870
2023/11/26 14:42
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サッカー国内





NO.7201210

デッツォーラ島根④
報告 閲覧数 3469 レス数 870

#5712020/07/12 22:24
今シーズンは、巣篭もりか?

[匿名さん]

#5722020/07/14 14:11
□■フエンテ東久留米■□


◇田宮 勇次選手加入のお知らせ◇

このたび、スペリオ城北に所属しておりました田宮 勇次選手が加入することとなりましたのでお知らせいたします。プロフィール、コメントは下記をご覧ください。

田宮 勇次(たみや ゆうじ)
■ポジション:DF、MF
■背番号:29
■生年月日:1988年7月8日(31歳)
■出身地:北海道石狩市
■身長/体重:175cm/70kg
■経歴:紅南イレブン - 石狩FC - 北海道文教大学明清高校 - JAPANサッカーカレッジ - アルビレックス新潟シンガポール(シンガポール) - JAPANサッカーカレッジ - FC鈴鹿ランポーレ - 福島ユナイテッドFC - ヴィアティン三重 - デッツォーラ島根 - 松江シティFC - tonan前橋 - 早稲田ユナイテッド - スペリオ城北

■コメント
「1部昇格に向けてチームの力になれるよう頑張ります。一緒に東久留米を盛り上げていきましょう!応援よろしくお願いします。」

[匿名さん]

#5732020/07/14 19:21
田宮選手、地域を問わず移籍を重ねてますね!まだまだ活躍されるでしょう、期待です。

[匿名さん]

#5742020/07/14 19:23
CSLの2020シーズンレギュレーションにデッツォーラ島根の名前はありませんね。今シーズンは参加を見送りでしょうね、残念ですが。

[匿名さん]

#5752020/07/19 02:11
日本フットボールリーグは、日本のサッカーリーグである。公益財団法人日本サッカー協会と一般社団法人日本フットボールリーグが主催・運営する。


■加盟国
日本
■大陸連盟
アジアサッカー連盟
■創立
1999年
■参加クラブ
16
■リーグレベル
第3 (4)部
■上位リーグ
(J3リーグ)
■下位リーグ
地域リーグ
■国内大会
天皇杯全日本サッカー選手権大会他
■最新優勝クラブ
Honda FC (2019)
■最多優勝クラブ
本田技研工業/Honda FC(9回)

■団体種類
一般社団法人
■設立
2010年3月1日
■所在地
東京都文京区本郷3-10-15
JFAハウス7F
北緯35度42分15.2秒 東経139度45分50秒 / 北緯35.704222度 東経139.76389度
■法人番号
3010005014867
■主要人物
理事長 桑原勝義
■活動地域
日本
■活動内容
日本フットボールリーグの運営

英語名称は1998年までJリーグと地域リーグの間のカテゴリに位置していたジャパンフットボールリーグと同じ"Japan Football League" 、略称もそのまま継承してJFLを使用している。なお当記事では、日本フットボールリーグを「JFL」、ジャパンフットボールリーグを「旧JFL」と略記する。


■概要

プロ化を考慮していないアマチュアチーム(企業や大学のサッカー部、ならびに地域のアマチュアクラブチーム)にとっては、唯一の全国リーグであり、最高峰のカテゴリーである。

[匿名さん]

#5762020/07/19 02:12
■Jリーグとの関係と位置づけ

日本サッカーのリーグ構成の最上位カテゴリである日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)とJFLとの関係については、Jリーグが同リーグの3部に当たるJ3リーグ発足時の2013年12月の公表資料において、JリーグとJリーグ以外のアマチュアリーグは別のヒエラルキー構造とした上で、J3リーグをJFLと同格と位置づけている。また、JFL自身も公式サイトにおけるリーグ構成を示した資料において同様の認識を持っている。

一方で、2015年4月に改定されたJリーグの公表資料「Jリーグ入会(J3リーグ参加)の手引き【新たに入会を目指すクラブ向け】 (PDF) 」では「JFLからJ3へは最大2クラブが昇格します」「J3での順位が悪かったとしてもJFLに降格することはありません」と、JFLがJ3より下位のリーグ(即ちは4部リーグ相当)であるかのような表現も用いられている。


■主管

第20回日本フットボールリーグ (2018年) の主管団体である。

主催:公益財団法人日本サッカー協会、一般社団法人日本フットボールリーグ

後援:共同通信社

オフィシャルスポンサー:デサント

サポーティングカンパニー:全日本空輸

[匿名さん]

#5772020/07/19 02:13
■歴史

◇誕生

1999年、Jリーグの2部制移行と同時にジャパンフットボールリーグ(旧JFL)が1998年をもって終了。第7回ジャパンフットボールリーグに参加したチームのうちJ2に参加しなかった7チームおよび前年10月に日本サッカー協会によって参加が承認された横河電機の計8チームで日本フットボールリーグ(JFL)は発足した。その後、横浜FCが特例としてJFLから準会員扱いでスタートすることが認められたため、1999年の第1回大会は9チームによってリーグ戦が行われた。チーム数は第2回(2000年)は12チーム、第3回(2001年)は16チーム、第4回(2002年)は18チームで開催された。第5回(2003年)に16チームに減少したが、第8回(2006年)から、アルテ高崎が退会した影響で17チームとなった第14回(2012年)を除いて、第15回(2013年)まで18チーム体制であった。


■J3発足による影響

◇2014年のJFL参加チームの決定

J2の下に設けられたJ3リーグ発足の動きに付随して、J3発足前の3部リーグであるJFLについて、J3参加クラブの数の動向にもよるが、2013年度の18クラブから6つ程度減らし、2014年度は12クラブ前後ないしは14クラブで行う方針であると報道されていた(JFL側から明白に縮小を伝えたわけではなく、JFL側はあくまで、J3創設によりJFL運営上、編成が必要になった場合、クラブ数の増減も起こりうると発言している)。

なお、JFLの参加クラブ数の確保の観点から、2013年度の成績下位のクラブに対する地域リーグへの降格は行わず、第37回全国地域サッカーリーグ決勝大会の上位3クラブを自動昇格し、残り9クラブについてはJFLのチーム数が足りない場合に4位以下から補充するという報道もある。12月の同大会後の理事会で改めて対応を協議する方向であると報じられている。

[匿名さん]

#5782020/07/19 02:14
この後、JFLに加盟する準加盟クラブのうち10クラブがJ3ライセンスを取得したことを受けて、JFLは2014年度の新規参加希望クラブを地域リーグ以下に属するクラブに対し募集し、北海道を除く全国8つの地域から25クラブ(内訳:北海道0、東北3、関東4、北信越3、東海4、関西5、中国4、四国1、九州1)が加盟申請を行った。今後は、J3加盟クラブの正式決定や第37回全国地域サッカーリーグ決勝大会の結果を踏まえて、12月4日をめどにJFL理事会で参加チームを正式に決定するとしている。

