これが昭和の時代であれば、大船渡高校の監督は「愚かだ」「選手を甘やかしている」「他の選手の気持ちをどうするんだ」「高校や地元の名誉に傷をつけた」と大批判を浴びていただろう。しかも、何十年も。佐々木投手は「甘えている」「自分のことしか考えていない身勝手」とこれも徹底的に非難されたであろう。何十年も。
私見だが、高校野球的な「一種の全体主義」は、日本が太平洋戦争後にどん底から這い上がる上での、必要不可欠な「スクラム」としての全体主義ではなかったかと思う。
ぼくは昭和46年(1971年)生まれだから、「見てきた」わけではない。しかし、推測するに、戦後のどん底から復興、高度成長を日本で行うためには皆が一致団結して一つの目標、「日本の復興」のために肩を組んで、前を向いて歩くことが必要不可欠だったように思う。その象徴が例えば美空ひばりの歌う「リンゴの唄」だったのだろう。
現在でもそうだが、国民国家がナショナリズムを発揮するために、スポーツは格好のツールである。「巨人、大鵬、卵焼き」に代表されるように、戦後日本の少年たちを鼓舞したスポーツは野球と相撲であった。あとは、力道山らのプロレスだろうか。
しかし、プロレスは「ごっこ」以外はあくまでも「見るスポーツ」であって「やるスポーツ」ではなく、相撲も次第に「やる」から「見る」に移行していった。「ナウい」ことが大事であった1980年代には相撲は「やるスポーツ」としては「ダサい」ものになっていた(ナウいとかダサいの意味がわからない人はWikipediaで調べてください)。
昭和の時代、「やるスポーツ」としても「見るスポーツ」としても、野球はオンリーワンの地位を占めており、運動の得意な少年はたいてい野球少年になった。高校野球の人気も絶大であった。甲子園で活躍する選手は地元の名士として何十年も語り継がれたし、甲子園で致命的なエラーでもしようものなら、それも長年、語り継がれた。
私見だが、高校野球的な「一種の全体主義」は、日本が太平洋戦争後にどん底から這い上がる上での、必要不可欠な「スクラム」としての全体主義ではなかったかと思う。
ぼくは昭和46年(1971年)生まれだから、「見てきた」わけではない。しかし、推測するに、戦後のどん底から復興、高度成長を日本で行うためには皆が一致団結して一つの目標、「日本の復興」のために肩を組んで、前を向いて歩くことが必要不可欠だったように思う。その象徴が例えば美空ひばりの歌う「リンゴの唄」だったのだろう。
現在でもそうだが、国民国家がナショナリズムを発揮するために、スポーツは格好のツールである。「巨人、大鵬、卵焼き」に代表されるように、戦後日本の少年たちを鼓舞したスポーツは野球と相撲であった。あとは、力道山らのプロレスだろうか。
しかし、プロレスは「ごっこ」以外はあくまでも「見るスポーツ」であって「やるスポーツ」ではなく、相撲も次第に「やる」から「見る」に移行していった。「ナウい」ことが大事であった1980年代には相撲は「やるスポーツ」としては「ダサい」ものになっていた(ナウいとかダサいの意味がわからない人はWikipediaで調べてください)。
昭和の時代、「やるスポーツ」としても「見るスポーツ」としても、野球はオンリーワンの地位を占めており、運動の得意な少年はたいてい野球少年になった。高校野球の人気も絶大であった。甲子園で活躍する選手は地元の名士として何十年も語り継がれたし、甲子園で致命的なエラーでもしようものなら、それも長年、語り継がれた。