GPZ400とZ400GPも一時期乗ってたな~
ホーク2もだ!
やかんにザリガニに
[匿名さん]
◇慶応高校(神奈川)というのは昭和50年代から髪型は
自由で、雑誌でもそのことが取り上げられた。当時は珍しかった。
◇80年(昭和55年)全国高校野球選手権大会で
横浜高校(神奈川)-江戸川学園取手高校(茨城)のカードがあった。
横浜高校は愛甲猛(中日ドラゴンズ)-片平保彦(横浜大洋ホエールズ 現・DeNA)の
バッテリーが全国制覇を成し遂げた瞬間に抱き合っているシーンがなつかしい。
控えには伊藤晃(日本ハムファイターズ)らがベンチに入っていた。
81年同大会では鹿児島実業高校(鹿児島)-
仙台育英高校(宮城)というカードがあった。
鹿児島実業高校は山田哲生(法政大学-東京ガス)の力投で
仙台育英に勝利。雨中でぬかるんでいる中、技巧ピッチングで抑えた。
同高校が初戦突破を果たしたのは、あの定岡正二(読売ジャイアンツ-
野球解説者)を擁してベスト4入りしたとき以来だった。
久保克之監督(当時)は「まだ、課題は多い」としながらも、
久々の勝利に白い歯がこぼれ、上機嫌だった。
昭和46年生まれ以降の方は記憶にあると思う。
[匿名さん]
東洋大姫路高校(兵庫)、PL学園高校(大阪)、横浜高校(神奈川)、
箕島高校(和歌山)、報徳学園高校(兵庫)、八千代松陰高校(千葉)など、
むかしは全国甲子園大会に出場する
チームはみな丸刈り頭だった。
八千代松陰などは野球部に限らず、バレーなど
他のクラブもすべて丸刈り頭にしていることで有名だった。
全国選抜甲子園大会に創立2年目の
スピード出場を果たした学校。
東海大一高(静岡)、国見高校(長崎)などサッカー部は
角刈りのチームもあったかもしれないが・・
[匿名さん]
「関東大震災」1923年(大正12年9月1日
11時58分32秒)からちょうど100年。
昨年亡くなった伯母から
幼いころよく聞かされた。
祖母から抱きかかえられて避難所へ
向かった記憶がかすかにあったそうだ。
[匿名さん]
クラッシック作曲家・バッハが、自分の音楽を批判されても
信念を貫いた一生を放映したのは昨日のことように感動した。
羽黒高校(当時・羽黒工業高校)敷地内にある国内唯一の
公安委員会指定自動車教習所が取り上げられたことがあるんだ。
「なるほど・ザ・ワールド」(フジテレビ系)は愛川欽也、
楠田枝里子、黒柳徹子らが出演していた番組、今で
も懐かしく鮮明に記憶しているんだ。
[匿名さん]
モスライスバーガーの発売が開始されたのが体が震えるほどの
衝撃だったのを今でもはっきりと記憶している。
ハンバーグをライスで挟むというのが斬新で「よく考え付いたな」と感心したんだ。
『きんぴら』より『つくね』のほうが旨いと思ったんだ。バブルがはじけた
ばかりの91年(平成3年)。日本は不況だったんだ。
ただ多少落ち込んではいてもまだ消費意欲があり、
商売が繁盛していたあの頃が心から懐かしいんだ。
[匿名さん]
水野晴郎氏テレビでの洋画解説は役柄の心情を的確にとらえた
穏やかな語り口で良かったんだ。
映画解説のシーンをモチーフとしたジーンズのブランド『リーバイス』CMも好印象だった。
ジェームス・ディーンの乗馬シーンを映しながら「ジミーも
リーバイスをはいているんですねぇ」と仰っていた。
[匿名さん]
私の母校では1月中旬に卒業試験があり、単位を取っていれば
1月下旬からは学校へ行かずに済んだんだ。
電子レンジを買いに行ったり、性病科に通って淋病を完治させたり、