2013年11月7日、JFLは2014年シーズンの参加チーム数を14とすることを発表した。その後、JFLからJ2・J3への参入により10チーム減ることが確定し(J3リーグ#審査結果を参照)、JFLへの新規加入は6チームとなった。2013年12月4日に、JFLへの昇格チーム6チームが発表された。


■JFLのあり方に対する議論

J3発足前年の2013年に、同年のJFLに参加した18クラブのうち3分の2にあたる12クラブがJリーグ準加盟を申請(=J3参入を希望)したことにより、2014年のJFLへの参加が6クラブとなったことについて、JFLの加藤桂三専務理事は「数年は厳しい運営になると思う」と話している。毎日新聞では2013年7月の記事において以下の意見を示し、JFLの位置づけの検討に熟慮が必要であると指摘している。

[匿名さん]

#5792020/07/19 02:15
J3発足後のJFLのあり方については、JFLに残留するクラブの担当者有志を中心に議論が行われている。「仕事と両立しながらサッカーをするのが最大の特徴。“アマ最高峰”をさらに強く打ち出すべき」との意見の一方で「プロを目指すクラブの行く手を阻もうと企業チームなどが奮起し、リーグが活性化してきたのも事実だ」との意見もあった。
“アマ最高峰”を標榜するJFLといえども全国で開催されるリーグの参戦にはプロクラブ並みの年間3000万〜5000万円の運営経費を確保する必要があること。「今のJFLには魅力を感じない」「自分たちで金を払い、できる範囲で上を目指す。それがアマだと思う」と語る下部リーグ関係者の声を示している。


■沿革

1999年・第1回
旧JFLに代わる新たなアマチュアの全国リーグとして9チームで開始
11月、Jリーグ理事会で水戸ホーリーホックのJリーグ入会が承認される

2000年・第2回
参加チームが増加(9チーム→12チーム)
リーグ戦が3回戦総当りから2回戦総当りへ変更
12月、Jリーグ理事会で横浜FCのJリーグ入会が承認される

2001年・第3回
参加チームが増加(12チーム→16チーム)
延長Vゴールの廃止

2002年・第4回
参加チームが増加(16チーム→18チーム)
この年のみリーグ戦が2回戦総当りから1回戦総当りへ変更(2002 FIFAワールドカップ開催による臨時措置)
JFL・地域リーグ間での入れ替え制度を導入

[匿名さん]

#5802020/07/19 02:17
2003年・第5回
参加チームが減少(18チーム→16チーム)
10月、ジヤトコサッカー部がシーズン終了後のJFLから退会

2004年・第6回
12月、Jリーグ臨時理事会で大塚製薬サッカー部(→徳島ヴォルティス)、ザスパ草津のJリーグ入会が承認される
12月、国士舘大学サッカー部がJFLから退会

2005年・第7回
12月、Jリーグ臨時理事会で愛媛FCのJリーグ入会が承認される

2006年・第8回
参加チームが増加(16チーム→18チーム)
9月、佐川急便東京SCと佐川急便大阪SCが合併し、翌シーズンより佐川急便SCとしてJFLに参加することを発表

2007年・第9回
9月、アローズ北陸とYKK APサッカー部が合併し、翌シーズンよりカターレ富山としてJFLに参加することを発表
12月、Jリーグ臨時理事会でロッソ熊本(→ロアッソ熊本)、FC岐阜のJリーグ入会が承認される

2008年・第10回
12月、Jリーグ臨時理事会で栃木SC、カターレ富山、ファジアーノ岡山FCのJリーグ入会が承認される

2009年・第11回
11月、三菱水島FCがシーズン終了後のJFL退会を発表
11月、Jリーグ臨時理事会でニューウェーブ北九州(→ギラヴァンツ北九州)のJリーグ入会が承認される

[匿名さん]

#5812020/07/19 02:18
2010年・第12回
3月、一般社団法人日本フットボールリーグを設立
11月、Jリーグ臨時理事会でガイナーレ鳥取のJリーグ入会が承認される

2011年・第13回
9月、ジェフリザーブズがシーズン終了後のJFL退会を発表
12月、日本トップリーグ連携機構に加盟
12月、Jリーグ臨時理事会で町田ゼルビア、松本山雅FCのJリーグ入会が承認される

2012年・第14回
J2・JFL間での入れ替え制度(J2・JFL入れ替え戦)を導入
1月、アルテ高崎がJFL退会を発表。この影響により、参加チーム数が減少(18チーム→17チーム)
10月、SAGAWA SHIGA FCがシーズン終了後のJFL退会を発表
11月、Jリーグ臨時理事会でV・ファーレン長崎のJリーグ入会、及び町田ゼルビアのJリーグ会員資格の喪失が承認される

2013年・第15回
参加チームが増加(17チーム→18チーム)
10月、J3発足に伴い加盟クラブ数が減少することを受け、2014年度JFLへの入会を募集したところ、北海道リーグを除く8地域リーグ所属25クラブ(うち1つはKyuリーグ所属の鹿児島県2クラブ合併予定)から入会希望申請書が提出されたことが発表される。
11月、Jリーグ理事会でカマタマーレ讃岐、AC長野パルセイロ、SC相模原、FC町田ゼルビア、ツエーゲン金沢、ブラウブリッツ秋田、FC琉球、Y.S.C.C.、藤枝MYFC、福島ユナイテッドFCのJリーグ入会が承認される

2014年・第16回
参加チームが減少(18チーム→14チーム)。
J3発足に伴い、J2・JFL間での入れ替え制度(J2・JFL入れ替え戦)を廃止
2ステージ制を復活。前後期それぞれの1位チームによるチャンピオンシップを新設(試合方式参照)
11月、Jリーグ理事会でレノファ山口FCのJリーグ入会が承認される。

[匿名さん]

#5822020/07/19 02:19
2015年・第17回
参加チームが増加(14チーム→16チーム)
10月、SP京都FCがシーズン終了後のJFL退会を発表
11月、Jリーグ理事会で鹿児島ユナイテッドFCのJリーグ入会が承認される。

2016年・第18回
6月、ファジアーノ岡山ネクストがシーズン終了後のJFL退会を発表
10月、北海道帯広市にてJFLフェスタin帯広を開催
11月、Jリーグ理事会でアスルクラロ沼津のJリーグ入会が承認される。

