554
2022/12/15 22:12
爆サイ.com タイ版ロゴ

海外画像総合





NO.5463894

歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り
皆様、ご無沙汰してます。
今年は真田氏から気持ちを切り替えて2019年NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」より、主役の井伊直虎ゆかりの地を訪れてきましたので、ここにレポートしていきます。

またよろしくお願い致します。


#552017/04/15 20:54
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #55の画像
>>52
こちらが境内図です。

四季折々の庭園の風景が記載されています。

[シノ◆NzRmZDA5]

#562017/04/15 21:00
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #56の画像
>>55
こちらは井伊家のお膝元、龍潭寺を含めた井伊谷の史跡を紹介しています。

[シノ◆NzRmZDA5]

#572017/04/15 21:44
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #57の画像
>>56
大門手前の案内板には、井の国と呼ばれた井伊谷と井伊家発祥について解説されています。

この井の国は井伊谷川、神宮寺川が交差する位置にあるため水が豊富で、古代から生活の場として栄えていました。

その古くは縄文時代まで遡り、数多くの古代遺跡が残されています。

また、四世紀半ばの古墳時代に数々の古墳が造られていることから、古代の井伊谷には井の国の大王が住んでいたと言われています。

こちらに名前があがっている井伊家の初代井伊共保(ともやす)については後程出生の井戸のレポートで詳しく解説します。

[シノ◆NzRmZDA5]

#582017/04/15 22:05
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #58の画像
>>57
これが龍潭寺山門の大門です。

屋根に注目して下さい。

左側に井伊家家紋の「橘紋」、右側に「井」の一丁字の井桁紋があしらわれています。

明暦2年(1656年)創建の四脚門造で、瓦の一部には室町時代からの古瓦も使用されています。

山門の正面は石垣造で構成され、井伊家の守り砦として城郭をイメージして造られているようです。

[シノ◆NzRmZDA5]

#592017/04/15 22:50
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #59の画像
〈龍潭寺と南渓瑞聞〉
龍潭寺の歴史は古く、奈良時代の高僧行基によって開基されたことが始まりと伝えられています。

平安時代から井伊家の菩提寺となり、境内には初代井伊共保から24代目直政まで歴代の墓所が安置されています。

同時に南北朝時代に井伊家と共に北朝と戦った南朝の後醍醐天皇の皇子、宗良親王(むねよししんのう)の菩提寺でもあるため、菊の御紋入りの瓦も多く遺されています。

室町時代に入ると、井伊家20代当主井伊直平に帰依された黙宗瑞淵(もくしゅうたんえん)禅師が新たに龍潭寺の開山となり、遠州地方に京都妙心寺の流れを組む臨済宗を広め、臨済宗妙心寺派の法灯を伝えています。

井伊直平の次男(養子の説もあり)で直虎の大叔父である南渓瑞聞(なんけいずいもん)は出家して龍潭寺の僧となり、直平が招いた黙宗瑞淵禅師のもとで修業後、龍潭寺二世となります。

戦国時代初期、武家の家系では次男は出家を強いられる風習があり、井伊家も例外ではなかったようです。

そしてこの南渓和尚が絶滅寸前の井伊家を救う重要人物となります。

[シノ◆NzRmZDA5]

#602017/04/15 23:44
>>58
シノさん、お疲れ
今日は終了か?
いい趣の三門だな
こんな所に行ってみたいよ
おやすみ、また明日な

[坂本◆YmU4N2Ni]

#612017/04/16 00:03
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #61の画像
〈次郎法師の出家〉
同じく直平の子の井伊直満が謀反(むほん)の罪を疑われ今川家に抹殺されてしまいます。

今川の火の手はまだ幼かった直満の息子亀之丞(後の井伊直親)まで及び、命を狙われることになります。

今川の追手から逃れるため井伊谷を後にした亀之丞はやがて音沙汰もなくなり、逃避行中に亡くなったと噂されます。

その噂を耳にした許婚の直虎(幼名不詳、ドラマではおとわ)は悲嘆にくれて龍潭寺に出家し次郎法師と名付けられました。

10年余りの歳月を経て帰国を許された亀之丞は元服して直親と名乗ります。

しかし、すでに出家の身となってしまった次郎法師は直親と結ばれることなく、直親は井伊家家臣奥山朝利(ともとし)の娘を正室に迎え嫡男の虎松が誕生します。

この虎松こそ、後に徳川四天王として活躍する井伊直政です。

画像は龍潭寺庫裡内に安置された井伊直虎像のダウンロードです。

[シノ◆NzRmZDA5]

