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2022/12/15 22:12
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NO.5463894

歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り
皆様、ご無沙汰してます。
今年は真田氏から気持ちを切り替えて2019年NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」より、主役の井伊直虎ゆかりの地を訪れてきましたので、ここにレポートしていきます。

またよろしくお願い致します。


#3552017/05/08 18:06
>>353
坂本センパイ、お疲れ様です。
はい、かなり印象的なシーンでした。
政次は昔の鶴丸の頃と変わらない優しさを持っていたことが垣間見れましたね。
感動的でした。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3562017/05/08 18:08
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #356の画像
>>354
画像が反映されませんでした。

こちらがふろんぼ様です。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3572017/05/08 18:37
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #357の画像
>>356
元亀3年(1572年)、武田信玄が遠江に侵攻した際に、山県昌影率いる一隊は別隊として東三河の長篠城を経由して浜松城を目指しました。

この時、井伊家三人衆の一人である鈴木重時の子重好らの拠点である柿本城を攻め落とします。

重好は味方の守る伊平(井平)に退きますが、昌影はこれを追って仏坂にて井伊谷衆を攻撃します。

井平城主の井伊直成、重好の叔父の鈴木重俊らを討ち取り、井伊谷を占領しました。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3582017/05/08 18:44
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #358の画像
>>357
ふろんぼ様から見た仏坂です。

この戦いで戦死した直成や重俊をはじめ、多くの戦国武将の菩提をこの地に弔っています。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3592017/05/08 18:50
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #359の画像
>>358
道路側からの入口はこのような感じです。

今考えると、道路側から来た方が靴も汚れず、無駄な体力を使わなくてすんだかなと思いました。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3602017/05/08 19:27
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #360の画像
>>359
ここが激戦が行われた仏坂です。

向こうに見える白い碑が、古戦場跡を示す記念碑です。

事の発端は同盟国だった甲斐国の武田信玄が今川家との同盟を破棄したことでした。

井伊直虎が領主を追放されたわずかひと月後の事です。

武田信玄は徳川家康に今川領の分割支配を持ちかけ、駿河国へ侵攻します。

この両軍の侵攻により今川家の支城が次々に攻め落とされ、ついに駿河、遠江、三河の3国を支配した今川家が滅亡しました。

やがて武田家は織田家と敵対するようになり、織田家と同盟者だった徳川家との間にも亀裂が入るようになります。

これにより信玄は織田、徳川軍と決戦すべく、西上作戦を開始します。

信玄自身も2万5000の大軍を率いて遠江国へ侵攻し、家臣の山県昌影と秋山虎繁も別動隊を率いて三河国へと侵攻しました。

その中の山県昌影の軍勢によりこの仏坂の戦いが勃発し、勝利を収めた山県軍は信玄の本隊と合流して、ついに武田家と徳川家が激突する三方ヶ原の戦いが始まっていきます。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3612017/05/08 19:53
こちらが仏坂古戦場跡の記念碑です。

かなり簡素な作りで驚きました。

この山県昌影は武田四天王として活躍した猛将で、武田家の重臣として「赤備え」を率いて勇名を馳せた飯富虎昌(おぶ とらまさ)の弟としても知られています。

昌影は兄の「赤備え」を引き続き、数々の武功をあげましたが、長篠の戦いにて討ち死にしました。

武田家滅亡後、猛将と名高い昌影の家臣団を配された井伊直政は、昌影と同じく装備をすべて赤備えを採用し、「井伊家の赤備え」が誕生しました。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3622017/05/08 19:55
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #362の画像
>>361
画像が反映されませんでした。

仏坂古戦場跡の簡素な記念碑です。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3632017/05/10 21:14
【井伊谷三人衆とは?】
ここで、この仏坂の戦いにも参戦し、後の井伊谷のキーパーソンとなる井伊谷三人衆について解説します。

武田軍が駿河に侵攻し今川館を攻撃した頃、同じく徳川軍も遠江国に侵攻を開始します。

徳川軍は陣座峠を侵攻ルートとしており、井伊谷を通ることになるため、地元の情勢に熟知した者が必要でした。

この時、今川家から徳川家に臣従した菅沼定みつの推薦を受けて、井伊家周辺に住する豪族の鈴木重時(すずき しげとき)、菅沼忠久(すがぬま ただひさ)、近藤康用(こんどう やすもち)の三人を従えることになります。