2018年・第20回
11月、Jリーグ理事会でヴァンラーレ八戸のJリーグ入会が承認される。

2019年・第21回
6年ぶりに1ステージ制へ移行および前後期それぞれの1位チームによるチャンピオンシップを廃止。
11月、Jリーグ理事会でFC今治のJリーグ入会が承認される。

2020年・第22回
この年のみリーグ戦が2回戦総当りから1回戦総当りへ変更(新型コロナウイルスの影響による臨時措置)


■所属クラブ

◇2020年の所属クラブ

以下の参加クラブの並び順は、前年シーズンの成績順である。
「主たるホームスタジアム」は2019年シーズンで最も多くホームゲームを開催したスタジアムを記す。

呼称
(登録チーム名) 地域 / 都道府県県
(主たるホームスタジアム) 在籍年度

■Honda FC
(本田技研工業株式会社フットボールクラブ) 東海 / 静岡県
(ホンダ都田サッカー場) 1999- 2001年までは「本田技研工業サッカー部」

■ソニー仙台FC
(ソニー仙台フットボールクラブ) 東北 / 宮城県
(みやぎ生協めぐみ野サッカー場) 1999-

■東京武蔵野シティFC
(東京武蔵野シティフットボールクラブ) 関東 / 東京都
(武蔵野市立武蔵野陸上競技場) 1999- 2002年までは「横河電機サッカー部」
2003年-2015年は「横河武蔵野FC」

[匿名さん]

#5832020/07/19 02:20
■テゲバジャーロ宮崎 九州 / 宮崎県
(宮崎市生目の杜運動公園陸上競技場) 2018-

■ホンダロックSC
(株式会社ホンダロック サッカー部) 九州 / 宮崎県
(宮崎市生目の杜運動公園陸上競技場) 2005-2006、
2009-

■ヴェルスパ大分 九州 / 大分県
(昭和電工サッカー・ラグビー場) 2012- 2012年は「HOYO AC ELAN大分」
2013年は「HOYO大分」

■FC大阪 関西 / 大阪府
(服部緑地陸上競技場) 2015-

■MIOびわこ滋賀 関西 / 滋賀県
(東近江市布引運動公園陸上競技場) 2008- 2007年までは「FC Mi-O びわこ Kusatsu」
2008年-2011年は「MIOびわこ草津」

■ヴィアティン三重 東海 / 三重県
(東員町スポーツ公園陸上競技場) 2017-

■FCマルヤス岡崎
(マルヤス工業株式会社フットボールクラブ) 東海 / 愛知県
(名古屋市港サッカー場) 2014- 2013年までは「マルヤス工業サッカー部」

■鈴鹿ポイントゲッターズ 東海 / 三重県
(石垣池公園AGF鈴鹿陸上競技場) 2019- 2019年までは「鈴鹿アンリミテッドFC」

■ラインメール青森
(ラインメール青森FC) 東北 / 青森県
(青森県総合運動公園陸上競技場) 2016-

■奈良クラブ 関西 / 奈良県
(ならでんフィールド) 2015-

■松江シティFC 中国 / 島根県
(松江市営陸上競技場) 2019-

■いわきFC 東北 / 福島県
(いわきFCフィールド) 2020-

■高知ユナイテッドSC
(高知ユナイテッドスポーツクラブ) 四国 / 高知県
(高知県春野総合運動公園球技場) 2020-

[匿名さん]

#5842020/07/19 02:21
■過去に所属していたクラブ

呼称(登録チーム名)は最終参加年度のデータ
Jリーグ入会による退会

◇呼称(登録チーム名) 地域(県) 在籍年度

□J2への参入に伴う退会□

■水戸ホーリーホック
(フットボールクラブ水戸ホーリーホック) 関東
(茨城) 1999

■横浜FC 関東
(神奈川) 1999-2000

■大塚製薬サッカー部 四国
(徳島) 1999-2004 J2入会時に名称変更
(徳島ヴォルティス)

■ザスパ草津
(株式会社草津温泉フットボールクラブ) 関東
(群馬) 2004 現:ザスパクサツ群馬

■愛媛FC 四国
(愛媛) 2001-2005

■ロッソ熊本 九州
(熊本) 2006-2007 J2入会時に名称変更
(ロアッソ熊本)

■FC岐阜 東海
(岐阜) 2007

■栃木SC
(栃木サッカークラブ) 関東
(栃木) 2000-2008

■カターレ富山 北信越
(富山) 2008

■ファジアーノ岡山
(ファジアーノ岡山フットボールクラブ) 中国
(岡山) 2008

■ニューウェーブ北九州 九州
(福岡) 2008-2009 J2入会時に名称変更
(ギラヴァンツ北九州)

■ガイナーレ鳥取 中国
(鳥取) 2001-2010 2006年まではSC鳥取

■松本山雅FC
(松本山雅フットボールクラブ) 北信越
(長野) 2010-2011

■V・ファーレン長崎 九州
(長崎) 2009-2012

■カマタマーレ讃岐 四国
(香川) 2011-2013


□J3への参入に伴う退会□

■AC長野パルセイロ 北信越
(長野) 2011-2013

■SC相模原 関東
(神奈川) 2013

■FC町田ゼルビア 関東
(東京) 2009-2011
2013 2012年はJ2に所属

■ツエーゲン金沢 北信越
(石川) 2010-2013

■ブラウブリッツ秋田 東北
(秋田) 2007-2013 2009年まではTDKサッカー部

■FC琉球 九州
(沖縄) 2006-2013

[匿名さん]

#5852020/07/19 02:22
■Y.S.C.C.
(横浜スポーツ&カルチャークラブ) 関東
(神奈川) 2012-2013

■藤枝MYFC 東海
(静岡) 2012-2013

■福島ユナイテッドFC
(福島ユナイテッドフットボールクラブ) 東北
(福島) 2013

■レノファ山口FC 中国
(山口) 2014

■鹿児島ユナイテッドFC 九州
(鹿児島) 2014-2015 2013年に「FC KAGOSHIMA」より名称変更
ヴォルカ鹿児島との合併による

■アスルクラロ沼津 東海
(静岡) 2014-2016

■ヴァンラーレ八戸
(ヴァンラーレ八戸フットボールクラブ) 東北
(青森) 2014-2018

■FC今治 四国
(愛媛) 2017-2019


□地域リーグ等への降格□

呼称(登録チーム名) 地域(県) 在籍年度 備考

■静岡産業大学
(静岡産業大学サッカー部) 大学
(静岡) 2000-2002

■アルエット熊本
(アルエット熊本フットボールクラブ) 九州
(熊本) 2001-2002 2001年はNTT西日本熊本
2005年に参加権利をロッソ熊本に譲渡

■プロフェソール宮崎
(プロフェソール宮崎FC) 九州
(宮崎) 2002 2010年解散

■FC京都1993
(FC京都BAMB1993) 関西
(京都) 2000-2003 2001年まではFC KYOKEN京都
2010年にアミティエSCと統合

■FC刈谷
(フットボールクラブ刈谷) 東海
(愛知) 1999-2009 2005年まではデンソー
(チーム移管)