#622017/04/16 00:05
>>60
坂本センパイ、まだまだ続けますよ。
やり出したら止まらなくなりました。
龍潭寺、機会があったら是非行ってみて下さい。
お休みなさい。

[シノ◆NzRmZDA5]

#632017/04/16 01:00
〈井伊家の危機再び〉
しかし、再び井伊家に危機が陥ります。

次郎法師の父親であり、22代当主の井伊直盛が桶狭間の戦いに今川軍に味方して参戦し、今川義元共々織田軍の猛攻にあい戦死してしまいます。

次いで当主となった直親も父直満と同じく謀反の罪を讒言(ざんげん)され今川家に討ち取られてしまいました。

さらに不幸なことに、直盛の祖父直平や家臣の奥山朝利、新野左馬助、中野直由らが相次いで戦死し、井伊家を継ぐ男児は幼い虎松のみとなりました。

そこで南渓和尚は迅速に手を打ち、次郎法師に「直虎」と名乗らせ城主として虎松の後見人に据え、お家断絶の危機を救いました。

武士の社会では、鎌倉時代に制定された法律により領地の相続権が女性にも認められていましたので、女性が城主になるということは稀ではありますが、禁じ手ではなかったようです。

しかし、その後井伊家は今川からの圧力に負け、井伊家の普代の家老で今川の目付役でもある小野政次に城主の座を奪われると、直虎を龍潭寺に匿い、虎松を国外へ逃がして再び井伊家の血脈を守りました。

その後虎松は南渓和尚の提案により、当時今川家を破って遠江を支配した徳川家康に出仕させることになりました。

それがきっかけで虎松は徳川家康の傘下のもと数々の戦で武名をあげ、元服して直政と名乗り、いつしか甲冑の赤備えにちなんで「井伊の赤鬼」と敵陣から恐れられる武将に成長しました。

直政は関ヶ原の戦い以後、徳川幕府から与えられた彦根に移り住み、江戸時代以降井伊家は彦根のお殿様として代々繁栄していくことになります。

[シノ◆NzRmZDA5]

#642017/04/16 01:19
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #64の画像
>>63
そんな井伊直虎の生涯を描いた大河ドラマ「おんな城主 直虎」で主役の井伊直虎を演じるのはご存知柴崎コウさんです。

先程も触れましたが、ここでまた紹介させて下さい。

負けん気の強い男まさりな直虎の強い信念は、女性ながらも城主の貫禄を醸し出しています。

[シノ◆NzRmZDA5]

#652017/04/16 01:28
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #65の画像
>>64
そして和尚と言うより軍司に近い南渓瑞聞を演じるのは小林薫さんです。

昨年の大河ドラマ「真田丸」で例えるなら、真田昌幸のような存在です。

[シノ◆NzRmZDA5]

#662017/04/16 01:41
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #66の画像
龍潭寺と深い関わりを持つ人物の紹介が終わったところで、次は境内を紹介していきましょう。

大門を潜った境内脇に設置された案内板に、龍潭寺の歴代が簡単に綴られています。

500年前に井伊家が造営した頃は龍泰寺と称されていましたが、直虎の父直盛の戦死を機に龍潭寺と改名されました。

[シノ◆NzRmZDA5]

#672017/04/16 01:50
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #67の画像
>>66
大門から受付のある庫裡(くり)へ向かいます。

まず見えてきたのがこちらの鐘楼堂です。

祈りの鐘として、除夜とお正月五日間は自由に鐘をつけるそうです。

この鐘楼堂の土台にも、石垣が使われていることがわかります。

[シノ◆NzRmZDA5]

#682017/04/16 01:54
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #68の画像
>>67
この鐘楼堂の隣に建つ櫓門は旧鐘楼堂の東門です。

1631年に建立された境内で最も古い建物です。

[シノ◆NzRmZDA5]

#692017/04/16 02:10
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #69の画像
>>68
その東門だけを撮ってみました。

[シノ◆NzRmZDA5]