アレルギーの薬をクリニックにもらいに行ったりしていたのが懐かしい。
入社前研修もあったりして、いつも暇ではなかった。
「会社へ貢献できる人間になって出世競争を勝ち抜いて必ず社長になる」という
不退転の決意を持たなければいけないと誓いを新たにしたんだ。
[匿名さん]
若いころは
貧乏だった。
ギア付きだけど、ママチャリ
しか購入できなかった。
原付もヤマハTRYだった。
友達のDJ1Rに乗車したことがある。
スクーターの割に速かった~。
スポーツタイプより
速かったと思う。
山間部を走った。緑に囲まれて
気持ちよかったよ。
緑を見ると気分が
晴れやかな気持ちになる。
[匿名さん]
ホンダDJ1のCMで流れてたのはアニーのDJ In My Lifeだな。
たまにカラオケで歌うわ。
シブがき隊のカバーじゃなくてもちアニーの方。
[匿名さん]
◇友だちが自動二輪『RZ250』に乗っていた。
KawasakiやSUZUKIに比べると
音が独特で、見なくてもすぐわかった。
◇80年(昭和55年)秋季高校野球東北大会は
地元・山形市開催ということもあり、3校が進出した
(当時は各県から2校ずつが代表)。
仙台育英学園高校(宮城)12-1山形電波工業高校(創学館高校)
三沢高校8-0山形商業高校
秋田経済大学附属高校(明桜高校)7-1鶴商学園高校(鶴岡東高校)
上のように皆が初戦敗退で、
県高野連の職員はみな落胆していた。
当時の山形勢はまだ弱くて、記憶が間違えてなければ
夏の全国選手権大会は通算4勝しかしていなかったと思う。
[匿名さん]
鹿児島県の鹿児島実業高校(鹿実)について。
95年(平成7年)1月のサッカー全国高校選手権で静岡県代表の静岡学園
との両校優勝に続いて
96年3月~4月の全国センバツ高校野球大会で優勝した本当に素晴らしい高校なんだ。
山形勢は高校野球において日大山形高校が73年と90年の8月に
開催した全国高校野球選手権で同校と対戦しているんだ。
戦績は、というと73年は山形勢夏の初勝利をおさめたが、90年は内之倉隆志さん
(ソフトバンクホークスなどで活躍)が主軸のチームに0-9と大敗したのは
覚えている人も多いと思う。
内之倉さんについては
「素材は元木大介(大阪・上宮高校-読売ジャイアンツ)以上だ」と
評された本当にパワーのある打者でしたよね。
今でも鮮明に思い出せるんだ。
[匿名さん]
運動会でフォークダンス。好きな人娘が近づくと曲が終わる(笑)
[匿名さん]
◇スクーターはヘルメットなしで気軽に乗れた。
昭和61年のヘルメット義務付け1ケ月前に
白バイ警察官に呼び止められヒヤッとしたが、職質だけだった。
「メット持ってるか?来月から義務付けだから用意しておけよ。
気をつけろよ。一気に逝ってしまうぞ」。
◇昭和40年生まれが高校2年生、同41年生まれが
高校1年生時の昭和57年も秋季高校野球県大会は行われた。
勝ち上がり東北大会へ進んだのは酒田商業高校
(酒田光陵高校)と米沢中央高校だった。
大型投手・水落富士雄を擁した酒商は打力もあったが、
優勝チームの東北高校(宮城)と対戦する不運で初戦敗退。
米中央は渡部秋彦、加藤真二(本田技研・現Honda)の
二本柱を擁した強力投手陣とパワーのある打線で
秋田工業高校(秋田)に競り勝ったが、
2回戦で学法石川高校(福島)に惜敗。
クレバーな投球の渡部と力強い速球の加藤という
2枚看板で、全国選抜高校野球大会出場ができると思ったが・・