■流通経済大学FC
(流通経済大学フットボールクラブ) 関東
(茨城) 2005-2010 2009年までは流通経済大学サッカー部
流経大ドラゴンズ龍ケ崎とは別チーム

■ブリオベッカ浦安 関東
(千葉) 2016-2017

■栃木ウーヴァFC
(栃木ウーヴァフットボールクラブ) 関東
(栃木) 2010-2017 現:栃木シティフットボールクラブ
Jリーグ百年構想クラブの認定は継続中。

■コバルトーレ女川
(Cobaltore女川) 東北
(宮城) 2018

[匿名さん]

#5862020/07/19 02:23
■流経大ドラゴンズ龍ケ崎
(流通経済大学ドラゴンズ龍ケ崎) 関東
(茨城) 2015-2019 2015年に「クラブ・ドラゴンズ」から名称変更
流通経済大学FCとは別チーム

□脱退・その他□

呼称(登録チーム名) 地域(県) 在籍年度 退会理由 備考

■ジヤトコ
(ジヤトコサッカー部) 東海
(静岡) 1999-2003 活動停止 1999年はジャトコ
2000-2001年はジヤトコ・TT

■国士舘大学
(国士舘大学サッカー部) 大学
(東京) 1999-2004 退会 不祥事に伴う活動一時休止
翌年以降社会人リーグに参加せず

■佐川急便東京SC
(佐川急便株式会社東京サッカークラブ) 関東
(東京) 2001-2006 統合 2001年は佐川急便SC
佐川急便大阪SCと統合して佐川急便SCに

■佐川急便大阪SC
(佐川急便株式会社大阪サッカークラブ) 関西
(大阪) 2002-2006 統合 佐川急便東京SCと統合して佐川急便SCに

■アローズ北陸
(北陸電力サッカー部アローズ北陸) 北信越
(富山) 2000-2007 統合 YKK APと統合してカターレ富山に

■YKK AP
(YKK APサッカー部) 北信越
(富山) 2001-2007 統合 2003年まではYKK FC
アローズ北陸と統合してカターレ富山に

■三菱水島FC
(三菱自動車水島フットボールクラブ) 中国
(岡山) 2005-2009 退会 翌年は岡山県リーグに参加

■ジェフリザーブズ
(ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズ) 関東
(千葉) 2006-2011 活動停止 2006年はジェフ・クラブ

■アルテ高崎 関東
(群馬) 2004-2011 活動停止 2004年は群馬FCホリコシ
2005年はFCホリコシ

■SAGAWA SHIGA FC 関西
(滋賀) 2007-2012 活動停止 2007年は佐川急便SC

■SP京都FC
(SP京都フットボールクラブ) 関西
(京都) 2003-2015 活動停止 2013年までは佐川印刷SC
2014年は佐川印刷京都

[匿名さん]

#5872020/07/19 06:00
■ファジアーノ岡山ネクスト 中国
(岡山) 2014-2016 活動停止


□開催方式□

■参加条件
参加できるのはJFAの第1種登録チーム(社会人・地域クラブ、大学など)である。JFAはJFLに参加するチームに対し、試合会場として5,000人以上収容可能でかつ有料試合が開催できる規模のスタジアムを用意することを奨励している。また原則としてJFA公認のA級指導者ライセンス以上の者を監督として用意する必要がある。

■試合・リーグ形式
試合は前後半90分で行い、同点なら引き分けとなる(延長戦なし)。勝ち点は勝ち3点、引き分けは双方に1点ずつ、負け0点。

2013年度まで、及び2019年度以降は、リーグ戦は2回戦(ホーム・アンド・アウェー)の総当りで1チーム34試合を行い、最終的に勝ち点の最も多いチームが優勝となる。
勝ち点が同点の場合は「得失点差→総得点→直接対戦の成績→決定戦」の順で決定する。
決定戦については主催者が特に必要と認めた場合(自動降格、あるいは入れ替え戦出場チーム決定など)に限って行う。行わない場合、2004年までは抽選で順位を決定していたが2005年からは同順位となった。

[匿名さん]

#5882020/07/19 06:01
2011年度までは後述の天皇杯出場枠の決定などの便宜上、1回戦総当り(17試合)を前期と後期に分けているが、順位自体は通年で決定しており、実質的に1シーズン制(2回戦総当たり)であった。2012年度も天皇杯出場決定は1回総当り終了時点(第17節)の順位で行うものの、節数の表示には「前期・後期」を用いなくなり、Jリーグと同じく1年間通しで表示(最終は第34節)となった。

2014年度 - 2018年度(2014年度は参加14チーム、2015年度 - 2018年度は参加16チーム)は2ステージ制で行われた。ファーストステージ(前期)・セカンドステージ(後期)それぞれ1試合総当たりのリーグ戦を行い(2014年シーズンは13試合、2015年 - 2018年は15試合)、前後期を同一チームが優勝した場合はそのまま年間優勝、異なるチームが優勝した場合は、ホームアンドアウェーによるチャンピオンシップ(決勝戦)を行う。年間順位は上位2チームは決勝戦の結果により決定、3位以下(1位が同一チームである場合は全チーム)については、年間を通した2回総当たりの総合成績により決めた。

試合方式については2000年までは90分で決着がつかない場合Vゴール方式の延長戦を行っていた。その際の勝ち点は「90分勝利で3点、延長戦での勝利で2点、引き分けで1点、負けで0点」となっていた。
またリーグ戦については1999年は3回戦の総当たり戦(9チーム)、2002年は2002 FIFAワールドカップの影響でスケジュールの確保が難しいことから1回戦のみの総当たり戦(18チーム)で行われた。

[匿名さん]

#5892020/07/19 06:02
■大学チームの参加

大学チームは旧JFL時代の1998年に国士舘大学サッカー部が試験的に参加しており、このテストの結果を受けて1999年の第1回JFL開幕以後、大学サッカー連盟の推薦を得れば参加できるレギュレーションが定められた。これまでに国士舘大学、静岡産業大学、流通経済大学が参加した。

