になっていました。

天龍同盟の当時の草の根的プロレスで離れていたファンが戻ってきて、一連の三冠統一戦の終わり頃から、全日本の客入りが急に伸びていくのを実際に目撃しましたが、89年のあの伝説の武道館決戦(6・5)で一気にブレイクして、その後の全日本は長期にわたり武道館&首都圏満員神話を樹立するんですよね。

天龍革命は、その試合内容の厳しさがどうしてもクローズアップされるのですが、ファンが安心してチケットを購入できる>観客動員増 という別の革命があったことも忘れてはなりません。

[匿名さん]

#5962010/02/25 21:15
1年が経過しても失速することなく全力疾走を続けていた天龍同盟だったが、そんな中で気がかりだったのは阿修羅の怪我が多くなったことだった。
以前から腰と両膝に故障を抱えていたが、1年を過ぎる頃には腰をグルグル巻きにテーピングし、両膝共に水が溜まってブヨブヨの状態。
普段は腰を丸めてノソリノソリ歩き、控え室でも腰を曲げてジッと座っているような状態だったのだ。
それでも出番が来ると
「源ちゃん、そろそろ行くかね。今日も一丁、ぶちかますか!」
と立ち上がって颯爽と花道に進み、試合が始まって相手のタックルで受け身を取るや、別人のようにシャキンとなって全力ファイトをするのだから、そこには一種独特の凄味があった。
「俺の生き甲斐は天龍と戦うこと。いつ組まれるか分からないカードを待っているよりも、組んで競い合う方法もある!」
と天龍と組んだ阿修羅だが、時間の経過とともに意識も変わっていった。

[匿名さん]

#5972010/02/25 21:24
「もちろん、そういう気持ちはいつもあるし、その火は消えてないよ。未だに二人きりだったら、そういうものがズーッと続いていたかもしれんよ。ところが源ちゃんがベルトを獲り、俺とタッグを獲り、若いのが3人(川田、冬木、小川)増え、またアジア・タッグも…と、こうなってくると、守りじゃないけど、チームという感覚が出てくるんだよね。そうすると、とりあえず源ちゃんはライバルだけど、内を固める方が自分個人より出てくるじゃない。基礎ができてからのスタートではなかったから特にね。俺は番頭はんじゃろ(笑)まあ、体は…プロレス入りした時からベストじゃないからね。精神は100%に近いところまで持っていけても肉体は不可能だからさ。もちろん、ちょっとでも長く続けたいけど、セーブできる性格でもないし、いつまで持つか分からん(笑)」

[匿名さん]

#5982010/02/25 21:35
「でもね、プロレスを始めて10年目にして、俺はプロレスをやっている!と実感できたことを天龍源一郎に感謝しているよ。まあ、俺と源ちゃんが戦ったら…100%攻めるだろうし、100%受けるだろうし、あとの試合が続かなくなってしまうファイトになる予感がする。そうなりゃ最後かなって気がするというか、最後にやりたいという気持ちが強くなっているのかな…。結局、目標であった天龍と戦って、真っ白な灰になって現役を退くのかなってチラッと思うね。俺にはもう、天龍源一郎…彼しかいないんだよ。源ちゃんと目いっぱい戦って…それで真っ白になれたら本望だよ」
と、阿修羅は1周年を過ぎた時点でのインタビューでしみじみと語っていた。
また、折に触れて
「これで三沢(タイガーマスク)がこっちに来てくれたら、俺も安心して退けるんだけどな」
と親しい記者に言っていたものだ。
また小佐野編集長は阿修羅から
「来年(昭和64年=平成元年)の春に退こうと思っている」
とも打ち明けられている。

[匿名さん]

#5992010/02/25 21:44
だが、阿修羅の「最後に源ちゃんと戦いたい」という夢も「来年の春に退きたい」という望みも叶わなかった。
10月1日開幕の「ジャイアント・シリーズ」を腰痛の悪化によるものとして、開幕から第7戦の10・12鹿児島大会まで欠場したのである。
急な欠場で「また失踪グセが再発したのではないか」という噂まで出たから穏やかではない。
10月14日から復帰した阿修羅の口からは
「こういう状況になると、カッコいいことは言ってられんね。源ちゃんと最後に戦って、真っ白になって、この世界から退きたいって言ったけど、それも無理かもしれん。その前にボロボロになりそうだよ」
と弱気な言葉しか出てこなかった。

[匿名さん]


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