#702017/04/16 02:21
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #70の画像
>>69
大門側から見た庫裡です。

この大破風の庫裡は1815年に建てられた間口9間(約16m)、奥行き14間(約25.5m)の伽藍です。

参道の左側に位置しているのが、先程紹介した東門です。

すでに開花している桜も見られ、風情がより出ています。

[シノ◆NzRmZDA5]

#712017/04/16 02:35
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #71の画像
>>70
庫裡に近づいてみました。

この庫裡の内部に井伊家に纏わる宝物や収蔵品が展示されています。

この式台付き玄関を靴を脱いで上がり、内部を拝観していきます。

拝観料は一人500円です。

入口と出口は別々になっていますので、ビニール袋に入れた靴と傘を持ち歩きながら見学しなければなりませので、かなり窮屈でした。

[シノ◆NzRmZDA5]

#722017/04/16 09:54
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #72の画像
こちらは本堂の内部です。

東端の庫裡から西端の御霊屋までは渡り廊下で繋がっています。

本堂のこの位置には釈迦三尊が奉られ、この右側に遠州最大の大仏様が安置されています。

そして注目すべきはこの廊下です。

歩くたびにうぐいすの鳴き声のような音が鳴る「うぐいす張りの廊下」として造られています。

これは忍びを知らせる仕掛けです。

[シノ◆NzRmZDA5]

#732017/04/16 10:15
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #73の画像
>>72
本堂南側に広がる庭園です。

あまりの壮観さに龍潭寺名物の池泉鑑賞式庭園と間違える程です。

こちらは「補陀落の庭」と呼ばれ、浜名湖をイメージして造られています。

庭園の向こうに見える建物は大門から本堂を繋ぐ「仁王門」です。

[シノ◆NzRmZDA5]

#742017/04/16 13:01
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #74の画像
>>73
本堂から稲荷堂、開山堂を抜けて最西端の御霊屋へ向かいます。

こちらは開山堂と御霊屋を繋ぐ渡り廊下から見える「六地蔵」です。

帽子に前掛け姿の可愛いお地蔵様ですね。

庶民の苦しみ、悲しみ、悩み事などを受け入れてくれる身近な仏様として信仰されています。

[シノ◆NzRmZDA5]

#752017/04/16 13:13
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #75の画像
>>74
こちらが龍潭寺最西端に位置する井伊家御霊屋(いいけおたまや)です。

1000年に渡る井伊家の歴史を奉ったお堂です。

初代共保公、22代直盛公、24代直政公の木像が安置されている他、40代に渡る井伊家当主の位牌もズラリと並べられています。

そして、幕末の大老井伊直弼公の位牌もこちらに安置されています。

[シノ◆NzRmZDA5]

#762017/04/16 13:25
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #76の画像
>>75
井伊家御霊屋から庫裡を正面に見た池泉鑑賞式庭園です。

庭園については後ほど解説します。

[シノ◆NzRmZDA5]

#772017/04/16 13:43
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #77の画像
>>76
井伊家御霊屋の位置から見た左側の稲荷堂と右側の開山堂です。

ここで再びこの2棟の堂を抜けて本堂に戻り、北側の龍潭寺庭園に足を運びます。

[シノ◆NzRmZDA5]

#782017/04/16 13:52
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #78の画像
>>77
開山堂の向かいから見た稲荷堂です。

夢が叶うと言われる「正夢稲荷」を奉っています。

[シノ◆NzRmZDA5]

#792017/04/16 14:01
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #79の画像
>>78
稲荷を抜けて本堂に入りました。

こちらは本堂西側から見た開山堂です。

銀閣寺のような朱塗り楼閣の開山堂には、遠州地方に禅宗を広めた黙宗端淵(もくしゅうたんえん)が奉られています。

[シノ◆NzRmZDA5]

#802017/04/16 14:06
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #80の画像
>>79
本堂南西側はインフォメーションセンターとして使われています。

[シノ◆NzRmZDA5]

#812017/04/16 14:17
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #81の画像
>>80
本堂北西側は南北朝時代に井伊家と共に北朝と戦った、南朝の後醍醐天皇の皇子宗良親王を奉っています。

[シノ◆NzRmZDA5]

#822017/04/16 16:12
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #82の画像
>>81
龍潭寺北側一帯に広がる「国指定 名勝 龍潭寺庭園」です。