当初は大学チームは社会人リーグと大学リーグで選手の二重登録(掛け持ち)が認められていたが、2010年の規約改正に伴い二重登録が禁止された。このため、2010年シーズンの流通経済大学は個別のクラブチーム「流通経済大学フットボールクラブ」を編成した上で参加した。また、全国地域サッカーリーグ決勝大会についても、2009年までは大学生チームの参加希望があった場合、全国大学サッカー連盟の推薦が得られれば推薦枠として出場することが可能であったが、2010年の規約改正により推薦出場は不可能となった。


■強化費

JFLでは賞金に代わり「強化費」が支給されるが、支給形式及び金額は開催回ごとに大きく変わっている。(2010年は各試合の勝利チームに5万円の強化費が支給された)。

[匿名さん]

#5902020/07/19 06:03
■天皇杯のシード権

第15回大会(2013年)までは天皇杯全日本サッカー選手権大会においてJFL所属チームに対する「シード枠」があり、第17節終了時の1位チームは都道府県予選が免除されていた。シード権が獲得できなかったチームは所属する都道府県の予選大会に出場し、天皇杯出場を目指すことになる(2011年は前期第7節から11試合終了時点での上位2チームが予選を免除され、本戦2回戦から参加した)。

2014年の第94回天皇杯からは、シード枠が「前回の天皇杯に出場したアマチュアチームで、最も成績が優秀だったチーム」に置き換わったことから、JFL所属チーム限定のシード枠が一度は消滅したが、2015年度第95回から、アマチュアシードは大学との隔年交替制となっている。


■入れ替え制度

◇地域リーグとの昇降格
2006年まではJFLのクラブ数拡大などの理由で一定していなかったが、2007年-2012年までは基本的に以下のルールでクラブの昇降格が決められていた。

JFL年間順位の下位2クラブ→地域リーグに自動降格
全国地域リーグ決勝大会(地域決勝)の1位・2位→JFLに自動昇格
JFLの16位と地域決勝の3位がホームアンドアウェー方式の入れ替え戦を行う
ただしシーズン終了後のJリーグ参入・クラブ合併・撤退などの理由でJFL内のクラブ数が減少した場合は、自動降格・昇格枠の調整が行われていた。特に2013年はJ3リーグ発足に伴い複数のクラブがJ3に参入したことから、自動降格を行わなかったほか、成績要件以外でも地域リーグ所属のJFL参入希望クラブを審査の上4クラブの参入を認めた

[匿名さん]

#5912020/07/19 06:04
2014年以降、降格クラブが2クラブとなり、入れ替え戦は行われなくなった。JFL・地域リーグ間でのクラブの昇降格は、基本的に以下のルールで行なわれている。

JFL年間順位の下位2チーム→地域リーグに自動降格
全国地域サッカーチャンピオンズリーグ(地域CL/2015年までの全国地域リーグ決勝大会)の1位・2位→JFLに自動昇格
ただし、シーズン終了後のJ3参入・クラブ合併・撤退などの理由でJFL内のクラブ数が減少した場合は以前のように、自動降格・昇格枠の調整が行われる。


■Jリーグとの昇降格

◇1999年度 - 2011年度

JFL所属のチームがJリーグに入会するには、下記の条件全てを満たさなければならない(ただし、J2所属のクラブ数が22になるまでの暫定処置)。

Jリーグ準加盟クラブとしての承認を受ける。
Jリーグ側から(設備面、経営面等に関する)審査を受け、それに合格する。
審査については本審査(秋季)の前に予備審査(春季〜夏季)がある。予備審査の段階で本審査基準のクリアが見込めないと判断された場合、本審査を受けられず、シーズン終了後のJリーグ臨時理事会で審議対象となることができない。
JFLリーグ戦で原則として4位以上の成績を残す(2011年についてはJ2が20クラブとなったため、これに加え「準加盟チームの中で上位2クラブ」の条件も満たす必要があった。
また2011年までは、JリーグからJFLへの降格は制度化されていなかった。

[匿名さん]

#5922020/07/19 06:04
◇2012・2013年度

2012、および2013年度については、JFLの上位原則2位以内のクラブがJリーグ準加盟クラブであった場合、J2の最下位クラブとJFLの1位クラブが自動入れ替え、J2の21位クラブとJFLの2位クラブが入れ替え戦を基本とする。ただし、JFLからの参加は原則としてJリーグ準加盟を認められるだけでなく、J2昇格基準の案件を満たしていること(J2クラブライセンスの取得)が必須条件となる。


◇2014年度 - 現在

2014年度からは、J2との昇降格は2014年から新設されたJ3リーグ(J3)との間で行われ。JFLからはJ3への参入という形がとられた。なお、J3からJFLへの成績案件での降格もない(但し経営面の問題でのJリーグ退会<クラブライセンスの没収・交付停止>による降格はあり得る)。

JFLからJ3への参入条件(Jリーグ百年構想クラブ認定クラブに限定。J3ライセンスを申請できるのは、J3ライセンス申請をする前年の11月30日までに百年構想クラブを申請していることが前提となる)については、下記の通り。

[匿名さん]

#5932020/07/19 06:05
J3スタジアム要件に関する審査を受け、合格すること。
J3ライセンス基準に関する審査を受け、合格すること。
(上記2件に合格することを前提として実施される)Jリーグ入会審査を受け、合格すること。
以上の条件をすべて満たした上で、当該年度のJFLに於いて以下の要件をすべて満たすこと。
当該年度のJFLでの最終順位が「4位以内」であり、なおかつJリーグ百年構想クラブのうちで上位2クラブに入っていること。(上位4クラブ中3クラブ以上が百年構想クラブである場合は1・2位が昇格対象となり、3位以下は対象から外れる。2クラブ以下である場合は4位以内に入ったそのクラブが昇格の対象となる)
1試合平均入場者数が2,000人を超えており、かつ3,000人に到達することを目指して努力していると認められること。
年間事業収入が1億5000万円以上になり、かつ債務超過ではないことが、合理的に見込まれること。
なおJ3ライセンスを保有し、なおかつ4-1の順位案件をクリアしていても、上記4-2・4-3の案件をクリアできなかった場合、特例がなければJ3入会ができない事例もある。

なお上記の通り、当面はJ3リーグからJFLへの降格は、J3ライセンス未交付によりJリーグを除名・退会せざるを得ない場合を除き基本的には行われないが、2017年1月の信濃毎日新聞との記者会見に応じたJリーグチェアマン(取材当時)の村井満は、将来的なJ3の成績によるJFL降格の制度を採り入れる可能性を示唆しており、2017年6月に行われたJリーグ理事会でも、J3リーグのあり方(全国リーグの維持等)に関連してJ3からJFLへの降格(入れ替え)制度の導入を含めて議論が行われている。