三人は井伊家の被官であると同時に、今川家の忠節も大切にしていました。

定みつは初めに同族である菅沼忠久を調略し、次第に重時、康用を巻き込む形となります。

定みつ自身も今川家に居城を奪われており、直親の抹殺や遠江国人衆との騒乱などで、今川家に対して見切りをつけていたことが主君変えのきっかけと言われています。

そして、徳川家康は三人を先導役として井伊谷に到着し、その後引馬城(浜松城)に入り、周辺の今川方の武将達を調略して掛川城に篭る今川氏真を降伏させ、見事に遠江を自領としました。

三人は徳川家康の先導役だけでなく、今川家から奪われた井伊谷城を奪還し、家康に嘆願してその立役者でもあり、直親の仇である小野政次を捕らえ、政次の二人の幼い子供共々はりつけにして処刑しました。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3642017/05/10 22:00
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #364の画像
>>363
【鈴木重時】
井伊領に隣接する三河山吉田の領主で柿本城を拠点としていました。

今川からの目付役として井伊家に仕えるも、直親の母が鈴木の出とのこともあり、井伊家とは縁戚関係にあります。

徳川軍の案内役を務め、本領を安堵されたその後は、家康より浜名湖沿岸の今川方の攻略を命じられ、大沢氏の守る堀川城攻めに参加します。

この戦いで近藤康用の子の秀用(ひでもち)と先陣を争って戦いますが、敵兵に狙撃され戦死しました。

尚、嫡男の重好は井伊直政に仕えて小牧、長久手や関ヶ原の戦いなどに参戦し、その後は彦根城普請の担当など、井伊家家臣の筆頭格として活躍しました。

大河ドラマで鈴木重時を演じるのは菅原大吉さんです。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3652017/05/10 22:12
シノさん発見 笑
仕事忙しそうだな
ちゃんと休めてるのか?

[坂本◆YmU4N2Ni]

#3662017/05/10 22:15
>>365
坂本センパイ、お疲れ様です。
はい、お仕事はだいぶ落ち着きましたが、スレの更新で睡眠時間を少し削っています。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3672017/05/10 22:42
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #367の画像
>>364
【近藤康用】
三河国宇利の国人で、祖父の満用(みつもち)は家康の祖父松平清康に仕え、宇利城を清康よりもらい受けています。

元々徳川とは近しい関係にありましたが、清康が横死したため、父忠用(ただもち)の時に今川義元に帰属して今川家に仕えることになります。

康用の頃には、鈴木重時や菅沼忠久に同調して徳川に再び属することになりますが、この時の康用は高齢のうえ、戦いで負った傷が原因で歩行困難となってしまったがために、嫡男の秀用を参陣させていたようです。

晩年は井伊谷に閑居し、天正16年(1588年)、71歳で死去しました。

嫡男の秀用は武勇に優れ、数々の合戦で武功をあげましたが、直政との折り合いが悪く、井伊家を出ていくことになります。

その後秀用は牢人として11年を過ごした後、徳川家に帰参して大坂の陣で活躍し、井伊谷1万5千石の藩主となりました。

そして、この方は近藤康用役の橋本じゅんさんです。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3682017/05/10 23:10
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #368の画像
【菅沼忠久】
遠江引佐郡都田(いなさぐん みやこだ)の都田菅沼氏の三代目で、父の元景(もとかげ)は長篠菅沼氏に仕えていましたが、後に井伊家の家臣になったとされています。

忠久も井伊直盛、直親に仕えていたようで、三人衆のひとり、鈴木重時の娘を妻としていました。

家康の遠江侵攻時に井伊谷の調略を担当した野田城主の菅沼定みつは同じ菅沼一族であったため、最初に話を持ちかけられたのが忠久でした。

家康の遠江攻めでは、重時や近藤秀用らと大沢氏の守る堀江城攻略を担当し、その後は井伊直政に仕えています。

(鈴木重時の解説で重時らが攻めたお城を堀川城と書いてしまいましたが、堀江城の間違いです。)

忠久の子忠道は直政の配下となり、小牧、長久手や関ヶ原に従軍し、子孫は幕臣になったと言われています。

そしてこちらが菅沼忠久役の阪田マサノブさんです。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3692017/05/10 23:21
>>366
シノさんはいつも何時頃寝てるんだ?
結構遅いよな?