こちらは御霊屋を背景にした西端の庭園の風景です。

この庭園は江戸時代初期に小堀遠州により造られた池泉鑑賞式庭園で、昭和11年に国の名勝記念物に指定されました。

この庭園の正面には鑑賞用の長い縁側が広がっています。

庭園について解説した5分程の音声ガイダンスも流れます。

周りの植物がまるで塗り絵をしたかのようにカラフルに彩られています。

[シノ◆NzRmZDA5]

#832017/04/16 16:21
>>82
書き忘れました。
付け加えておきます。

植物で隠れてしまいましたが、庭の仏様を守る仁王様を表現した「仁王石」と呼ばれる大きな石が隅に置かれています。

この石組の築山は鶴と亀を表現しています。

こちらの一帯は「鶴出島」と呼ばれています。

[シノ◆NzRmZDA5]

#842017/04/16 16:30
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #84の画像
>>83
少し東へ向いていきます。

この丘陵は山をイメージしています。

そして湖をイメージした手前を流れる池は「心字池」と呼ばれ、「心」の字形をかたどっています。

庭園の中心に位置するこの場所は「亀出島」と呼ばれています。

[シノ◆NzRmZDA5]

#852017/04/16 16:45
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #85の画像
>>84
さらに東を向きます。

わかりにくいですが、水を差さずに滝を表現している「枯滝」も見られます。

この龍潭寺庭園は季節、時間帯で雰囲気が違うそうですので、何回足を運んでも飽きないと地元では評判のようです。

特に11月になると、「龍潭寺紅葉まつり」が開催され、鮮やかな紅葉に色付いた庭園を鑑賞することが出来ます。

私もその頃にまた龍潭寺を訪れたいと思います。

[シノ◆NzRmZDA5]

#862017/04/16 16:50
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #86の画像
>>85
こちらが庭園の東端です。

隅に位置する大きな石が東側の「仁王石」です。

つまり、仁王石から始まり仁王石で終わるということですね。

[シノ◆NzRmZDA5]

#872017/04/16 17:02
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #87の画像
>>86
東側の庫裡を背景に映しました。

この庭園の作者小堀遠州は二条城二の丸庭園の作庭等をした当代一の文化人です。

また、駿府城の作事奉行を勤め、同じ作事奉行を勤めた25代井伊直孝とは親しく、その依頼によりこの庭園が造られたと言われています。

[シノ◆NzRmZDA5]

#882017/04/16 17:28
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #88の画像
>>87
庫裡に近づき、御霊屋が位置する西端の庭園を見るとこのような感じです。

今回は寄りませんでしたが、庫裡内の書院から御霊屋を背景に広がる庭園は、井伊直弼のお気に入りのビュースポットだそうです。

[シノ◆NzRmZDA5]

#892017/04/16 17:48
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #89の画像
>>88
龍潭寺庭園の後は庫裡内の収蔵品展示室で宝物を見て回ります。

勿論こちらは撮影禁止です。

直虎の解説の時にアップした直虎像もこちらにあります。

直虎直筆の南渓瑞聞に宛てた書状から江戸時代に画かれた金屏風や掛け軸など、小規模ながらも密度の濃い宝物を沢山見ることができました。

内部は撮影禁止ですので、代わりに本堂から見た庫裡の外観をアップしておきます。

屋根瓦に井桁紋が施されています。

[シノ◆NzRmZDA5]

#902017/04/16 17:58
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #90の画像
>>89
こちらが本堂です。

延宝4年(1676年)に再建されたもので、屋根には井伊家の家紋が掲げられています。

本尊は釈迦三尊です。

[シノ◆NzRmZDA5]

#912017/04/16 18:03
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #91の画像
>>90
境内に展示された大正時代の本堂の瓦です。

平成の大修理の際に外したものです。

[シノ◆NzRmZDA5]

#922017/04/16 18:09
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #92の画像
>>91
本堂手前から見た開山堂です。

この古風な建物と桜の組み合わせはノスタルジー溢れます。

[シノ◆NzRmZDA5]

#932017/04/16 18:16
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #93の画像
>>92
境内西端に安置された「井伊家御墓所」です。

中心に並ぶ大きな墓石は右側が初代共保、左側が22代直盛のものです。

[シノ◆NzRmZDA5]