[匿名さん]

#5942020/07/19 06:06
■キャッチフレーズ

JFLでは毎年リーグ全体のキャッチフレーズを設定している。

第05回(2003年)明るい日本はJFLがつくる。
第06回(2004年)蹴りを入れろ。
第07回(2005年)呑んでかかれ。
第08回(2006年)あなたの一番を見せてくれ。
第09回(2007年)競り合って、強くなる。
第10回(2008年)18の個性を無限の感動に。
第11回(2009年)Jump! Fight! Love!(もっと高く、もっと強く、もっと熱く)
第12回(2010年)驚かすのは、オレたちだ。
第13回(2011年)ニュースなヤツ 出てこい!!
第14回(2012年)たっぷりゴール決めてやれ!
第15回(2013年)フェアでホットな風に乗れ!
第16回(2014年)沸かせるゲーム、ここにあり!
第17回(2015年)抜け出すのはどこだ!
第18回(2016年)登り詰めろ!
第19回(2017年)楽しむヤツが勝ち!
第20回(2018年)ギュッと締まったゲーム贈ります!
第21回(2019年)ひらめきを磨け!
第22回(2020年)湧き出すリズムで攻めろ!


■JFL選抜チームによる国外遠征

1999年 バングラデシュ(「バンガバンドゥカップ(英語版)」に出場)
2002年 ウズベキスタン(同国サッカー協会誕生90周年事業)、ヨルダン
2003年 ミャンマー、 インドネシア
2004年 サウジアラビア(「アブドゥラ アルファイサル プリンスカップ」に出場)
2008年 タイ(日本フットボールリーグ発足10周年記念事業)
2014年 ラオス、ミャンマー、カンボジア
2015年 ベトナム
2017年 ミャンマー
2018年 カンボジア
2019年 ネパール

[匿名さん]

#5952020/07/20 21:21
さあ、はじまりはじまりwww

[匿名さん]

#5962020/07/20 21:35
むなしいな、、、

[匿名さん]

#5972020/07/20 22:44
コピペ魔神!!!お疲れ様でーーーす!!!

[匿名さん]

#5982020/07/22 19:32
島根県の天皇杯予選はどうなります?

[匿名さん]

#5992020/07/23 19:36
来月、準決勝から再開との情報がありました。

[匿名さん]

#6002020/07/26 14:06
サポーターはいないのかな?

[匿名さん]

#6012020/07/26 19:21
ヴィッセル神戸の佐々木大樹、レスポール浜田出身だから、年代的に中国リーグ強豪時代のデッツォーラ島根を知ってたりするかも。イニエスタ、山口蛍と名を連ねるなんて、島根県のサッカー関係者は誇ってもいいんじゃないか?本人の才能と努力の賜物であるのは間違いないが。

[匿名さん]

#6022020/07/27 22:21
解散か?

[匿名さん]

#6032020/07/30 22:42
天皇杯常連だった時代が懐かしいな、、、

[匿名さん]

#6042020/08/06 06:45
すこしずつ情報発信はじまりましたね。

[匿名さん]

#6052020/08/09 14:11
☆★ サッカーマガジンWEB★☆

□■初代王者は高校のグラウンドがホーム【連載◎J前夜を歩く第1回】■□

【2020-01-25】
サッカーマガジン編集部


1965年から1992年まで日本のサッカーはJSL(Japan Soccer League/日本サッカーリーグ)を頂点として発展してきた。連載『J前夜を歩く』ではその歴史を振り返る。第1回は1965年の驚きのエピソードを綴る。


■日本サッカーリーグの誕生は1965年

Jリーグが華々しくスタートした1993年から遡ること28年、1965年に「日本サッカーリーグ(JSL)」は誕生した。1964年に開催された東京オリンピックにおいて目標であったグループステージ突破、ベスト8進出を果した日本代表の活躍を受けて、さらに日本サッカーのレベルアップ、普及を図り、発展させるべく、ドイツ人コーチ、デットマール・クラマーが提言。さまざまな困難、解決しなければならない問題があった。

だが、「日本サッカーを上昇させるために、どうしてもやろう」(長沼健JSL常任委員、日本代表監督。1966年JSL年鑑より)と、とにかく前へ進もうという関係者の努力により、日本のアマチュアスポーツ界で初めてとなる全国リーグが組織されることになった。

それまでは、負ければ終わりの勝ち抜き戦による全国大会が主流で、トップレベルのチーム同士が複数回対戦する総当たりのリーグ戦が必要であることをクラマーは説いた。サッカーの本場であるヨーロッパでは早くから当たり前に行なわれていた方式だが、当時の日本では大学など地域、期間が限られた形で行なわれていただけだった。

[匿名さん]

#606
この投稿は削除されました

#6072020/08/09 14:14
参加したのは関東から古河電工、日立本社、三菱重工(いずれも東京)、東海から豊田織機、名古屋相互銀行(ともに愛知)、関西からヤンマーディーゼル(大阪)、中国から東洋工業(広島)、九州から八幡製鉄(福岡)と全国から選りすぐられた8チーム。ホーム・アンド・アウェー2回戦総当たりで、各チームがホームグラウンドを用意するのだが、関東勢は東京オリンピックで使用した駒沢競技場や横浜の三ツ沢球技場が使用でき、愛知には名古屋に瑞穂、刈谷にも競技場があった。

また、関西は大阪に靭(うつぼ)、京都に西京極、神戸に王子競技場、北九州にも大谷、鞘ヶ谷競技場があったが、広島にはそうした施設がなかった。東洋のホームゲームが行なわれたのは何と、広島国泰寺、広島大附属、広島皆実と3つの高校のグラウンドだったのだ。

国泰寺高のグラウンドは1957年度の天皇杯全日本選手権では決勝戦も含めた会場になるなど、当時国内の主要な大会でも使われていた。とはいえ、あくまで高校のグラウンドであり競技面は土で(リーグの規約では芝のフィールドを用意することが求められていた)、観客の多くは立ち見で観戦しなければならなかった。

今では考えられない環境での試合開催だった。それでも東洋は14試合を戦って12勝2分けと無敗で初代チャンピオンに輝く。優勝を決めた最終節も広大附高のグラウンドでヤンマーを11-0と圧倒し、歓喜の時を迎えた。

[匿名さん]

#6082020/08/09 14:15
続く2年目の1966年シーズンも、東洋は高校のグラウンドでホームゲームを戦い2連覇。3年目の1967年後期にようやく広島県営競技場が新設されここで3連覇も達成、さらに4連覇まで記録を伸ばした。下村幸男監督に率いられたチームは、堅守と組織的なサッカーで、まだ個人の力に頼りがちなプレーが多かった時代に異彩を放った。また、劣悪な環境にも屈しないタフさも持ち合わせていた。

見切り発車と言っていいスタートを切ったJSLだが、さまざまな問題を抱えながらも、選手の成長に不可欠な戦いの場を提供した。そのエネルギーが1968年メキシコ・オリンピックでの銅メダル獲得の快挙につながったことは間違いない。

文◎国吉好弘


■著者プロフィール/くによし・よしひろ◎1954年11月2日生まれ、東京出身。1983年からサッカーマガジン編集部に所属し、サッカー取材歴は37年に及ぶ。現在はフリーランスとして活躍中。日本サッカー殿堂の選考委員も務める

[匿名さん]

#6092020/08/09 14:16
>>606
大当り!!!!!