[坂本◆YmU4N2Ni]

#3702017/05/11 19:41
>>369
坂本センパイ、お疲れ様です。
はい、夢中になってしまうと時間を忘れてしまいますので、深夜になることもしばしばです。

勿論、翌日は眠いですが、自分でやっいることですので、そこは仕方ないです。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3712017/05/11 20:17
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #371の画像
【井伊亀之丞の隠れ岩】
この仏坂に旧鳳来寺街道の入口があります。

引佐と三河を結ぶ街道として重要視されていましたが、国道などの建設により、次第に使われなくなりました。

街道入口立つ看板は、この街道で見られる史跡を示しています。

その中のひとつに、井伊亀之丞(直親の幼名)が逃避行中の際に、今川の追手から身を潜めるため、一晩を明かした岩が現在も残されているようです。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3722017/05/11 20:24
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #372の画像
>>371
亀之丞の隠れ岩の他には、元禄の道標と墳墓(ふろんぼ様)が見られるそうです。

ここから隠れ岩まで550mですので、何とか行けそうな距離です。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3732017/05/11 20:30
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #373の画像
>>372
街道に入ってすぐに見えてきたのが、元禄の道標です。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3742017/05/11 20:36
>>373
これは「元禄九年の道標」と呼ばれるもので、鳳来寺街道に立つ遠江で二番目に古い道標のようです。

四角型ではなく、サメの背ビレのように三角型になっています。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3752017/05/11 20:39
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #375の画像
>>374
画像が反映されませんでした。

元禄九年の道標です。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3762017/05/11 20:43
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #376の画像
>>375
旧鳳来寺街道は舗装されていない獣道になってます。

たかが550mとはいえ、こんな獣道を山奥へと入っていくのですから、一人ですとかなり心細いです。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3772017/05/11 20:49
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #377の画像
>>376
途中にいくつも距離を示す看板が出ていますので安心できますが、分岐に来るといささか迷ってしまいます。

とりあえずは道なりに進みます。

古来より残るこの街道を、武田信玄や徳川家康などの有名武将達も歩いたかもしれませんね。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3782017/05/11 21:07
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #378の画像
>>377
しばらく歩くと見えてきたのが、新ふろんぼ様の案内板です。

先程解説した道路脇に安置されたふろんぼ様とは別に、平成17年の旧鳳来寺街道調査の際に発見された四箇所の石積み墳墓のようです。

これは、道路脇のふろんぼ様と共に分散埋葬されたもので、「新ふろんぼ様」と呼ばれています。

この新ふろんぼ様はここを隠れ岩と逆方向の左側に折れてしばらく下った場所に安置されていますが、今回はやめておきました。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3792017/05/11 21:47
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #379の画像
>>378
更に山奥へと進むと、次第に道幅も狭くなり、草木で道が分からなくなってきます。

これ以上は無理かなと諦めかけた時、案内看板と立ち並ぶ木々に括りつけられた赤印を目にしました。

この赤印にそって歩けばすぐそこです。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3802017/05/11 22:00
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #380の画像
>>379
到着しました。

ここが亀之丞の隠れ岩の手前です。

赤印は最後まで丁寧に手間暇かけて括りつけられていますので、私のように山を知らない方でも迷うことなく到着できます。

手前には案内板も立ちますので、数々の岩の中でも、ここが隠れ岩だと認識できます。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3812017/05/11 22:08
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #381の画像
>>380
隠れ岩を上から見るとこのよな感じです。

父直満が謀反の罪で今川家により抹殺され、さらに息子の亀之丞まで命を狙われることになります。

そこで龍潭寺の南渓和尚の計らいで兄弟子のいる信濃の松源寺に匿われることになりますが、その道中に今川の追手が迫ってきました。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3822017/05/11 22:19
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #382の画像
>>381
隠れ岩の下に降りてみました。

そうです、この岩で亀之丞が一晩を明かしたのです。

この逃避行には家臣の今村藤七郎が付き添い、今川の目を欺くため、藤七郎は亀之丞をカマスに乗せて背負い、藁で姿を隠したと言われています。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3832017/05/11 22:35
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #383の画像
>>382
今川の追手から逃れるため、南渓和尚の内弟子のいる引佐の東光院へ緊急避難することになります。

ここは、東光院の到着前に一時避難した場所です。

そのおかげもあってか、かろうじて今川の目を欺いた亀之丞は、無事に東光院へ到着することにができました。

[シノ◆NzRmZDA5]

#384
投稿者により削除されました

#3852017/05/11 22:50
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #385の画像
>>383
偶然でしょうか?