#942017/04/16 18:34
>>93
左側に大河ドラマでよく耳にする人物の墓所が安置されています。

向かって右から直盛妻(ドラマ名は千賀)、直虎、直親、直親妻(ドラマ名はしの)、直政と並びます。

生前は結ばれることなかった直虎と直親が、死後に結ばれたかのように、仲良く隣り合わせに埋葬されていると話題になりました。

[シノ◆NzRmZDA5]

#952017/04/16 18:37
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #95の画像
>>94
画像が反映されませんでした。

[シノ◆NzRmZDA5]

#96
投稿者により削除されました

#972017/04/16 18:46
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #97の画像
右側は歴代井伊家の墓石です。

[シノ◆NzRmZDA5]

#982017/04/16 18:56
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #98の画像
>>97
井伊家御墓所に隣接した墓地には、井伊家家臣や歴代龍潭寺住職の墓所が並びます。

こちらは翌日ゆっくり見て回りたいと思います。

[シノ◆NzRmZDA5]

#992017/04/16 19:21
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #99の画像
>>98
井伊家御墓所から見た開山堂です。

こちら側の桜の方が綺麗に咲いています。

[シノ◆NzRmZDA5]

#1002017/04/16 19:25
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #100の画像
>>99
この位置から本堂を向くとこのような感じです。

手前左側は井伊家御霊屋です。

[シノ◆NzRmZDA5]

#1012017/04/16 19:38
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #101の画像
>>100
そろそろ薄暗くなりました。

本堂内から灯が輝きます。

この時、ゴーンと鐘をつく音が聞こえてきました。

最近あまり聞くことのなかった鐘の音を久しぶりに聞いて、心なしに顔がほころんでしまいました。

[シノ◆NzRmZDA5]

#1022017/04/16 21:10
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #102の画像
>>101
本堂南側の「補陀落の庭」に立ちました。

一段高い本堂の廊下からの庭園も良いですが、同じ目線から見る庭園も乙なものです。

こちらから見える建物は、左側に東門、真ん中に鐘楼堂、右側に仁王門です。

それでは次に右側の仁王門へ行ってみたいと思います。

[シノ◆NzRmZDA5]

#1032017/04/16 21:21
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #103の画像
>>102
こちらが仁王門です。

大門が山門に対し、龍潭寺の正式な門がこの仁王門です。

昭和62年(1987年)に建てられた、本堂南側に位置する門です。

左右に阿吽の仁王像が安置され、瓦には井伊家の家紋を刻印しています。

[シノ◆NzRmZDA5]

#1042017/04/16 21:27
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #104の画像
>>103
この仁王門を離れた場所から見るとこのような感じです。

昭和時代に建てられたとは思えない程、建物に年期が入っているように思えます。

[シノ◆NzRmZDA5]


『歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り』 へのレス投稿
レス本文 必須 750文字まで:残り750文字

スタンプ

NEW!
任意入力フォーム

お名前 任意 16文字まで
E-mail 任意

※削除パス機能は廃止しました。
会員は、投稿から24時間以内であれば削除パスなしで
削除できます。
詳しくは「削除パス廃止のお知らせ 」をご覧ください。
今すぐ会員になる

画像ファイル選択 任意
📘 ローカルルール
📌誹謗中傷による書き込みは利用規約違反になりますのでお止め下さい。
📌スレッドタイトルは、タイトルを読んで中身がわかるように心がけて下さい。
📌スレッドは立てる前に、重複していないか確認してから立てて下さい。重複スレッドは削除対象となります。
📌重複スレッドを発見した場合は、スレッド下部にある「重複スレの報告」フォームよりご連絡下さい。
📌当該カテゴリーと関係のない画像はアップロードしないで下さい。
※上記に違反した内容は削除致します。内容によっては投稿規制をさせて頂く場合が御座います。
援助交際児童ポルノ薬物売買関連投稿は刑事罰の対象です。随時監視し、発見次第厳正な処置を取らせて頂きます。
サイト健全化のため、上記違法投稿を発見された方はお問い合わせフォームより通報下さい。
削除依頼は各スレッド内下部より受け付けております。
投稿前の注意
  • 掲示板あらし行為URLの記載は一回で書込み禁止措置と致します。




🌐このスレッドのURL