[匿名さん]

#6102020/08/09 21:32
>>606
そういう意味では、デッツォーラも社会貢献してますね!不満の吐口的立場を数年にわたり維持できてますから。ここの執拗なコピぺが別の様相で世の中に表出されると、大袈裟ではなく、警察ごとでしょう。

[匿名さん]

#6112020/08/12 02:49
☆★ サッカーマガジンWEB★☆

□■東洋工業の5連覇を阻んだ三菱重工の初優勝◎J前夜を歩く第18回■□

【2020-06-02】
サッカーマガジン編集部


1965年から1992年まで日本のサッカーはJSL(Japan Soccer League/日本サッカーリーグ)を頂点として発展してきた。連載『J前夜を歩く』ではその歴史を振り返る。第18回はJSLに新風を吹き込んだ三菱重工について綴る。

文◎国吉好弘


■要所にメキシコ五輪組を配す

 1964年東京オリンピックの翌年にスタートした日本サッカーリーグ(JSL)は、第1回から4年連続で東洋工業が優勝し、黄金時代を築いた。その牙城に風穴を開け、初めてタイトルを獲得したのが69年の三菱重工だった。

 三菱重工は東京、そして銅メダルを獲得した68年メキシコ・オリンピックでも活躍した「黄金の足」杉山隆一を擁し、ここまでの4年間で5位、4位、3位、3位と順位を上げてはいた。ただ、優勝には手が届かなかった。しかし、この年は意気込みが違っていた。

 前年はプレーイングマネジャーとして試合にも出場していた二宮寛が監督に専念。GK横山謙三、DF片山洋、MF森孝慈、そしてFW杉山と、各ポジションにメキシコ五輪銅メダリストを配し、軸となる人材がそろっていた。

 そこで、チームは改革を断行する。前年までFWだった菊川凱夫をサイドバックに下げ、スイーパーだった片山を中盤に上げて森と組ませると、CFだった落合弘は一列下げて中盤の攻撃的な役割を担わせ、既存の選手の能力を見直した。新戦力としては早大から関東大学リーグ得点王の細谷一郎、秋田商高から足利道夫と、のちの日本代表が加入している。若手を主力のレベルに引き上げることも重要となっていた。

[匿名さん]

#6122020/08/12 02:50
 果たしてチームは、シーズン前の2月に東南アジア遠征を敢行。新しい陣容でタイ、香港のクラブなどと練習試合を重ねて、開幕を迎えた。初戦でヤンマーと1-1で引き分け、第2節では押されながら東洋を1-0で下すと、ここから前期終了まで6連勝で首位を走った。


■先進的だった二宮監督の手腕

中断期間には、当時西ドイツで日の出の勢いを見せていたヘネス・バイスバイラー監督率いるボルシア・メンヘングラッドバッハ、さらにはイングランドのアーセナルに、菊川、落合、大西忠生、大久保賢司の中堅4人を留学させた。二宮が事前に渡欧して関係を築いていたのだ。

 この効果は大きかった。帰国後、落合の得点力には磨きがかかり、後期7得点、前期の5得点と合わせて12得点で得点王に輝く。菊川は守備が向上したことで、SBで持ち味のスピードを攻守に生かせるようになり、大西はハードな守りに安定感が増した。彼らの成長でチーム力がさらにアップして後期も無敗のまま、第13節の東洋戦に2-0で勝ち、念願の初優勝を決めた。

 エース杉山はチャンスメークに徹した。「僕はシーズン初め、アシスト王を取ってやると宣言した。みんなに走ってもらい、合わせてもらうことを念じたのです。やっぱり優勝しないと何にもならないからね」と語っていた。実際、過去最多の11アシストを記録して、前年に続くアシスト王になった。

 あらためて振り返っても、優勝するにふさわしい、穴のないチームだったが、その中でやはり二宮監督の存在は特筆される。斬新なアイディア、それを押し進める行動力は、それまでの日本の監督には見られなかったもので、異質かつ新鮮に映った。

[匿名さん]

#6132020/08/12 02:56
 二宮は76年に日本代表監督に就任すると、ここでも選手を分散して西ドイツのクラブに留学させたり、代表での待遇を改善するなど、独自の路線を進んだ。また成長著しい奥寺康彦をトップに据え、釜本邦茂を背後に置いて攻撃力を高め、ムルデカ大会で初の決勝進出を果たすなど、その手腕を存分に発揮した。奥寺の西ドイツ移籍や釜本の代表引退などで、代表の成績は先細りとなってしまうが、その仕事ぶりは独特で先進的だった。

 三菱がJSLに吹き込んだこの新風は、翌年こそ東洋の巻き返しに遭うものの、70年代に入ってヤンマー、日立と「3強時代」を築く端緒となった。

[匿名さん]

#6142020/08/16 18:42
☆★福山シティFC★☆

■クラブ名
福山シティフットボールクラブ
■英文呼称
FUKUYAMA CITY FOOTBALL CLUB
■呼称
福山シティFC
■役員
代表 岡本佳大 / 副代表 樋口敦 / 統括 小林政嗣

■監督
小谷野 拓夢

■メディカルダイレクター
樋口 敦
■トレーナー
松本 拓海
■マネージャー
佐藤 文和


■所在地
〒720-0054 広島県福山市城見町2丁目1−22
■TEL
080-4266-1225 (担当:藤田)
■FAX
084-983-1226(備福運送株式会社内)

□■ホームタウン■□
広島県福山市を中心とした備後エリア
福山市・尾道市・三原市・府中市・世羅町・神石高原町・井原市・笠岡市

[匿名さん]