岩から欠けたこの石の形が亀のクチバシのように見えます。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3862017/05/11 23:01
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #386の画像
>>385
隠れ岩の周りは何もない山中の風景です。

この風景は亀之丞がここに来た時と変わっていません。

時代は現代へと変わっても、ここは時間がそのまま止まった空間です。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3872017/05/11 23:12
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #387の画像
>>386
ここで旧鳳来寺街道を出て駐車場に戻ります。

帰り道は一度通ったこともあり、すんなりと戻って来られたように感じました。

始めは気がつきませんでしたが、駐車場の分岐の手前には天保の道標が立っていました。

こちらは四角型ですね。

このまま駐車場を出て、亀之丞がたどり着いた東光院のある渋川地区へ向かいます。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3882017/05/12 23:46
>>387
シノさん、お疲れ
最近、亀が可哀想でな
今更なんだが 笑

[坂本◆YmU4N2Ni]

#3892017/05/14 20:58
>>388
坂本センパイ、お疲れ様です。
まだ幼いのに追手から隠れるためにこんな岩で一晩過ごすなんて酷すぎますよね。
涙が出ましたよ。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3902017/05/18 18:53
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #390の画像
【渋川の大銀杏】
井平(伊平)地区から久留女木地区を越えて渋川地区に来ました。
この渋川地区には、亀之丞が避難した「東光院」を始め、「渋川の菩提樹」など、渋川井伊家にまつわる史跡が存在する場所です。

渋川地区に入ってすぐ、県道47号線と県道299号線の交差点脇のJAの駐車場に立つ渋川の大銀杏は、推定樹齢600年を超える古木です。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3912017/05/18 19:08
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #391の画像
>>390
こちらの案内板によりますと、この大銀杏は元々渋川六所神社の御神木でしたが、明治初期の渋川小学校新築に伴い神社が移転され、この木だけが残されたとされています。

神社の棟札によりますと、「康安2年(1361年)に神社の御宝殿を造立」と記されており、この銀杏もその頃に植えられたものと伝わります。

また、母乳の出ない母親がここで祈願すれば、母乳が出るようになるとも伝えられているようです。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3922017/05/18 19:26
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #392の画像
>>391
こちらが御神木指定証です。

渋川六所神社はこちらから約500m西に鎮座しています。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3932017/05/18 19:38
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #393の画像
>>392
大銀杏を離れた位置から見るとこのような感じです。

600年余の時を越えて、今でもこうして渋川地区を見守っています。

このすぐ後ろに渋川井伊家の史跡である「渋川の菩提樹」とふろんぼ様がありますが、東光院へ先に行きましたのでその後にレポートしたいと思います。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3942017/05/19 20:07
シノさん、お疲れ
しかし、たった二日で何カ所回ったんだ?
凄い体力だな 笑

[坂本◆YmU4N2Ni]

#3952017/05/20 22:57
>>394
坂本センパイ、お疲れ様です。
はい、滅多に行かれないですから、かなり気合いを入れて回りました。
10〜20箇所近く回ったと思います。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3962017/05/20 23:23
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #396の画像
【東光院(とうこういん)】
旧鳳来寺街道の隠れ岩から井伊亀之丞は、家臣の今村藤七郎にカマスに身を隠されながら背負われ、この東光院に逃げ込みました。

こちらがその東光院の正門です。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3972017/05/20 23:27
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #397の画像
>>396
正門前には、井伊亀之丞の逃避行について解説された案内板も立ちます。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3982017/05/20 23:40
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #398の画像
>>397
正門を入ると、このように庫裏が正面に見えます。

しかし、今川の追手がここまで来てしまったために、南渓の弟子である住職の能仲(のうちゅう)の助けを借り、今川家の手を逃れ、信濃の松源寺に落ち延びました。

[シノ◆NzRmZDA5]

#3992017/05/20 23:56
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #399の画像
>>398
正門の傍らに建つ薬師堂は、天文24年(1555年)、井伊直盛により建立されました。

元々は万福寺の支堂でしたが、江戸時代中期にこちらに移されました。

薬師如来など複数の仏様を奉っています。

[シノ◆NzRmZDA5]

#4002017/05/21 00:00
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #400の画像
>>399
この薬師堂の向かいにもお堂が建ちます。

[シノ◆NzRmZDA5]

#4012017/05/21 00:15
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #401の画像
>>400
こちらの東光院にも、龍潭寺に負けない位の立派な庭園があります。

[シノ◆NzRmZDA5]

#4022017/05/21 00:19
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #402の画像
>>401
カメラに庭園の全体が収まりきれませんでしたので、二つに分けました。

こちらが庭園の西側です。

[シノ◆NzRmZDA5]

#4032017/05/21 00:23
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #403の画像
>>402
こちらが鐘楼です。

庭園の向かいに建ちます。

[シノ◆NzRmZDA5]

#4042017/05/21 00:29
歴女シノが行く井伊直虎ゆかりの地巡り #404の画像
>>403
鐘楼を少し離れた位置から見るとこのような感じです。

傍らには立派な松がそびえて風情を醸し出しています。

[シノ◆NzRmZDA5]


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