[匿名さん]
TSUTAYAなどが出来るよりもずっと前のことだけど
レンタルレコード店というのが存在していたんだ。
よく借りに行っていた。
学校生活と恋愛を絡めた歌が甘酸っぱくて好みだった。
卒業写真(荒井由実さん)卒業(沢田聖子さん)制服(松田聖子さん)、う・ふ・ふ・ふ(EPOさん)
ロックン・ルージュ(松田聖子さん)春の歌’松山千春さん)
沢田聖子(しょうこ)さんという歌い手は最初は全く知らなかった。
『卒業』というアルバムを宣伝するCMを見て初めて知った。
「青春エピローグ」という楽曲の『学生たち~の~賑わ~う~みせ~で~』
というサビの部分が流れて良さそうだと思って借りたのを昨日のことのように思い出す。
「卒業」(82年<昭和57年>3月20日発売)
というアルバムの中に入っていた曲です。
両ソングともに今聴いても胸を打つ。
今の若い人たちにも聞いて欲しい。そんな名曲なんだ。
[匿名さん]
電車の中でタバコを吸えた。ホームで吸ってポイ捨ては常識。
[匿名さん]
83年(昭和58年)のNHK大河ドラマは今と同じ徳川家康が主人公だったんだ。
そのものズバリの「徳川家康」(主演は名優 滝田栄さん)。
家康は、小学校時代に伝記をいくつも読んだが人物像がつかめなかった。
先生も「お前はほかの生徒よりもかなり優秀だが、家康の人格を理解するのは
小学生には難しい」「だがお前はいつか家康を超える人間になるんだぞ」とおっしゃった。
それだけにこのドラマは気合を入れて見たんだ。
他には、小学生らしく
「8時だよ!全員集合!」 「欽ちゃんのどこまでやるの」
「天才たけしの元気が出るテレビ」、「笑っていいとも!」
「今夜は最高!」「みごろ!たべごろ!笑いごろ!「ハレンチ学園」
「11PM」「ウィークエンダー」「トゥナイト」「ギルガメッシュないと」
などの番組を楽しんだんだ。
[匿名さん]
タクティクスつけてたな~
ギャツビーのオーディコロンに
[匿名さん]
中学の時に細いエナメルベルトとか
豹柄のベルトしてたな。
[匿名さん]
吉村禎章さんという名選手がいたんだ。(1963年<昭和38年>生まれ 元読売ジャイアンツ所属)
PL学園高校(大阪)時代の81年『全国センバツ高校野球大会』に出場し優勝の原動力となった。
東海大工業高校(現・東海大静岡翔洋高校/静岡)の好投手・成田さんが
投じた唯一の失投を本塁打にして勝負を決めた打撃はお見事と唸るしかなかった。
この学年には超高校級左腕投手が目白押しだった。工藤公康さん(名古屋電気高校-西武ライオンズ)、
西川佳明(PL学園-法政大学-南海ホークス)、古溝克之(福島商業高校-専売東北-阪急ブレーブス)
活躍した場面を今でもはっきりと覚えている。
園川一美さん(九州学院高校<熊本>-ロッテオリオンズ)、 高木宣宏さん(北陽高校<大阪>-広島東洋カープ)。
この方たちもプロ野球で活躍を果たした。
[匿名さん]
バレーボール界では川合俊一さん。(誕生日は63年2月3日)
83年(昭和58年)ロサンゼルス五輪アジア予選中国戦での
横からジャンプしてスパイクする「流れ攻撃」による奮闘は今でも語り草ではないか。
スポーツタレントの走りの一人と言ってもよいでしょう。
アナウンサーでは福澤朗さん(63年9月14日生まれ
元・日本テレビアナウンサー 現・フリーアナウンサー)
「アメリカ横断ウルトラクイズ」(日本テレビ)などの大型番組に抜擢された。
真剣さと飄々とした語りのバランスが素晴らしかった。
[匿名さん]