#6152020/08/16 18:43
□■アデランテサッカーアカデミー■□

アデランテは広島市を中心に、岩国、東広島、北広島、竹原、呉、廿日市、大竹、周南、大島などから沢山の子供たちが参加しています。
幼児〜小学生〜中学生の活動において、当アカデミー・スクール会場では保護者の練習時の付き添いや各種割り当てなどの当番はございません(地域スクールを除く)。
スタッフが責任を持ってお子様をお預かりします。
保護者の方は子供たちが高いモチベーションでアデランテの活動に参加できるようにしっかりご自宅での サポートをお願い致します。
メンバーは300名を超えました。他人と一緒じゃつまらない、さらなる活動の充実を図り、優れたサッカー選手、個性あふれる人材を育成していきます。



☆コーチ紹介☆

■ 加藤 賢士

[ライセンス等]
FCバルセロナキャンプ広島コーチングスタッフ
日本サッカー協会公認C級指導者ライセンス
日本サッカー協会公認4級審判

[略歴]
広島市出身:尾長FC−二葉中−安芸府中高−吉備国際大−福山SCC

[指導歴]
吉備国際大-吉備国際大女子−FCセントラル中国 − ADELANTE

[匿名さん]

#6162020/08/21 00:40
専門機関受診療養をおすすめしますwww

[匿名さん]

#6172020/08/23 22:12
三菱自動車水島FC(Mitsubishi Motors Mizushima F.C.)は、岡山県倉敷市で活動する社会人サッカークラブ。

■原語表記
三菱自動車水島FC
■呼称
三菱水島FC
■愛称
レッドアダマント
■クラブカラー

■創設年
1946年
■所属リーグ
中国サッカーリーグ
■ホームタウン
岡山県倉敷市
■ホームスタジアム
岡山県総合グラウンド補助陸上競技場
神崎山公園陸上競技場
収容人数
1,200(岡山県補)
5,000(神崎山)

■代表者
加治貞雄
■監督
菅慎


日本フットボールリーグ (JFL) 参戦当時は「三菱水島FC」の呼称を用いていたが、現在は「三菱自動車水島FC」の呼称としている。メディア等では「三菱自水島」の略称で呼ばれることもある。


■概要

母体は三菱自動車工業水島製作所。多くの選手が期間工として働いている。

1946年に「三菱自工水島FC」として創部、1990年代に入ると中国サッカーリーグで強豪チームとなり、2005年シーズンからJFLに5年間参加、2010年のみ下記歴史の事情により1年間は岡山県リーグ1部、以降中国リーグに在籍している。

[匿名さん]

#6182020/08/23 22:13
チームカラーは「赤」。ギリシャ語でダイヤモンドの語源であり、英語では「断固とした・強固な」という意味を有する「レッドアダマント」の愛称を持っている。マスコットキャラクターは、桃太郎をモチーフとした「桃助」、「こももちゃん」、「まもる君」。

かつては女子サッカーチーム「レッドアダマントFC」が存在していたが2008年度を以て廃止された。


■歴史

1946年に終戦で荒廃した水島地区の地域レクリエーションの向上を目指して「三菱自工水島FC」として設立され、1965年から岡山県の社会人リーグに在籍。県内の実業団サッカーをリードするチームとして長年活躍。1979年に中国サッカーリーグ昇格を果たしたが、1982年に岡山県リーグに転落。

その後1990年に8年ぶりの復活を果たしてからは中国リーグで常に上位に君臨。1992年に初優勝して以来2004年まで中国リーグ5回の優勝を達成。2004年度の第28回全国地域リーグ決勝大会で初優勝を果たし、JFL昇格が決定した。

これを機に地域密着型チーム運営を目指すことになった。ただJFL昇格後の成績は芳しくなく、多くの選手が期間工として2交替勤務で1週間おきに夜勤があるため、なかなかベストメンバーで試合ができず、チームは下位に低迷した。

JFL昇格1年目の2005年は勝ち点8で16チーム中最下位だった。特に後期は勝ち点を3しか上げられず、2005年から2006年にかけて15連敗を喫することになる。ちなみに三菱水島が2005年から2006年に記録した15連敗はJFLのリーグワースト記録である。

[匿名さん]

#6192020/08/23 22:14
2006年も苦しい戦いとなり前期は17位と残留争いに巻き込まれたが、後期はチームが持ち直した。最終順位は17位になるも佐川急便東京SCと佐川急便大阪SCの合併で全国地域リーグ決勝大会上位チームとの入れ替え戦の対象が18位チームだけになったこともあり、JFL残留を果たした。

2007年は自力で残留を果たす。

2008年も降格圏内に低迷、しかし上位チームのJ2昇格(栃木SC・カターレ富山・ファジアーノ岡山FC)に伴い引き続きJFL残留を果たしている。同年には同県のファジアーノ岡山FCとの岡山ダービーが実現した。

2008年末、世界的な経済情勢の悪化から、今後の活動について運営費削減および活動縮小が懸念された。これに対し、ホームスタジアム・岡山県笠岡陸上競技場のある笠岡市が、同クラブが地域スポーツ振興の中核的な存在であるとして活動存続を要望した。

2009年も引き続きJFLに在籍したものの、所属選手の半数近くが雇用保険やアルバイトで生計を立てる状況で、チームも最下位に低迷。さらには遠征費どころかJFL加盟料を捻出する事が困難な状況になったため、同年9月30日JFL事務局に脱退する書面を提出、同年10月30日JFL臨時評議員会にて認められ、成績にかかわらず降格が決定した。三菱自動車では長引く不況の影響で、社営水島病院が廃院閉鎖に追い込まれるなど、リストラ策が進められており、本業以外に対する支出に厳しい目が向けられていた。

[匿名さん]

#6202020/08/23 22:15
降格以外の理由でのJFL脱退であるため、全国社会人サッカー連盟の規約上中国リーグ側から参加登録を拒否されたこともあり、2010年はさらにその下の都道府県リーグである岡山県リーグ1部に参加することとなった。

2010年、岡山県リーグ1部を無敗で優勝。中国地域県リーグ決勝大会で準優勝。2011年から中国リーグに昇格した。

2016年6月、三菱自動車による燃費データの改竄問題を受けて岡山県サッカー選手権大会(天皇杯県予選)への参加を辞退した。10月、第52回全国社会人サッカー選手権大会で優勝。11月の全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2016は1次ラウンドを3戦全勝で決勝ラウンドに進んだが3戦全敗に終わり、大会を4位で終えた。

2017年、13年ぶりに中国リーグ優勝。全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2017では、BグループでFC TIAMO枚方、アミティエSC京都に連敗、最終戦を待たずにグループリーグ敗退が決まった。

[匿名さん]


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